保健室で謎解きを
太田
劇の謎
文化祭を二週間後に控えた九月十六日。
夏休みの浮かれた空気がそのまま文化祭に流れていくような、どこかふわふわした様子が学園中に蔓延っている。教師の立場からこんなことを思ってはいけないのかもしれないけれど、私は結構この雰囲気が好き。
浮かれて授業に身が入らない生徒たち。こういう時期には得てして私のもとを訪ねてくる子が多い。私のもと、というよりも私のいる部屋、と言った方が正しいか。今日も朝から保健室には来客があって。
「違うんだって先生、授業をさぼりたいとかじゃなくって、本当にお腹が痛いんだよ」
お腹をさすりながらそう言っているのは二年五組の
「それなら、今日はもう早退する?」
「いやぁ……早退するほど痛くもなくってぇ……静かに寝てれば放課後には治る気がするぅ、というか……」
この有様。はいそうですかとベッドを貸すわけにもいかないので、少し尋ねてみることにする。確か……
「そういえば渡邉くんはバレー部だったっけ?」
「え?ま、まぁそうですけど……」
「今日は……えーっと金曜日だから、バレー部は体育館で練習がある日だよね」
「あー、そうだったかなぁ……そんな気もするかなぁ……」
先ほどまでの勢いを失い、虚空を見つめしどろもどろになる渡邉くん。
このまま追及を続けることは彼を疑う形になってしまうけれど、保健室のベッドには限りがある。これまでの経験から生徒の言っていることをどこまで信じるか、見極めないといけないのがこの仕事の大変なところだ。私は言葉を続ける。
「貴重な体育館での練習には参加したいよね。でもお腹が痛かったら部活には出させられないよ」
「だから!今しっかり寝て!放課後までに治すんですよ!」
「うわっ、あんまり大きな声出すとお腹に響くよ?」
「あーいててて、お腹に響いた……これは辛い……」
わざとらしく再びお腹をさする渡邉君、今までその演技はすっかり忘れていたように見えたけれど。
文化祭を前にして気分が高まってしまい、こうやって授業をサボろうとする子は少なくない。困ったのは本当にお腹が痛くて苦しんでいる可能性を否定できないことだ。
この仕事をやる上で一番大切なことは、物事を決めつけすぎないことだ。どれだけ仮病に見える生徒でも、この子は噓をついていると決めつけてはいけない。それが重大な病気や事故に繋がってしまう可能性を否定はしきれないから、生徒の言うことはできるだけ信じてあげなければいけない。私は特に決めつけがちな所があるから、日頃から物事を決めつけすぎないよう気を付けなければいけない。
とりあえず説得はしてみるけれど、話を聞いてくれるといいな。
「渡邉くん、本当に辛いなら早退しよう。もちろんここで休んでいってもいいけど……」
「マジで!?ありがとう先生!じゃあ遠慮なくー」
「ちょっと待って。もうすぐ文化祭で、今日含めてあと四日乗り切れば文化祭準備期間に入るでしょ?少しだけ頑張れそうだったら頑張ってみない?」
「……うーん、四日、四日なぁ。でも……痛たたた、やっぱダメそうです」
ダメだったか。幸いベッドはまだ二つ空きがあるし、彼も少し休めば気分が良くなるだろう。寝ているだけというのは意外と暇なものだし。
「どうしても無理そうならしょうがない、そこのベッドに寝ていようか」
「はい!ありがとうございまーーす!」
景気の良い返事とともに、三つあるうちの真ん中のベッドに向かう渡邉くん。その元気があれば大丈夫な気もするけれど。
あ、そういえば。
「ちょうど今日はバレー部の原田先生がここに来てくれるから、辛さが治まらなくて部活を休むときは連絡できるね」
「え?原田先生来るんですか?何しに?」
私は左手側にあるカーテンの閉まったベッドの方を指さし、
「そこ、その子の担任が原田先生だから」
「あーー……あ!お腹治ったかもしれない!お騒がせしました!それじゃ!」
そう言い残し、腹痛なんて嘘みたいなスピードで、渡邉くんは保健室を飛び出していった。
バン!!と扉が強く閉められて、大きな音が室内に響き渡る。
「扉は静かに閉めて!……って、もう聞こえてないか」
まだ一時間目の授業は始まっていない時間。授業が始まるまでに彼を教室に返すことができたのは良かったけれど、これでは私が原田先生の名前を出して脅した形になってしまった。
まあ運動部の子が部活動の顧問の先生を一番恐れているなんてのはよくある話だ、原田先生が保健室を訪ねてくるのは嘘ではないし、私は事実を伝えただけ、うん、そう思おう。
反動で少し開いてしまったドアを閉め、ベッドがある方へ歩み寄る。
「ごめんね村尾さん。うるさくしちゃって」
カーテンが閉まったところに声をかけるけれど、返事はない。
村尾さんは不登校の女の子。とある事情からクラスに顔を出すことができず、毎朝保健室に来ては、私に顔も見せずに一番左端のベッドに入っていく。
ベッドに潜り込んでカーテンも閉めきってしまうので、実は私は彼女の顔をはっきりと見たことがない。養護教諭としてこの状態を放っておいてはいけないのだけれど、学校に来られているだけ彼女は偉い。学校にも来られていない子がこの学校には少なくない数いるのだ。
チャイムが鳴って一時間目の授業の始まりを知らせる。
今日も一日が始まる。
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本日五回目のチャイムが鳴った。三時間目が始まった合図だ。
今日は渡邉君以外の来訪者は三人だけ、体育の時間に擦り傷を負った一年生の女の子と、風邪気味で早退した三年生の男の子、そして保健室の設備点検をしに来た業者のおじさん。つい先月にも設備点検はあったはずだけれど、そんなにこの学校にはガタがきているんだろうか。
彼らの相手はすでに終えていて、今は事務作業の時間。保健室前に飾るポスターのデザインを軽く下書きし、大まかなレイアウトを決める。メッセージは、『寒暖差に気を付けよう』で行こう。季節は秋、これからどんどん冷え込んでいく。イラストには少し覚えがあるし、割と私の絵を気に入ってくれる子もいて、ポスター作りは結構好きな作業の一つなのだ。
五度目のチャイムの余韻も消えしばらく経ったその時、コンコン、とノックの音が聞こえて、扉が開けられる。
「どうぞー」
「……ちわー」
スカートを履いていて胸元には制服の赤いリボン、女の子だろうか。履いている上履きのサイドには赤色のラインが走っていて、これは彼女が一年生であることを教えてくれる。うちの高校は学年別で上履きの色が分けられていて、一年生は赤、二年生は緑、三年生は黄色となっている。ちなみに女子生徒の制服は、胸元のリボンも上履きと同じ色に揃えられている。……って、この子、リボンが少し左に曲がってるな。
背はそこまで高くない、というか女子の中でもかなり小さい方なんじゃないかな。私もそこまで背の高い方ではないけれど、そんな私よりも一回りくらい小さい。あまりこちらに目線を向けてくれないのは緊張させてしまっているのか、本当に具合が悪くて余裕がないのか、どちらかというと前者なのかな?
