本の謎

文化祭準備期間は土日を挟んで今日で三日目を迎える。

土日の間も学校に来て作業を進めていた生徒たちは多かったようで、校内の活気は日を増すごとに高まっている。九月の割にまだ暑さの残るこの時期に、よくあれほど元気でいられるなと、感動してしまう。

そんなバイタリティ溢れる生徒たちを横目に、私はと言えば謎解きの疲れに襲われ、この休日はひたすらに体と頭を休ませていた。ものを考えるという行為は、私が思っていたよりも体力を消耗するらしい。そう、この土日何もできなかったのは、謎解きのせいだから。普段は動かさない脳の部分を動かしたから、だから。先週末はちゃんと友達と出かけたから。


放課後にも関わらず、依然活気のある校内の隅の保健室に一人。いや、正しく言うのなら、今日も村尾さんが左端のベッドに寝ているから一人ではないのだけれど。とにかく、誰に向けているのかもわからない言い訳を心の中で繰り広げていたら、バン!と保健室の扉が突然開かれ、

「七不思議です!!!」

ここが保健室であることが完全に頭から抜け落ちているであろう声量と共に飛び込んできたのは、蘇我さんだ。あまりに突然のことすぎて、扉の方から音が鳴ったことに気づかず、衝撃音の出どころに目をやるまで少し時間がかかってしまった。

この子は本当に、保健室に入り浸るだけでは飽き足らず、場の破壊にまで手を染めようとしているのか。少しだけ声のトーンを落として、蘇我さんに言う。

「ここは保健室、もう少し声量を下げることはできるかな?蘇我さん」

「ご、ごめんなさい。先生、顔怖いですよ……」

おっといけない。

「ごめんごめん。それで、そんなに大きな声で蘇我さんは私に何を伝えたかったのかな?」

私が促すと、蘇我さんは待ってましたと言わんばかりに、一層こちらに身を寄せて、言った。

「そうでした!七不思議ですよ七不思議!図書室にお化けが出たんです!」

強く開けた扉を、今度は嫌に丁寧に閉めながら、今蘇我さんは何と言った?七不思議、お化け、そんな言葉が聞こえたけれど、また蘇我さんが好きそうな言葉ばかり並んでいる。次から次へとこの学校は、どうしてこんなに謎で溢れているんだろう。

まさか七不思議の正体を解き明かしてくれなんて言い出すんじゃないだろうか、この子は。いや、さすがに七不思議が相手なら流石の蘇我さんでも謎を解いてくれとは言ってこないはずだ。都市伝説やオカルトの類は、不可解な現象や理解のできない事象に無理矢理理由をつけるため生み出されたものだから、謎を解くようなものではない。お化けが相手なら私が考えを挟む余地もないだろうし、いくらかは気分が楽で良い。まだテンション冷めやらぬ蘇我さんに出来るだけ落ち着いてもらえるよう、いつもよりゆっくりと、彼女に話しかける。

「そもそも、この学校にも七不思議があったんだね。初めて聞いたよ」

「そりゃあありますよ、七不思議のない学校なんて本のない図書館みたいなもんですからね」

それは流石に言いすぎだと思うけれど、蘇我さんが七不思議にそれだけ心惹かれている、ということなんだろう。蘇我さんは両手を掲げ、まず右手から左手にかけ指折り数えながら、おもむろに語りだした。

「絵の中の人物が全員いなくなる音楽室の肖像画、誰もいないはずなのにボールの跳ねる音が聞こえてくる体育準備室、特定の日だけすべてのメニューから味がなくなる食堂、かつて自殺した生徒の血生臭い匂いが漂う保健室、近づくと見えない手に全身を撫でられる校庭端の大きな楓の木、秋の夜に校内を漂う人魂、そしてこれが今回の大本命、本を飲み込んでしまう図書室です!」

よくもまあ、それだけの内容をなにも見ずにスラスラと暗唱できるものだ。

でもちょっと待って、

「私の聞き間違いじゃなければ、保健室も七不思議に含まれていなかった?」

「はい!血生臭い匂いとか感じたことないですか?」

「今のところはないかな。というかあったら嫌だよ」

私は今後もこの部屋で長い時間を過ごさなければいけないのだけれど、そんな話を聞かされてしまって、なんだか居心地が悪くなってきた。

そんな匂いは嗅いだことないけどなぁ。気を紛らわせるためにも、今は蘇我さんの話を聞こう。

「それで、図書室で何があったのかな?」

「そうです、私はその話をしに来たんでした。なんとここ最近、まさに都市伝説の通りに、図書室から本が消えていっているんです。それも一日に一冊、同じ棚の本が決まって消えていくんですよ!」

蘇我さんの語った内容に嘘がないのであれば、本当に都市伝説そのままだ。

おー怖い怖い。私の考えていることが伝わってしまったのか、蘇我さんはこちらを訝しむような目線を向け、言った。

「先生、さては信じてないですね?」

「いやいや、そんなことないよ。実際本はなくなってるわけだし」

「いいや、信じてる人の目をしてないです!都市伝説なんてただの作り話だと思っている人の目です!」

そんな目をしてしまっていたのなら、気を付けないと。こういう時に嘘を付くのが下手だと損だ。私はおとなしく観念することにした。

「まあ都市伝説がすべて嘘だとまでは言わないけどね?本がなくなっているのなら、そこには誰かの悪意があるんじゃないかな、とは思うよ」

蘇我さんはため息をついて、あきれ果てたとでも言うような顔で呟いた。

「うーん、先生もなかなかつまらない人ですねえ。都市伝説の方がワクワクしません!?」

「ワクワクする気持ちもわかるけど、それで盗難事件をハイ終わり、にしちゃったら警察は廃業だよ」

少し真面目に返しすぎてしまったかな、そう思って蘇我さんの顔を見てみると、納得したような、していないような、なんとも微妙な表情を浮かべている。

「……まあ、一理あります。代わりに霊媒師が公務員の枠で扱われるようになるかもしれませんね」

僅差で納得が勝ってくれたようだ。


しかし自分で言ってすぐに、マズい、と思った。私は今なんと言った?もしかすると、あのまま都市伝説に目を輝かせる蘇我さんを黙って見ていた方が、私にとっては正解だったんじゃないだろうか。

都市伝説を都市伝説のまま終わらせず、事件の真相を解き明かさなければダメだ!と、先ほど私は言ったのだ。そんな言葉を聞いた蘇我さんが次に何を言ってくるのかは、私でなくても容易に想像がつく。謎解きに追われるのはもう勘弁と思っていたのに、どうしてそんなことを口走ってしまったのか。

恐る恐る蘇我さんの方に目をやると、先ほどとは違った目の輝きを放っているように見えて、私の悪い予感は確信に変わった。

「それじゃあ!この盗難事件の謎を、先生に解き明かしてほしいです!保健室のホームズであれば、こんな事件朝飯前なんでしょう?」

やられた。もしかしてここまで織り込み済みだったんじゃないか、そう思ってしまうほどに鮮やかな誘導尋問だった。

その雑なヨイショにも懐かしさすら覚える。思えばあの時からこんな関係が始まってしまったんだ。ダメ元で尋ねてみる。

「嫌、って言ったら?」

「私も嫌って言います」

ダメだ。こうなった蘇我さんに話を聞いてもらえる気がしない。私は蘇我さんの敷いたレールに従うことしかできないんだ。謎を解いているのは私じゃなくて、蘇我さんなんじゃないかという気さえしてくる。白旗をあげるような気持ちで、蘇我さんの方を向きなおして言う。

「じゃあ、もっと情報を貰いたいかな。知っている限りのことを教えてくれる?」

「もっちろんです!何から話しましょうか!」

蘇我さん、ここに来るたびに元気になっていないだろうか。


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ふと窓の外に目をやると、雲の割合が先ほどよりも増えているような気がした。蘇我さんの思うがままにされた私の心の中が表れているようだ。落ち込む私を横目に、蘇我さんは語り始めた。

「私だって保健室から本がなくなっただけで都市伝説だと騒ぐようなことはしません。ちゃんと怪奇現象らしい要素があるんです。まず紛失が始まったのは恐らく、先々週の月曜日からだそうです。紛失が発覚したのは同じ週の水曜日のことで、図書委員の生徒、分かりやすいようにAさんと呼びましょう。Aさんが一冊の本の不在に気づいたそうです。Aさんが読もうとしていた小説を探していたところ、貸出中でないはずのその本を本棚に見つけることができず、Aさんが他にも調べてみた所、その本の他にも二冊、貸出されていないはずの本がなくなっていることが発覚したそうです。それだけであれば三冊の本が図書室から消えただけで終わるんですが、それから毎日毎日、土日を除いて毎日一冊ずつ本が消えていくんですよ。図書委員会が本棚を見張っているのに、毎日本が消えていくのは止められていないらしくって。しかもそれらの本は、すべて同じ本棚から消えているんです。そしてここからが何より大事な要素なんですが、消えていった本のタイトルの頭文字を取っていくと、メッセージのようなものが浮かんでくるんです……」

長かった説明が一段落した。蘇我さんは机の上の付箋を一枚めくり、スマホを見ながらおそらく本のタイトルと思われる単語を並べている。


『烏の翼』『文房具店の殺人』『坂之上玄の推理』

『一色即発』

『音森商店街へようこそ』

『チャット・チャート』

『雪女』

『裏の裏』

『新幹線ボーイ』

『千年後のあなた』


全部で十作、随分たくさん盗んだもんだ。箸休めの意味も込めて、軽く呟いてみる。

「犯人はそこまでしてこの小説が読みたかったんだね……」

「先生、うちの図書室の最大貸し出し数は十五冊ですから、余裕で全部借りられます……」

何の気なしに放った冗談は軽くあしらわれてしまった。

いけない、まだイマイチ事件に集中しきれていない私がいる。引き受けたからにはちゃんと考えないと。

少し思い当たったことはありつつも、それを尋ねるのは置いておく。その代わりに浮かんだ疑問を一つ、蘇我さんに投げかける。

「この中で蘇我さんが読んだことのあるものはある?」

紛失の理由を消えた小説の内容から絞ることができないかな、と思っての質問だったけれど、蘇我さんは申し訳なさそうに答えた。

「うーん、残念ですけど、この中だと二冊しかないですね。『烏の森』と『裏の裏』だけです。『烏の森』はなんか難しいミステリーだったんで途中で読むのを辞めちゃったんで、ちゃんと読んだと言えるのは『裏の裏』くらいですね。これは私好みで面白かったですよ」

