第38話 零への誘い

 ワルプを追ってゲートの穴を通ったレイハはグニャリと視界の曲がるような感覚と共に、気付けば修練場の舞台の上空に飛ばされていた。

 眼下には落下しているワルプの姿。空中では避けることもできないだろうとワルプに向かって『氷刃』を飛ばそうとしたレイハだったが、その直前に視界に入ってしまった。

 ハルマのことを右肩に抱えている魔人族の姿が。その瞬間、頭が沸騰した。ワルプのことも頭から消え去り、氷で足場を作ったレイハは一直線に魔人族のもとへと飛んだ。

 その首を落としてやろうと短剣で急襲を仕掛けるレイハだったが、怒りで殺気が漏れてしまったのかギリギリのところで躱されてしまう。しかし、ハルマを取り戻すという一番の目的は達成することができた。

 ハルマはボロボロに傷ついていた。相当なダメージを負ったのか完全に気を失ってしまっている。

 その姿を見た時のレイハの気持ちがわかるだろうか。

 何よりも大切にしている存在であるハルマを傷つけられ、さらには攫われそうになっていた。許さない、許せない。万死に値するとはこのことだと、激情のままに力を振るいそうになるのを抑えるので精一杯だった。


「…………誰だ。貴様は。どこからやってきた」

『へへっ、やっと来やがったか遅いんだよ――オレ』


 ボロボロな姿、片腕も失い顔にも罅が入った状態でそう言うのは『氷の鏡像』によって生み出されたレイハのコピーだ。コピーというだけあって本物のレイハよりは弱いものの、それなりの実力はある。その彼女がここまでボロボロにされるというのは、それだけ目の前の男が強いということなのだろう。

 しかしそんなことレイハには関係無かった。頭にあるのは目の前の男を殺すことだけ。それ以外は些末なことでしかない。


「準備はできていますか?」

「なに?」

「私に殺される準備です!」

「抜かせ――っ!!」


 レイハが動くと同時、目の前の男も動き出した。魔人族の男が突き出した豪腕をスレスレで避ける。そのまま腕を巻きとり、逆に相手の力を利用して投げる。不意をついた完璧なタイミングだった。ご丁寧に着地地点に氷に針まで作っている。しかし、その男は逆の手で見事に氷の針を掴み針を壊して着地。掴まれた手を振りほどくと逆立ちのような姿勢のまま蹴りを繰り出した。

 こめかみに迫る男の蹴りをレイハは腕に氷を纏わせることで防御力を上げて防いだ。刹那の攻防。しかしたったそれだけのやり取りで二人は互いが実力者であることを察した。


「なるほど。あなたが強いことは認めましょう。普通なら今ので串刺しだったんですが」

「それはこちらの台詞だ。今の蹴りを止められるとは。頭蓋ごと砕くつもりだったんだがな」


 改めて間合いを取った二人は構えを取る。


「俺の名はディアベル。貴様の名は?」

「あなたのような不届き者に名乗る名など持ち合わせていません」

「どこかで聞いたような台詞だな。だが、名乗らないというならばそれでも構わない。名も無き強者として沈んでいけ!」


 ディアベルはたった一歩でレイハとの距離を潰す。下からのアッパーカット。唸るように迫る拳をレイハは僅かに上体を反らすことで避けた。最小限の動きで躱したレイハはそのまま反撃。腕を振りきった姿勢、がら空きになった脇腹に蹴りを叩き込む。


「っ!」

「温いな」


 肘打ち。脇腹を打った足に向けて放たれた一撃をレイハは氷で足を包むことで防いだ。

 氷の壁を挟むことでディアベルとの距離を作ったレイハは思わず舌打ちする。


「硬すぎる。鉛でも仕込んでいるんですかあの体は」


 レイハの一撃を受けても微動だにしなかったディアベル。もちろんレイハも手を抜いたわけではない。本気で肋骨ごとへし折るつもりで蹴った。

 それでも通用しなかった。はっきり言ってディアベルの肉体の硬さは異常だった。しかし、それはディアベルにとっても同じことだった。


「恐ろしい硬度だな、その氷は」


 アッパーカットのような隙の大きい技をあえて使ったのは脇腹への攻撃を誘導するためだった。そしてその狙い通りレイハは蹴りを入れてきた。一対一の勝負において足を潰されるというのは致命的だ。

