第48話 獣化と月の一刀

 満月の夜。それは最も魔力の満ちる夜でもある。

 そしてその夜は獣人族にとって特別な夜でもある。夜空の満月が獣人族であるミソラに力を与えるのだ。


「ルォオオオオオオオオオオオッッ!!!」


 『獣化』。それは体の奥底に眠る獣としての本能、力を呼び覚ますもの。

 獣人族はこの『獣化』の力を抑えきれず、本能に呑まれて暴れてしまうこともある。だからこそ満月の夜、獣人族は外に出ない。

 しかしなかにはそれを制御し、力に変えることができる者達もいる。ミソラもその中の一人だった。


「フーッ、フーッ……」


 強化魔法での強化とは比べモノにならないほどの全能感がミソラの全身に満ちる。爪も髪も伸び、その姿が人から獣のそれに近くなる。

 理性が本能に呑まれそうになる。自分が人なのか獣なのかわからなくなる。その境界が曖昧になる。しかしミソラはギリギリの所で耐えた。獣として本能を人としての理性で抑え込んだのだ。


「さぁこっからはアタシも混ぜてもうらぜぇっ!!」


 跳躍。今度は木々を伝う必要も無い。ただの一足で竜のもとまで届いてしまった。


「おら退けツキヨ!! こっからはアタシが楽しむ番だ!」

「っ、まかさ『獣化』使ったの!? それはズルいよ! レイハに不安定だから使うなって言われてたくせに!」

「てめぇも同じだろうが! 本気で技使うなって言われてたくせによ!」

『えぇい、邪魔だ貴様ら! 空は我ら竜の領域、人如きが来て良い領域ではないわ!』

「はっ、それこそ思い上がりだよこのトカゲもどきが! もうそこはてめぇだけの場所じゃねぇよ!」


 竜よりもさらに高く跳び、その上を取る。

 満月を背にするその獣人の姿はいっそ神々しさすら感じるほどだった。しかし竜には見惚れる間も無かった。


「てめぇは地面から見上げてろ! 『狼牙ウルフェンファング』!!」


 竜の頭にミソラの渾身の一撃が叩き込まれる。

 生半可な一撃では竜には通用しない。しかし、今のミソラの一撃は生半可では無かった。

 岩石が当たってもビクともしない竜の鱗をものともせずそのまま地へと叩き落とした。

 竜が地に、人と獣人が空に。それは竜にとって屈辱でしかなかった。


『貴様らぁ!!』


 翼を使い、自在に空を滑空できる竜とは違う。身動きができないツキヨとミソラに対して、竜はブレスを放射状に吐く。


「そのブレスはもう見たよ!」


 ツキヨが迫るブレスを裂く。しかしそれは竜の罠だった。二度ブレスを防がれたことで普通のブレスが通用しないことは理解している。しかし、目くらましに使うには十分だった。

 竜はツキヨが刀を振り切ったタイミングを狙って尾を振ったのだ。音速を超える速さで迫る尾がツキヨが体を刺し貫く。まずは一人、そう思った竜だったがすぐに違和感に気付いた。体を貫いた感覚が無かったのだ。

 そしてその感覚が正しかったと証明されたのは、刺し貫いたはずのツキヨの体がぼんやりと霞んで消えたからだ。


『ぬっ!?』

「月影一刀流四ノ型――『朧月』」

『貴様、何をした!』

「さぁ。月にでも魅せられてたんじゃないかな?」

 

 竜の体を支える後脚がツキヨに斬られる。鋼鉄も魔法すらも容易く弾くその肉体にツキヨは傷をつけてみせたのだ。


『バカな!?』

「硬いものを斬るにはコツがいるんだよ。まぁ、呼吸とタイミングなんだけど。でもそれさえ合えば竜の鱗だって私は斬れる。いいの? 呆けてると次が来るよ」

『っ!』

「ウォオオオオオオオオオッッ!! 『狼地砕ウルフェンブレイカー』!!」


 再び脳天へ叩き込まれる一撃。しかし今度の一撃は威力が桁違いだった。

 竜の脳が頭蓋の中で揺らされ、意識が一瞬飛ばされる。しかし倒れることなく耐えたのは数多の種族の頂点に立つ種としての矜持ゆえか。竜は地に倒れる前に前脚で体を支え、耐えてみせた。