内容から絞る線は薄そうだ。後で軽くあらすじを調べてみようかな。

消えた本は、タイトルから察するにすべて小説のようだけれど、すべての本が同じ棚から消えているということは、狙われているのは小説だけみたい。最初の三作だけ横並べにされているのは……ああ、そういえばさっき蘇我さんは言っていた。紛失が最初に発覚したとき、三冊の小説の紛失が同時に発覚したんだっけか。その三冊が盗まれた順番はわからないのかなと思いかけて、また蘇我さんの言葉を思い出す。小説の頭文字を繋げるとメッセージになるのなら、順番はある程度予想できるはず。

「えーっと、ん?かぶさいおちゆうしせ?これがメッセージなの?」

「いえ、おそらく違います。多分犯人は、”ん”と”を”から始まる小説が見つからなかったんでしょう。『文房具店の殺人』の頭文字を”ぶん”、『音森商店街へようこそ』の頭文字を”を”とします。そこから最初の三作の並びを大体推測すると、文かさいをちゅうしせ、になるんです!まあ恐らくこの後に続くのは”よ”でしょうね」

「文化祭を中止せず絶対に開催すべし!かもしれないよ」

「……犯人は一文字ずつメッセージを刻んでるんですよ。そんな悠長なことを言ってる間に、犯人のお望み通りに文化祭は開催されるでしょうね」

心底呆れた、と顔に書いてある。ちょっとした冗談じゃない。

しかし、文化祭を中止せよ、か。そう読めなくもないけれど、なんだか粗が目立つメッセージだ。”ん”や”を”が見つけられていなかったり、”ゆ”を小文字として扱っていたり。これがお化けによる犯行だったら、大分間抜けなお化けのように思う。頑張ってメッセージを伝えようとちまちま本を盗み出すお化けの姿を想像して、少しほほえましくなる。彼はそんなに怖くない。

「まあでも、物騒なメッセージだね。犯人は文化祭を中止させようとしている、のかな?」

「メッセージが言っていますし、そうなんじゃないですか?」

本当にそうだろうか?

「でも、だとしたらもっと効率的な方法があると思わない?こんなにまどろっこしい方法を使ってまでメッセージを伝える必要があるかな?」

一日に一冊と丁寧にルールを決めて、一文字ずつ時間をかけて言葉を残す。そんなことをしなくても、電話や手紙なんかで中止せよと伝えれば済む話だ。ここまで手間をかける意味が分からない。あと。

「メッセージはもうすぐに完成しそうな気がするけど、これ以上何か言うことがあるかな?」

「そう、ですね。今日紛失が発覚する本が”よ”で始まっていたら、今日でメッセージが完成して事件は終わりでしょう。現行犯作戦を仕掛けるなら今日がラストチャンスでしょうね」

今日は月曜日、紛失が発生してからちょうど二週間後の月曜日で、土日に紛失が起こっていないのなら、今日まで十文字がメッセージとして残される計算になる。文かさいをちゅうしせ、うん、ちゃんと十文字だ。今日で十一文字目が刻まれてしまうんだろうか。

現場を押さえてしまうのが犯人の正体を知るには一番手っ取り早い方法だと思ったけれど、それくらいは図書委員会もわかっているだろうし、なんなら既に本が盗まれている気さえする。どちらにせよ、考えを巡らせる以外に、今私たちにできることはあまりなさそうだ。少し考えこんでしまった私に、蘇我さんがまた口を開いた。

「そうだ、説明はまだすべて終わっていないんですよ!」

「あ、そうだったの?ごめんごめん中断させちゃって、続けて?」

「えーっと、そうです、物騒なメッセージもそうなんですが、さらに不思議なことが起きたんです。先週金曜日の夜中、学校の前を歩いていた一人の生徒が、四階の廊下の窓、図書室に伸びるそこに、人魂を見たというんです!さっき言った七不思議を覚えてますか?秋の夜中に校内を漂う人魂ですよ!七不思議の七分の二が関わってきているんです!人魂を見た生徒と言うのは彼だけではなく、他にも複数の生徒から目撃証言が上がっていて、誰かが嘘をついていることもなく、マジ人魂だったんですよ!」

蘇我さんの目の輝きが最高潮に達したような気がした。なるほど、ただでさえ一つでも蘇我さんの心を強烈に惹きそうな七不思議が、二つも絡んでいたからこそのあの声量だったんだ。

図書室のお化けに人魂、この二つに何か関係があるのかどうかはまだわからないけれどどちらにせよ、かなり生徒たちの興味を惹きそうな話であることは確かだ。

しかし蘇我さんの話をまとめてみると。

「要素が多くて、色々複雑だなぁ」

「だからこそ面白いんです!図書館の件は諦めますが、人魂の方には希望を持っていますよ私は!」

「希望、か。まあそうだね、人魂の方はまだそこまで悪さをしていないから、図書館の件よりは怪異のせいにしてもいいのかな」

その希望をいつまでも持っていてほしいものだ。蘇我さんの目の輝きは、それが私の方に向かない分には素晴らしいものだと思うから。蘇我さんがまた私に尋ねてくる。

「それで、何かわかったことはありました?」

やっぱり聞かれるよね。正直あまり何もわかっていないけれど、思考の整理のためにもできるだけ話しておこうかな。これまでも、蘇我さんとの会話の中で手掛かりを掴めたことは少なくない。蘇我さんに向けているようで、自分へ向けて、言う。

「まず、この紛失が人の意思によって起こされていることはわかるかな」

「なんでです?」

「だって、お化けや怪異が犯人なら、土日に休みを挟む必要がないからね。確か土日には図書室は施錠されていたはずだし、その日に犯行が止まっているなら、人間が鍵を開けられずに手を出せなかった、って考えるのが自然だと思わない?」

そんな私の言葉を聞いて、蘇我さんが肩を落とす。

「なるほど、図書室の件は本格的に却下というわけですか……」

わかりやすく落ち込んでいる蘇我さん。そんなに怪異の存在を信じていたかったのなら、申し訳ないことをしてしまった、のかもしれない。

一人の少女の一縷の望みを絶ってしまった罪悪感を感じてしまう前に、私は言葉を続ける。

「あと、これはわかったことと言うより気になったことになるんだけど、蘇我さんはなんでそんなに詳しく事件の詳細な内容を知ってるの?クラスで誰かに聞いたとか?」

私の言葉を聞くと、蘇我さんはなんてことないとでもいう風に答えた。

「ああ、それなら、さっき私の話にAさんって人が出てきたじゃないですか。そのAさんから聞いたんです」

「え?Aさんから直接聞いたの?お友達とか?」

「いえ、今日初めて知り合いました。Aさん……まあ名前を言っちゃうと新井さんって言う二年生の女性の先輩なんですけど、私が図書室で小説を探していたら、新井先輩が話しかけてきたんです。それで色々話していくうちにこの事件のことを聞かせてもらったんです。それで、慌てて先生に伝えなきゃ!と思って、今ここにいるわけです」

事件の超重要参考人と接触していたのなら、そんな超重要な情報はもっと早く教えてほしかった気がするけれど、まあ今はそこを追及してもしょうがない。

「えーっと、聞きたいことだらけなんだけど。まずその新井さん?は、どうして蘇我さんに声をかけてきたのかな?」

再び蘇我さんは、当然とでも言うように答えた。

「さっきも言った通り、新井先輩は図書委員の人で、図書委員は問題の本棚を見張ってますからね。そこで本棚に近づいた私に、声をかけてきたんじゃないですか?」

「じゃないですか?って、新井さんはなんて言って声をかけてきたの?」

「えーっと、確か、『あなたは本を読みに来たんだね』みたいな感じでしたね。まあ怪しい人間に声をかけただけだと思うんで、そんなに意味はなさそうですけど」

あなたは本を読みに来たんだね、って。そりゃあ図書室に来ているんだから本を読みに来ていて当然だと思うけれど。新井さんの言葉に深い意味はなさそうだ。ただ蘇我さんが疑われていただけか。

しかし蘇我さんの言うとおりであれば、監視は名ばかりでなくしっかり行われていることになるけれど。

「でも、図書委員が見張ってるのに、盗難は防げていないんだよね。犯人はよっぽど凄腕なのかな」

「それはまあ色々あるんですよね。本が消えている本棚が図書室の一番隅、窓のすぐ近くにあって、図書委員の居るカウンターから少し離れてるとかもそうなんですけど、なによりうちの学校の図書室っていつ行っても人が多いんですよ。ほとんどの時間生徒で溢れてて、一応図書委員で本棚の監視はしているらしいんですけど、なんせ来客が多いんですべてに目をやることはできないらしくって」

「この学校、そんなに読書が盛んだったんだね。知らなかったよ」

私の言葉はなんてことのない感想のつもりだったけれど、蘇我さんの表情が微妙に曇ったような気がした。

「うーん、何と言うか。確かに人は多いんですけど、読書が盛んってわけでもなさそうと言うか……先生はうちの図書室についてどれくらい知ってます?」

「あんまり多くは知らないけれど、確か図書室だけ他より規模が大きく作られているんじゃなかった?」

私の言葉は合っていたようで、蘇我さんが軽く首を縦に振り言った。

「そうです、4階の端にある図書室は、他の教室よりも天井が高くて、スペース的な意味でもかなり広いんで本当に広く感じるんですよ。あと西に向く窓が凄く大きく作られていて、そこから見える景色とか、夕日が差してくる様子が綺麗だってことで、校内でも校外でもそこそこ有名なんですよ。問題の本棚もこの大きな窓に面するように置かれてますね。それで、その風景目当ての生徒でいつも混みあってるんです。机と椅子も沢山置かれてて、Wi-Fiも通ってて充電できるコンセントまで用意されていて、そりゃあ混みますよね」

そういえば、確かにそんな話を聞いたような覚えがある。私もたまに図書室を訪ねることはあるけれど、言われてみれば一面ガラス張りの大きい窓から見える景色は圧巻だった、ような気がする。そんなに人気があったのは知らなかったけれど。

「それに加えて、今は七不思議騒動が目当ての野次馬もたくさんいますからね。今日も酷いくらい人が多かったですよ。まあその人たちは犯人を捕まえてやろうと躍起になってるらしいんで、悪いことばかりでもなさそうですけどね」

