第39話 氷牢雪獄

「零へ還れ――『氷牢雪獄コキュートス』」


 レイハがその名を口にした瞬間、世界が時を止めた。

 彼女の足元から青く輝く魔力が修練場を呑み込むように広がっていく。

 そこに込められた魔力は大魔法にも匹敵、否、それすらも越えるであろうほどだった。


「っ、ふざけるなっ!」


 場の雰囲気に呑まれてなるものかと拳を握りしめレイハに攻めかかるディアベル。技の発動に集中しているのかレイハは動かない。


「『崩拳』!!」 


 全霊の魔力を込めたディアベルの本気の一撃。確かに命中した。手応えはあった。それなのにレイハは涼しい顔でそこに立っていた。


「っ!? どういうことだ」


 拳で、足で、苦肉の策として魔法で。あらゆる手段で攻撃するディアベル。しかしその全てが無効化される。魔法など撃った途端に凍ってしまった。


「何をしても無駄ですよ。ここはもう私の世界なんですから」

「何を言って……っ!」


 ディアベルは気付く。手足が少しずつ凍り付き始めていることに。そしてそれは離れた場所で意識を失っているワルプも同様だった。体が凍っていく。ディアベルが氷を砕いても、その先から再び凍り付く。止められない、止まらない。

 ディアベルの抵抗の全てを嘲笑うように氷がディアベルの肉体を冒す。


「私がこの力を、この【才能ギフト】を、本気で使うと決めた時点で勝負は決まっているんです」


 超然と佇むレイハはまさしくこの世界の支配者だった。

 白く冷たく染まっていく世界は彼女の心をそのまま表しているかのようですらあった。


「この世界ではあらゆる抵抗が無意味と化す。力も、魔法も、何もかも――全てはただ零へ還る」


 あり得ない、そんなものは【才能ギフト】の領域を越えている。ディアベルの知る【才能ギフト】はここまで常識外れなものではなかった。


「強力な技ではあるんですがね。ですがどうにも扱いが難しいものでして。もしうっかり出力を間違えて暴走させたらこの世界そのものを零にしてしまいかねないので」


 さらっと恐ろしいことを言うレイハ。しかしそれが比喩でも冗談でも無いことはディアベルがその身をもって痛感していた。これは勝負ですらない。ただの蹂躙だ。


「この技を使うつもりは無かったんですよ。ですがあなたは決してやってはならないことをしたので」

「やってはいけないこと……だと?」

「よくも……よくもよくもよくも坊ちゃまを傷つけたな。坊ちゃまはお前なんかが触れていい存在じゃない。坊ちゃまはお前なんかが傷つけていい存在じゃない。なのに、それなのによくもよくもよくも!!」

「がっ!?」


 レイハがディアベルを転がし、頭を踏みつけて床に押しつける。

 彼女は己のうちで荒れ狂う激情を抑えるので必死だった。今こうしてディアベルが生きていることすら耐えがたかった。必死に自分を律しているのは『氷牢雪獄コキュートス』を暴走させないためだ。

 百回殺しても足りない。それがレイハのディアベルへの正直な思いだ。


「なんなんだ……なんなんだお前は!」

「まだ喋れるんですね。私が何かと問われれば、坊ちゃまのメイド。坊ちゃまを守る存在です。私は坊ちゃまの剣にして盾。坊ちゃまの敵は私の敵」


 その言葉にはどこか熱がこもっていた。


「私は坊ちゃまのメイドで在り続ける。この先も――永遠に」

「っ!」


 ディアベルは見てしまった。レイハの瞳の奥底を。

 そこに何があったのか。何を見てしまったのか。知るのはディアベルだけ。しかしディアベルは確かにその瞳を見て恐怖を抱いてしまった。


「お前、イカれてる……」

「そうですか」


 ディアベルの言葉をレイハは否定しない。それどころかどこか誇らしげですらあった。


「ではさようなら」






 同じ頃、ミーナは修練場の外に逃げた魔獣と魔物の対処に追われていた。

 逃げる生徒達を守りつつ戦う。別に難しいことではない。しかし数が多すぎた。空中に浮いていた穴は消え、魔獣達の流出は止まったもののそれまでに出てきた魔獣や魔物だけでもかなりの数だった。

