放送の謎

一年四組の劇の謎解きも一段落して、校内は本格的に文化祭準備期間に突入した。

今日も一日が始まる、朝から校内のあらゆるところで生徒たちは文化祭準備に精を出していて、その活力が私にまで元気をくれる。

そんな中でこの部屋の状況はと言うと。体調不良を訴える生徒の数こそ普段に比べると減っているけれど、全体的な来客数は普段と変わりなく、つまり保健室内の風景はいつもとあまり変わらない。左端のベッドのカーテンが閉じられているのもいつも通り。今日も村尾さんは来ているみたい。

保健室なんて誰も来ないのが一番良いことなのだけれど、あまりお祭り感のない保健室は退屈で、つい朝の校内に出て見回りをしてしまう。

保健室の前には『外出中 用のある生徒は職員室まで』と書かれたプレートを提げておいた。鍵はかけていないけれど、まあ勝手に入るような子はいないよね。それに勝手に入られたところで特段困るようなこともないし。

我が城保健室は一階の、正面玄関を入ってすぐ左手側にある。

正面玄関では数人の生徒が集まって何やら作業をしていた。着ている服から見てバレー部の子だろうか。木の板を数枚壁に立てかけて、なにやら紙の束をみんなで眺めている。

「おはよう」

「はよーーっす!」

「文化祭の準備かな?」

「はい!俺たちバレー部で、ストラックアウトやるんで、ぜひ来てくださいね!」

元気だ。文化祭の訪れが感じられる快活さがとても良い。傍に置いてある工具がいくつか目についた。ノコギリ、キリ、ハサミ、サインペン、他にも色々。刃物も多くあるのを見て、私は言葉を加える。

「工具を使うのかな?怪我には気をつけてね」

紙の束を持った一人の生徒が、その束をこちらに見せ言った。

「はい!でも設計図もこうしてちゃんと作ってて、作業はすんなり終わりそうなんで、大丈夫っす!」

そう言って見せてくれた設計図は、確かによくできている。左上に大きくバレーボールの飾りが付けられていて、良く目を引きそうだ。図面には細かなサイズまで書かれていて、作者の本気度が伺えた。

それじゃあ頑張ってねと言い残し、他のフロアも見て回る。どこもかしこも皆楽しそうに作業を進めていて、こちらまで気分が上がってしまう。


ほんの少しだけ見回ろうと思っていただけなのに、気づけば三十分近く経っていたようで、少し急いで職員室へ向かう。朝の職員会議は、文化祭準備期間のこんな時期にも変わらず行われるのだ。

一年生の教室が並ぶ四階から二つ階段を下りて、二階の職員室を目指す。この高校は四階から階層が下がるにつれ学年は上がっていくよう教室が振り分けられていて、二階には職員室の他にも三年生の教室が並んでいる。

職員室の扉を開け、私が机に到着したのを見計らったかのようなタイミングで、朝のチャイムが鳴った。セーフ、何とか遅刻は免れた。


生活指導の教師が前に立ち、いくつか連絡事項が伝えられる。

昨日地域の人たちから苦情が入っただとか、校内で服装の乱れが多く見られるだとか、文化祭準備期間の盛り上がりようはこんなところからも伝わってくる。でもテンションの上がった生徒たちに注意するのは大変なんだよね。

職員会議は、最後の副校長先生の言葉で締められた。

「えー、文化祭準備期間に入りまして、えー、生徒の気分も大変高揚してくる時期であります。えー、事件や事故は得てしてこういう時に起こりがちですので、皆さんも生徒への声掛けを徹底していただくよう、えー、どうかお願いしたいと思います」

だそう。


四回だったな。


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職員会議を終えて、保健室に戻る。保健室に入ろうとして、横目に先ほどのバレー部の子たちが目に入った。彼らはまだ作業を続けているようで、手元を見る限りでは、看板作りも順調みたい。

保健室の扉を開けると、そこには女子生徒の姿があった。もうすっかり見慣れた小さな姿、蘇我さんだ。

「こんにちは、勝手に入っちゃダメでしょ?」

「こんにちは、でも鍵が開いてたんですもん。入れてしまう状況を作った先生にも責任はあると思います」

一理ある。

「確かにそうだね、でも責任者が不在の部屋で何か事故があってはいけないの。それはわかってくれる?」

「それはわかります。でも先生がいると思って扉を開けたのに誰もいなかったんです。どこ行ったんだろうなーって思ってたところに先生が帰って来たんですよ」

「あれ?表にプレートがかかっていなかった?」

「プレート、ですか?見てないですけど」

そういえば、さっきこの部屋に戻ってきた時に何か違和感があったけれど。もしかして。


数枚のポスターが画鋲やテープで雑に貼られている保健室の扉を開け、一旦外へ出て扉を閉める。

保健室の扉は一枚の扉がはめられた引き戸になっている。外に出て扉を開けたままだと、扉は壁に隠れて見えなくなってしまうので、プレートの有無を確認するためにはわざわざもう一度扉を閉めなければいけない。

というか、そもそもプレートがかけられていたら、それが引っかかって扉がすんなり開くことはないのだ。つまりこうして難なく扉の開閉が行えている時点で……案の定、ひっかけていたはずのプレートはそこにはなく、画鋲だけが扉に突き刺さっていた。