七不思議で騒いでいるのは蘇我さんだけじゃないんだ。まあメッセージの内容が内容だし、文化祭も近いこの時期に興味を集めるのは理解できる。でもそうなると、監視の目が図書委員以外の一般生徒のものまで増えていることになるけれど、それでも盗難が防げていないのはやっぱり不思議だ。まあそもそも監視と言っても具体的にどれくらい力を入れられているのかがわからないけれど。

蘇我さんが新井さんからどこまで話を聞いているか分からないけれど、念のため聞いてみる。

「もう少し聞いてもいいかな?図書委員の監視はどんな感じで行われてるのか、わかる?」

「えー、流石にそこまでは聞いてないですけど、私が小説を探していた時に新井先輩が声をかけてきたんで、本棚を見てる人とか近づく人にとりあえず声をかける、ってくらいじゃないですか?もちろん七不思議のことは知れ渡ってるんで、犯人を捕まえるために本棚を見てる人は多かったですし、それ以外の風景目当ての人も多いんで本棚に近づく人も多かったんですけど、そのどちらにも当てはまる私みたいな人間は珍しいんでしょうね。まあ図書館としてそれでいいのかってのは思いますけど……」

確かに、どれだけ人が多くてもその中に本を読むことを目当てにしている人が少ないのなら、図書室としての役割はあまり果たせていないように思う。その歪な性質が今回の騒動をややこしくしているんだろうな、多分。

「あ、そうだ」

突然蘇我さんが何かを思い出したようで。

「新井先輩に先生のことを伝えたら、参考にしてみますね、って言ってました!」

ん?今この子は何と……

聞き返す間もなく、コンコンとノックの音がした。

「すみませーん。二年七組、新井あらいしおりと申します。失礼しまーす」

新井栞、扉の向こうの人物はそう名乗った。どうしてこの部屋を訪れる人は誰も彼もタイミングが良いんだろうか。血生臭い匂いなんかよりも、遥かにそちらの謎の方が不思議だ。

「どうぞー」

そう答えたのは蘇我さんだった。そのセリフは私のものだよ?扉が開いて、女子生徒が部屋に入って来る。

と、

「うあっ!」

突然女子生徒の姿が消えた。何事かと思う間もなくどしんと人が倒れる音がして、教室に入って来た女子生徒、新井さんが何かに躓いたんだな、と思い至るまでにそう時間はかからなかった。しかし保健室の入り口に段差はなかったはずだけれど、新井さんは何に躓いたんだろうか。

「だ、大丈夫!?」

「大丈夫ですか!?」

私と蘇我さんの声がほぼ同時に保健室内に響いた。倒れた新井さんの横には、新井さんが肩から提げていたバッグが中身と共に床にぶち撒けられている。筆箱、眼鏡ケース、折りたたみ傘、ポーチ、ブックカバーの外れた本が数冊。表紙やタイトルから見るにどれも恋愛ものみたい。念のためさっき蘇我さんが並べた十冊と比べてみるけれど、当然一致するものはない。蘇我さんもそれらの本が目についたのか、散らばった荷物を片付ける新井さんに声をかけた。

「あっこの恋愛小説、私も読んだことありますよ。これの実写映画面白かったですよね……げっ」

大変そうに荷物を片付ける人の前で呑気に小説の話をしている蘇我さん、何かに気づいたような顔をしているけれど。

新井さんは全ての荷物をバッグに戻し終えると、立ち上がって改めてちゃんと姿を見せてくれた。良かった、眼鏡は割れていないみたいだ。

「大丈夫、新井さん?ケガはない?」

「大丈夫そうです。頑丈に生んでくれた親に感謝します」

確かに、大分派手に転んでいたけれど、擦り傷の類は見当たらない。新井さんのスカートが長かったのが幸いしたか。

校則で定められているデフォルトの長さのスカートに縁の赤い眼鏡に、見た目の印象だけで語ってしまうと、大人しそうな子のような印象を受ける。

と、ふと床の方に目を惹かれた。新井さんは一通りの荷物をバッグに戻し終えたみたいだけれど、まだプリントのようなものが床に残っている。私はそれを拾い上げる。

「なんだろうこれ?」

新井さんが答えた。

「これを踏んでしまったせいで転んでしまったんです。足元には気を付けないといけませんね」

上履きの跡がついてクシャクシャになったプリントは、どうやら保健だよりのようだ。タイトルには『悪い大人にご注意を!!』と書かれている。ここ最近、未成年が性犯罪に巻き込まれるケースが増加しているらしく、それを受けて先週あたりに発行された保健だよりだ。これは確か保健室の扉に貼っていたものだけれど、それがなんで床に?

扉?そういえばつい最近、保健室の扉がすごい勢いで開けられていたような……

犯人、と思しき人物の方に目をやると、彼女はただでさえ小さい背中をまた一層縮めて、こちらに身を隠すように、目線も合わせてくれない。

「蘇我さん?」

「……」

「保健室に入って来る時は?」

「静かに……ゆっくり……」

蛇に睨まれた蛙、というのはこういう時に生まれた表現なんだな、と思う。さっきのげっ、はこの保健だよりを見て漏れた声だったんだ。しゅんと小さくなってしまった蘇我さんの姿は少し面白いけれど、しかしこう蘇我さんばかり責めるのもいけないなと思いなおす。

「まあ、プリントが落ちていたことに気づけなかった私も同罪かな。これに懲りたらこれからはもう少し落ち着いてね」

「……はい」

新井さんは、私たちのやり取りを、なにがなんだかわからないといった表情で見届けていた。転倒の痛みも引いてきたようで、制服をパンパンと軽く払い、改めて新井さんが口を開く。

「えー、二年七組、新井栞です。ここにどんな謎でも解き明かしてしまう天才教師がいると聞いて来てみたのですが……」

その説明をしたのは恐らく蘇我さんだろう。なんてことを言ってくれたんだ。蘇我さんの私の説明、大分でっかい尾ひれがついていないだろうか。

次に新井さんは蘇我さんの方に目をやって、再び口を開いた。

「蘇我さんも来ていたんですね」

「はい!ちょうど先輩の話をしてたところですよ」

「私の話?……悪口?」

「そんなわけないじゃないですか!図書室の紛失事件の話ですよ!」

「ああ、そっちでしたか。暗い女とかどんくさい女とでも言われているのかと……」

「言わないですよ!思ってたって言いませんから!」

「やっぱり、思ってはいたんですね……」

「もう!その後ろ向きな考えが既に暗いじゃないですか!」

しばらく蘇我さんと新井さんの掛け合いが続いた。この二人、さっき初対面と言っていたのが嘘だったんじゃないかと思うくらい息の合い方がすごい。

何もわからずただ仲の良さそうな二人の掛け合いを眺めることしかできない私に、蘇我さんがようやく気付いてくれたようで。

「って、そんなことは今はいいんです。先輩も先生に話してみてください!先生は本当にすごいんですよ!」

新井さんの私を見る目は冷たい。蘇我さんの口ぶりがまるで宗教の勧誘じみているのが良くないと思う。それでも、図書員である彼女から事件の話を聞けるチャンスを逃してはいけない。この機を逃さぬよう、本業である保健医のスキルを思い出す。とりあえず軽い世間話から入って、相手の緊張をほどいていこう。

「さっきカバンの中身が見えちゃったけど、やっぱり新井さんは本を読むのが好きなんだね」

相手が興味を持っていそうな話題を振ってみる。そもそも図書室絡みの件で彼女はここに来ているわけで、アイドリングトークとして読書の話は悪くないチョイスのはず。新井さんはまだ不信感が残っている様子で、口を開いた。

「そうですね。読書が好きだから図書委員会に入ったくらいには、好きですよ」

「やっぱりね。普段はどんな本を読むのかな?」

「さっきも見たかもしれないですけど、恋愛小説とか、具体的に言うなら赤毛のアンとか、落ち着いた作品を好んで読みますね」

「赤毛のアン私も好きですー!気が合いますね!」

蘇我さんの元気さも今はありがたい。彼女がいるだけで、新井さんの緊張や敵対心もいくらかはほぐれ易くなっているはずだ。新井さんの表情が少しだけ柔らかくなったような気がして、今がチャンスと思い、満を持して尋ねる。

「話を戻すね。肝心の図書室の件だけど、悪いようにはしないから、できればなにか話してくれると嬉しいんだ」

私の言葉を聞いて、新井さんは少し迷った後に、答えた。

「……じゃあ、何から話せばいいですか?詳細な話をしますか?」

よかった。まだ完全に心を許されたわけではなさそうだけれど、今は話を聞けるだけでも万々歳だ。少しでも解けた緊張がまた帰ってこないよう、どこまで聞いていいかは気を付けないといけないけれど。

「一応蘇我さんから大体の話は聞いたけど、念のため新井さんからも詳しい話を聞けたら嬉しいな。あと図書委員の普段の仕事とかもできれば知りたいかな」

少し注文が多すぎただろうか。しかし新井さんは特に気にしていないようで、一息おいて、説明を始めた。

「どこから話せばいいでしょうか。ええと、本が消えているのがわかったのが、先々週の水曜日のことです。その日私は図書委員の当番の日でした。まず前提として、図書委員はカウンターのパソコンで、書籍の貸し出し状況が見られるようになってるんです。もちろん誰が何を借りているかなどの情報は個人情報なので、司書の先生しか閲覧権限を持っていないんですけど、特定の本が貸し出し中か否かくらいなら、生徒でも確認できるんです。その日私は読みたい本があったんですが、どれだけ本棚を探しても見つからず、それでパソコンでその本の貸し出し状況を調べてみたら、開架と書かれていたんです。開架って言うのは図書館のみんなが見られる棚にありますよっていう意味なんですけど、どれだけ探してもその本が見つからないんです。最初は、返却ボックスを探してみたり、他の図書委員の生徒が雑な仕事をしたんだな、とか思って済ませたんですけど、やっぱり気になっちゃって。それで探していたら、その本の他にもあと二冊、合わせて三冊の本が消えていることに気づいたんです。そこから毎日毎日、図書室の一番隅の本棚から本が一冊ずつ消えて行って、一応途中からは図書委員でもその日の当番の生徒が本棚を見張るようにはしたんですけど、最近人魂騒動まで出てきたじゃないですか。ただでさえ混みあっている図書室がより一層人で溢れていて、もう犯人を捕まえるどうこうの話じゃないんです……」

愚痴が混じり始め、とりあえず新井さんの話は一区切りついたようだ。蘇我さんの話と似ているようで、しかし細かな違いも多く見られた。やっぱり図書委員側の目線から情報が得られるのはとてもありがたいな。一休みして、新井さんが再び口を開く。

