第2話 ディルク家の朝

 魔王討伐より十年後。

 ソルシュ王国北方、人里から少し離れた場所に大きな屋敷がポツンと一つ建っていた。

 その屋敷こそが魔王を倒したアルバ・ディルクの屋敷だった。

 優に三十人以上は暮らせるほどの屋敷だったが、今住んでいるのは勇者の息子であるハルマ・ディルクと六人のメイド達だけ。


「……すぅ……すぅ……」


 屋敷の中にある一室。他の部屋に比べて大きな部屋に豪奢なベッドが置かれていた。そのベッドに寝ている人物こそ現在の屋敷の主であるハルマ・ディルク。今年で十四歳になる少年だ。

 容姿は比較的整っていて、この世界にしては珍しい黒髪だ。まだ成長途上ではあるが、同年代の少年と比べれば少し小柄かもしれない。

 スヤスヤと眠るハルマの部屋に入ってきたのはメイド服を着た女性だった。髪の色はプラチナシルバー。瞳の色は透き通るような碧眼。目つきは多少キツい印象を与えるものの、綺麗に整った容姿は誰の目も惹くだろう。

 彼女の名はレイハ。この屋敷でメイド長をしている十九歳の少女だ。

 足音一つたてることなく部屋の中に入ってきたレイハはそっと窓辺に近付きカーテンを開く。


「んぅ……」


 窓から差し込む朝日に刺激されたのかハルマが小さく身じろぎする。そんなハルマを見て微笑を浮かべたレイハはベッドへと近づく。


「おはようございます坊ちゃま。もう朝ですよ」

「……レイハさん?」

「朝ご飯の用意もできます。今日の朝食は坊ちゃまの要望通りハムとスクランブルエッグです」

「わかった……起きるよ……」

「そういうわりにはなかなか目が開きませんが。仕方ありませんね」


 レイハはイタズラっぽく笑みを浮かべてハルマの首筋にそっと手を当てる。その瞬間、背に氷を突っ込まれたような冷たさがハルマを襲う。


「うわぁっ!?」

「ふふ、目が覚めましたか?」


 クスクスと上品に笑うレイハにハルマは顔を真っ赤にしてそっぽを向く。


「うん、覚めた……バッチリ覚めたよ……でも心臓に悪いからその起こし方は止めて欲しいな」

「すみません。坊ちゃまの反応が可愛らしくてつい」

「可愛いって言われても嬉しくないよ……」


 ハルマも十四歳の男の子。年上の綺麗なお姉さんに可愛いと言われても喜びづらかった。どちらかと言えばカッコよいと言われたい年頃なのだ。


「さぁ坊ちゃま。朝食が冷めてしまいます。お召し物は用意してありますので、着替えて食堂へと参りましょう」

「そうだね」

「…………」

「…………」

「? どうされたんですか? 早くお着替えを」

「わ、わかってるけど。その、見られてると着替えづらいから出て欲しいんだけど」

「あ、なるほど。わかりました。では私は部屋の外で待ってます」


 ポン、と手を打ったレイハはハルマが恥ずかしがる理由を察して部屋を出る。

 部屋を出たレイハは部屋の外でハルマの着替えている気配を感じながら、小さく息を吐く。


「そうでしたね。坊ちゃまももうそういう年頃なんですね。気をつけないと」


 ここで、レイハという少女についての話をしよう。

 彼女はこの世界の人間であって、この世界の人間では無い。生まれはこの世界なのだが、その魂は全く別の場所からやって来ているのだ。

 なぜそうなったのかと聞かれれば、神の気まぐれだとしかレイハは答えられない。明確な理由など知らない。しかしレイハは神の気まぐれに選ばれ、この世界へとやってきた。しかもご丁寧なことに性別まで変えられて。

 自称神のことを思い出せば腸が煮えくりかえりそうになるほどにレイハは神のことを嫌っていた。できればもう二度と会いたくはないと思っている。神のせいで彼女は波瀾万丈な人生を送ることになったのだから。

 元は男だったというのに女にされて、そのうえ目覚めた場所は盗賊団のアジト。それから聞くも涙、語るも涙の冒険を経て彼女はディルク家のメイドとなった。

 とはいえ、レイハは今の生活には満足している。全てはハルマと出会えたおかげだ。


「坊ちゃまももう十四歳ですか。時が流れるのは本当に早い。気をつけないと」


 思春期男子の抱える気難しさはレイハも理解している。なにせ自身にも同じ経験があるのだから。

 