「先生?」

扉を開け室内に戻ると、蘇我さんがこちらに目をやっていた。彼女が嘘をついているようには見えないし、そもそも彼女がプレートを隠したりするメリットが思い当たらない。本当になにがなんだかわかっていない顔をしている。

ということは、蘇我さんが来た時からプレートはなくなっていたんだ。

それでも一応、確認はしておかないといけないけれど。

「蘇我さんが来た時、扉にはなにも提げられていなかった?」

「はい、だからいつも通り扉を開けて中に入ったんです。誰もいなくて驚きましたよ」

「蘇我さんがこの部屋に来たのは何時ごろか、覚えてるかな?」

「確か、九時ごろだったと思います。っていうか、扉になにか提げてあったんですか?」

流石にここまで聞けば、なにかあったことはわかるか。蘇我さんはそんなに鈍い子ではないし。

「うん、外出中って書かれたプレートをかけてたはずなんだけど、蘇我さんが来るまでの間にそれがなくなっちゃったみたいなんだ」

私が保健室を離れたのが確か八時過ぎだったから、その間にプレートがどこかへ行ってしまったことになる。盗まれた?偶然どこかにいった?どちらにしてもなんでもないプレートがなくなるなんて、あまり信じられないけれど。

思案する私に、蘇我さんが口を開く。

「そのプレートってのはどのくらいのサイズで、どんな形で、どんな素材で、どんな風に扉に提げられていたんですか?先生が保健室を離れた時間は?犯人に心当たあたりは?」

あまりに多くの質問をいっぺんに投げられてしまった。蘇我さんの興味はとどまるところを知らないようだ。

「ちょっと、ちょっと落ち着こう、蘇我さん。一呼吸して」

「ふーー……それで!犯人に心当たりは!?」

一息ついてすぐにまた質問を再開しだした蘇我さん。ダメだ、こうなった蘇我さんに落ち着けと言ってもしょうがないことはもうわかってる。おとなしく質問に答えよう。

「えーっと、さっきの質問に答えるね。サイズは文庫本よりほんの少し大きいくらいで、形は長方形でプレートの右上と左上に一つずつ穴が開いてるね。素材はプラスチックで、上に開いた二つの穴にひもを通して、そのひもの上から画鋲で刺して扉に固定していたかな。保健室を離れたのは八時過ぎで、犯人、犯人か……そもそも犯人がいるのかどうかもわからないから、心当たりはないかな」

「なるほど、そのサイズなら服の下に隠すのは容易……犯行時刻は八時から九時、この時間に手が空いていた生徒が犯人?」

もうすっかりこの件を盗難事件として扱っている様子の蘇我さん。引き戸の方へ歩いて行ったと思いきや、取っ手に手をかけ、引き戸を開け、そうして部屋を出ていったかと思いきや、扉が閉められた。少し間を置いて再び引き戸は開けられて、蘇我さんは保健室に戻って来た。おそらくこの子は犯行現場の検証をしていたんだろう。

「扉のサイズは……扉脇に棚……開閉音は……」

色々気になるところは尽きないみたい。

でも、この紛失が人の悪意によるものだと決まったわけではないと思うけれど。

放っておくのも申し訳なくなって、思わず声をかける。

「犯人、なんているのかな?なにかの事故でどこかに行っちゃった可能性はない?」

「ないですね!これは絶対に盗難事件です!」

「随分言い切るね、どうしてそう思うのかな?」

「聞いたところ、そのプレートはそこまで大きくないようなので、隠し持つだけなら誰にでも出来そうですからね。犯行が容易、というのは一つの重要な決め手です。犯行時刻が少なく見積もっても五十分ある、というのも犯行の容易さに繋がってますね。犯人にとっては理想的な条件ばかりが揃っています。そしてなにより、事件である方が面白いですからね。一見用途のわからないただのプレートが盗まれた、その理由は?凄くワクワクします!」

蘇我さんのテンションは上がっていく一方だ。色々言っていたけれど、結局は最後にぽろっとこぼしていた、事件である方がワクワクする、が一番の本音なんじゃないかな。

そんなことを考えている間に、止んだと思っていた蘇我さんの質問攻めが再開された。

「もっとプレートの詳細な情報を詰めましょう。プレートには正確に何と書かれていたんですか?裏面にはなにか書かれていました?そこからプレートが盗まれた理由がわかるかもしれません!」

こうなった蘇我さんを止めるのは難しいぞ。正直プレートの行方に大体の想像はついているのだけれど、これを蘇我さんに伝えるタイミングが一向に見つからない。今の私は、蘇我さんから尋ねられたことに、大人しく答えることしかできない。

「プレートに書かれていたのは、えーっと確か、『外出中 用のある生徒は職員室まで』だったかな?裏面には何も書かれていないよ」

「……この部屋の扉の構造的に、そんなプレートがかかっていたら扉を開けるときにひっかかると思うんですけど、その辺はどうなんですか?」

気持ちは昂っているようでも、蘇我さんの思考は冷静みたい。やっぱりこの子はかなり鋭い子だと思う。

「その通りだよ。プレートをかけたまま扉を開けると、扉の横の壁に引っかかっちゃってしっかり扉が開かないんだ」

「なるほど……はっ!」

何かを思いついたのか、蘇我さんは突然立ち上がり引き戸の方へ歩いていく。引き戸を開け、閉め、今度は部屋の外には出ず、室内から引き戸の開閉を繰り返してる。

次に蘇我さんはスマホを取り出して、なにやら少し操作をしたのち、それを扉の左脇に置かれている棚に近づけている。

この棚は、裏側に少しスペースがあって、引き戸が全開まで開けられると、この棚の裏側に少しだけ扉が入り込むような形で設置されている。そのため色々なものがこの棚の裏には落ちているのだけれど、当然つい最近保健室に初めて来たばかりの蘇我さんがそれを知っているはずもない。この子は自力であの棚の存在に気づけたのだ、やっぱりかなり鋭い子だな。