「あとは普段の仕事、でしたっけ?ここ最近は司書の先生が育休に入られているので少しイレギュラーですけど、とりあえず最近の仕事について話しますね。司書の先生がいないんで、今図書室は昼休みと放課後だけ開かれているんです。どちらにも二人ずつ当番が割り振られているので、一日の当番が四人、それが平日の五日間あるんで、一週間に二十人が一度ずつ当番を担当する感じですね。図書委員は各クラスから一人ずつ、一学年に七クラスあるのが三学年分で全部で二十一人いるんで、大体毎週一回は全員に当番が回ってくる感じですね。なんだか話が複雑になってしまいました。ここまでわかります?」

「うん、大丈夫だよ」

私はそう返してしまったけれど、蘇我さんは難しい顔をして必死に指を折っている。数学はあまり得意ではないんだろうか。

しかし、授業が行われている時間にこっそり図書室に忍び込めば犯行は簡単だと思っていたけれど、新井さんの言う通りであれば、図書室は昼休みと放課後しか開いていないらしい。図書員であれば図書室の鍵を開けることはできるのかも、とは思ったけれど、この学校において各部屋の鍵はすべて職員室で管理されている。

毎日図書室の鍵を借りに来るような目立つことを犯人がするとは思えないし、人の目線が注がれていない時間に本棚に近づくのは難しそうだ。

新井さんの話はまだ続く。

「じゃあ続けますね。えーっと仕事は昼休みのものと放課後のもので異なるんです。昼休みはあまり時間がないので、返却ボックスに入っている本の返却手続きをしたり、来室者への対応をしたりするだけで終わってしまいます。放課後に図書の整理とか、図書館だよりを作ったりとかの残りの作業を済ませていますね。ただ今は本棚の監視も仕事に入っているので、その日の当番の二人からカウンターに一人と監視に一人がそれぞれ割かれています。カウンターと監視の役割は時間ごとに変えたり変えなかったりで、そこは当番の組み合わせによってまちまちですね。ただ昼休みも放課後もその体制を取っているので通常業務があまり行えていないのが現状です……」

新井さんが長い溜息をついた。満足に活動できていない不満と長々話した疲れに同時に襲われているんだろう。

「たくさん話してくれてありがとう、お疲れ様」

お疲れ様、の言葉は日常の図書委員の活動へも向けてみたけれど、その意思が新井さんに伝わったはずもなく。

「いえ、私も事件の真相は気になっているので」

「でもやっぱり最近の図書室、人多すぎますよね。もうしばらくは図書室には行けないかなぁ」

その言葉は蘇我さんのものだ。

「本当です。問題の本棚に向けられる目線が多いのは助かっていますけど、それでも本の貸し出し数は増えていませんからね。窓から見える景色目当ての生徒も変わらず多いですし、冷やかし目当ての生徒ばかりなのはあまり喜ばしいことではありません」

新井さんも言う通り、やっぱり監視の目は多いんだよね。本を盗むようなタイミングがあるとは思えないんだけれど、それでも本がなくなるのが止められていないから不思議だ。新井さんに聞きたいことはまだまだある。

「そういえば、今日はもう紛失は起きたの?」

時刻は放課後、さっきの蘇我さんの話では、まだ消えた本は十冊のみ。メッセージは文かさいをちゅうしせ、で止まっていたはず。今日十一冊目が消えていたのなら、メッセージがこれ以上続くとは思えないし、事件はこれで終わりということになるけれど。これに答えたのは新井さんだった。

「まだ確認作業を行っていないのでそれはわかりません。わかるのは今日の確認作業が困難を極めそう、ということくらいですかね……」

「そうなんですか?やっぱりあの人混みだと大変そうですからね」

そんな呑気な声は蘇我さんのもの。蘇我さんはやたら人混みを嫌う発言が多いけれど、人混みがあまり得意ではないのかな。新井さんがため息交じりに答えた。

「いえ、確認作業は図書室が閉まってから行われるので、人混みはあまり関係ありません。単純に消えた本を探すのには時間がかかるんです。貸し出し状況を見て、開架と書かれている本をすべてリストアップして、それを本棚と見比べることで消えた本を見つけているんですけど、いかんせん原始的な方法過ぎて時間がかかるんです。消えている本の傾向から、調べている本棚は絞っているんですけど、それでもかなりの時間がかかってしまっていて……」

そう、そこがずっと気になっていたんだ。通常、何かがそこにないことを証明するのは難しいから。この事件のきっかけの、目当ての本を探して、というケースであれば本の不在に気づくことは容易かもしれないけれど、何がなくなっているか分からない状態で、なにかがなくなっていることを証明するのには時間がかかる。不在証明がどのように行われているのか、特に気になっていたことの一つだけれど、やっぱり原始的に一つ一つ目で確認していく方法しかないのかな。

「その確認作業は、図書委員会が行っているの?」

「はい、その日の当番の図書委員二人が、十八時の図書室の締め作業の時に行うことになっています」

「確認に使うリストっていうのは誰が作ってるの?」

「それはその日の当番の生徒が、確認作業の直前に貸し出し状況のデータベースを見て毎日作り直しています。貸し出し状況は日によって変わりますからね」

新井さんの言葉には淀みがない。淀みもなければ違和感もない。本棚に並ぶ本のリストは、貸し出し状況を元に作られる。貸し出し状況は毎日変わるから、そのリストは毎日確認作業のたびに作り直されている。おかしな点はなにもない。

本棚に手が出せないのなら確認作業の方になにか仕掛けがあるんじゃないかと思ったけれど、毎日違う人が行っている作業になにか仕掛けができるとも思えない。やっぱり犯人がどのように本を持ち去っているのかを考えた方が早いのかな。

新井さんが言葉を続ける。

「最初の一週間くらいは、こんなに毎日立て続けに本が消えるなんて誰も思っていなかったので、しょうがなく私が毎日確認作業も監視も行っていたんです。先週頃から委員会でも当番制でそれらを行うようになったんですけど、面倒くさがる人や適当に仕事をする人がいて……もう大変なんですよ。本がこんなにたくさんなくなっているって言うのに!」

今日初めて、新井さんが声を張り上げるのを聞いた気がする。それだけ図書委員に対して溜まっている思いがあるんだろう。蘇我さんがまあまあ落ち着いてと新井さんをなだめている。こういう時に蘇我さんの呑気さはありがたい。

「今日は私と同じ当番の生徒が、文化祭準備で忙しいらしく、委員会活動を早めに切り上げると言うんです。一人で行う確認作業のことを思うとそれだけで辟易してしまって。それで蘇我さんの言葉を思い出したので、保健室にでも行って息抜きがてら、なにか事件のことがわかればいいなと思ってここにいます」

ただでさえ規模の大きいこの学校の図書室だ、確認作業の大変さは経験したことのない私にもわかる。ただ、新井さんの言った通りだと少し気になることがある。

「でも、図書委員の当番は二人組なんだよね?新井さんが今ここにいるなら、もう一人の子が一人で監視とカウンター作業をしているのかな?」

「はい。もう一人の生徒にもここに来る旨は伝えてきました。まあ監視の目は多いくらいですし、そこまでたくさんの生徒が本を借りに来るわけでもないですからね。一人でもなんとかなります。もう一人の当番の人も確認作業に参加できない負い目があったからか、『事件を解決するためならしょうがないね』と言ってくれました。ここに来る許可は一応得ていますよ」

その言葉にも特に違和感はない。こんなに話を聞かせてくれる子を疑ってばかりいるのも流石に申し訳なくなってきたな。けれどこの子が怪しいのも確かだ、感じた違和感を無視することはできない。

今度は蘇我さんが口を開いた。

「でも、メッセージの内容はある程度予想できるじゃないですか。今日で言えば文かさいをちゅうしせ、と来てるんですから、今日なくなるのは”よ”かな?というのは予想できそうなもんですけど。そこだけ探すわけにはいかないんですか?」

蘇我さんの言うことにも一理ある。ただ、新井さんの真面目そうな性格がそれを許すとは思えない。私の推察は割と当たっていたようで。

「それは私も考えましたけど、やっぱり他の本が消えている可能性も捨てきれない以上、できるだけのことはしたいんです。今でさえ図書室内すべての本棚を調べられていないのが悔しいのに……」

新井さんの声のトーンの右肩下がりが止まらない。その時、私は一つ思いついた。

「それなら、蘇我さんもその作業を手伝ってあげたら?」

二人でやれば二倍の早さで終わることだし。それに、新井さんの行動を見張ってもらう意味でもいい考えだと思う。そのことを口には出さないけれど。

しかし新井さんの反応はイマイチだった。

「ダメです。なにも関係ない蘇我さんにそんな迷惑をかけるわけにはいきませんから」

「私は全然いいですよ。閉館後の図書室なら人もいないでしょうし」

「全然よくないです。私がつい話してしまったばっかりに、こんな面倒ごとに巻き込んでしまっているんですから」

新井さんは頑なに姿勢を崩さない。疑いの目ばかり向ける私は、その行動も、確認作業に後ろ暗いところがあるからなんじゃないか、と思ってしまう。

しかし頑ななのは蘇我さんにも同じことが言えるようで。

「そんな!むしろこんなにワクワクすることを教えてくれて、感謝してるんですから!謝るなんてやめてください!」

厳密に言うのなら、別に新井さんは謝罪の言葉を口にしてはいなかったと思うけれど。しょうもないことが頭に浮かんで、しかし口に出すのは辞めておいた。その代わりに新井さんに追い打ちをかけてみる。

「新井さん。蘇我さんはこの通り楽しそうなんだし、多少迷惑をかけちゃうのには目を瞑って、手伝いを頼んでもいいんじゃない?」

それでも気が乗らない様子の新井さんだったけれど、二人からの説得に観念したとでも言うようにため息をついた。

「わかりました。確かに、人手は多い方が助かりますからね」

「任せてください。捜査の基本は現場百遍って言いますから!」

蘇我さんはあくまで謎を解こうとしている姿勢を崩さないけれど、彼女は七不思議の本丸に乗り込める喜びに突き動かされているだけな気がする。

もしかすると、保健室に入り浸っているのも七不思議目当てだったのかもしれない。今日は血の匂いが漂ってくるかもしれないと、毎回保健室の扉を開ける度にワクワクしていたのかな。