私と向かい合うようキャスター付きのイスを勧めてみる。私の言葉に従って、椅子には腰を下ろしてくれたけれど、でもやっぱり目は合わせてくれないみたい。
彼女は保健室真ん中に陣取る大きな机にもたれかかって、浮かない顔をしているように見える。やはり気分があまり優れないのだろうか。
「今日はどうしたの?」
「あー、ちょっと、具合が悪いなーと思いまして……」
「そっか、じゃあとりあえず名前と学年と今の時間、あといつごろから具合が悪いかそこに書いてね。あ、ちょっと体温測るからおでこだして」
「ん」
作業机の右手側一番上の引き出しから体温計をり出し、明るめの黒髪をかき分けあらわになった彼女のおでこにそれを向ける。
体温は36.7℃、少し高めな気もするけれど、平均体温は人それぞれだからこれだけで判断を下すことはできない。
たくし上げた前髪を軽く整えつつ、来室記録の名簿を埋める彼女に尋ねる。
「えーっと、
「うん、合ってます。私は蘇我さくら」
「蘇我さくらさん、ね。蘇我さんは平均体温はいつもどれくらいいかな?」
「うーん、少し高めかもです、36.7℃くらい」
「そっか、ごめんね書いてくれてるのに邪魔しちゃって。教えてくれてありがとう。続けて続けて」
「ん」
蘇我さんは再び名簿に目をやる。
蘇我さくらさん、蘇我、そ、さしすせ……いた。一年四組、蘇我さくらさん。恐らくだけど彼女が保健室に来たのは初めてのはず。だって私が彼女の顔を見たことがないから。まあ一年生のようだし、保健室なんて縁がない生徒は一度も顔を出さないで卒業することだって当たり前にある。
仮病、ではなさそうな気がするけれど熱があるようにも見えないんだよね。さあどうしよう。
「どうする?とりあえず休んでいく?それとも本当に辛いなら今日は早退する?」
「休んでいきます!ここにいれば大丈夫だから」
「……そう?じゃあそこのベッドが空いてるから、使ってね」
一瞬だけ蘇我さんが元気に見えたけれど、すぐに元のローテンションに戻ってしまったみたい。なんだか掴み辛い子だけれど、深刻なほど具合が悪い様子もないし、静かに寝ていれば大丈夫そうかな。
蘇我さんにベッドを勧めてから少し間が開く。しかし蘇我さんは一向に立ち上がろうとしない。もしかすると、まだなにか言いたいことがあるのかもしれないと思い、彼女の言葉を待つ。
蘇我さんがこちらに呼びかける。
「先生」
「どうしたの?」
「先生は恋人いますか」
「は?」
あまりに突然のことすぎて、反射的に声が出てしまった。からかわれてるだけ、のようにも見えないからまた困る。私の反応に納得したような表情を浮かべる蘇我さんは、首を軽く縦に振っている。
「いないならいいんです。突然変なこと聞いてごめんなさい」
「……いないとは言っていないよ」
「じゃあいるんですか」
「うん、まあいないけどね」
「いないんですか」
「今はね」
「なるほど」
なるほど?この子は何に納得したんだろう。
「先生、面白いですね」
「面白いと思ってくれるのは嬉しいな、じゃあベッドに寝ていようか」
大人しい子かと思っていたら、とんだ見当違いだった。まあ元気がないよりは全然良い。私の言葉を聞いた蘇我さんは、まだベッドに行く気はないみたいで。
「待ってください。なんで私がこんなことを聞いたのか、気になりませんか?」
最初の印象とはかけ離れてどんどん言葉を続ける蘇我さん。あれ?やっぱりこの子、大分元気じゃない?
「気にならないこともないけど、聞いたら教えてくれるのかな?」
「いや、教えないです」
「それなら無理して聞き出すようなことはしないよ」
「じゃあ、当ててみてください。私がいきなり交際相手の有無を先生に尋ねた理由」
「そんな、急には無理……」
と、言いかけ言葉を止める。
そういえばさっき何か違和感を覚えたような……なんだっけ?
あれは確か……蘇我さんが最初にこの部屋に入って来た時に……。
あ。
「どうしました?」
気づいたのが顔に出てしまったか、蘇我さんが怪しいものを見る目でこちらに目線をやっている。恐らくこの考えで間違いはなさそうだけれど、念のため確認だけしておこうかな。
「当てるにしても、何かヒントが欲しいなぁと思ってね」
「ヒント、ですか。できればノーヒントで当ててほしいですけど……」
「じゃあ一つだけ質問をさせて、蘇我さんは今日の朝、少し急いでいた?」
「……はい、なんでわかるんですか」
やっぱり、私の考えは間違っていないみたい。
「リボンが少し曲がってるよ」
「……このリボン、結ぶのが大変なんですよね」
確かうちの制服のリボンはワンタッチで付けられるタイプのものではなかった。まあそのおかげで彼女が今朝急いでいたんじゃないかと思い至れたので、面倒くささも時には役に立つ。
とにかく。
「お、急いでいたんだね。それならまあ、理由にはなんとなく思い当たる節があるかもしれないよ」
「言ってみてください」
蘇我さんに促され、私は言葉を続ける。
「えーっと、蘇我さんは具合が悪くて保健室に来た、具合が悪いからベッドに寝て休みたい」
「はい」
「ベッドで寝るためには、上履きを脱がないといけない。でも、今日の朝、蘇我さんは急いでいたんだね」
蘇我さんは何も言わず私の言葉を聞いている、私の仮定が間違っていない証だろうか。
「上履きを脱ごうと思って蘇我さんは気づいたんじゃない?履いている靴下が左右で異なっていることに。私もよくやっちゃうミスだから、すぐに思い至れたよ。微妙な違いでも誰かに指摘されるとすごく恥ずかしいよね。だから唐突な質問で私の気をそらして、ベッドに行くタイミングを伺っていた、どうかな?」
そう、先ほど彼女の上履きに目をやったときに彼女の靴下の違いには気づいた。色は似通っていたから気づくのには少し時間がかかったけれど。
「……ほとんど正解です」
蘇我さんは上履きを脱ぎ足をプラプラしてこちらに見せてくれた。やっぱり、灰色という点では似ているけれど、よく見ると右足の靴下の方が色が薄い。
「先生は凄いです。なんでわかったんですか」
「生徒の観察が保健室の先生の仕事ですからね。生徒のことはよく見るようにしてるから、蘇我さんの靴下の違いに気づけたのかも」
軽く謙遜をするが、そんなことでは蘇我さんの賛辞は止まらないみたいで。
「それでも凄いです。まるで名探偵みたい」
「そんなぁ、照れちゃうなぁ」
「よっ、保健室のホームズ!」
「持ち上げ方が雑だね。まあとにかく、靴下のことは私は気にしないから、ベッドに行こうか」
少し話し込んでしまったけれど、たまにはこういうのも悪くない。でも具合が悪いと言っている蘇我さんに長々話してしまったのは反省だな。
蘇我さんはようやく立ち上がり、ベッドに腰かけ上履きを脱ぎ始めた。
これでまた作業に戻れる、机に向き直し下書きの続きに取り掛か……
「先生」
再び私を呼ぶ声がして、
「どうしたの?蘇我さん」
「そんなに凄い先生に聞いてもらいたいお話が一つあるんです……」
もう靴下の問題は片付き、他に違和感は特に感じられない。となると、この言葉が私の気を惹くことを目的としていないことはなんとなくわかるけれど、これ以上具合が悪いと言っている蘇我さんに付き合っていていいんだろうか。私がうやうや悩んでいるうちに、蘇我さんは言葉を続ける。
「もうすぐ文化祭ですよね」
「そうだね、蘇我さんのクラスはなにをやるの?」
「うちは劇ですね。体育館のステージを使うんです、力入ってますよね。準備も夏休みのお盆が終わったあたりから取り組んでるくらい気合が入ってるんですよ」
そういえばこの前、一年四組の先生がそんなことを言っていたような気がする。あの先生は少し適当なところがあるから話半分に聞いてしまったけれど、あんまり人の話を聞く姿勢としては良くないよね。改めないと。
それより今は蘇我さんだ、この話は大分長くなりそうな予感がする。体調が心配だから早くベッドに行ってほしいけれど、向こうから話しかけて来てくれているのはなにか私に伝えたいことがあるから、という可能性も否定はしきれない。とりあえず今は体調もそこまで悪くなさそうに見えるし、話を聞いてあげることに徹しよう。蘇我さんが話しやすいよう、なんてことない質問を投げかける。
「そうなんだね、蘇我さんはなにか役を任されているのかな?」
「いや、私は裏方です。小道具とか作ってるんですよ」
「へ~。どんな小道具を使うの?」
「……そうですね、ナイフとか警察の捜査道具とかですかね」
「……ということは、劇の内容はミステリーなの?」
「そうなんです!ここからがこの話の本題なんですけどね……」
蘇我さんはまた体を一層乗り出し言葉を続ける、あれ?この子、体調が悪いんだよね?