恐らくスマホで動画を撮影して、棚の裏側に何か落ちていないかを確認しているんだろうけれど、撮影にはなかなか苦戦しているみたい。手伝おうかとも思ったけれど、ここは彼女の好きなようにさせてあげることにした。


キンコンカンコーン


その時ちょうどチャイムが鳴った。授業の始まりと終わりを告げるそれではなく、校内アナウンスの開始を告げるチャイムだ。文化祭準備期間に校内アナウンスが流れるのは珍しいと思う。蘇我さんはチャイムに耳も貸さず一心不乱に棚の奥を撮影しているけれど、あの様子だとまだまだ捜査には時間がかかりそう。そんな蘇我さんを無視するかのように、放送は淡々と読み上げられていく。

『えー、今から名前を呼びあげる生徒は、早急に職員室へ来るように。一年二組、馬場ばば彩愛あやめ。一年三組、栃尾とちお歩実あゆみ。一年四組、玉城たまき美里みさと。二年四組、永野ながの茉莉子まりこ。二年六組、梨木なしき来夢らいむ。二年六組、壱岐いきあか。三年一組、志賀しがつむぎ。三年七組、楢崎ならさき実憂みゆ。以上。繰り返す。えー、今から名前を呼びあげる生徒は……』

放送が折り返し地点を過ぎたあたりで、蘇我さんの撮影も終わったみたい。何となくだけれど、先ほどのハイテンションが失われているのを見る限り、撮影の手ごたえはイマイチだったのかな。蘇我さんに声をかける。

「どうだった?何か手掛かりは落ちていたかな?」

「……いえ、残念ながら。てっきりプレートが落ちているかと思ったんですけど、ごみしか落ちてませんでした。もっと掃除した方がいいですよ」

成果が得られなかった八つ当たりをされたような気もするけれど、保健室という場にあって衛生に気を付けろ、というのは当然の指摘だ。今度ちゃんと掃除しよう。

「というか今の放送はなんだったんでしょう、あんまり聞かないタイプの放送でしたね」

「まあ、蘇我さんの名前はなかったし、気にすることもないんじゃないかな?蘇我さんと同じクラスの子は呼ばれていたみたいだけど。友達だったりする?」

蘇我さんは少し考えた後。

「うーん、というか棚の裏の捜索に夢中で、あんまり放送を聞いてなかったんですよね。先生は覚えてます?」

「いや、あんまりかな。全部で八人が呼び出されていた、ってことくらいしか」

私の言葉を聞いた蘇我さんはまたしばらく考え込んだと思ったけれど、すぐに元のハイテンションな声色に戻って、言った。

「まあとりあえず、そっちは良いです、今は消えたプレートの行方が最優先ですから。棚の裏にないということは、やはり誰かが持っていったんでしょう。これで事故の線は完全に消えましたね」

今にも虫眼鏡片手に保健室を飛び出していきそうな勢いだ、止めるならそろそろかな。

「あの、蘇我さん。私、一つ思い当たる節があるんだけど……」

「本当ですか!やっぱり流石先生です!ぜひ聞かせてください!先生の考えを!」

ああ、これだ。この眼差しだ。この期待の眼差しを向けられてしまうとどうにも弱い。この前の劇の謎解きはたまたま上手くいったからよかったものの、こんなラッキーが今後もずっと続くとは思えない。自分の考えをこれが正解!と断じてしまう危うさは忘れないよう気を付けないと。

とにかく今はプレートだ。ええと、どこから語っていけばいいかな……

「まず、プレートが誰かの故意によってなくなったことは確かだと思う。そこは蘇我さんと同じ考えだね」

「そうでしょうそうでしょう、やはりこれは盗難事件ということですね!」

「まあまあ落ち着いて。私がそう思ったきっかけは、画鋲なんだ。もし誰かがプレートにうっかりぶつかってしまって、偶然プレートが扉からはずれたのなら、画鋲が扉に残っているはずがないんだよ。プレートが扉から外れたのならひもを突き刺していた画鋲も扉から外れていないとおかしいでしょ?画鋲はプレートのひもを刺していた時と何ら変わらないまま、プレートだけが消えているということは、誰かが画鋲を外して、プレートを扉から外して、画鋲を元の穴に戻したんだと思う。だからこの紛失に誰かの意図が絡んでいるのは間違いない。それが悪意かどうかは置いておいてね」

私の言葉に、すぐに蘇我さんが答えた。

「でも、わざわざプレートが誰かの手によって外されて、今もその所在がわからないんですから、それは悪意によるものと考えた方が自然じゃないですか?」

「確かに、今のところプレートの行方はわからない。でも心当たりはある。プレートを持って行った人がなぜプレートを持って行ったのかを考えれば、その正体を探ることができるんだ」