 それでも生徒達に怪我人一人なく逃がすことができているのはひとえにミーナの実力があってこそだろう。魔獣、魔物と生徒達を分断しつつ精霊で確実に殲滅していた。


「ホントはもっと広範囲の殲滅技使いたいんだけど。まぁそれすると後片付けが大変なんだけどね。炎ちゃん、風ちゃん! 『フレイムストーム』!!」


 迫るオークを一瞬で丸焼きにするミーナ。しかしその後ろからさらに次の魔獣が、魔物が迫ってくる。数に押し切られるということはないが、それでも面倒なものは面倒だった。


「あぁもう、早く修練場に戻らないといけないのに!」


 そうして精霊の力を借りながら粗方の魔獣と魔物を倒し終えたその時だった。修練場の中から異常なまでの魔力の高まりを感じたのは。

 そしてそれとほぼ同時。修練場からエリカと彼女に背負われたハルマ、そしてフェミナ、フェミナがいつの間にか回収していた教員の四人が姿を現した。


「みんな、無事だったのね!」

「えぇ。でもまだ彼女が、レイハさんが中で魔人族と戦っていて」

「魔人族と? っ、あの子もしかしてアレを使ったんじゃないでしょうね!」


 ミーナはこれだけの魔力を消費する技を知っていた。しかしそれは使わないようにとアルバとシアがレイハに厳命していた技でもあった。その技があまりにも危険過ぎたからだ。


「あの子はホントに……二人はハルマ君を連れてできるだけ遠くへ」

「学園長は?」

「あの子を止めないと。いい? できるだけ遠くへ行ってね。それじゃ」


 そう言い残してミーナは修練場の中へと走っていった。





 レイハの目の前ではディアベルが物言わぬ氷像と化していた。

 地面にひれ伏した姿勢のまま、氷漬けになっていた。気を失っていたワルプも、逃げ遅れたアデルもだ。アデルに関しては偶然巻き込んだだけだが、レイハは助けるつもりは毛頭なかった。

 アデルは間違い無くハルマの敵、だからだ。もっとも助けるつもりがあったとしてもレイハにはどうしようも無かったのだが。


「っぅ……まずいですね。私も早くここを離れないと……」


 『氷牢雪獄』。それは全てを零へと還す技。この内にいる者は全て物言わぬ氷像へと変えられる。そう、全ての者が、だ。それはレイハですら例外ではない。もちろん他の者よりも耐性のあるレイハはそう簡単に氷漬けになったりはしないが、いつまでもこの場にいればいずれディアベル達の仲間入りをしてしまう。

 そんな強力無比ながら諸刃の剣のような技なのだ。

 

「っ!」

 

 技の発動に思った以上に魔力を消費していたのか、レイハの視界がグラリと揺らぐ。

 思わず膝をつきそうになるレイハ。しかしそれよりも先に彼女の手を掴む存在が居た。


「こんなことだろうと思った」

「ミーナ……どうしてここに」

「あなたが『氷牢雪獄』を使ったからでしょ。思わず焦ったわよ。だってあなた、この技を自分の意思で解除できないんだもの」

「……する必要が無いだけだし」

「あるでしょうが。この修練場が永久凍土になっちゃうでしょ。だからあれほど使うなって言ったのに。そんなに強かったの? 使わなきゃ勝てないほどに」

「強いのは強かったけど別に絶対勝てないってほどじゃ無かった……と、思う。でもついむしゃくしゃして」

「なにその思春期男子みたいな言い訳は。今回は私がなんとかしてあげるけど、後でお説教だからね」

「…………」


 明らかに不服そうな顔をしながらも何も言い返さないレイハ。いくら怒っていたとはいえ、自分がやり過ぎたことは理解しているのだ。

 ミーナはレイハのことを立たせると、杖を構えて真剣な表情をする。

 そして――。


「“従え”」


 ゾワッとレイハの肌が粟立つ。ミーナの体から立ち上る魔力は視認できるほどに濃く、なによりもその身に纏う雰囲気がいつもとは違い、厳かだった。


「ウンディーネ、サラマンダー、シルフ、ノーム、フェンリル」


 精霊の名を呼ぶミーナ。彼女に、仕えるべき王にその名を呼ばれた精霊達はこの世界に存在を確定させ、レイハの目にも視認できるようになる。

 これこそが【精霊王】。全ての精霊を従える存在なのだ。


「『エレメンタルバースト』!!」


 精霊達の力を一つに束ねたミーナの本気の一撃。それはレイハの生み出した絶対零度の世界を壊すには十分の威力を誇っていた。それどころか空まで届くその一撃は雲すらも消滅させてしまった。


「さぁ、行きましょうか」

「……ん」


 清々しい笑顔で言うミーナとは対称的に相性が悪いとはいえ自分の『氷牢雪獄コキュートス』をあっさり破られたレイハは面白くなさそうな顔で頷くのだった。

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