「うちのクラスの劇の内容はミステリーなんです。この学校を舞台に繰り広げられる殺人事件の謎を名探偵が解決する、というお話なんですが、この前クラスのラインにこの劇の台本が送られてきたんです!」
これです、と言って蘇我さんはポケットから取り出したスマホの画面を見せてくれた。その手に握られているのは、手帳型スマホケースに入れられ、こまごました文字をスクリーンに映している、蘇我さんの手には少し大きめに見えるスマホだ。
しかし、最近の子も手帳型のスマホケースを使うんだ。この前友達にスマホカバーが手帳型なのはおばさん、だなんて言われた時から少し心に引っかかるものがあったけれど、なんだか心が軽くなった気がする。
「どうしました?先生」
「いや、なんでもないの。ごめんね?えーっと、台本があるのはわかったけど、これがどうしたの?」
「それがですね、この台本、実は解決パートがないんです!」
「どれどれ……」
本当だ、探偵役が登場人物を全員、体育館に集めた所で台本が終わっている。
「まだ完成しきっていないのかな?」
「いえ、クラスでそういう風に決まったんです。事件の真相は脚本を書く子と登場人物を演じる数人だけの秘密にしよう、と」
「なるほどね、つまり蘇我さんは、この台本に書かれている事件の真相が知りたい、ということで合ってるかな?」
「流石です先生、その通り。保健室のホームズたる先生ならわかるんじゃないかと思いまして!」
その呼び名は確定してしまったんだろうか。そして蘇我さんの願いを聞く限り、私では少し、というかかなり力不足感が否めないけれど。もうすっかり話を進めていく蘇我さんに、一応ブレーキをかけておかないと。
「まあとにかく、期待してくれるのは嬉しいけど、応えられるかはわからないよ?」
「いえ、先生なら絶対に謎を解き明かせます。この事件の真相を私に教えてください!」
ダメだ、蘇我さんの目はキラッキラに輝いている。
でもなぁ、私はあまりミステリーは読んでこなかったし、生徒のことならまだしもお話しのこととなると、謎を解き明かす自信は全くない。蘇我さんの期待に応えられる約束ができない以上、あまり安請け合いはしたくないんだけれど……
「本当に私でいいの?例えば、脚本の子にこっそり聞いてみるとかさ」
「うーん、確かに脚本の子は大人しめな子なので聞いたら教えてくれそうではあるんですけど。でもせっかくクラスで決まったことだし、私だけがズルをするのもなんだか申し訳なくって」
もう、これ以上断ろうとしても、暖簾に腕押しな気がする。気は乗らないけれど、せっかく生徒が頼ってきてくれたんだ。白旗をあげる気持ちで、私は言った。
「……わかったよ、でもあんまり期待はしないでね?」
「考えてくれるんですね!先生なら絶対大丈夫です!ぜひこの謎を解き明かしてください!」
うぅ、期待が重い。教師として生徒からここまで信頼してもらえるのは喜ばしいことのはずなのに、こんな安請け合いをしてしまっていいんだろうか。私の心配をよそに、蘇我さんのテンションは高まる一方のようだ。
「謎が解けちゃっても、劇は見に来てくださいね」
「謎が解けるかはわからないけど、劇は見に行きたいかな。絶対行くよ」
「あーでも、うちのクラスの劇はちょっと倍率が高くなるみたいなんで、頑張ってくださいね」
「そうなんだ、それだけ期待されているってことだね。より楽しみになったよ」
文化祭の劇でミステリーなんて、確かにその文字を見るだけで惹かれてしまう気持ちはわかる。倍率が高いのも納得だ。
「それじゃあこの台本ですけど、どうやって先生に送りましょうか……」
「生徒とは連絡先を交換できないからね。どうしたものか……」
色々考えた結果、やむなく私のメルアドを教えることにした。これくらいならギリギリルールの範囲内だと思う。
「これ、このメルアドに送ってね」
「これですね。先生、わかりやすいメアド使ってますねー、名前とこれは……誕生日ですか?私と近いですね」
「なんか、改めてメルアドをこうしてジロジロ見られると、恥ずかしいものがあるね」
私のメルアドはもう学生のころからずっと使っているものだけれど、さすがにこの年になって名前と誕生日の組み合わせというのもいささか単純すぎるだろうか。アドレスを交換し終えた次の瞬間には新規のメールが送信されていて、台本を受け取ることには成功した。しかし蘇我さんのメルアド、アルファベットがぐちゃぐちゃに並べられているだけとは。彼女の方が私よりリテラシーが高いのかな。
「はい、送れて、ますかね?」
「えー、うん、ちゃんと来てる。意外とサイズ大きいなぁ」
これは超大作の予感がする。私にのしかかる期待はますます大きくなるばかりだ。
というか、引き返すのなら今がラストチャンスなんじゃないだろうか。生徒の言葉に耳を傾けることの大切さはわかっているつもりだけれど、なんでもかんでも言うことを聞くのが正解というわけでもない。仮に今回彼女の期待に応えることができたとして、勢いに流されて安請け合いなんてことを今後も続けていたら、いつか破綻する日が来てしまうだろう。区切りは早いうちにつけた方がいい。
なんて一人でゴニョゴニョ考えているうちに、蘇我さんはどうやら帰り支度を済ませていたようで、
「じゃ、じゃあ、今日は帰りますね。頼みましたよ、先生」
「あっ、体調は大丈夫なの?」
「大丈夫です、色々お騒がせしました、それじゃ」
行っちゃった。お騒がせをしたとは思ってくれていたのか。
入ってきた時の弱々しい姿が嘘のように颯爽と出ていってしまったけれど、まあここで過ごしている間に体調が良くなったんだと思おう。それにしても不思議な子だった。謎解き目的でここにやってきたのか、それともたまたま私が靴下のことを言い当てたから、謎解きのことを尋ねてきたのか。おそらく後者なんだろうな。私があんなふうに推理の真似事を人前でしたのは今日が初めてだ。謎解きで名を馳せていた覚えはない。
とりあえず作成途中だった保健だよりだけ片付けてしまおう。謎解きはそれから。
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とりあえず、一通り目は通せた。
あの日から少し時間が経ってしまって、蘇我さんはあの日以来保健室には顔を出していない。少し仕事が立て込んでしまったせいで読み込むのに時間がかかってしまったけれど、じっくり読めたおかげで、慣れないミステリーでもなんとかついていけた気がする。
今日も保健室は静かで、一番左のベッドだけカーテンが閉められている。村尾さんは今日も来ているみたい。
二時間目の開始を知らせるチャイムが鳴って、もう三十分が経過した頃だろうか、今日はまだ保健室に来客はなく、おかげで朝から脚本に集中することができた。
この脚本、この学校が舞台になっているというからあまり身構えていなかったけれど、その内容は意外と惨いものだった。
時期は盆も開け夏休み後半に入った八月。現場は体育館。亡くなったのはバスケ部の女子生徒で、死体は体育館のステージに横たわるように置かれていた。死体は部活のユニフォームを着ていて、首元にはタオルがかけられ、どうやら練習の最中に亡くなったことがうかがえる。第一発見者は同じ部活の女子生徒数人。時刻は朝八時五十五分、午前の練習にやって来た彼女たちが舞台上で眠る被害者を発見し事件が発覚した。被害者は同日朝八時三十分頃に部活動のグループラインに「m」というメッセージを送信しており、これがダイイングメッセージと扱われるらしい。
このダイイングメッセージから容疑者は三人に絞られた。被害者と同じ部活で第一発見者の一人でもある
港谷はバスケ部の練習で、村田は夏休みの委員会活動で、森は文化祭に向けての準備で、全員がその日被害者と会う約束を交わしていた。
この事件を解決するのが普段は目立たないが謎を前にすると驚異的な推理力を見せる名探偵、
一人一人への事情聴取が行われ、事件現場を荒らさないよう気を付けながらの現場検証が行われ、そしてストーリーは解決シーンへと移っていく。警察に通報をしてから数十分で、小鳥遊は事件の真相にたどり着いたのだ。関係者全員が体育館に集められ、小鳥遊の推理ショーが始まる……
と、言うところで脚本は終わっている。