プラスチック製でそこまで大きくはないただのプレート、表に外出中云々と書かれているだけで裏にはなにもない、本当になんでもないただの板の、なにを目当てに犯人はプレートを持って行ったのか。色々考えたけれど納得のいく答えは出せなかった、つまり、考え方が最初から違ったんだ。

「プレートを持って行っちゃった人が欲しかったのはプレートじゃなくて、それを提げていたひもの方。なにかひものようなものが欲しかったところに、ちょうど外出中のプレートを提げているひもが目に入ったから、プレートと一緒にひもを持って行ったんだと思う」

「ひも?ひもですか。ひもなんて何に使うんです?そもそもひもくらいわざわざそんなことしなくても手に入りそうなもんですけど」

今の一瞬で蘇我さんは何回ひもと言っただろうか。しょうもないことはさておき、もう少し話していけば蘇我さんにも真相がわかりそうな気がするけれど。どうだろうか。私は言葉を続ける。

「それは、犯人……もう便宜上プレートを持って行っちゃった人を犯人と呼ぶけど。犯人の正体がわかればすぐにわかると思う。プレートがなくなってしばらく経つだろうから、もうそろそろだと思うんだけど……」

と、ちょうどその時。ノックが二つ、扉が開いて背の高い男子が保健室に入って来た。着ている服から見て、先ほど私が声をかけたバレー部の子だろう。まるで私たちのやり取りを見ていたかのような、完璧なタイミングだ。

「ちわー。すいません、借りてたやつ返しに来ました。ありがとうございました!」

「あ!そ、それ!」

蘇我さんが驚いているのは、バレー部の彼が手に持つ、外出中のプレートが目に入ったからだろう。もちろんひももちゃんとついている。犯人、というよりプレートを持って行ったのはバレー部の子。私の考えは間違っていなかった。

「それじゃ、失礼しましたー!」

「はい、わざわざ返しに来てくれてありがとうね、あと……」

保健室ではお静かに、という間もなく、バレー部の彼はあっという間に行ってしまった。相変わらず何が何だか分からないと言いたげな表情の蘇我さんが、尋ねてくる。

「ど、どういうことですか?ここに来るときにバレー部が作業しているのはちらっと見かけましたけど、なんでバレー部がプレートを持って行ったんです?ひもは?ひもは何に使ったんですか?」

バレー部の子が帰って室内が静かになったと思ったら、次は蘇我さんの質問の嵐が保健室内に吹き荒れる。

蘇我さんを落ち着かせるためにも、私は少しゆっくり喋ってみようか。

「これは、蘇我さんが知らない情報だからしょうがないんだけどね。彼らはあそこで、文化祭の出し物に使う看板を作っていたんだ。私も設計図を見せてもらったけど、看板には大きいバレーボールがあしらわれていた。バレーボールの丸を切り出すために、彼らにはひもが必要だった……」

と、そこまで聞いた蘇我さんが私の言葉を遮った。蘇我さんがこれまででも最大の音量で言い放つ。

「コンパスですね!!!バレーボールの真円を切り出すための下書きにひもが必要だったんだ!!!」

話が早くて助かる。けれど流石に声が大きすぎる。一応村尾さんがベッドで寝ているのだ。音量には気を付けてもらわないといけない。というかもはや、外のバレー部の子たちにすら聞こえていたんじゃないかな。

「保健室ではお静かにね蘇我さん。でもその考えは正解だと思う。バレー部の子たちの作業スペースはさっき見たけど、穴をあけるためのキリと下書きのためのペンはしっかり用意されてたから、後はひもさえあればコンパスとしての役割は果たせるだろうね」

こればっかりは情報を得ていた私と違って、蘇我さんが思い当たらないのもしょうがないことだ。ただ、いくつか手掛かりを示せば蘇我さんは自力でコンパスまで考えを至らせることができていたから、やっぱりこの子は鋭い子だ。ちょっとテンション昂ぶりすぎてしまうところはあるけれど。

「でも、さっきあの人は借りてたやつ、って言ってました。先生は何か聞いていたんですか?」

「いやいや、聞いていたらプレートの不在に疑問は感じないからね。もちろんなにも聞いていなかったよ」

「じゃああの言葉はなんだったんです?」

「そうだね、少し話は変わるけど、蘇我さんはの身長はどれくらいかな?」

「はぁ?なぜ今私の身長の話になるんです?まあ今のところは百五十三くらいですよ、これから伸びますけどね」

この言いぐさだと、身長には少しコンプレックスがあったのかもしれない。不躾な質問をしてしまったのかな。

「大丈夫だよ、高校生で急に身長が伸びる人もたくさんいるから。それで、さっきプレートを返しに来てくれた彼はかなり身長が高かったね。百八十は超えてるかな?」

「そうですね、まあバレー部ならそれくらいが普通なんでしょう」

「そう、彼らの目線と蘇我さんの目線には大分差があるよね。だから彼らのうちの誰かがプレートを持っていくときに、彼らが彼らの目線の高さに付箋かなにかを貼っていても、蘇我さんが気づくのは難しいんじゃないかな」

「なるほど、その付箋にプレート借りますね的なことが書かれていたのなら、彼の言葉の説明もつくわけですね。でもさっき扉を確認しに行きましたけど、付箋の類は見つけられませんでしたよ?」

確かにそれはそうだ。いくら蘇我さんとバレー部の子の身長に差があったとしても、現場検証のためじっくり扉を観察した蘇我さんが、付箋に気づけないとは思えない。そんな蘇我さんの疑問への答えも私は持っている。