 だからこそ最初に機動力である足を奪おうとした。氷で防がれることも考慮したうえでの一撃だった。しかしそれでも氷を貫くことができなかった。


「もっと力を上げる必要がありそうだな」

「硬い相手は嫌いなんですが。それならそれでやりようはあるというものです。あなただけは殺す。絶対に」


 ともすればその殺気だけで殺せるのではないかと思わせるほどの威圧。並の相手ならばこのレイハの殺気だけで命を奪うこともできるだろう。しかしディアベルは並の相手ではない。その殺気をものともせずにレイハに向かって駆け出す。

 レイハもそれを真正面から迎え撃った。


「――シッ!」

「おぉおおおおおおっっ!!」


 舞台上に響き渡る氷と拳が激しくぶつかり合う音。互いに一歩も譲らぬ攻防。その衝撃の余波だけで魔獣が吹き飛ばされるほどだった。


「っぅ! な、なにこの戦い! あり得ないんだけど!」


 エリカは目の前で繰り広げられる戦いに圧倒されていた。速度で勝るレイハの攻撃をディアベルは肉体で弾き、威力で勝るディアベルの攻撃をレイハは氷で受け流す。たった一度のぶつかり合いの間にどれほどの読みあいが繰り広げられているのか。エリカには想像もつかなかった。


「お嬢様、ご無事ですか!」

「フェミナ! 来てくれたのね!」


 魔獣を倒しながらエリカに近付いてきのは観覧席にいたフェミナだった。彼女もまたメイドでありながらドラグニール流を修める剣士。この程度の魔獣は物の数では無かった。


「とにかくハルマを連れて下がらないと。フェミナ、手伝って!」

「はい。わかりました。ですがお嬢様、いったい何が起きているのですか」

「気になる気持ちはわかるけど考えるのは後! 今は早くこの場から離れないと!」


 エリカには予感があった。あの二人の戦いが舞台上などという狭い範囲で終わるわけがないという予感が。戦いの余波だけでこれなのだ。もし巻き込まれでもしたらたまったものじゃない。

 自分よりもはるかに高次元で行われる戦いに微かな嫉妬心を抱きながらも、エリカは自分の実力はわきまえていた。

 今の自分ではあの戦いについていくことはできないと。


「お嬢様、こちらへ!」

「……えぇ!」


 気を失っているハルマを抱きかかえたエリカは背後で行われる戦いを目に焼き付ける。


「いつか私も必ず……」


 そんな決意を胸にエリカは修練場を後にする。

 そしてレイハはそんな戦いの最中でありながらエリカがハルマを連れて修練場を去って行くのを見ていた。


「ようやく行ってくれましたか」

「戦いの最中によそ見とはずいぶんと余裕だな!」

「っ! それは申し訳ありません。ですが私にとってはあなたとの戦いよりも大事なことでしたので。これでようやく私も本気が出せます」

「まるで今までが本気では無かったかのような口ぶりだな」

「それはイエスでありノーでもあります。私の本気は少々周囲に与える影響が大きすぎるので。万が一にも坊ちゃまを巻き込むわけにはいかなかったんですよ」

「なんだと?」

「さぁ、終わりにしましょう」


 ゾクリとディアベルの背筋に悪寒が走る。高まるレイハの魔力が、冷気がディアベルの本能に訴えかける。この場から離れろと。

 それは初めての経験だった。戦いの中に生きる魔人族が、闘争本能よりも生存本能を優先したのだ。

 しかし、結論から先に言うならば。全ては遅かったのだ。

 レイハがこの技を使うと決めた段階で全ては決まっていた。終わっていたのだ。


「零へ還れ――『氷牢雪獄コキュートス』」


 

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