ダイイングメッセージがデジタルになっていたり、事件現場を体育館に設定することで、解決シーンの舞台をこの劇が披露される体育館に合わせられるようになっていたりと、よく考えられていて面白い脚本だと思う。
しかし面白いとは思うけれど、謎を解くのにはとことん向いていないなぁ。文字での情報しかないのと、探偵役がスピード派すぎるのが主な原因なんだけれど、それにしても得られた情報が少なすぎる。
死因も明かされていないし、動きで見せる劇の脚本と言うこともあって、細かな情報があまり得られないのも辛い。
もっとゆっくり話を進めてくれれば助かるんだけれど、ステージの時間も決まっているだろうし、その意味でもスピード派の探偵は今回の劇と取り合わせがいいんだろう。
それに、そもそも私はこの脚本の作者をどれほど信頼していいのかもわからないのだ。言ってしまえばプロでもなんでもないアマチュアの生徒が書いた脚本なんて、すべての整合性が取れている保証はないし、読者、というより視聴者にフェアであるとも限らない。
今度蘇我さんが来たらその辺を聞いてみよう。まだなんとなくの当てくらいしかないけれど、このままだと蘇我さんの意に沿えるかどうか……
「こんにちは、先生」
と、ちょうど彼女のことを考えていたタイミングでガラッと保健室の扉が開かれて、顔を出しているのは蘇我さんだ。私が脚本を一通り読み終えたところに現れるなんて、タイミングが良いことだ。どこかあの日よりも元気がないように見えるのは気のせいかな。
「こんにちは。久しぶりだね、蘇我さん」
「はい、どうでしょう、謎は解けましたか?」
蘇我さんは単刀直入に切り出してきた。まあそれが今の彼女の一番の関心事だろうし、避けられないことではあるんだけれど、生憎何かを思いついたようなことはない。とりあえず謝ろう。
「ごめんね、まだ全部はわかっていなくて。もう少しだけ時間をもらえないかな?」
「大丈夫です、文化祭までに解いてくれればいいんですから。お話はどうでした?そっちの感想も聞いてみたいんですよね」
「とても面白かったよ。ミステリーはあまり読んでこなかったけれど、そんな私でもスラスラ読めちゃった。あとこの脚本を書いた人は優しいんだろうなぁって思ったよ」
「優しい、ですか。確かに脚本の子は優しそうな子ですけど……それで、些細でもいいので気づいたことはありますか?」
「まあ、まあね。いくつかだけど、違和感はところどころあったかな」
違和感だけあっても謎の全貌が掴めない今、半端な状態で蘇我さんに話すわけにはいかないと思っていたけれど、考えを整理するためにも、ここで話しておくのは悪い選択ではないのかもしれない。
「まず思ったのは……」
「ちょ、ちょっといいですか!」
話を始めようとしたところ、蘇我さんが突然私の言葉を遮った。
「私、実はあの日からまた脚本を読み返して、謎が解けちゃったかもしれないんです!」
「先生に頼んでおいてこんな、ごめんなさい。でもこの考えが合ってるか、先生に聞いてもらいたくて……」
元気がなさそうに見えた理由はそれか。彼女が自分で納得する答えにたどり着いてくれるなら、私としてもありがたい限りだ。今は蘇我さんの考えを聞いてみよう。
「気にしないで、蘇我さんの考え聞きたいな」
「はい!まずですね、この事件、犯人はズバリ、探偵役の小鳥遊正宗です。被害者役を演じるのはうちのクラスで一番背の高い女の子で、実際彼女もバスケ部に所属しているんです。そんな体つきががっしりした子を、同性の女の子が殺せるとは考えにくいんですよね。もちろんそこは劇なんでどうにでもなると思うんですけど、そんな違和感を残すような脚本を書く子ではないと思うんです。脚本の子は凄く読書が好きみたいで、クラスで誰が脚本を書くか、ってなったときに真っ先に彼女の名前が挙がるくらいには信頼が持てる子なんです。
それで、男性ということは被害者と同じ委員会の森もいますね。でも私は小鳥遊の方が怪しいと思うんです。これにはダイイングメッセージが関わってくるんですけど、送られたメッセージは『m』でしたね。ここからイニシャルがMの三人が容疑者として挙がっていましたが、小鳥遊の下の名前は政宗で、イニシャルがMなんです!これが偶然とは思えません。それにメッセージは『m』なんです。小文字のM、つまり小さいM、小鳥遊の小ですよ!『m』というたった一文字に、被害者は複数の意味を持たせていたんです!容疑者の中からではなく探偵役が真犯人という意外な展開もあって、これが真相だったら面白い劇になると思うんです。どうでしょう?」
「なるほどね、小文字のMで小鳥遊政宗か、面白い考えだと思う」
「本当ですか!私もこれで結構頑張って考えたんです、かなり良い線は行ってると思うんですよね」
確かに、この脚本から読み取れる情報からこの推理を否定することはできない。気になることはいくつかあるけれど。
「それじゃあ、小鳥遊はどんな方法で被害者を殺害したんだと思う?」
「それはまあ、スピード探偵ですからね、素早く駆け寄って、ごちんといったんでしょう」
早いのは謎を解き明かすスピードであって物理的なスピードではないと思っていたけれど。推理力と機動力には相関でもあるんだろうか。まあでもその殺し方だと他にも疑問が生まれる。
「そしたら、血が出るはずだよね。脚本に流血の描写はなかったと思うけど」
「じゃ、じゃあ絞殺ですね。首についた縄の痕をごまかすためにタオルを首元に巻いて死体を放置したんでしょう。これなら血も出ません」
「事件現場は体育館だったんだよね?そんなに広いところで絞殺するほど被害者に近づけるかな?探偵役の小鳥遊は地味で目立たない生徒だそうだけれど、被害者と顔見知りだったのかな?」
「そ、れは……顔見知りだった可能性だってあると思います。顔見知りじゃなくても、例えば実際に殺人が行われたのは別の狭い教室で、殺してから死体を体育館に運んできた可能性だってあるでしょう」
「確かに、それなら犯行は可能かもしれない。でも被害者役の子ががっしりとした体つきなら、その子の死体を運ぶのは男性であっても重労働だと思う。ただでさえ運動部で筋肉もついているだろうし、死んだ人間の体は結構重いって聞いたことがあるから。服に被害者の汗や着ているユニフォームの素材が付いてしまう可能性だってあるのに、そこまでして体育館に運ぶ理由が見つからないよ」
「うう……」
縮こまる蘇我さんを見て、私は我に返る。いけない、少し熱くなりすぎてしまった。
「ご、ごめんね!私、つい……」
「いえ、ちゃんと意見をぶつけてくれるのは嬉しいです。変に気を遣われるより何倍もいいですから。でも、そしたら私の推理は間違っていたみたいですね」
「でも蘇我さんの話を聞けて良かったよ、私は脚本や演者の子がどんな子なのかが知りたかったんだ。特に、脚本の子について」
「脚本の子、ですか?」
「そう、私はこのミステリーの作者を、どれくらい信用していいのかわからないの。例えば犯人が超能力を使って殺した、という展開になる可能性だって、作者によっては有り得てしまうでしょ?でもさっきの蘇我さんの口ぶりだと、そんなことはなさそうだけどね」
「そうですね、私もそこまで親しいわけではないんですけど、脚本の子の腕はある程度信用していいと思います」
それが聞けて良かった、この情報ばっかりは推理や想像でどうにかなる問題ではないから。それに、被害者役の子ががっしりした体つきの子だという情報も得られた、これは蘇我さんがいなければたどり着けていなかった情報だ。
「それじゃあ、私の話は終わりです。先生の話に戻りましょう。感じた違和感って言うのはなんだったんでしょうか?」
蘇我さんに促され、私はおもむろに口を開く。
「えっとね、まず思ったのは、ダイイングメッセージのところなんだ」
部活のグループラインに送られてきた「m」の文字、小鳥遊さんは小文字であることに注目したみたいだけれど、私が気になったのはもっと根本のこと。
「ダイイングメッセージが犯人の存在を示すものだと考えると、『m』が送信されたのは被害者が犯人に襲われた後だと思う。でも被害者の子は部活のユニフォームを着て、体育館の舞台に寝かせられていたんだよ。私が詳しくないだけかもしれないけれど、確かバスケットのユニフォームにポケットの類はついていなかったはず。その姿で襲われたとして、咄嗟にメッセージを送れるくらい身近なところにスマホがあったとは思えないの」