「確かに、私が確認したときも何も見つけられなかった。そこで、さっきの動画だよ。さっきの動画に付箋のようなものが写っていなかったかな?」

私の言葉を聞いて、蘇我さんは慌ててスマホを取り出す。再生された動画は最初こそガタガタと雑音が多かったものの、映像自体は綺麗に撮れている。しかし。

「本当に汚いね。ちゃんと掃除しないとなぁ」

「あ!これ、この黄色いの付箋じゃないですか?」

『キンコンカンコーン  えー、今から名前を呼びあげる生徒は……』

動画は放送のパートに突入し、そして確かに付箋のようなものが写っているのが確認できる。

先ほどの放送の音声がしっかり録音されていることもわかったけれど、その音声を最後まで振り返ることはなかった。

蘇我さんはスマホを閉じて棚の方へ歩いていき、棚の裏に手を突っ込んだ。すぐに棚の裏から出てきた蘇我さんの手には黄色いクシャクシャに丸まった紙が握られていて。

「少しの間プレートとひもをお借りします。 バレー部……正解みたいですね」

「当たってたみたいだね。よかったー」

とりあえずは一安心だ。保健室の扉は薄黄色、付箋も黄色いみたいだし、蘇我さんが付箋の存在に気づけなかったのは目線の違いだけが原因ではなかったのかな。

「やっぱり先生はすごいです!情報を得ていたとはいえ、付箋にまで考えが至るのはすごすぎます!どんな脳みそのつくりをしてるんですか!」

そしてまた、このお褒めの言葉の嵐だ。何度経験してみても、この賛辞の嵐にはやっぱり慣れない。

褒めてくれているのだから謙遜しすぎるのも申し訳ないけれど、自分がそこまで褒められるほどのことをしたとも思えないから困る。ありがとうと軽く返したけれど、蘇我さんのお褒めはその後もしばらく続いた。


「はあ、褒め疲れました」

「あ、ありがとう。大変そうだったね」

「はい、大変でした。でもそれくらい先生は凄いです。それじゃあ!」

また目を輝かせ始めた蘇我さん。なんだかまた、嫌な予感がする。

蘇我さんはポケットからスマホを取り出し、写真アプリから先ほどのビデオを流し始めた。もうプレートの一件は解決したのに、またビデオを見るのかな?汚い棚の裏の映像がしばらく流れ、そしてまたあの音声が流れてきた。

『キンコンカンコーン  えー、今から名前を呼びあげる生徒は……』

「映像の方は解決しましたね!それじゃあ次は音声の方です!あの放送はなんだったんでしょうか!何の意図があって流された放送なんでしょう!あの時呼ばれた生徒にはなにか共通点があるんでしょうか!あるとしたらその共通点は何なんでしょう!」

一難去ってまた一難。ああ、やっぱり、さっきはプレートの方に気を取られてすんなり流してくれたから油断していたけれど、蘇我さんがあの放送に引っ掛かりを覚えないはずがないんだ。

本当に偶々、放送が丸々動画に収められてしまったのは運が良かったのか悪かったのか。

プレートの件は色々情報があったからすぐに考えを浮かべられたけれど、今回の放送に関しては本当に何もわからない。ただ呼ばれた生徒の名前しか情報がない中で、放送の意図を当てろと言われても無茶な話だ。

そんな私を尻目にかけ、蘇我さんは動画の音声から、放送内で呼ばれた生徒の名前を紙に書き出している。漢字がわからないようでとりあえず平仮名を並べているけれど、私に尋ねれば生徒一人一人の名前と個人情報を得られることに、蘇我さんが思い至ってしまわないかが怖い。だって、尋ねられても答えられないから。

名前の漢字表記も大体の情報も私が権限を持つ名簿を見ればすぐにわかるのだけれど、一生徒にそんな個人情報の塊を見せていいはずもないのだ。しかし、

「……あ」

蘇我さんのペンを動かす手が止まった。まずい。

「いやいや、流石にダメか……」

自制してくれたみたい。そうだった、そんな情報を流すわけにはいかないこちらの事情くらい、理解してくれる子だよね。私の安心も束の間、蘇我さんがおもむろに口を開いた。

「……ダメもとで一応聞いてみるんですけど、さっき呼ばれた子たちの情報を教えてもらうことってできま……」

「無理だね」

「ですよね」


蘇我さんの疑問に答えるため、私も名簿を見たい気持ちはあるけれど、今ここで名簿を開いて何かの拍子で蘇我さんの目に入ってしまう可能性もなくはない。今名簿に頼るのは危険そうだ。となると、本当に一切情報がないまま、考えを進めなければいけないみたいだ。困ったなあ。

「まあそれは良いです。とにかく、これがさっき名前を呼ばれていた八人です!漢字はわかりませんがクラスは判明してますね」


一年二組 ばば あやめ

一年三組 とちお あゆみ

一年四組 玉城美里(たまき みさと)

二年四組 ながの まりこ

二年六組 なしき らいむ

二年六組 いき あかり

三年一組 しが つむぎ

三年八組 ならさき みゆ


こうして見ると学年もクラスもバラバラな八人。女子生徒という意外に何か共通点があるようには思えないけれど。

「蘇我さんはこの中に知っている人はいる?玉城さんは同じクラスだし知ってるのかな」

「はい、でもそれ以外の七人は全く知りません。玉城さんは、そんなに喋ったことがないんでそんなに詳しくないですね。名前の漢字もラインで見て書いただけですし。でも……」