なんてどうしようもないことを考えているうちに蘇我さん達は準備を済ませていたようだ。二人ともカバンを肩から提げて、座っていた椅子を元あった場所に戻している。おそらく確認作業が終わったらここに帰ってきてくれるはずだから、カバンを持っていく必要はないと思うけれど。まあそこは女子高生だ、カバンはデフォルトの装備なのだろう。

「じゃあ行ってきますね、成果があったらちゃんと報告するんで、安心してください」

七不思議の謎が解きたくて解きたくてたまらない不安な私に気を遣ってくれる優しい蘇我さんは、新井さんと一緒に保健室を出ていった。私も廊下に出て二人の背中を見送る。二人の後ろ姿が程よく小さくなってきたところで、もうそろそろかな。

保健室で出すのは憚られるくらいの声量で、廊下の向こうに呼びかける。

「蘇我さーん!忘れ物してるよ!」

蘇我さんがこちらを振り向き、新井さんに手を合わせた後、かなり焦った顔でこちらへ小走りで駆けてきた。

「ごめんなさい、なに忘れてました?」

少しだけ息切れが感じられる蘇我さんの声。運動はあまり得意ではないのかな。ここまで疲れさせてしまうのは予想外だったので、少し申し訳なくなりつつ、できるだけ小さい声で言う。

「ごめん、忘れ物って言うのは嘘なんだ。図書室で新井さんの行動をよく見ておいて欲しくて、それだけ伝えたかったの」

「……え?も、もしかして!本を盗んでるのは新井先輩なんですか!」

一瞬何を言ったかわからないと言うような間が開いて、廊下の向こうにいる新井さんに聞こえてしまうのを危惧してしまうくらいに大きな蘇我さんの声。

「しーっ!聞こえちゃう!」

「ご、ごめんなさい。でもなんで新井先輩が犯人なんですか?」

当然蘇我さんはそう尋ねてくるだろう。予想できていたことではある。

私は言った。

「今は詳しく話す時間がないからあとで話すけど、謎を解くために必要なことなんだ。今は、それだけ」

知りたがりの蘇我さんがその言葉だけで納得してくれるかは怪しかったけれど、謎を解くため、という言葉には弱かったらしい。

「……わかりました。あとで話を聞かせてくださいね。じゃあ今度こそ本当に、行ってきます」

蘇我さんはまた急ぎ足で、今度は新井さんの方へ駆け寄っていく。不思議そうな顔をしている新井さんに蘇我さんがなにやら話しているようだけれど、あの子が咄嗟に新井さんに疑われないための言い訳を思いつけているか、少し心配だ。


蘇我さんに伝えた通り、私は新井さんを疑っている。

最初は図書室の人の出入りの多さから複数犯の線で考えを進めてみたけれど、学校内の出来事とはいえこれは立派な盗難事件だ。数人が結託して犯罪に手を出してまで今回の事件を起こすほどの動機があるとは思えない。図書委員が全員グルなんて考えにも至ったけれど、流石に一つの委員会を巨悪組織にしてしまうのは考えすぎだろう。


新井さんを怪しいと思ったきっかけは、ついさっき。蘇我さんのせいで床に落ちたポスターに、新井さんが足を滑らせた時のことだ。

あの時、新井さんのバッグから飛び出ていた小説は、どれも恋愛小説だった。

先ほど蘇我さんが付箋に書いた、消えた小説の一覧に目をやる。最初に紛失が発覚した小説は、『烏の翼』『文房具店の殺人』『坂之上玄の推理』の三冊だったらしい。蘇我さんが『烏の翼』は難しいミステリーだと言っていたけれど、他の二作もタイトルからしておそらくミステリーだろう。

そして今回の紛失騒ぎが発覚した経緯は確か、新井さんが読もうとした本を探したものの、本棚に発見することができなかった、というものであった。つまりその時、新井さんは三冊のうちのどれかの小説に興味を持ったことになる。

もちろん新井さんの読書の範囲が広いだけの可能性もあるけれど、恋愛小説を三冊持ち歩く子がいきなりミステリーに手を伸ばすのは少し不自然だと思った。探りを入れてみれば案の定、落ち着いた作品を好むと新井さんは言っていた。こうなってくると事件のきっかけが怪しくなってくるのだ。

と、いうところから新井さんを疑っているのだけれど、肝心の犯行方法と動機がイマイチぴんと来ないんだよね。

動機に当てがないのはなにも複数犯に限った話ではないんだ。そもそも、これだけ手間をかけてこんな事件を起こす意味が分かっていないのだから。


文化祭を中止せよ、というメッセージは、恐らく本当の目的を隠すための目くらましだ。それを伝えたいのなら、もっといい方法がいくらでもある。だから目的は他のところにあるはず。


例えば、新井さんは消えた本を自分のものにしようとしていたとか。

頭文字を取ると、文化祭を中止せ、と浮かんでくる十冊の小説を、偶然新井さんが欲していたと考えるのは少し無理がある。

本当に欲しい小説はこれまで盗まれたうちの数冊だったのかも、とは考えたけれど、数冊くらいなら盗難に手を出す前にまず購入が選択肢に出てくるはず。パソコンを開いて、十冊の小説について軽く調べてみる。

案の定、絶版になってもう手に入らないような小説は一冊もない。本が目当てである可能性はなさそうだ。

ただ、本を隠すなら本の中、という考えはかなり悪くないように思う。十冊も本を盗んだ新井さんの本当の狙いは、一冊の本を図書室から盗むことだったとか。他の九冊がデコイだったらどうだろう。

ダメだ。新井さんが本を盗んだ理由がわからない限りは、結局同じところで足踏みをしているだけのような気がする。

新井さんが本を自分のものにしようとしていたわけではないのなら、その逆、特定の本を図書室から無くしたかった、というのはどうだろう。

嫌いで嫌いでたまらない作家の本を図書室に置いておくのが許せなかった、とか。これまで盗まれている十冊の本の作者はそれぞれバラバラだった。となると一冊の許せない本を図書室から消すために九冊も追加で盗むだろうか。

恐らく、新井さんが本や読書を好きなのは噓ではないはずだけれど、そんな彼女がなにも関係のない本を九冊も盗難騒ぎに巻き込むとは考えづらい。

ここまでくると、やっぱり本当に文化祭を中止させようとしていたのかもしれない、と思えてきてしまう。でも、この考えはさっき自分の言葉で否定したはず。こんなに回りくどいことをする必要はない。

ダメだ、動機なんて結局は人の心の動きを想像することでしかないんだから、考えを巡らせるのが難しい。

天気が良かったから本を盗みました、なんて動機だってあり得てしまうのが人間の心であって、それを想像だけで語ってしまっていいはずがないし、語れるとも思えないのだ。

人の心を読み取るのなんて、神様にだって不可能なのだから。

ただ、動機の線から考えていくのは難しそうだけれど、動機もさっぱりなら犯行方法にも思い至っていないから困った。

もう新井さんが犯人だと仮定するけれど、だからと言って具体的な犯行方法が思いつくわけでもないのだ。

最初の一週間は何とかなると思う。監視も確認作業も新井さんがしていたのなら、本をこっそりバッグに忍ばせるのは容易だろうし、そもそも確認作業の段階で本がなくなったことにしてしまえば済む話だ。

問題はそこから、事件のことが図書委員会内、また学校内に広がることで監視の目が増え、加えて確認作業も自分で行えない今、監視の目を潜り抜けて毎日本を盗み出す方法なんてあるんだろうか。

そうか、そもそも盗まれた本そのものが新井さんの目当てだったのなら、ここまで事件のことが公になっている時点でおかしいんだ。別に誰にも何も言わなければ、図書室から本を盗み出すことなんて誰にでもできるんだから。更に言ってしまえば、図書委員である新井さんにとっては赤子の手をひねる様なものだったはず。

盗難に気づいたのが新井さんなのであれば、おそらく図書委員会でそれを共有したのも新井さんと考えて問題はない。その結果として監視の目が大量に増えている現状くらい簡単に想像できそうなものだけれど、新井さんが犯人なら、その上で盗難のことを広めたりするだろうか?

こうなってくると、思考の前提から揺らいでくる。本当に犯人は新井さんなの?きっかけの違和感は私の思い過ごしでしかなかったの?


自分の直観に従うべきか、否か。

従った先には生徒を疑う道が待っている分、思考には慎重になりすぎてしまうくらいがちょうどいい。

これは文化祭の劇の犯人を当てているわけではない、現実に起こった出来事の犯人はあなただと、生身の人間相手に断じてしまう危険性は絶対に忘れてはいけないんだ。


百人いれば百通りも千通りも有り得てしまう動機から絞るのは難しいだろう。確かに一つ確実なものがあるのが犯行方法であり、考えるのならそちらからの方が良い、はず。多くの人の目と、本棚に並ぶ本を、同時に盗みだせる方法が、確実に存在するんだ。

犯人は恐らく、新井さんだと思う。この考えはもう揺るがない。それでは図書委員で事件のきっかけにも関わっている新井さんなら、何が可能か?考えるんだ。

新井さんの言葉を、蘇我さんの言葉を思い出して、何かなかったか。なにか。

これまで覚えた違和感を洗い出して、考える。

考えを深めている間は、時間の流れがゆっくりになるような感覚に陥る。

再び保健室の扉が開かれるまで、静かな保健室に一人。長い時間だった。


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蘇我さん達が保健室を出て行ってから時計の長針が一周して、時刻は十八時半を回っている。けれど結局、まだ動機にも犯行方法にもたどり着けていない。

コンコンと扉がノックされて、旅館の接客のようなスピードで開けられた扉の向こうには、蘇我さんと新井さんがいた。もうそんなに時間がかかってしまったのかと驚く。

蘇我さんの方が扉に近いところにいたということは扉を開けたのは恐らく蘇我さん。先ほどの注意がよっぽど効いたのか、もはや見せつけるくらいゆっくり開いていく扉は、なんだか面白かった。

「成果はどうだった?」

私の質問に答えたのは、新井さんだった。

「『よーいドン!』陸上部を舞台に人間模様を描いた名作です。問題の本棚に見つけることはできませんでした……」

頭文字は”よ”。これで文かさいをちゅうしせよ、のメッセージが完成してしまったみたいだ。しかし本の盗難を防げなかったはずなのに、二人の表情はどこか明るい。中でも特にニコニコ笑顔の蘇我さんが興奮冷めやらぬと言った調子で口を開く。

「本当に盗まれてたのも衝撃なんですけど、もっと衝撃なことがあったんです!」

そう言う蘇我さんの言葉は弾んでいる。よくこのテンションでいて、あそこまでゆっくりと扉を開けられたものだ。ついさっき勢い良く扉を開けていた時と同等か、それ以上くらいの目の輝きを放っている蘇我さんを一旦落ち着かせて、話を聞く。