「なるほど。言われてみれば確かに不自然ですね。被害者が犯人に襲われてから死ぬまでにラグがあって、その時間で頑張って舞台まで移動してメッセージを送信したんでしょうか」
その可能性は私も考えた、けれど。
「それもある、と思う。でもそこまで頑張れるなら犯人の苗字くらいなら送信できたと思うんだよね。まあそこまで行っちゃうと脚本の子がどう考えるのかにかなりよってくるんだけどね」
また、mとしか送られていないのも気になるところではある。例えば、みなとや、と打ちたくて一文字だけ送信するのなら「み」と送る方が自然だと思うから。スマホの入力なら真っ先に日本語のキーボードが出てくるだろうし。
でも、これは流石に細かすぎるから、脚本の子が意図しているかどうかがかなり微妙なので、口に出すことまではしないけれど。私の言葉を聞いた蘇我さんは、一層首をかしげて言った。
「なんだか疑問が増えちゃいました。困りましたね」
「あともう一つ不思議なのは、どうして探偵役の子が目立たない男子生徒だとここまで強調されているのか、なの。それぞれのキャラクターの描写はそこまで多くなかったけれど、この探偵役の子の地味さに関しての描写は他よりもはるかに多く見られたから。これは手掛かりなんじゃないかと思うんだけど、探偵役の子がどんな子なのか、分かる?」
これもかなり気になっていることだ。他の描写が少ない中で彼だけ異様に目立たなさへの言及がなされている。これを偶然で済ましていいとは思えないけれど。
「探偵役、ですか。確かそこまでクラスの中心!って感じの子ではなかったと思います……そこは脚本の通りです。ごめんなさい、あんまり情報がなくて」
「ううん、キャスティングは割と脚本に従う形で行われているんだね。ありがとう」
クラスの生徒に合わせて脚本が書かれた可能性も、なくはないと思うけれど。すると蘇我さんが恐る恐ると言ったように口を開く。
「あの、先生」
「どうしたの?」
「私、その疑問には答えられる気がします。目立たない描写云々のやつ」
「本当?それじゃあ教えてほしい、どうしてなのかな?」
蘇我さんから出てきた言葉は、私にとっては軽く衝撃だった。
「多分、ウケが良いからです。客への。今流行ってるじゃないですか、クラスでは目立たない俺が本当は凄い力を持っていて……みたいな」
「……そう、なの?それだけが理由?」
これは、それだけで済ましていい違和感だろうか。まだ疑問を拭いきれない私を察してか、蘇我さんは言葉を続ける。
「あれ、知らなかったですか。結構いろんなところで見かけますよ」
「今の若い人にはそういうのがウケてるんだ。全然知らなかったよ」
「まあ、事件の真相に関わることかもしれないですけど、多分無視していいと思いますけどね」
本当にそうだろうか?そもそも本当の実力を隠しているキャラを見て、何が楽しいんだろう。自分の実力が正しく周りに評価されることが、人間の喜びであるという話はよく耳にするけれど、実力を隠す物語の方がウケが良いだなんて。
若い人が考えていることはよくわからない。でも私の仕事はその若い人を相手にする仕事なんだから、分からないで済ませるだけではいけない。いい勉強になった、ジェネレーションギャップに圧倒されているばかりではダメだ。
「わかった、それじゃあ蘇我さんを信じて、そこには目を瞑ることにするよ」
ただ、そこに目を瞑っても、謎が解けるわけではない。情報を無視してもいいということは何も情報が得られなかったと言い換えることだってできてしまう。
やっぱり、もう少し演者の生徒の方から探っていく方が良いのかもしれない。私にできるのは推理小説を読み解くことではなく、生徒の観察とそこから得られた情報の推察だから。
「ごめんね蘇我さん、色々頼んじゃって悪いんだけど、もう少し劇の出演者の子たちについて教えてほしいの」
「出演者、ですか。でも私もそこまで仲がいい訳でもないのであまり答えられることは……」
「名前と簡単な印象くらいでもいいんだ、役に選ばれた経緯とか」
「経緯は詳しく分かりませんが……まず被害者役の子は女バスで、さっきも言った通りクラスの女子で一番背が高くてクラス内でも目立っている方です。探偵役の子は大人しめの男子で、容疑者の三人の役は……」
蘇我さんが必死に記憶を手繰り寄せらような表情を見せる。この子はクラスメイトにそこまで興味がないんだろうか。
「港谷役は、この子も女バスの子ですね。被害者役の子よりは背が低くて、私より少し高いくらいだったと思います。村田役は、確か普通の女の子だったと思います。何か部活に所属しているような話は聞いたことないですね。身長も被害者の子の方が高いですし。森役は、探偵の小鳥遊役の子と仲が良かったはずです、なんでそこまで派手な男子ではないですね。身長は被害者の子と同じくらいでした」
得られた情報は部活と身長くらいか、何も情報がないよりかは幾分か良いのかな。他に何か考えを勧められそうなことはないか。考えるけれど、スマホ以上に違和感を覚えた場面はなかった。
やっぱりスマホの線から考えていった方が近道なのかな、スマホ、スマホ。ユニフォームでスマホ。ユニフォームを着ていただけで練習はしていなかったとか。そもそも被害者が発見されたのは部活動の練習が始まる前のことらしいから、早めに体育館に来て部活前にスマホをいじっていた、というならそんなにおかしな状況ではないと思う。となると、犯人はやっぱり同じ部活の港谷?部活動前に犯行が行われたのなら、同じ部活動の人間が一番怪しい。
うーん。でも、ダメだ。状況にいくらでも理由はつけられるけど、イマイチ決め手に欠ける。今考えたことだって完全に否定はできないけれど、仮にこれが真相だったとして、あまり劇の盛り上がりに繋がるとは思えない。
ただ脚本の子がどこまで考えているのかがわからない現状では、もっと納得のいく、手ごたえのある解答であって欲しいと思っている自分のエゴの問題でしかない気もする。私が今しているのは謎解きなのか、それとも自分を満足するストーリーを組み立てる創作なのか。わからなくなってしまう。
「先生?」
蘇我さんが怪訝そうな表情でこちらを伺っている。いけない、自分の世界に浸りすぎてしまった。
「ごめんね、ちょっと考え事をしちゃってて。もう少しで何かわかりそうなんだけど……」
「まあ焦ってもしょうがないですからね、なんて、焦らせてる張本人に言われても説得力はないかもですけど。解けなかったら解けないで、劇の本番で真相を確認すればいいだけなんですから、気負い過ぎなくても全然大丈夫です」
「そんな、そんなこと言われちゃったら、寧ろ力にならなきゃって思うよ。もう少し、もう少しだと思うんだけど……」
なにか、なにかないか。この引っ掛かりからなにか考えを進めることはできないか。
考え込んでしまった私を心配してか、蘇我さんが声をかけてくれた。
「そういえば、この前私も気になったことがあったんです」
「なになに?手がかりは少しでも多い方がいいから、ぜひ聞かせて!」
「あー、あんまり劇とは関係ないんですけど、先生、メールアドレスのこと、メルアドって言いますよね。私はメアド派なんで、ちょっと驚きました」
あまり意識したことはなかったけれど、言われてみると確かに違いがある。
「確かに蘇我さんはメアドって言ってたね。方言とか、ではないよね?」
「私は東京生まれ東京育ちですから、あんまり方言とかはないと思いますけど、先生はどうなんですか?」
「私も一緒だから、地域性の問題ではなさそうだね」
気になったので、『メアド メルアド』で軽く検索をかけてみる。なるほどなるほど、年代ごとにどちらの略称が良く使われているかが分かれていると。なるほど。若年層にはメアド派が多い、というか若年層はそもそもメールのやり取りをする機会が少ないと。なるほど。
なるほど。
「うん、調べてみたけど、そこまで大きな違いはないみたいだね」
「そうなんですか?まあ個人差みたいなもんなんですかね」
「そうだよね。個人差みたいなものだよね。気にする必要はないよね。うんそうだよ」
自分でも驚くほど早口で話してしまった。別に動揺しているわけではない。急に不審んな行動をとった私に、蘇我さんが勢いよく尋ねてくる。
「先生?急に早口ですけど、もしかして、何か気づいたことがあるんですか!」
「ごめんごめん、何か思いつけたわけじゃないんだ。でも気分転換にはなったよ、ありがとう」
