第7話
「……気付いておられたのですね」
「一目見たときから。これでも経験豊富なのですよ」
わたしがどんな人生を歩んできたかは、奥様に語って聞かせた通りです。
ついでに言えば旦那様も、恐らく息子さんも、奥様の様子がおかしいことには勘付いているのではないでしょうか。
でなければ、見ず知らずの旅人に奥様の食事当番をやらせるなんて普通はしません。
わたしから、奥様に関する何かを引き出したいのではないでしょうか。
わたしとしても放ってはおけない状況でしたので、その思惑に乗ってあげることにしたのです。
「聞いていませんでしたが、その怪我はいつから?」
「一週間ほど前から」
「……お強いですね。わたしの経験上、三日と保たずに悪魔に体を乗っ取られるのですが」
悪魔は死んだ人間に宿りますが、死にかけの人間にも舌なめずりをしながら歩み寄ります。器としての体は早い者勝ちだからでしょう。
「何が奥様をそこまで強くさせるのですか? よければ教えてください」
「愛です」
奥様は間髪入れず、ハッキリと答えました。
「愛ですか。興味深いですね」
「私は夫を愛しています。だからずっと寄り添っていたい。私は息子を愛しています。だからずっと守ってあげたい。悪魔なんかにこの時間を壊されてたまるものですか。たとえ死んだとしても、一緒にいたい」
そう言う奥様の意思は固く、声は小さくとも語気には力強さが込められていました。もし眼球があるべき場所に収まっていたのなら、メラメラと燃えていたかもしれません。
ですが、世の中はそんなに甘くはありません。人間は悪魔と比べれば弱い生き物ですから、絶対に敵わないのです。敵いっこないのです。それくらいの力の差があります。
それでも奥様が悪魔に抗い続ける事ができたのは、本当に愛の力なのかもしれません。わたしには理解できない力の源ですね。
「でも、薄々わかっているのではないですか? もう自分の命が長くないことを。体が言うことを聞かないのではないですか?」
わたしは結構現実主義です。奥様には酷かもしれませんが、現実を突きつけてあげるのがわたしの役目だと思っています。
消え入りそうな声なのに、急に大きな声が出るときがあったり、体を起こすときも手を貸しましたが、実はわたしは全く力を込めていません。あんなに華奢なのに奥様が自力で起き上がったのです。
これは悪魔が徐々に体を蝕んでいる証拠。
奥様はしばらく無言でいました。じっくりと覚悟を決めるように、深呼吸を繰り返しています。
「……旅人さん、お願いがあるのですが、聞いてくれますか?」
「わたしにできることであれば、なんなりと」
にっこりと微笑んで答えると、奥様は言いました。
「見逃してください。少しでも長く、家族と一緒の時間を過ごさせてください」
奥様にとって、本当の悪魔とはわたしのことなのかもしれませんね。
もちろんわたしはこう答えました。
「ダメです」
と。
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