「そ、それがですね。なんと、なんと、見つかったんです。盗まれていた本が、見つかったんです!」

蘇我さんのテンションの意味が分かったような気がした。それは確かに、大ニュースだ。

「どこにあったの?」

これに答えたのは新井さんだった。

「他の本棚です。そもそも確認作業は最初に三冊の小説が消えた本棚のみを対象に行っていたんですが、今日の分の確認作業を終えて他の本棚を眺めていた蘇我さんが、『裏の裏』の背表紙を見つけたんです」

「蘇我さんが見つけたんだ!凄いね蘇我さん!」

「いやいやー、まあ読んだことのある小説でしたし、うちにも同じ小説がありますから、見慣れていたんでしょう。それに……」

ここまでずっと大きかった蘇我さんの声が、少しボリュームを下げたような気がした。

「なんとなく、なんとなくなんですけど、なんかあそこだけ違和感があるなぁと思ったら、そこにあったのが『裏の裏』だったんです。言葉で説明はできないんですけど、なんか違和感があったんですよ。その後他の本も同じように見つけたんですけど、その本にもなんか違和感があったんです。なにが、とは言えないんですけどね」

「私もそれは感じました、ただ言葉で詳しく説明できないと言うところも一緒ですから、たいした手掛かりにはならなさそうなのですが……」

違和感。違和感か。蘇我さんが確認作業に関係ないところで、他の本棚をなんとなく眺めているだけでも気づくくらいの違和感。なんだろう?

私は質問を続ける。

「他の本も見つかったの?」

新井さんが答えた。

「はい、これまで盗まれた十冊と、今日盗まれたのが発覚した『よーいドン!』も、すべて図書室内の別の本棚に並べられていました、これは確認のため図書委員の方で一旦預かることにしました」

本は盗まれていたわけではなかった、消えた本は図書室内の別の本棚に移されていただけだった。これが何を意味するのか。動機から絞るのは難しいと思っていたけれど、この進展は動機と犯行方法どちらを考えるにしても重要な情報になる気がする。

まず、新井さんの目当てが消えた本そのものでないことは確定した。本が欲しかったとか、本を図書室から排除したかったとか、その可能性は否定できる。そもそも本が図書室から外に出ていないんだから、動機はそこにはない。

そして、他の棚から盗まれた本が見つかったと言うのなら、やはり犯人が新井さんである可能性は高まったように思う。他の図書委員と違って、彼女であれば他の本棚を見回るくらいはするだろうし、彼女も移動させられた本の違和感には気づいたと言っていた。仮に彼女が犯人でなかったとして、今日まで本の移動に気づけなかったとは思えない。

では本そのものが目的でないのなら、新井さんの目的として考えられるのはたった一つだ。本を移動させること自体が目的だったんじゃないか。

例えば、図書委員の働きぶりをテストするために、わざと本を別の場所に移したとか。新井さんの口から、図書委員への愚痴は度々聞いてきた。動機に繋がりそうな手掛かりはそれくらいなのだけれど、動機としては悪くないと思う。

でも、それなら本の紛失を図書委員内で共有しない方が良いテストになるよなぁ。抜き打ちという言葉もあるくらいだし、何も言わず本の移動に気づけるかどうか、を見る方が働きぶりを確かめるのには適している気がする。紛失が発覚してから働きぶりが良くなったとして、それが普段の働きぶりとイコールで繋がらないのなら、テストの意味がない。

まあ紛失が発覚してから今日まで、誰も本の移動に気づけなかったのが、図書委員という組織の崩壊具合を表しているけれど。

他に本を移動させるメリットがなにかあるのかな。ここまで来ると、本当に文化祭を中止せよのメッセージを広めることが新井さんの一番の目的だったんじゃないかと思えてくる。実際このメッセージは校内中に知れ渡っているようだし、野次馬目当ての生徒も多く図書室を訪れているらしい。ただ、新井さんの目的がそこにあったのなら、新井さんの目的は達成されたことになるけれど、かといって文化祭が中止になるような気配はかけらもないのだ。

メッセージを広めるだけ広めて満足しているはずもないし、そう考えると新井さんの目的はまだ達成されていないことになるけれど、文化祭まであと四日もない中で、これ以上伝えるべきメッセージがあるんだろうか。

他に本を移動させるメリットにはなにがあるだろう。本を移動させただけであれば盗難に比べれば罪が軽くなりそうだけれど、ここまで大掛かりなことをしておいて今更怖気づくとも思えない。まあ犯人の心の動きとして絶対にありえないとまでは言わないけれど、少し不自然さは残る気がする。

思考に気を取られ過ぎていた私を引き戻してくれたのは、納得言かない様子の蘇我さんの声だった。

「これ、事件は解決、ということでいいんでしょうか?なんだかモヤモヤします」

「戻ってきた本を確認しないことにはわからないですけど、本に異常がなくて本が戻って来たのならそれは解決と言えるのではないでしょうか」

新井さんの言葉はこんな時でも凛としている。しかし、図書委員の立場から見ればそうだろうけど、蘇我さんに至ってはその限りではないはず。こんな中途半端な結末で、この子が満足するとは思えない。

「でも、犯人を捕まえないとまた本が盗まれるかもしれないんですよ!」

「それはそうですけど、しかし、実際に本は盗まれてはいなかったわけですからね。本を移動させるのもとても迷惑な行為ではありますが、図書委員が真面目に活動していればこんな問題はそもそも起きなかったんです。そうです、図書委員が真面目に活動していればよかったんですよ」

もう何度目かの新井さんの愚痴。その言葉が自分にも刺さってしまうことに彼女は気づいているんだろうか?

新井さんも気づかなかったよね、と言われたら自分に疑いの目が向けられることくらい、彼女なら気づいていそうなものだけれど。恐らく、この愚痴に限っては彼女の本当の心からの声なんだろうな。取り繕うことを忘れるくらいに図書委員への憎悪が彼女の中に溜まっているのであれば、もう間違いなく動機はそこにありそうなものだけれど。とにかく、あれだけ本を大切に思っている新井さんがいきなり犯人についての言及を躊躇うのは明らかに不自然だ。

頑なな姿勢は新井さんだけではなく、蘇我さんもなかなか引き下がらない。

「でもでも、やっぱりダメですって、これで終わらせちゃ。そもそも誰にも気づかれずに本を移動させた方法がわかってなかったら、また同じことが起きますよ!」

「それは……そうですけど……」

「監視の目も、野次馬の目もすり抜けて、毎日一冊ずつ丁寧に本を持ち去るなんて、そんなことできないはずなんです!でも犯人にそれができてしまったから、今回の事件は起きてるんです!それを突き止めなくてどうするんですか!」

蘇我さんの言うことはもっともだ。やっぱりただ都市伝説に目を輝かせているだけの子ではない。流石の新井さんも蘇我さんの強い訴えに負けたようで、それ以上言葉を返すことはしなかった。

そういえば、私が新井さん行動に気を付けるよう言ったのを蘇我さんは覚えてくれているだろうか。

覚えているんだとしたら、新井さんと一緒に確認作業を行った蘇我さんがそれでも犯行方法に思い至っていないのなら、犯行方法の肝はやっぱり確認作業とは関係ないところにあるのかな。

蘇我さんに図書室での話を聞きたいけれど、新井さんもいるこの状況でそれを聞くのは……一瞬躊躇って、しかしよく考えれば別に問題はないことに気づく。

「確認作業はどうだった?蘇我さんは今日が初めてだったと思うけど、何か気になったことはあった?」

「そうですね、別に新井先輩から聞いていた通りで、それ以上も以下もなかったですよ。新井先輩がリストを作って、私の分もそれを印刷してもらって、図書室の端っこにある棚を、二人で分かれて同じ方向に確認していきました。それぞれ別々に、合わせて二回目を通していったんで、流石に見落としはないと思いますけど、やっぱり『よーいドン!』だけ見つかりませんでした。まあその後別の本棚で見つけたんですけどね」

「二人組で確認をするときはいつもそのやり方でやってるの?」

新井さんに投げかけたつもりの質問に、新井さんが答える。

「はい、それぞれが本棚の右端と左端から見ていく方法も考えたのですが、この方法の方がチェックに漏れがないと思いまして」

一人が本棚に目を通し、もう一人が再び同じ本棚に目を通す。見逃しがなくなるいい方法だと思うけれど、犯行をより難しくしている要因にもなっている。例えば二人で本棚を半分に分けてチェックする方法であれば、自分が担当の本棚には見つからなかったと嘘をつけば、チェックの目は潜り抜けることができるだろう。でもそれは可能ではなかった。思っていたより確認作業は厳密に行われている。そこに何か細工が施せるとは思えない。

これだけ厳密だと、確認作業の段階で、既に本が本棚から失われているのは間違いなさそう。そこにはっきりと自信を持っているからこそ、これだけ厳密な確認作業のシステムを新井さんは作り上げたんだ。

確認作業に隙をなくすことで、疑ってくる人相手に対しては犯行が不可能であることをより印象付けることができる。疑ってこない人相手には図書委員として職務を遂行している普通の姿を見せることができる。この学校のまともに機能していない図書委員に限っては、職務を全うする姿が普通には映らないのかもしれないけれど、それはまあ今は考えないことにする。

確認作業に隙をなくせば犯行は困難を極めるはずだけれど、それだけ誰にも気づかれないよう本を移動させる方法に自信があるんだろう。

本が本棚から盗まれたのは、確認作業が行われている前の段階、であれば、なくなった本がもともと本棚にはなかったんだとしたら?