私はあんまり考えすぎると逆に思考が狭まってしまう悪癖がある。一旦思考を他のことに持っていかれたのは悪いことばかりではないのかもしれない。
「そういえば、うちのお母さんもメルアドって言ってたような……」
ちょっと蘇我さん、それ以上掘り下げるのはやめておこうか。
「そ、そうなんだー。ふふ、私と一緒だー。ハハハ……」
落ち着け私、今は脚本に集中するんだ。ユニフォーム姿でスマホ、どんな状況なら自然にスマホを携帯できるだろうか。あれ?スマホ、は若い子も使うよね?うん、確か蘇我さんもスマホって言ってたはず。あれ?スマフォだった?うそ、うそうそうそ、スマホももう古いの?動揺を隠せない私を横目に、蘇我さんは言った。
「しかし、スマホの違和感なんて私は全然気がつけませんでしたよ。ダイイングメッセージのキャッチーさに目眩しされちゃいました。流石先生ですね!」
スマホだったー!よかった、まだ私もついていけてる。落ち着きを取り戻して、蘇我さんの言葉にも冷静に返すことができる。
「そうだね、スマホなんて普段当たり前のように携帯してるから、なかなか気づきづらいところではあるよね」
「まあ、携帯電話、なんて言うくらいですからね」
そうか。スマホなんて普段から携帯していて当然なんだ。現代人は携帯していない状態の方が不自然なくらいなのだから、もしかすると。
「先生?」
「ちょっと思い当たることがあるかもしれない。少し待ってて」
「本当ですか!?待ちますよ、いくらでも待ちます!」
この脚本を書いたのは一般生徒、それなら情報源はきっとそこまで深いところにあるものではないはず。パソコンを開いて軽く検索をかけてみる。出てきた検索結果は、私の欲しかったものだった。これなら。
「近づけるかもしれない」
####################
「やっぱり、ユニフォーム姿の被害者が襲われた時にスマホをすぐに触れるくらい近くに持っていたとは考えにくい。それなら多分、被害者は襲われた時、ユニフォームを着ていなかったんじゃないかと思うの。例えば制服を着ていたんだとしたら、スマホを携帯していても何ら不自然ではない。つまり被害者は襲われた後に服を着替えた、いや、着替えさせられたんじゃないかな」
「なるほど。それなら筋は通りますけど、そこまでして被害者を着替えさせる意味がありますかね?」
「私もうっすら聞いたことがある程度の知識でしかないんだけどね、あ、少しショッキングな話になっちゃうけど大丈夫?」
「もちろんです、ドンと来いですよ」
これは先ほど調べて出てきた情報だ。生徒が創作の参考にする情報なら、ネットで探せば見つかるんじゃないかと思ったけれど、私の狙いは当たっていた。
「首を吊って亡くなった人はね、失禁をしてしまうっていう事例が多いらしくて、私もうっすらそれを聞いた覚えがあったの。着替えをさせた理由はそれないんじゃないかと思うんだ」
「首吊り、ですか?それが被害者の死因だと?」
「うん私はそう考えてる。首を吊って亡くなった被害者が失禁してしまったことで、犯人は被害者を制服からユニフォームに着替えさせた、これならスマホの違和感も説明ができる」
「でも、犯人が被害者を着替えさせたって言うなら、例えばナイフでグサッとやって服についてしまった血をごまかすために着替えさせた、っていう説明もできちゃうんじゃないですか?」
それは私も考えた、けれど。
「そしたら服以外の場所からも血痕が見つかるはず。事件現場は体育館で間違いないと思うから、現場検証のシーンもあったことだし、体育館に血痕があれば流石に脚本にも書くんじゃないかな」
「じゃ、じゃあ首吊りってことは、被害者は自分で自分の命を絶ったってことですか?そしたらなんで被害者は舞台の上に寝ていたんです?誰かが移動させた?」
蘇我さんの疑問は止まらない。本人は気づいていないようだけれど、この子は思考の整理がとても得意なんじゃないだろうか。これだけ反対意見や対立意見を即座に思い浮かべられるのは簡単なことではない。そんな蘇我さんには申し訳ないけれど、
「ごめん、思い当たったのはここまでなんだ。でも蘇我さんの言う通り、自殺にしろ他殺にしろ、被害者の死体を動かした人物が絶対にいるはず。例えば自殺した友達の尊厳を守りたくて、着替えさせて綺麗にした状態で体育館に寝させてあげた、とかね」
「そう、ですね。じゃあ他殺だった場合に被害者を着替えさせる必要はありますか?別にそのまま死体を放っておいたっていい気がしますけど」
「そこもあんまりわかっていないの。首吊りの可能性を少しでも誤魔化したかったのかな……とは薄っすら思っているんだけど、なんだか決め手にかけちゃって。あと、脚本には首吊りに使われたロープも登場していないから、何者かが死体を動かすのと同時に縄の回収もしているはずなんだけど……」
謎が解けたかと思いきや、また謎を増やしただけに終わってしまった。しかし思い当たる節ははまだいくつかある。
「さっき蘇我さんが、首の縄の痕を隠すために被害者の首にタオルを巻いた、って言っていたでしょ?あれは正しいと思うんだ。失禁を隠す目的も首吊りという死因を隠すためだったら、なんとなくだけど、自殺が真相に一番近いと思う。少なくとも犯人、というより、被害者の死因を隠そうとしている何者かがいる、っていうのは正しいはず」
「でも、そんなの警察が来たら一瞬でバレません?タオルなんてどけられるでしょうし、そもそも解剖とかすれば死因の特定なんてあっという間にされちゃうんじゃないですか?今回はまあ、尺の都合上警察が登場してませんけど」
そこを突かれると弱い、その辺もまだあまり掴めていないから。
「それは。脚本の子が劇の範囲内に収まらないところは考慮していなかったとか。どうせ早く終わらせる劇だから、警察の存在は考えていなかったのなら……」
「うーん。私はもっと脚本の子を信じてあげたいんですよね」
そう、私もそうなんだ。でもそれだと謎を解き明かすというより、自分が満足いく答えを用意する作業になってしまっているんじゃないかと、そう思ってしまう。謎を解き明かすの意味が脚本の子の真意を知る、なら、脚本の子を無下に信頼しすぎてしまうのは逆に危ない。
「だめだ、なんかわからないことが増えちゃいました」
「ごめんね、考えの途中なのに色々喋っちゃって」
「いえ、ここまでの先生の意見にはかなり納得しましたから。少しでも話が進んでよかったです」
本当にこの線で話を進めていいのか、今更不安になってきた。着替えさせた理由が他にないかな、被害者と犯人がもみ合った際に、犯人の服の繊維が付着したことを犯人が嫌ったとか。
服の繊維なんて警察の捜査でもなければ気づかれない要素を今更絡めてくるとは思えない。
とにかく、今は自分を信じるしかない。脚本の子ではなく、自分を。
「他殺だったとして、やっぱり私の推理通り、犯人は男性に絞られるんじゃないですかね。無理矢理吊るなんて言うまでもなくですけど、眠らせて被害者を吊ったとしても結構な重労働ですし」
「そうだね、だからこそ私は自殺の線が強いと思うんだけど、本当に探偵役の小鳥遊が犯人って可能性もあると思うよ」
「いっそここに名前が出てないキャラが犯人だったりして?」
「流石にそれは、フェアじゃないんじゃないかな?それくらいには脚本の子を信頼していいと思うよ。ノックスの十戒なんて言葉もあるくらいだし」
言って気づいたけれど、蘇我さんは息詰まる私に気を遣って冗談を言ってくれたのかもしれない。
あちゃー、変に真面目に返しちゃって、やっぱり熱くなり過ぎてるな私。いけない。少しでも話を変えようと、慌てて私は言った。
「そ、そういえば蘇我さんも、入力はフリック式なんだね」
これは先ほどから少し気になっていたことだ。これ以上ジェネレーションギャップを感じるのが怖くて、蘇我さんの一挙手一投足に集中してしまうからこそ気づけた、私と蘇我さんとの共通点。スマホの入力はフリック式とキーボード式の二つがあるけれど、これは蘇我さんも私と同じフリック入力を使っているらしい。
「まあそうですけど、スマホでキーボード入力する人います?私の年代の子はほとんどフリック入力を使ってると思いますけど」
「そうなんだね!私と一緒だ!」
「はぁ……」
ダメだ、なんだか蘇我さんを困らせてしまっている気がする。今は脚本に集中しないといけないのに。