突然言い淀む蘇我さん、少し追求しすぎただろうか。

「玉城さんはあんまり学校に来てないんですよ。いわゆる不登校ってやつですね」

言い淀んでいたのはそれが理由だったか、不登校自体は喜ばしいことではないのだけれど、重要な手掛かりの一つにはなってしまう。ごめんなさい玉城さん。

「教えてくれてありがとう。玉城さんに関する情報はそれくらいかな」

「そう、ですね。あとはあんまり詳しくは知らないです。ごめんなさい」

「大丈夫大丈夫、こっちこそ色々聞いちゃってごめんね。部活や委員会がわかれば、とは思ったけれど、よく考えたら共通点が部活や委員会ならその名前を出せば済む話なんだよね」

「な、なるほど。流石先生、先読みが凄いですね」

しかし、あまり学校に来ていない生徒であることくらい学校側も把握しているはずだけれど、それでも放送で呼び出そうとしていたのはなんでなんだろう。

もし仮に、呼び出されていた子が全員不登校ぎみな生徒だったらどうだろうか。その場合この放送にはどんな意味が生まれる?

なにかの合図をするための放送で、メッセージを伝える必要のない人間に怪しまれないよう、学校に来ていない子たちだけを呼び出した、とか。そんな合図があるのなら教員に共有されていそうなものだけれど、生憎私はそんな合図があるのを全く知らない。知っているもので言えば、不審者が校内に侵入してきたときの合図くらいだ。この考えはあまり現実的ではなさそう。

つい黙り込んでしまった私を心配してか、蘇我さんが口を開く。

「でもみんな女子生徒っぽい、っていうのは大きいですね。これだけが唯一の手がかりです」

「うん、名前だけで判断するのか危険かもしれないけど、みんな女子だと考えても問題はないと思う。確かにこれは無視できないね」

「でも、女子だからなんなんでしょうか。体育の授業は男女で別れるから、そこでなにかあった?今は文化祭準備期間だから授業はないはず……女子更衣室でなにかあった?それならクラスも学年もバラバラの生徒だけを呼びつける意味が分かりません」

「女子、女子かぁ、共通点が性別だけなら、彼女たち八人だけが呼び出された意味がやっぱり分からないから、他にも絶対になにか共通点があるはずなんだよね。それがなんなのか……」


二人とも思考が止まってしまって、保健室に静寂が訪れたその時。ノックの音と引き戸が開く音がほぼ同時に聞こえてきて、女子生徒が一人、部屋に入ってきた。背は私と同じくらいに見える。リボンと上履きの色から二年生であることもわかるけれど、彼女が保健室を訪ねてきた記憶はない。保健室に来た生徒の顔はできるだけ覚えるようにしているし、なにより彼女の特徴的な日焼け姿はなかなか忘れられるものでもないと思う。

まあ、彼女が高校生活の過程でこの日焼け姿を手に入れていたのなら、私が日焼けする前の彼女を覚えていないだけの可能性もなくはないけれど。

突然開いた扉に蘇我さんはかなり驚いているようだった。そういえば、蘇我さんがいるときに来客があるのはなかなか珍しい気がする。

先に声をかけたのは、私の方だった。

「おはよう、今日はどうしたのかな?」

「ちょっと朝から頭痛いんで、もう帰りたいんすよねー」

「そうなんだ。今も頭は痛い?」

「今は、随分楽にはなってきてるんですけど、波があって。今は痛くないときなんで、今のうちに帰りたいんすよ」

「わかった。それじゃあとりあえず、辛くないうちに名前と学年と今の時間、いつごろから具合が悪いかをそこに書いてくれるかな?あとちょっと体温測るからおでこだして」

蘇我さんが女子生徒に机の上の来室記録を渡してくれて、その姿がまるでアシスタントのようで、少しおかしかった。

体温計がはじき出した数字は36.6℃。熱はなさそうだ。

彼女が埋めてくれた名簿を見る。これは、なんて読むんだろう?よなわ?よなは?沖縄の方の苗字のように見えるけれど。そんな私の困惑が伝わってしまったのか。

「ああ、読めないですよね。よなは、って読むんです。中学まで沖縄で過ごしてたんですよ」

与那覇さんに気を遣わせてしまったみたい。

えーっと、二年六組で……あれ?二年六組って、確かさっき名前を呼ばれていた子がいたクラスじゃない?