そこまで考えて、唐突に視界が開けていくような感覚に襲われた。散らばっていた要素が次第に結ばれて行って、そして一つの事実が浮かびあがってくる。

そうか、この方法なら……


「先生?」

蘇我さんと新井さんが不安げな表情でこちらを見ている。

蘇我さんは純粋に急に黙り込んだ私を心配しているみたいだけれど、新井さんの不安さはどこから来ているんだろうか。

「もしかして……なにかわかったんですか?」

蘇我さんに尋ねられる。やっぱり私は考えが顔に出やすいタイプみたいだ。それは少し、恥ずかしいな。

「わかった、かもしれない」

私の言葉を聞いた新井さんの表情に、特に変わりはなかった。平静を装っているだけなのか、私の言葉を信じていないだけなのか。

それとも、よっぽど自信があるのか。

「聞かせてください、先生の考え!」

蘇我さんに促されて、私はおもむろに口を開く。自分の考えを人に披露する瞬間は、もう慣れてきたものとばかり思っていたけれど、やっぱりあまり気分のいいものではない。オーディエンスが蘇我さん一人だけではないのも、私の緊張の大きな理由の一つかもしれない。


「まず、確認作業について整理したい。作業は放課後に図書委員二人によって行われている。データベースで開架にあることがわかっている本をリストアップして、そのリストと本棚を比較することで、なくなった本を探している。そのリストは毎日その日の当番の生徒が作っている。確認作業は、一人が必ず一度は調査対象の本棚すべてに目を通すよう決められている。合ってるかな?」

私は新井さんに尋ねたつもりだったけれど、これに答えたのは蘇我さんだった。

「はい、新井先輩の話ではその流れで合ってたと思います」

できるだけ新井さんから目線を外さないように気を付けつつ、私は言葉を続ける。

「頭文字のメッセージのこともあって、本棚に向けられる目線が増えているのは確かなようだし、その上一応は図書委員でも本棚を見張っている。それでも依然、本の盗難は防げていない。本棚の監視が緩くなる時間、つまり放課後や昼休み以外の時間に犯行が行われていることも考えたけれど、今は司書の先生が育休に入っていて、図書室が解放されている時間は限られているそうだから、これは却下。まあ、犯人がお化けだったらそんなことは関係ないけどね。他にも色々考えたけど、やっぱり、犯人が本棚から本を盗んでいるんだとしたら、不特定多数の生徒の目を盗んで犯行を達成することは不可能だと思う。それなら、犯人が細工をしたのは別のところ、確認作業の方、ということになる。では確認作業のどこに、犯人は細工を施したのか」

そこまで言って、一息つく。少し話が回りくどくなってしまっている気がするけれど、この場で新井さんを詰めるのなら、できるだけ言い訳の余地は減らした方が良いはず。話は詳細にするべきだろう。

「確認作業の流れの中で、犯人が何か細工を施せそうなところはあるか考えた。まず、リストをもとに本棚をチェックする作業。本棚を見ていく過程では図書委員二人が一度は必ず本棚に目を通すようだから、ここでなにかを誤魔化すのは無理だと思う。図書委員二人の共犯も考えたけれど、図書委員は日ごとに変わって、一人には一週間に一度しか順番が回ってこないらしいから、これも無理。それなら、犯人が細工を施したのは、確認作業に使うリストの方なんじゃないかな」

そこまで聞いて、蘇我さんが私の話を遮った。

「でも!リストは毎日違う生徒が作っているんですから、そこに細工をするのは不可能なんじゃないですか?先生が言った通り、委員会の当番は週に一度しか回ってこないんですよ?」

蘇我さんの疑問はもっともだ、でも、犯人が新井さん、というよりも図書委員の生徒であると仮定すれば、それは可能になる。

「リストが作られる流れを思い出してほしいの。リストに載せられる本は、開架にあることがわかっている本だけだった。そのリストを使って確認作業が行われるということは、つまり、なくなったとされている本は、正確に言うのならなくなった本じゃない。リストに名前が書いてあって、なおかつ調査対象の本棚には置かれていない本が、なくなったとされている本なんだ。そう考えると、監視の目のことなど考えなくても、犯行は可能になる。何度も言うようだけど、リストに載せられる本はどんな本だった?貸し出し状況の欄に、開架にあると書かれている本だよね。誰がリストを作ろうともそこが変わらないのなら、犯人はリストのその性質を使って、本棚から本を消したんだと思う。犯人が行った作業はこう。まず、図書室から無くそうとしていた本をすべて借りてしまう。こうすることで、無くそうとしていた本の状態は、貸し出し中になる。こうすれば無くそうとしていた本が誰かに借りられて計画が潰される心配もないからね。そして、貸し出し中の本はリストには載せられない、つまり、本が問題の本棚からなくなっていても、その本が紛失したとは誰も思わない。まあ、貸し出し中の本なんだから、それが図書室の本棚にないのは当たり前のことだからね。次に、犯人はその本たちを順番に、一日ごとに返却していった。返却された本の状態は、貸し出し中から開架に変わる。つまり犯人は本を返却する、という行動だけで、好きなタイミングで好きな本を、狙ってリストに載せることができる。そして最後に、犯人は返却した本を、図書室内のどこか別の本棚に戻した。図書室に犯人目当ての野次馬が多いとは言っても、その生徒たちの目線が向けられているのは、本がなくなっている本棚だけだと思うから、他の本棚に近づいても特段怪しまれる心配はない。こうすることで、本棚とリストに乖離を起こすことができる。これなら目的の本棚には一切近づかなくても、本棚から本をなくすことができると思うんだ。どうかな?」

二人とも押し黙ってしまって、保健室を一瞬静寂が包む。流石に説明が冗長になりすぎてしまったかもと心配にはなるけれど、ここまで来て話を止めるわけにもいかない。私は言葉を続ける。

「そしてここからは想像になってしまうけど、犯人は多分、昼休みまでに、その日盗まれたことにされる本を、返却ボックスに入れたんだと思う。新井さんの話を聞く限り、図書委員で返却手続きが行われるのは昼休みだけど、手続きを済ませた本を本棚に戻したりする作業は放課後に行われるんじゃないかな?どう、新井さん?」

「……確かに、そうですね。いかんせん昼休みは時間がないので」

今度は蘇我さんに返答を奪われないよう、新井さんを指名してみた。新井さんの声には力がない。けれど、声のトーンは先ほどと変わっていないような気もした。

「そこのラグを生かして、放課後にこっそり図書室に赴いて、返却手続きが済まされた本を別の本棚に戻す。図書室の来客は多いらしいから紛れるのは容易だろうし、さっきも言った通り、皆の目線が向けられている本棚は本がなくなっている本棚だけだから、手続きの終わった本を別の本棚に戻すだけならそこまで目立たず遂行できると思う。それでも一般生徒がそんなことをしていたら不自然さは残るだろうし、そもそも確認作業に使うリストの性質を知っていなければこの方法は思いつけない、だから、犯人は図書委員の中にいると思うんだ」

まだ新井さんだと断定することはせず、新井さんの反応を見てみる。それでも表情の動かない新井さんを見ると、私の考えが外れていたのかと不安にもなるけれど、ここまで語ったことに矛盾や違和感はなかったはず。

「で、でも。返却手続きを済ませた本がなくなっていたら別の図書委員にバレちゃうかもしれないじゃないですか。それに確認作業の時にさっき返却されてた本だって気づかれちゃう可能性も高そうですし、少しリスクが高すぎないですか?」

「新井さんの話を聞く限り、昼休みと放課後の当番の生徒は違う二人組だった。それなら違和感に気づかれてしまう可能性は低いと思う」

蘇我さんからそれ以上疑問の声は出なかった。代わりに口を開いたのは、新井さんだ。

「確かに、先生の言ったとおりなら犯行は可能だと思います。図書委員の中に犯人がいると言うのも、考えたくはありませんが可能性は高いのでしょう。では動機はなんですか?そこまでしてこんな騒ぎを起こした動機がわからなければ、意味はないと思いますが。まさか本当に文化祭を中止しようとしていたのでしょうか?」

「うーん。ごめんね。そこを突かれちゃうと弱いんだ」

「ええ!ここまでいい感じだったのに!先生でもわからないことがあるんですか!」

困惑する蘇我さん。ここまでペラペラ語っておいて急にブレーキを踏むんだから、蘇我さんの困惑もしょうがないことだ。そう、犯行方法に思い至っても、動機がさっぱりなら、犯人を追及することはできない。せいぜい再発防止策を練るのに役立つくらいだろう。一つ謎が解けたと思ったら、今度はまた新しい疑問が立ちはだかる。なんて果てしない道のりだろうか。

新井さんがため息交じりに口を開く。

「でしたら犯人の正体も掴めなさそうですね。まあ先生の言ったことが正しかったとして、やはり図書委員がしっかり業務を行っていれば防げた事件に変わりはありません。本は別に盗まれていたわけではなかったのですから」

犯行方法は多分これで合ってる。じゃあ動機は?新井さんの言う通り、動機がさっぱりのこの状況で、新井さんが犯人だと断じてしまうには危うさが残る。

そして疑問、というか違和感はまだまだいくつも残っているんだ。

まず、新井さんの様子だ。先ほどからずっと彼女のことを伺っていたけれど、新井さんは自分が疑われていることには気づいているはずなのに、それでもこの堂々とした態度を崩さずいられるのが不思議だ。まだ動機が判明していないから余裕があるだけなのか、本当に新井さんは犯人ではないのか。後者の可能性はもう考えないと決めたんだ、本が盗まれたわけではなく移動させられていただけ、という情報からも、新井さんが犯人であることはもう疑いようのない事実なのだから。ただ、具体的な犯行方法を面と向かって突き付けられて、いくらなんでも少しは焦りが出そうなものだけれど。

それに、返却手続きが終わった本を別の棚に戻す意味がまだわからない。さっき蘇我さんにも言った通り、返却手続きが終わった本がなくなっていても図書委員に気づかれる可能性は低い。別に本棚に戻さずとも、それを持ち去ってしまえばいい話なのだ。もちろん罪が大きくなってしまうデメリットこそあるけれど、犯行を見られる可能性はぐっと下がるだろうし、本棚から無くした本が見つかってしまう心配もなくなる。

それにそれに、そもそもの話、新井さんが犯人なのであれば、わざわざ保健室に来て私に話を聞かせる理由がないのだ。蘇我さんが新井さんに語った私は、どんな謎でも解き明かしてしまう天才教師、だったはず。その言葉の真偽や正確性は置いておいても、その言葉を聞いた新井さん、つまり犯人が、ここまで詳細に私に情報を与えてくれるはずがないんだ。実際、図書委員の普段の活動を新井さんから聞かなければ、私は犯行方法に思い至っていなかっただろう。

自分が犯人と疑われることを嫌って、あえて私に情報をながしていたりして。


三つの違和感を繋げると、何が見えてくるだろうか。自信満々な態度、本を持ち去らなかった理由、私へ情報提供する意味。本を持ち去らなかった理由、もっと言えば、犯行が露見する可能性をわざわざ高めた理由。

もしかして、新井さんは、私に、何かに気づいてもらいたがっている?