「と、とにかく。わかったことはこれくらいですかね?この調子で行けば犯人も真相もいずれわかることでしょう、今日はそろそろ帰りますね。私も今日聞いた話を踏まえて、また考えてみます。それじゃあ」
「じゃあね。私もよく考えてみるよ」
蘇我さんが帰った後の静かな保健室にあって、そういえば今日の彼女は体調が悪いという言い訳すらしていなかったなと気づく。ここは探偵事務所ではない、保健室だ。幸い彼女がいる間は来客がなかったからよかったものの、今度は建前だけでも体調が悪いということにしてもらおう。
というか私も謎解きに夢中になりすぎて、蘇我さんを何の違和感もなく受け入れてしまっていた、よくないよくない。
でも蘇我さんは犯人も真相もいずれわかる、なんて言っていたけれど。
犯人は明らかだと思うけどな。
####################
蘇我さんと話こんでから一日が経ち、日付は九月の二十二日。時刻は十六時。
放課後の校内では迫る文化祭に向けて、多くの生徒たちが作業に勤しんでいる。授業は今日で終わって、明日からは文化祭準備期間に入る。そろそろ校内の飾りつけも本格的になってくる時期だろう。活気のある校内の様子を見て回るだけで、こちらまでワクワクしてくるからこの季節は好きだ。
しかし文化祭に向けて頑張らなければいけないのは私も同じなのだけれど、昨日から一向に考えが進まない。もう何度脚本を読み返したことか、文化祭まで残された時間は光の速さで目減りしていくのに、焦るばかりで思考が形になってくれない。
気分転換に行った校内の見回りから戻ってきて、一息つく。
そのときコンコンと保健室の扉が叩かれ、背の高い女子生徒が保健室に入ってきた。
リボンと上履きの色を見るに一年生の子だ。ショートカットの明るめの髪と短いスカートに、そこはかとなく明るい印象を受ける。
ティッシュのようなもので右手人差し指を抑えていて、ティシュにはうっすら赤が滲んでいるように見えた。女子生徒が口を開く。
「すいません!ちょっと指を切っちゃって、バンドエイドもらえます?」
やっぱり、こういう時にスッと渡せるよう、私はポケットにバンドエイドを常備しているのだ。
「はいこれ、使ってね。傷は深い?」
「ちょっと切っちゃったくらいなんで大丈夫です!文化祭で使う小道具を作ってたら、段ボールカッターで切っちゃいまして」
「傷が浅いならよかったよ、文化祭ではどんな出し物をするのかな?」
「劇です!ミステリーなんですけど、みんな凄い気合入ってるんでぜひ見に来てください!」
劇、ミステリー、なんだか聞いたことのある組み合わせだ。
もしかするとこの子のクラスは、
「ひょっとして、あなた一年四組の人だったりする?」
「はい!一年四組、小森実咲(こもり みさき)です!なんで先生は私のクラスを知ってるんです?」
「あーー、四組で劇をやるって、うっすら聞いてたんだ」
蘇我さんのことは伝えない方がいいだろう。保健室を訪れた、というのも立派な個人情報であり、あまり大っぴらにするものではない。まあ蘇我さんは授業中に保健室に来ているみたいだから、そのことは小森さんも知っていそうだけれど。
「そうなんですね。私も演者として出るんで、ぜひ見に来てほしいです!」
小森さんの言葉に少し引っ掛かりを覚えたので、尋ねてみる。
「演者なのに、小道具を作っていて指を切っちゃったの?」
「練習が暇になったんで小道具班を手伝ってたんですけど、慣れないことはするもんじゃないですね」
そう言って、小森さんはフィルムをめくって絆創膏を取り出す。手伝ってあげた方がいいかと思ったけれど、慣れた手つきで絆創膏をクルッと指に巻き付ける姿を見て、そんな心配はいらないみたい。そういえば。蘇我さんが言っていた、被害者役の子は背が高いバスケ部の女の子だと。
「もしかして……」
確かめたくて思わず声をかけそうになって、しかし言葉を止める。蘇我さんに脚本を見せてもらったことは明かしてはいけないんだった。クラス内の機密事項を内緒で見せてもらっていることをすっかり忘れていた。怪訝そうに目線を向けてくる小森さんに、改めて尋ねる。
「小森さんはどんな役をやるの?」
「ほんとはあんまり詳しいことは言えないんですけど、バンドエイドのお礼です、特別に教えてあげましょう!私は被害者役なんです。ミステリーなんで、やっぱり被害者は必要ですよね!大役ですよー」
やっぱり、思った通りだ。これはなにか貴重な情報が得られるんじゃないか。このチャンス、絶対に逃してはいけない。
でも何を聞くべきだろうか、少し思案する。
あまり突っ込んだ質問をしてしまうと、私が脚本を読んだことがバレてしまうけれど、簡単な質問すぎても新しい情報は得られない。この塩梅を考えなければいけないのが難しいところ。聞くならやっぱり外側からかな、不自然にならないよう少し考え。
「セリフを覚えるのは大変じゃない?被害者役なら出番も多そうだし」
被害者役がどれだけ喋るのかは割と重要な情報に繋がりそうと思い、この質問を投げかけてみる。
「まあそうですね、殺された後にも回想シーンとかあって、結構大変なんですよ……って、あんまり喋っちゃいけないんだった!」
小森さんには申し訳ないけれど、その情報は私からしてみればありがたい。でも一応謝っておくか。
「ごめんごめん、私が聞いちゃったからだよね」
「いやいや、口を滑らせたのは私の方なんで。なーんか、先生には色々喋っちゃうなぁ。この人なら言ってもいいかなーって気分になっちゃいますね」
凄くありがたいことを言ってくれる子だ。情報を集めたい今、そう言ってもらえるのは素直に嬉しい。そもそも保健医としても話しやすいというのは最大級の賛辞だ。私も少しは上手くやれているんだろうか。とにかく情報をくれた小森さんには感謝しなければ。
「色々教えてくれてありがとうね。劇は結構人気らしいって聞いたけど、頑張って!」
小森さんが保健室を訪れてきてくれてよかった。回想シーンの存在も立派な情報なのだから。謎解きパートで犯行シーンの再現が行われるのか、動機が語られるのかはわからないけれど、この劇の信頼性が少しだけ高まったと思う。
勝手に満足する私を尻目に、小森さんは少し怪訝そうな表情で。
「人気、ですか。告知のポスター作りとかは結構してますけど、そこまでいろんな人から期待されてる、って話は聞いたことないですよ……まあ先生が言うんなら、私の知らないところで人気なのかもしれないですね!余計やる気が湧いてきました!」
「あれ?そうなんだ。まあ私も時間があったら見に行くね、頑張って!」
「はい!じゃあ失礼しまーす」
小森さんは最後まで元気に帰っていった。そして言われてみれば、劇の倍率について、この段階で決定されているというのは、確かにおかしい。そもそも劇の詳細な情報がクラス内ですら一部生徒にしか共有されていない上に、学校内に劇の宣伝のポスターの類が張られているのも、少なくとも私は見たことがないんだ。生徒間の口コミだけで評判が広がっている可能性もなくはないだろうけれど、それだけで体育館が埋まるほどの人気になるのだろうか。なぜ私は劇が人気、と勘違いをしていたんだっけ。あれは確か蘇我さんの言葉が……
そこまで考えて、一つの考えが頭に浮かんだ。
ああ、そうか、それが使いたかったんだ。犯人も、脚本家も。
####################
その日の放課後、保健室の扉が開き、もう見慣れた顔の女の子が入ってくる。彼女の目は心なしか輝いているように見えるけれど、その輝きの理由は、おそらく私が彼女に送ったメールだろう。本当は教師から生徒に直接連絡を取るのはあまり良いことではないんだけれど、今回ばかりは特別。
この劇の展開に倣って、結論は早い方がいい。
「謎が解けたって、本当ですか?」
「解けた、かどうかはわからないけど。これが答えなんじゃないかなっていう考えには至れた、かな」
蘇我さんは一層体を乗り出す。
「では早速聞かせてください!先生の推理を!」
コホン。心の中で咳ばらいを一つ。どこかで聞いたことがある、推理を披露するときは、まず咳払いから始めよ。
気分もしっかり盛り上げ、私は口を開く。
「まず、この事件は自殺ではない。他殺であることは間違いないと思う。そして犯人の正体、これはまあ、脚本を読んだ時からうっすらわかっていたけれど、犯人は同じバスケ部の港谷」