って、今はダメ。与那覇さんに集中しないと。朝から頭が痛く早退希望、体温はそこまで高くない、か。

今は文化祭準備期間ということもあって、早退希望の生徒と言うのは普段よりも珍しい。だから、というわけでもないけれど、彼女が仮病を装っているようにも見えないし、まあ早退の許可は出してもよさそうかな。

「先生?帰ってもいいすか?」

「あ、ああ。ごめんごめん。うん、今のうちに帰っておとなしくしていたほうがよさそうだね。それじゃあ、ちょっと面倒くさいけど、この紙に担任の先生のサインをもらってから帰ってね。あと、帰ったら学校に電話してね。荷物とかはどうする?私が教室に取りに行こうか?」

「ああ、それなら。 ハイ、今あか里に頼んだんで、持ってきてくれるらしいです」

スマホをチャチャッと触っていたけれど、今の一瞬で早退の許可が出たから荷物を保健室に持ってくるようメッセージを送ったんだろうか。そうなのだとしたら早業過ぎる。

そして、あかり。与那覇さんはそう言った。特段珍しい名前ではないにせよ、荷物を取ってきてもらうよう頼むということは与那覇さんと同じクラスの生徒である可能性が高い。二年六組のあかりさん。もしかしたら、もしかするのかも。


しばらくして、コンコンと優しいノックが鳴った。

「すみませーん。二年六組の壱岐ですー。与那覇さんの荷物を届に来ましたー?」

保健室を訪れる子にも2種類いて、職員室のそれと同じように、扉を開ける前に用件を伝える、今扉の向こうにいる彼女のようなタイプ。

そしてすぐに扉を開けてしまう、与那覇さんのようなタイプ。

扉の向こうにいる彼女、壱岐さんと名乗った彼女が前者のタイプで良かったと、心から思う。そうでなければ、彼女の苗字を知ることはできなかったのだから。

あかり、という名前は多くても、壱岐という苗字は決してありふれたものではないはず。ご丁寧に学年とクラス名まで名乗ってくれて、これは千載一遇のチャンス。

扉を開けると、そこにはトートバッグを脇に抱えた女子生徒の姿があった。

「ありがとう、壱岐、あかりさんかな?」

「あれ、なんで先生が私の名前を知ってるんでしょう。苗字しか名乗っていないはずですが」

私の背後から声がした。

「さっきウチがあか里に荷物を持ってきてもらうって言ったんだよ。とりあえずありがとね、ウチもう帰るわ」

「大丈夫?私の風邪がうつってしまったんじゃ……」

「そんなわけないって。まず熱は出てないんだから。帰って寝たら治るっしょ」

「こんなことなら今日も休めばよかった……ごめんなさい」

壱岐さんは与那覇さんに頭を下げる。

「大丈夫だって!そんなに言ってくれるなら、今日学校終わった後、お見舞い来てよ!」

「もちろん行くよ。昨日は動けないくらい弱っていた私のところに、あなたが来てくれたんだから。そのお礼もさせて欲しかったんだ」

「ありがとね……って、ヤバ。ちょっとまた頭痛くなりそう……それじゃあ、職員室寄ってから帰るわ。先生も、さよならー」

「はい、さようなら。お大事にね」

与那覇さんは帰っていき、壱岐さんもそれに付き添うように保健室を出ていった。保健室内には私と蘇我さんだけになって、二人で顔を見合わせる。

「先生、聞きました?」

「聞いたよ」

「私たち、とんでもないラッキーガールズなのかもしれませんね」

蘇我さんは私もガールにカウントしてくれるんだ。

「そうだね、彼女、壱岐あか里さんだったね」

「はい、二年六組で学年もクラスも一致します。漢字はわかりませんでしたが」

「うん。それに、あんまり質問をする感じではなかったね……」

あの二人の間には入っていけないような、そんな独特な雰囲気があの二人にはあった。そんな気がする。

「そう、ですね。わかったことと言えばなんでしょう。あの二人が仲良さそう、ということくらいでしょうか」

「あとはまあ、昨日風邪で休んでいたっぽいことくらいかな。外見はどうだった?なにか玉城さんと共通点とか、気づいたことはない?」

「うーん。特にない、ですかね。強いて言うなら見た目が真面目そうなことくらいですけど、まあそんな生徒は他にもいくらでもいますからね」

まあそうだよね。

仮にあの八人になんらかの共通点があったとして、それがこの学校であの八人だけに共通しているものなのか、それとも特定の属性の中から抽出された八人なのか。それがわかればもう少し迫れそうな気もするんだけれど。なんにしても、今は少しでも情報が欲しい。もう少し情報があればいいんだけれど。

「しかし与那覇さん、って言うんですか。こっちじゃ珍しいですね」

「確かに、私も初めて聞いたよ。そうだ蘇我さん、一応保健室に来ているから、来室記録だけ埋めてほしいんだ」

そんな蘇我さんの言葉から、丁度話が名簿に繋げられそうだったので、私は蘇我さんにお願いした。つい忘れてしまいがちになるけれど、ここは保健室であって探偵事務所ではないんだ。形式だけでもしっかりしておかないと。

「はいはーい。おお、これでよなは、って読むんですね。かっこいいなぁ」

名簿を埋める蘇我さんを横目に、与那覇さんの早退の手続きを済ませる。

と、その時。

「あれ?」

「どうかした?蘇我さん」

「先生、これ見てください」

蘇我さんが指しているのは来室記録の名簿。蘇我さんの名前の上には与那覇さんの名前が書かれていて、その二つ上の名前のところを蘇我さんは示している。

一年二組 馬場彩愛。読みは、ばばあやめさん、かな?来室日は昨日で、言われてみて思い出した。確か背が高くてすらっとしていた子だ。そしてその名前には聞き覚えがある、そうだ、確か彼女も。

「この方も、放送で名前を呼ばれてましたよね。うわ、すごい熱」

「あんまり生徒に名簿を見せちゃうのはよくないんだけど……でもこれはしょうがないか。それにしてもさっきから偶然が続くね」

「そうなんですか、なんか見ちゃってごめんなさい。でもこの方、早退してるんですね」

そう、2時間目の途中に来た彼女の体温は高く、私も早退の判断を下すのに一切迷わなかった。名簿には名前やクラス、来室時間の他にも体温、症状、処置など書かれている情報は多い。蘇我さんに見られてしまったのは私のミスだ。


