推声部2
赤々とした夕焼け模様が街を灯す。
桜並木が幾重にも連なる通学路に影二つ。それらは隣同士でいるけれど、距離に比例して仲良しであるかどうかは別問題であり、俺と橋本実海は幸運にも同じ通学路であったこと、同じ部活動であること以外に接点はない。かといって会話が弾まないかと言われればそうでもなく、今日あった出来事を羅列して、ああだこうだと感想を言い合うに留まっていた。
その日は自己紹介だけで終了し、本格的な活動は後日にと八恵からお知らせがあった。
「悪いな。初日から下校に付き合ってもらってさ」
「いいよいいよ全然。一緒に帰るだけなんやから」
たしかに今の時間帯に人気はなく、近くに俺たちの知り合いはいないし、ひとりで帰るのも虚しい。だから下校の付き添いは当然なのかもしれなかった。
こうして二人で並んでみると、頭ひとつ分ほど俺が抜けているが、なぜか歩幅はほぼ同じ。どうやら彼女は足腰に自信があるようだった。
「偉く足の開きが大きい気がするけど、なんかやってるのか?」
「どうやろ? 週一でダンス教室には通ってるけど」
身なりからして運動神経の良さは窺えたが、まさかダンスとは思ってもみない。社交的な側面があるダンスを得意とするならば、きっと彼女のコミュケーション能力は段違いでいいはすだ。
まだ俺の知らない橋本実海が別に存在するらしい。
「へぇ、ダンスか。種類はなに? フラミンゴとかか?」
「それを言うならフラメンコやろ。なに言うてんのこの人」
実海は大きな声で笑いながら「阿保なんですかぁ?」と挑発交じりに綺麗な声で罵った。
とんだ赤っ恥を掻いたものだと後悔したが、意外とダメージは少ない。彼女の笑い声に救われた。
「ストリートダンスな。それに英語も中国語もできるし、声も可愛いしで言うことないな」
「三か国語も?」
「まぁ、今んとこは。そのうち語学留学もできたらもっと習えるやろうし」
実海は客観的に見て聡明な印象を受ける。背は小さくて子どもっぽい。その点でいえば火垂と差はないはずなのに、やはり実海の場合は大人びた印象が残る。単純に火垂が幼すぎて比較対象にならないだけかもしれないが。
「すんげー意識高いけどさ、それなら自己紹介のときにでも話せば良かったのにな。もったいない」
名前だけ名乗ってはい終わりとか省エネにもほどがある。
「えー。でも、あんまり時間取らせたくなかったし。あそこはスムーズに流したいやんか」
「いや自己紹介の場を簡単に流すな」
たしかにみんなの前で自己紹介するのは緊張してしまう。
「俺も雑な紹介で終わった」
「わかる。なっちゃうよな」
結局のところ名前と趣味くらいしか言えなかった。実海が長く喋ってくれたら俺も後に続ける気がしたのだが、やはり日本人の特質だからだろうか。赤信号みんなで渡れば怖くない精神で無口になってしまった。
はみちゃんという素敵な愛称をつけた火垂からは『響和也さんですか……じゃあ和也さんと呼びますね』とありきたりな返答をされた。俺にも、はみちゃんのような名前が欲しかったのはここだけの内緒話だ。
「そういやこれからお前のことをなんて呼べばいいんだ?」
「なんでもいいよ。好きに呼んだらいいやん、それくらい。いちいち確認取ったり謝ったり。そんな畏まらんでも」
同級生にクスクスと笑われるほど俺は下手に出てしまっていたようだ。たしかに日常的に女性と話すのは姉貴くらいなものだから、実海に対しても自然と慎重な扱いになっていた。
「俺、そういうの苦手なんだよな」
「そういうのって?」
「人と上手に話すの」
「ならなんで推声部に入ったん? 苦手を克服したいとか、そんな感じ?」
志望動機に繋がるパスボールを受けてしまい、どこに返すか悩んだ俺は逡巡ののち「そんな感じ」と曖昧な回答を返すことしかできない。
「ふうん。煮え切らんね」
「……あんまりツッコむな。それより名前どうする?」
「だからそっちで決めてって」
「ああそうだった」