「お待たせ。準備できたよ」

「はい。身だしなみは……問題なさそうですね」

「もう僕も十四歳なんだからそれくらい一人でもできるってば」

「ふふ、失礼しました。では参りましょう」




 食堂にたどり着いたハルマは焼きたてのパンの匂いに気付いた。

 まだ若干残っていた眠気も、そのパンの匂いでどこかへと吹き飛んでしまう。焼きたてのパンは


「パンの匂い……」

「えぇ。今日はサラが朝食を用意してくれました。朝からかなり張り切ってましたよ」

「そっか。サラさんが。なら期待できるね」

「坊ちゃまは私の作る朝食では不満ですか?」

「そ、そういうわけじゃないよ! レイハさんの作る朝食も、他のみんなの作る朝食も好きだけど。でもサラさんはパンを作るのがすごく上手だから……って、レイハさん?」 

「ふ、ふふっ、ごめんなさい。冗談です」

「レイハさんっ!」


 顔を逸らしてクスクスと笑うレイハに気付いたハルマは、そこでようやく自分がからかわれていたのだということに気付く。ハルマが怒ってもレイハはどこ吹く風だ。

 そんな二人の様子を見ていたメイド達の中の一人、サラが二人に声をかける。


「あなた達、いつまでそこで喋っていますの? わたくしが作った朝食が冷めてしまいますわよ」


 食堂に居たのはレイハ以外の五人のメイド達。

 怒りの表情を二人に向けるのは朝食を作った少女だ。彼女の名前はサラ・ソラナス。綺麗な青髪をポニーテールに纏めている。座っていても凜としたそのたたずまいはどこか高貴な雰囲気を漂わせていた。


「ごめんなさいサラさん」

「ふん、次からは気をつけることですわね。わたくしの作った朝食を冷めさせるなんて、万死に値しますわよ」

「まぁまぁサラちゃん落ち着いて。ほら坊ちゃま、座って座って」


 サラを宥めるのはエルフ族の少女。彼女の名はホリー・パクダー。長身痩躯が多いエルフ族だが、ホリーは違う。人族の子供と見間違ってしまいそうなその容姿。しかも長ければ長いほど美しいとされているエルフ族の金髪を肩の位置で切っている。耳が長くなければエルフだとは思われなかっただろう。

 

「あなた、何食べてますの?」

「んー、アメだよ。今朝ね、買い物に行った時におじさんにもらったんだー」

「またですの? というか、朝食前に食べるんじゃありませんわ。行儀が悪いですわよ」

「大丈夫だよ。サラちゃんの朝食もちゃんと食べるから」

「そういう問題ではありませんわ!」


 真面目なサラとは対照的にホリーはポワポワとしていて、サラの説教もまるで聞いていない。これもまたディルク家のいつもの光景だった。

 ハルマは言い合いを続けるサラとホリーを横目に席へと座る。レイハも同様だ。

 そんなレイハの隣に座っているのは刀を抱えて椅子の上で眠りこけている少女、ツキヨ・ミチカゲだった。綺麗な黒髪が頭の揺れに合わせてサラサラと流れる。


「ツキヨ……起きなさいツキヨ」

「んぁ……くー……」

「寝ないっ」

「あだっ」


 レイハに頭を叩かれてようやく目を覚ますツキヨ。しかしまだ眠気は残っているのか、紅い目をこすりながら大きな欠伸をする。


「んーー、なんんだ坊ちゃまももう来てたんだ~。おはよー坊ちゃま」

「おはようツキヨさん」

「おはようございます、でしょうツキヨ」

「えー、別にいいでしょ。坊ちゃまも気にしてないよねー?」

「うん。ボクは別に気にしないけど」

「ダメです。坊ちゃま、これでツキヨを甘やかしたらツキヨのためになりません」

「レイハは頭が固いなぁ。ふぁああ、眠い……」

「まったくあなたは。しっかりしなさい」

「なぁおい。んなことどうでもいいからさっさと食いたいんだが。坊ちゃまも来たんだからもういいだろ。アタシもう限界なんだが」

「ミソラさん、そんな言葉遣いしてたらまた怒られちゃいますよっ」


 レイハの向かいの席に座る獣人の女性が苛立たしげに言う。その目は目の前の料理に釘付けになっていた。彼女はミソラ・ホートン。燃えるような赤髪が特徴的な狼の獣人族の女性だ。そして隣でわたわたと慌てているのがメイドの最後の一人、歴も一番短い人族のカレン・デルロイだ。他の五人に比べれば特徴的な所は何もない女性だ。

 この六人がディルク家のメイド達だ。個性の強い面々をレイハがメイド長という立場で纏めている。


「ごめん、そうだね。もう食べよう。それじゃあいただきます」

「「「「「いただきます」」」」」

「よっしゃ食うぞー!」

「ミソラさん、それわたしのパンですー!」

「行儀が悪いですわよミソラさん。もっと上品に――ってホリーさん! お菓子は食後にしてくださいな!」

「う、バレた……」

「あ、そのお菓子美味しそう。ねぇ私にもちょうだい」

「うん、いいよー。最近のお気に入りなんだー」

「ツキヨさんっっ! あなたもですか!」

「サラ、落ち着いて。あなたが一番騒いでるから」

「っ、申し訳ありませんわ。まったくもう、あなた達のせいですわよ。坊ちゃまに悪影響を与えたらどうするんですの」

「坊ちゃまには反面教師にしていただくしかありませんね」

「ボクは賑やかでいいと思うけど」

「こういうのは賑やかではなく姦しいと言うんです坊ちゃま。坊ちゃまはこうはならないでくださいね」


 ハルマの挨拶に続いて全員が挨拶してご飯を食べ始める。やいのやいのと言い合いながらの賑やかな食事。本来ならば主であるハルマの前で見せるようなものでは無いが、レイハは嘆息するだけで咎めはしない。

 これもまたディルク家の日常。こうしてディルク家の一日は始まるのだ。



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