でも、立て続けに放送で名前を呼ばれた生徒の情報が得られたのは偶然でも、偶然で済ませてはいけないこともある。

不登校、欠席、早退。ここまで三人、全員が昨日、学校に来ていないんだ。昨日、何かがあった。何かがあってあの放送が流された。昨日はなにがあった?文化祭準備期間の初日を迎えた木曜日、天気は曇り。

そこまで考えて、先ほど聞いた話を思い出す。


そうだ、さっき聞いたあれが絡んでくるのなら。



####################


「玉城さんは不登校気味、壱岐さんは昨日学校を休んでいた、馬場さんは昨日の午前中早退していた。三人の共通点は、昨日の午後に学校を休んでいたこと、だと思う」

「それは私もちょっと考えました、でもそこから先に全然進めないんですよね。昨日の午後になにかがあったわけでもないですし」

蘇我さんもそこには気づいていたみたい。でもそこから進めないのもしょうがないことだと思う。だってこの情報を私が得たのは、蘇我さんの居ないところだったから。

「昨日の午後に起こったことだけどね、今朝職員会議で聞いた限りでは、地域の人から学校に、苦情の電話が入ったらしいんだ。蘇我さんも朝のHRとかで聞いてないかな?」

「あー、確かにそんなことを言っていたような気もしますね」

「私も電話の細かな内容まで知ってるわけではないけど、それがこんな感じだったらどうかな?『さっきお宅の学校の制服を着た女子生徒が、うちの前で騒いでたんだよ!どうなってるんだあんたのとこの教育は!』みたいな」

「なるほど、苦情が入ったのが授業中の時間だったら、その時間学校にいなかった女子生徒に事情を聞くため、放送で呼び出すでしょうね」

女子生徒と言うのも、苦情が入ったのが授業の時間であることも私たちの仮定でしかないけれど、それなら先ほどの放送の説明として矛盾のない説明がつく。彼女たちの共通点が昨日学校にいないこと、というのはおそらく間違いないから、多分この結論で間違いはない、はず。

「それがあの放送の真意、だったんじゃないかなーと私は思うんだけど。どうかな?」

蘇我さんはしばらく考えて。

「じゃあなんで昨日苦情が入ってから今日放送を流すまでにラグがあったんでしょうか。すぐに対応した方が学校側も得だと思いますけど」

そう言った。その質問には私も一瞬戸惑ってしまったけれど、よくよく考えていれば不思議なことは一つもない。

「それはまあ。昨日学校にいなかった人向けの放送だから、昨日に放送を流しても誰も来ないだろうね」

「ああ、そりゃあそうですね」


流石に日に二度褒めまくる体力は蘇我さんにもなかったようで、しかし納得のいく答えが得られた蘇我さんは、満足げな様子で帰っていった。

しかし今回ばかりは運に助けられたな。偶然蘇我さんが玉城さんと同じクラスで、偶然壱岐さんが荷物を届けに来てくれて、偶然馬場さんの名前を見つけられたから、蘇我さんに納得してもらうことができた。今回は何とかやり過ごせたとしても、やっぱりこんなのを続けていたら、いつか近いうちに無理が生じてしまうだろう。


そういえば、肝心の放送の成果はあったんだろうか。

昨日学校に来ていなかった生徒が対象なら、壱岐さんのように昨日だけ休んでいた生徒であれば、あの放送を耳にしたのかもしれないけれど。玉城さんのように不登校気味な子も、あの八人の中にきっといたことだろう。

その子たちが放送を耳にしたとは考えづらいし、あの放送で何か成果が得られるとはあまり思えないけれど。

まあでも、学校側は地域からの声に形だけでも対応しようとしているだけで、本当に苦情の犯人を見つける気はないのかもしれない。

蘇我さんはてっきり、苦情の犯人の正体も知りたがるんじゃないかと思ったけれど、そこまでには踏み込まれなかったので助かった。流石に一日で三つも考えなければいけないのは、私には無理だ。



ふと気になったのでパソコンを立ち上げる。昨日の生徒の登校状況のデータを開いてみると、遅刻九人、欠席七人、早退一人。

欠席者早退者合わせて八人。数は合っている。

このデータベースでは、それぞれの生徒の名前と出席状況を照らし合わせることもできてしまう。個人的な事情で覗いてしまっていいのかは少し迷ったけれど、どうしても答え合わせがしてみたい気持ちを抑えられなかった。

データを開く。欠席者、早退者の名前を、蘇我さんが紙にひらがなで書き連ねた生徒名と照らし合わせ、八人すべての生徒の名前を漢字に変換して、蘇我さんの文字の横にそれぞれ並べてみる。


一年二組 ばば あやめ 馬場彩愛

一年三組 とちお あゆみ 栃尾歩実

一年四組 玉城美里(たまき みさと)

二年四組 ながの まりこ 永野茉莉子

二年六組 なしき らいむ 梨木来夢

二年六組 いき あかり 壱岐あか里

三年一組 しが つむぎ 志賀紬

三年七組 ならさき みゆ 楢崎実憂


正解、かな?

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