「やっぱ阿保?」
思ったことをすぐに言ったりする性格の癖に、部活中は割と人との距離感を見定めたりと、相反する言動が目立つ彼女だが、素直な方が好感を持てた。鋭利な言葉でグサッと来るときもある。でも、それが快感だったりもするのだ。
「君は人を傷つける天才だったりするのか?」
「良くも悪くも天邪鬼なんやろな。自分で言うのもなんやけど、甘えたりするのとか苦手やし。いつまでも経っても直らん。直す気もないけど」
実海がどんな人生を歩んできたのかは想像の域を出ないけれど、天邪鬼な彼女を受け入れられるだけの器の広さは兼ね備えていた。
そこへ、夕陽の向こう側から二人の見知らぬ男女が小走りでやってくる。
「「おねえちゃーん! おかえりー」」
実海を見つけて開口一番、そう言って彼女の元に近づく二人。どうやら姉弟らしかった。
しかし、だれが年長なのかわからないほどに身長差が激しく、妹とされる子と比較しても実海の方が低い。
三人姉弟の長女という立ち位置なのに、背で負けているのは彼女も本意ではないだろう。
「なんやの。わざわざ待っててくれたん?」
二人曰く買い出しの途中で通りがかったという。手にはスーパーの袋を持っていて、買い損ねていた夕飯用の野菜などが入っていた。
実海は有無を言わさずに袋をふんだくり、一度だけ中身をチェックする。そして暗黙に荷物係を受け持った。
「あれ。隣の男の人だれ? もしかしてさっそく彼氏だったりする?」
交互に顔を見返している弟らしき人物が素朴な表情で訊いてきた。
「なわけないやん。彼氏とか普通に無理」
平然を装っているのか本心なのか、はたまた照れ隠しなのか。一体どっちなのだろうか。とにかく酷い言われようだったけれど、耐性はついているので特に傷つきはしなかった。
代わって実海は懇切丁寧に俺のことを紹介してくれた。部活動をともにする人だと。一切茶化さずに。
「おねえちゃんがお世話になるみたいで、これからよろしくしたってくださいね。響さん」
礼節を弁えた言動が彼の育ちの良さを教えてくれる。良くできた弟なのだとすぐに感じ取った。
「了解した。気難しい人だけど、それなりに無理なく接してみるか」
「気難しいっていうか、ツンデレでしょう? おねえちゃんってそういう人だから。でもちゃんと行動で示してくれる真面目な性格でもあるから、すぐに打ち解けられると思うよ?」
弟が言うのであれば間違いない。
「それにね、僕たちのためを思って色々としてくれるんだよ? 中学のときに何個もバイトを掛け持ちとかして、たくさん誕生日プレゼントを買ってくれたし。自慢のおねえちゃんなんだ」
もしや。
実海がお金に拘っている理由が自分のためではなくて、あくまでも家族を思ってのことだったとしたら、だれだけ彼女の行動には値打ちがあるのか。皆まで言う必要はないだろう。
「もういいやろ、その辺で」
頬を赤くした実海は唐突に会話を打ち切った。
「おねえちゃんが照れてるー!」
「あーうるさ!」
顔に書いてあるといわんばかりに照れ隠しの態度を晒した。
仲睦まじく下の二人とたわむれる実海を見て、懐かしい感情が心に宿る。家族同士仲が良いのは最も幸せの象徴であると思う。かつての俺もこんな感じだったのだろうと回顧せずにはいられなかった。
通学路の分かれ道で三人と別れる。その際、俺は足を止めて夕陽に向けて歩く実海たちを見送った。
「またね。和也さん」
道すがらに身を翻した彼女は、精一杯の笑顔を浮かべて言った。
「じゃあな。はみ」
「……ん」
夕陽に照らされた実海の頬はいつも以上に赤くなっていた気がしたが、それを正確に確認する時間的余裕はなかった。
岐路につく彼女の背中を見つめるばかりで、無情にも時間は過ぎ去ってしまう。
照れていたのかそうでないのか? 幾何の黙考でも一向に答えは出なかった。
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