まだなにか、なにか私が思い至っていない、重要な要素がある気がしてならない。なにか、なにかなかったか。なにか違和感を覚えた所はなかったか。違和感?違和感はあった。でもそれを覚えたのは私じゃない。蘇我さんと、新井さんだ。


二人の覚えた違和感、新井さんの不自然な行動の数々。何かに気づいてもらいたがっている新井さん。

人の心を読み取るなんて、神様でも不可能だと思っていたけれど。その考えは間違っていた。思考は必ず、行動に出る。その行動がいくつも集まれば、思考の輪郭を浮かび上がらせることも、不可能ではないのかもしれない。

もしかして、新井さんの本当の目的は……


「色々お話しを聞かせてくださって、ありがとうございました。先生の言ったことは図書委員会でも共有したいと思います。もう盗難騒ぎは起きないようですし、図書委員の業務についても話し合いたいと思います。では、ありがとうございまし……」

「待って!」

話を切り上げ、保健室を後にしようとしていた新井さんを、呼び止める。思わず大きな声を出してしまった。蘇我さんが肩をビクッと震わせて、新井さんの顔には初めて動揺が浮かんだような気がした。私は言った。

「わかったかもしれない」

蘇我さんが目の輝きを取り戻し、尋ねてくる。

「動機ですか!」

「うん。もうこれは完全に想像になってしまうけど」

「ぜひ、聞かせていただきたいですね」

そう言う新井さんの声に、先ほどのような動揺は見えない。

おもむろに、私は二人に尋ねる。

「蘇我さん、そして新井さん。さっき盗まれた本になにか違和感を覚えた、って言っていたけど。その違和感ってもしかして、色、じゃない?」

新井さんが犯人ならまともな答えが返ってくることはあまり期待できないけれど、念のために二人に質問を投げかけてみた。まず答えたのは蘇我さんだった。

「色、ですか?言われてみれば……そうだったような、そうじゃなかったような」

「私も蘇我さんと同意見ですね、言われてみればそんな気もしますが」

二人の反応は、正直微妙。それでも私は言葉を続ける。

「周りの本に比べて、なくなった本だけ背表紙の色が少し薄かったんじゃないかな?」

「……それがなんなんですか?」

新井さんの表情が少し変わった。

「図書室の名物は、大きな窓だったよね。ガラス張りで、景色が良く見えて、日差しをよく取り込む窓。確か本がなくなっていた本棚は、その窓のすぐ近くにあったんだよね?蘇我さん」

突然話を振られて、蘇我さんが慌てて答える。

「は、はい。窓に面した本棚でした」

「日差しをよく取り込む窓に面した本棚に置かれた本は、他の場所に置いてある本と比べて、間違いなく日焼けをすると思う。背表紙の色が薄くなっていたのなら、恐らくそれが原因。であれば、犯人の目的はそこにある。犯人は本が日焼けしてしまうのを防ぎたかった」

新井さんは黙ったままだ。少し間をおいて、蘇我さんが口を開く。

「……仮にそうだとして、犯人は十一冊しか日焼けを防げてませんよ。毎日本を盗もうとしていたのなら、途方もない時間がかかってしまうじゃないですか。その間に日焼けも進行するでしょうし、大体学生なんですからタイムリミットだってあります。流石に無理があるんじゃないですか?」

「そう、今言ったことだけなら、本を守れているとは言えない。でも、頭文字のメッセージのおかげもあって、今回の騒動は学校内でも多くの人から注目されているそうだし、多くの人間の関心を惹く、という意味では犯人の目的は達成されてる。多くの人を図書室に集めて、本が傷んでいることに気づかせることが、犯人の一番の目的だったんじゃないかな。それに本を盗まず、わざわざ他の本棚に戻すだけにとどめたのも、盗まれた本の日焼けに気づかせることが目的だったら説明がつく。窓際に置かれていた本とそうでない本を並べて比較させて、本の日焼けに気づいてほしかったんだ。そう、犯人は本が盗みたかったわけでも、文化祭を中止させたかったわけでもない。気づいてほしかった。多くの人から見れば綺麗な夕日が、本にとっては毒であることに、気づいてほしかった」

私は新井さんの方に目を向け、尋ねる。

「どうかな?合ってるかな?」

「……なんで私に聞くんですか」

当然の質問だ。ここまで来て、それでも明言を避けようとするのにはもはや限界がある。断言しなければいけない。そのリスクに怯えている段階ではもはやない。ここまで手を貸して頭を突っ込んだのだから、最後にその責任だけは果たさなければいけない。

「私は、今回の騒動の犯人は、新井さんだと思う」

言った。

「……」

「あ、新井先輩?」

新井さんは何も言わない。怖い。新井さんの一挙手一投足から目が離せない。これが全くの言いがかりだったのなら、私は生徒に謂れのない罪を着せようとしたことになるのだから。新井さんは依然沈黙を貫き、どこかすっきりした表情を浮かべている。間違えただろうか、的外れだっただろうか。その時は、どうしようか。

汗がたらりと顔の横を伝っていくのがわかる。その数秒の静寂が、永遠にも感じられた。

「だからなんですか?」

「え?」

その言葉は、全く想像もしていないものだった。

罪を認めるか、証拠がないと言われるか、失礼なことを言うなと怒鳴られるか、そのどれかだと思っていたところに、飛んできた言葉はなんだった?

だからなんですか?新井さんはそう言った。

正直ちゃんとした証拠は新井さんの貸し出し履歴くらいだと思っていたから、そこで言い逃れをされると困りそうだなと思っていたのだけれど。

全く予想外の言葉に返答ができない私に、新井さんは続ける。

「だからなんなんですか。先生の言う通り私が犯人だとして、私がしたことは図書室内の本を別の棚に移しただけ、特に罪には問われないでしょうし、先生の言ったことが動機なら、これだけ話が大きくなっていることから私の目的は達成されていると思います。これ以上同じ犯行をすることもないでしょう。それくらいは先生も承知のことだと思いますが、教師が生徒に犯人だと真正面から突き付けるリスクを取ってまで、先生がここで私たちに真実を話した理由はなんなのですか?仮に私が犯人だとして、先生は私をどうしたいんですか?叱りますか?犯人は私だと明かしますか?教師に差し出しますか?」

それは傍から聞けばただの言い訳に過ぎないのかもしれないけれど、私にはその言葉が嫌に響いた。そんなこと、考えたこともなかったから。

どうしてなんだろう。どうしたいんだろう。

謎を解くことばかり考えていた私は、その先を考えていなかった。いや、考えないようにしていた。

新井さんの言う通りだ。新井さんの行動は犯罪でもなんでもないし、誰かに大きな迷惑をかけたわけでもない。

新井さんが犯人だというからなんなの?それを突き付ける意味はあったの?蘇我さんが知りたがったから?違う。きっかけがそうだったとしても、間違いなく私も真相を明らかにしようと躍起になっていた。蘇我さんを言い訳にしてはいけない。

私は何がしたいんだろうか。蘇我さんに頼りにされて、彼女の賛辞に乗せられて、謎解きはもうこりごりなんて嘘をついて、謎を解く楽しさに酔っていた。そして今回、それに生徒を巻き込んだ。

考えすぎていた私を呼び戻すかのように、今日何度目か分からない蘇我さんの大きな声が、保健室に響いた。

「そんな開き直りはどうでもいいです!新井先輩は今回の事件を起こした犯人なんですか!どうなんですか!ごまかさないでください!」

思考に捉われ過ぎてしまう私を引き戻してくれるのはいつだって、保健室に見合わない音量の蘇我さんの声なのだ。

私に目を向けていた新井さんが蘇我さんの方を見て、再び語り掛ける。

「先生が言っていた通りです……とでも言えばいいですか?いいじゃないですか、蘇我さんが先生の言ったことに納得したのなら、それで。どうしてすべてを知りたがるんです?」

私に向けたのと同じ言葉を、新井さんは蘇我さんにも突き付けた。しかし蘇我さんは私とは違う。

「どうしてって、新井先輩だって知りたがってるじゃないですか。一緒ですよ、私は何も知らないしわからないんです。話してもらわなければ、教えてもらわなければ、わからないからです。人の心の中なんて特にわからないからです。新井先輩が本当に本を大切に思ってるなら、私だってそのお手伝いができるかもしれないじゃないですか。お手伝いができるかどうかも、私にはわからないんですよ。先輩が教えてくれなければ、私も先生もなにもわからないんです。だから知りたがるんです。話を聞きたがるんです。それだけですよ」

蘇我さんの言葉に、今度は新井さんが呆気に取られていた。

何を隠そう私も、これまで見たことのないくらい力強く、そして柔らかな雰囲気の蘇我さんに、声が出せなかった。


####################


新井さんは肩に提げたカバンを提げ直し、会釈を一つして保健室の扉を開ける。廊下に出て扉を閉めかけて、こちらを振り返って、こう尋ねてきた。

「そういえば、私はいつから疑われていたんでしょうか?」

素直に言うべきか迷ったけれど、隠す必要もないか。

「……事件のきっかけになった三冊が、新井さんの読書の趣味とは合わなさそうだったから」

「なるほど、そんなに最初から……でも私、『烏の翼』はとても好きな作品なんですよ。難しいですしミステリーですけど、誰も死なないし傷つかないんです。何度も繰り返し読んだ本で、家の本棚にも置いてあるので、背表紙の違和感にも最初に気づくことができました。なので先生の推理はハズレです」

その言葉を最後に、今度こそ本当に、扉が閉まった。


ああ、ほら。人の心を読み取るなんて、神様にだって不可能なんだ。


次の日の職員会議では、夜中に学校に忍び込んで文化祭準備を進めようとしていたクラスのことが議題に上げられていた。

一年生のそのクラスには、厳重注意が与えられるらしい。


####################


あの日からどれくらい経っただろう。私が初めて推理を間違えた、あの日から。

久しぶりに訪れた図書室は生徒で溢れていて、窓から日差しが注ぎ込んでいる。本棚は依然窓の方を向いていて、あの子の顔が浮かぶ。カウンターの図書委員たちが忙しそうにしている。カウンターには生徒たちが短くない列を成していて、タイトルもサイズも様々な本をそれぞれ抱えて、順番を待っている。至る所に本を紹介するポップが飾られている。カウンターの図書委員は二人、もう一人の図書委員が本棚の間を縫うように見て回っている。

そういえば、もうすぐ図書室が改修工事を理由にしばらく休館するらしい。カウンターで返却された本をまとめている新井さんと目が合う。彼女が勝ち誇った顔でこちらを見ている、ような気がした。

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