第一章 推声部 1
「キャラ設定はとても需要な要素のひとつです。なぜなら通話相手は信じているからです」
逢沢八恵は新入部員を招いて詳しい活動方針を説いていた。しかし、その部員候補の数は三十余名を越えているため、狭い部室では収まりきることはできず、廊下での立ち聞きも致し方なかった。
「信じてるって?」
新入部員の男子が訊いた。
「皆様も子どもの頃はサンタクロースが実在すると聞いて育ったはずです。私たちはキャラ設定を順守して、相手に夢を与え続けなければいけません。推声ネットの登録者は子どもだけではないんです。と言いますか……その殆どが中高生以上で夢見がちな人ばかりなんですよ」
聴衆は空いた口が塞がらない。よもや大人になってサンタクロースを信じている人なんてこの世に存在するのか。
無論、あまりに信じがたい八恵の発言内容に耳を疑ったのは俺だけではない。
「ちょっと待って。夢見がちな人って……つまりなに? もしかして精神疾患者のこと?」
だれもがそう思うのは当たり前であったが、推声部を統べる逢沢八恵は違った様子だった。
「……取り消しなさい? あなたの発言は主に対する冒とくです」
あくまでも逢沢八恵は笑顔で話したつもりだったらしいが、明らかに両目は怒っている。
主という表現も不穏なイメージを感じ取り、彼女の一変具合が場の様相に底なしの負をもたらしていた。
「たしかに稼げると部活動紹介では口が滑ってしまいましたが、決して気楽な部活動ではないんです。軽いお覚悟で推声部の門を叩くことは八恵が許しません」
このようにして、ほぼ全員が「……っ!」と怯んだ表情になってしまうほどに八恵の気迫は威容めいた。
「俺、降りるわ」
「私も……怖い」
「脅しやんけっ」
やがて批判の声が渦巻いていき、離散者が後を絶たなくなった。ただし凄みに気圧されて散り散りになった者の中に、俺を含めた知り合いはひとりもいない。動じずに立ち尽くす者がその場に二人いたのだ。
「これで本気の人だけが集まったかな?」
それまで鬼に徹していた逢沢八恵は、にこっと笑みを浮かべて入部希望者を迎え入れる。
「ごめんね? 予定よりも希望者が多かったから数を減らそうと思って入部試験をしてみたんだけど」
道理で演技が光ってたわけだ。
「でも、八恵は嘘を言ったつもりは一ミリもないから。それだけは肝に銘じておいてね?」
茶化さずに話す彼女の真摯な一面。おそらくそれは、隠された魅力のひとつに過ぎないのだろうが、こうも短時間に様々な顔を何度も見せられると、名前の文字通りに八つの顔を隠し持っているのかもしれないと勘ぐる。
「それにしちゃあ数を減らしすぎじゃないか?」
「当初の募集人数は三人だったんだけど、あとひとりはなんとかするよ。まだ初日だしね」
「廃部寸前の部員数だってのに……やけに悠長だな」
見渡したところ、他の部員は見当たらない。あの天使でさえも今は不在のようであった。
「君が百人力のパワーで部を救ってくれたら、八恵はそれだけで嬉しいんだけどな。ね?」
「ね? じゃねぇよ新人に何求めてんだ……」
「新人さんだから求めてるんだよ? いくらでも伸び代あるしね? 八恵がビシバシ鍛えてあげる」
どうやら俺は予想以上に期待の眼差しを向けられてしまったようだ。
やがて、俺を含む二人の新入部員候補が部室のテーブルへ招かれる。
「お堅い話は好きじゃないから砕けた話し方でも大丈夫? そちらの可愛い女の子さん?」
「あ、はい」
して、俺の隣に座る小柄な女子生徒。
見覚えがある。部活動紹介のときにいた関西弁の女だ。
あの入部試験をパスしたのだからある程度は肝が据わっているかと思いきや、予想に反して声は裏返っていた。
緊張気味になっていた俺たちは、完全に警戒心を解いたわけではないのだから、汗ばむ手のぬめりが直に伝わってくるのも無理はなかった。一度、しっかりと両手を握り締める。
「まず……入部希望の動機は?」
「お金が欲しいからですね」
どストレートな返事が彼女の口から飛び出した。
「それと、体験入部という形でこれからよろしくお願いしたいんですが、いけますかね?」
「うんうん。それについては大丈夫だよ。でも退部する前にはちゃんと相談はしてきてね」
「あ、はい。多分します。知らんけど」
「……あはは」
どうやら俺の同輩は相手の出方を窺っているようで、会話の合間に牽制球を投げては雑な返事でやり過ごすという、油断も隙もない対応で八恵のことを困らせているようだった。
「あなたはどうかな?」
話を振られた俺は「ここで言わなきゃダメか?」と、同輩と同じようにして距離を取る。
自分の身の上話をするのが苦手だったこともあってか、志望動機は乗り気ではなかった。
「言わないの?」
「いや……どうせなら、あの天使も揃ってから話した方が手間も省けるだろうと思ってな」