「どうしたトカゲもどき。フラついてんぞ!! 『狼翔拳ウルフェンアッパー』!!」


 地に深く沈み込み、跳ねる勢いを利用してのアッパーカット。しかしそれだけでは止まらない。ミソラはそのまま連撃を加える。


「オラオラどうしたぁ! 抵抗しねぇならこのまま殴り殺すぞ!」

『我を舐めるなぁっ!!』

「っと、おーおー。さすがに腐っても竜か。こんだけ殴ってもまだ動けるなんてな。つーかピンピンしてんじゃねぇか。まぁそれぐらいじゃねぇと殴り甲斐がねぇってもんだ」


 ミソラと竜の真っ向からの殴り合い。ぶつかり合う余波だけで大気が震えるほどだった。

 竜と殴り合うなどし正気の沙汰では無いが、ミソラにはそれができるだけの力がある。『獣化』した肉体は力も強度も桁外れだ。

 竜はもうツキヨとミソラのことを下等生物と侮ってはいなかった。全力で狩ろうとしていた。しかし、それなのに目の前の二人は倒れない。殺せない。それどころか逆に竜のことを追い詰めようとしていた。


「ふふふ、思うように力が出せなくて焦ってるのかな?」


 尾の攻撃はいなされ、ブレスは防がれ、爪で攻撃してもミソラに弾かれる。竜の持つ攻撃方法は何一つとして二人には通用していなかった。


「むしろ効くと思ってたのか? こんなただの力技。確かに力ってのは大事だが、それも技があって初めて活きる。ただ自分の持つ身体能力だけで戦ってる奴が、アタシらに勝てるわけねぇだろうが!」


 竜種に生まれたがゆえに、彼は生まれた頃から強者だった。そして月日を経るごとにその力はさらに強くなる。全てを防ぐ強靱な肉体、鋼鉄すらも斬り裂く爪と尾、そして防御不可のブレス。これだけで十分だった。十分なはずだった。

 しかしツキヨとミソラには通じない。竜の積み上げてきた自信が、自負が、崩されようとしていた。そしてそうなった時、竜の中に湧き上がる感情は一つだけ。それは恐怖。五百年生きてきて、ほとんど感じることの無かった死への恐怖。それが竜を突き動かした。


『ッッ!!』


 翼を大きくはためかせ、竜は再び高く飛び上がる。しかし今度は攻撃をするためではない。

 肉体が耐えきれなくなる前に。斬り殺される前に、殴り潰される前に逃げるためだ。竜は生存本能に従って逃げることを選んだのだ。


『貴様らは覚えておけよ。この借りは必ず――っ!?』


 逃げようとした竜。しかし、ツキヨとミソラがそれを許すはずが無かった。

 ミソラがツキヨのことを竜に向かって投げたのだ。


「お、らぁっ!!」

「っとと、もっと優しく投げて欲しかったんだけど。まぁいいや。ねぇ、本気で私達から逃げられると思った? 残念だけど――君はここで終わりだよ」


 すれ違いざま、ツキヨが竜の片翼を斬り落とす。

 片翼を失いバランスを失った竜は地へ真っ逆さまに落ちていく。そこに待ち構えるのはミソラだ。


『っ、業火――』

「今さら溜めてる時間があると思ってんじゃねぇぞ!!」


 ブレスを吐こうとした大きく開いた竜の口を、顎を蹴ることで無理矢理閉じたミソラ。そうなれば必然、吐こうとしていた炎は逆流し竜の口内で暴れ回った。

 口内が、喉が、自らの炎によって焼かれる。その苦しみに暴れ回る竜だったが、その終わりは近付いていた。


「さぁ、これで終わりにしようか」


 空に投げられていたツキヨが上空から落ちてくる。重力に身を任せ落下するミソラは宙で太刀を構えた。

 迫るツキヨの姿が竜の視界に入る。しかし片翼を失った竜に逃げ場などあるはずも無かった。


「月影一刀流八ノ型――『望月』」


 竜が最期に目にしたのは空に浮かぶ満月よりもなお鮮烈に輝く、ツキヨの太刀が描いたもう一つの満月の煌めきだった。

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