どうせ今の面子に聞かせるくらいなら全員集合の状態で話したい。二度も同じ話題をするのは御免だった。
「えとね、火垂ちゃんはね……今は学校に来てないんだ」
「そうなのか?」
そして彼女の説明を受けてみると、どうやら火垂は元々体が弱く、当校するのもままならない重い病気を患っているらしい。続けて、八恵と火垂は同級生なのだが、去年の留年を機に二人は同学年から離れたらしく、火垂は一年生のまま学校に籍を置いているという。
部活動紹介のとき、颯爽と現れた例のバーチャル通話も火垂の自宅から通信を繋げていたらしい。
「俺と同じ学年だったのか」
「火垂ちゃんに興味ある? 今の時間は検査をしてる頃だと思うから、もう少し経てば通話でお話できると思うよ?」
「バーチャルで?」
「うん。もちろん。したい?」
「まぁな」
科学の躍進によってもたらされた新技術。それがバーチャル通話だとしたら、火垂に施された衣装にも同じことがいえる。寸分違わぬエンジェルに様変わり、その出で立ちは天使そのものであり、天使以外の何者でもない。だれもが異口同音に天使だと断言する。
しかし、所詮は人だ。
キャラ設定でしかない。
俺を救ってくれるはずもない――
「ひひひー。そんなに火垂とお話したい?」
突然に響き渡る不吉な笑い声が、彼女の登場を一段と恐ろしいものにした。
目の前の机の下から湧き出るようにして姿を現した火垂は、悪戯な笑みを浮かべながら俺と向き合う。
何の前触れもなく出てきたのだから、俺自身は素っ頓狂な声を上げるしかできなかった。
「うわビビる! お前幽霊かよっ!」
「むふー。ドッキリ作戦大成功です!」
俺のみならず、同輩の彼女までもが狼狽えた目つきで火垂を睨んでいる。心境は同じだ。
羽ばたいているというよりかは幽霊の如くゆらゆらとしている。どうやら翼はただの飾りらしい。
「火垂ちゃーん! 検査はもう終わったの?」
「八恵ちゃーん! 滞りなく終わりましたよ、えっへん! これも火垂がお利巧で健康だから成し遂げられたこと。火垂に死角なしです。どんなものでもかかってきやがれです!」
どうやらこの子は誇張する癖があるらしい。
とはいえ、少女が威張る様子はなんともしがたい愛くるしさがある。
「ひゃあああ! かっこいいし、かわいい!」
「でへへへ。もっと火垂を褒めてください!」
「よしよし、よしよし。お利巧さんだね。ご褒美として八恵がぎゅーってしてあげる!」
しばらく思考が正常に動かなかった。
体育館の壇上で奇跡としかいいようがない神秘的な画を魅せられ、俺はただならぬ人物との相対に備えて緊張の心持ちをたしかに抱いてたのに、いざ現れたのは普通の少女――というよりかはガチの幼女であった。
「……なんこの部活。精神年齢低そう」
隣の同輩が至極残念そうに呟いた。
「は! そこのあなた! いま火垂のことを精神年齢の低いお子様と言いましたかっ!」
舌足らずの声でキーキーと喚き散らしている。
「いえ言ってません……。火垂さんの聞き違いだと思います」
冷静に大人の振る舞いで相手をなだめようとしている彼女には悪いのだが、あまり効果覿面とはいかず、むしろ火垂は意地になった様子で「言いました! ええ言いました! 心の声が聞こえたんですよ!」と無茶な声を荒げた。
「なんコイツ……」
額に手を当ててげんなりするばかりである。
「コイツではありません! 火垂です! あ、可愛い火垂です! そ、天才の火垂ですよ!」
どうやらどうしても褒められたいらしく、なにかにつけて自分を持ち上げようとしている彼女は、偉く自尊心が膨大の割には語り癖が子どもっぽく、かといって天使を自称するので崇高らしさも垣間見えるが、どこをどう切り取っても幼女感らしさは拭えず、結果ただのお子様である。
あ、俺が言ってしまった。
「ねーね火垂ちゃん? 一旦ここは自己紹介でもして気分を落ち着かせていこーよ。ね?」
勝手仕切る八恵の口車に踊らされ、この場は仕切り直しで自己紹介をすることになった。
「一年三組の橋本実海です。以上」
仰々しく深々と一礼した彼女は、それだけを告げて俺にアイコンタクトを寄越してきた。
短すぎるだろと言いそうになった手前、火垂から「では苗字と名前から一文字ずつお借りして、愛称を『はみ』ちゃんとしましょう」と図々しくも、知り合ったばかりの子に対してあだ名を提案してきた。
「え――」
「はみちゃん!」
「あ、はいっ」
駄目だ。幼女感剝き出しの自称天使に完全に押されているではないか。
「ふーん。それでよーし。むふーっ」
果たして、この天使に救われたいという気持ちがほんの少しでもあるのならば、今からでも遅くはないだろう、とっとと引き返した方が賢明ではないのかと思う次第でもあった。
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