すぐに蘇我さんが反論を繰り出してきた。
「で、でも。被害者は港谷よりも背の高い子だったはずです、運動部で体つきもしっかりしているはずの被害者を、体格で負けている港谷が首を吊らせることなんてできないでしょう」
「そう、そうなんだけど、少し話を変えるね」
ここからは先ほど、小森さんと話していて気づいたこと。
「蘇我さんは最初に保健室に来て劇の話をしたとき、倍率が高いから見に来るのが大変かもしれない、って言ってたよね。あれはどうしてそう言ったの?」
「クラスラインでそういう話が出てたんです。うちの劇は倍率が高くなるだろうから、友達を誘いすぎないようにって。あれ?でも確かにおかしいです。なんでその段階でそんなことがわかっていたんでしょう?」
倍率が高いというのはいわば受け売りのようだ、蘇我さんの感じている疑問は正しい。そしてその答えはおそらく、
「多分それは、お客さんが多く来るっていう意味じゃなくて、客席が少なくなるっていう意味なんじゃないかな。それなら企画段階でも倍率が高くなるかもっていう発言にも繋がるから」
「企画段階で席数を絞ろうとしていた、ってことですか?なんでそんなことを」
「おそらく、席数を絞ろうって決まったのは、脚本ができてからのことだと思う。脚本の都合上、席数を減らす必要が、いや、舞台を広げる必要があったんだよ」
席数を減らすということは舞台を増やすということとほぼ同義、これに気づけたからこそ、具体的な犯行方法に思い至れた。
「劇の上での犯行現場も、この劇が披露されるのも、どちらもこの学校の体育館。私の想像が正しければ、この脚本を書いた子は凄くよく考えてこの脚本を書いているんだと思う。おそらく劇の終盤で行われる、犯行シーンの再現、そのシーンを再現するために、舞台を広げる必要があったんだ」
蘇我さんは納得したような表情で、私の言葉に続く。
「犯行シーンの再現、そんなところまで考えられているんですか」
「私の想像でしかないけどね。それで、ただ舞台を広げて大規模なアクションシーンが繰り広げられる可能性も考えたけれど、それだけじゃない。犯人と脚本の子が使いたかったのは下のスペースじゃなくて、上に置かれているバスケットのゴール。それも可動式のものだった。私もそこまで詳しくないけど、この学校の体育館のバスケットゴールは電気で駆動するものだったはず、そして体育館の前方と後方に備え付けられている。使わないときには上に上がっていて、バスケの練習のときに下ろして使われるそれを使って、港谷は被害者の首を吊った。どうかな?」
ここが今回の劇の一番の肝だ。舞台を広げることの意味を考えて、劇の展開も考慮すると、この可能性が一番高いと思う。蘇我さんも納得してくれているようだ。
「何らかの方法で眠らせてしまえばパワーもいらない、倍率発言の説明もつく、確かに筋は通っているように思えます。じゃあ、どうして港谷は被害者をわざわざ舞台に寝かせたんですか?失禁した被害者を着替えさせてまで、どうして」
「多分、犯行に使ったのがバスケットのゴールだったから、かな。そのまま被害者を吊るしておけば真っ先にバスケ部の自分が疑われると思うのは自然な考えだろうだから。少しでも被害者の死因を隠そうとしていたのも、この犯行方法に気づかれたくなかったからだと思う」
それでも、警察に調べられてしまえばそんな偽装工作は全くの無意味だけれど、今はこの劇の中での話だ。警察のことは多分考慮に入れなくていいはず。蘇我さんは少し思案した後、すっきりした表情で、言った。
「なるほど、納得しました。脚本の内容だけでなく制作側のことも考えて謎を解くなんて、先生はやっぱりすごいです!」
ふう、とりあえずは一安心していいのかな。
出した答えが正しいのかはわからないけれど、蘇我さんが満足してくれたのは確かなようだし、これは成功と言ってもいいだろう。なんとか期待に応えられたのは良かったけれど、もうしばらく謎解きはいいかな。
「蘇我さんが満足してくれたのならよかったよ。私も謎解きはとても楽しかったから、蘇我さんのおかげだね」
「でも、すごいです!私が見込んだだけのことはありますよ!本当にすごいです!脚本を読むだけで謎を解いちゃうなんて!」
「本当に解けたのかはわからないけどね、でもそんなに褒められちゃうと、照れるなぁ」
「本当に凄いことですよこれは。先生に会えてよかったです!」
そこまで言われてしまうと、流石に買いかぶりすぎだ。この子は将来、悪い人間に騙されてしまう気がしてならない。
蘇我さんは言葉を続ける。
「でも、先生は犯人の正体だけは最初から分かっていたみたいなことを言ってましたけど、どこから犯人を導き出したんですか?」
「ああ、だって、脚本の子は大人しめの、優しい子なんでしょ?そんな子が近しい人の首を吊って殺すような役に、森と村田なんてありきたりな名前をつけるとは思えなくって」
その後もしばらく蘇我さんに褒められる時間が続いて、結局ほとんど生徒が帰って校内が静かになった頃に、蘇我さんはようやく帰ってくれた。人からこんなに褒められたのはいつぶりだろう。謎が解けた解放感と、蘇我さんから受けた多数の賛辞で、私の心はとても満たされている。今日はよく眠れそう、かな?
####################
劇も終盤に差し掛かり、展開は佳境。スピード探偵小鳥遊の推理シーンが始まる。そして結果的に私の推理は全て当たっていた。突然舞台前方のバスケットゴールがウィーンと音を立てて降りてきて、首に縄をかけられたマネキンがバスケットゴールの上昇に合わせて宙づりにされた。凄い、体育館というステージをここまで使って見せる劇なんて、これを考え付いた子は本当に凄いと思う。しかし、私が蘇我さんに語った推理は確かにすべて当たっていたけれど、まだまだ足りな部分はあった。ダイイングメッセージのmは、被害者のタイプミスらしい。本当に被害者が打ちたかったのは数字の『6』。どうやら犯人のバスケ部での背番号なんだとか。
気になってスマホを確認すると、確かにフリック入力でのmと6は同じ位置にあった。本当によくできている。
まだ私はもっと重大なことを見落としていた。謎解きシーンが終わると、犯人である港谷は舞台袖に消えていき、次に現れたのは体育館上部の細い通路。ギャラリーというんだったっけか。ギャラリーに上がった港谷は手に縄を持ち自殺を図っているが、それすらも読んでいた小鳥遊に自殺を止められ、事件は劇は、終わりを迎えた。
ああそうだ、考えないようにしていたけれど、私が蘇我さんに語ったことがすべてだったのなら、まだ違和感は残っていたんだ。不自然なほど展開の早い劇、あまりに杜撰すぎる犯行方法の偽装、被害者を殺した縄の行方。すべてがこの結末のための要素だったんだ。
港谷は被害者を殺した後自殺を図ろうとしていた。被害者を殺してすぐに死ななかったのは、被害者の絶命を確実に知れなかったから。事件が起きたのは盆明けの体育館、お盆の閉庁日には電気設備の点検による停電が行われており、犯行は行えなかった。朝の早い時間に被害者を呼び出して、今回の方法で殺し、隠蔽までしなければいけない港谷に、時間はあまり多く与えられていなかったのだ。確かに、ダイイングメッセージが送られてから死体が発見されるまでの時間は極端に短い。
被害者を舞台に寝かせたのは、犯行方法の隠蔽だけが理由ではなかった、被害者を殺した際に使用した縄を使って自殺をしようとしていたのだ。少しでも犯行方法を隠そうとしていたのにも関わらず、警察が詳しく調べればすぐにボロが出そうな杜撰な後片付けしかされていなかったのは、少しでも時間を稼げればそれで良かったから。
不自然なほど早い劇の展開にも納得がいく。少しの時間さえ凌げればいい、というのは、脚本家の考えでもあり、犯人である港谷自身の考えでもあったのだ。港谷からしてみれば、劇の終幕は自分の命の終わりでもあったのだから。
凄いものを見た。今私が見ていたのはただの劇だったんだろうか。どうにも、今私がいる体育館で殺人事件が起きたような、そんな嫌な感覚に包まれる。この劇は創作なのか?港谷はただのお話の登場人物なのか?バスケットゴールを使った犯行はただのトリックなのか?
舞台と客席の境界線がとても曖昧で、血なまぐさいものに体を蝕まれているような、終わってみればなんとも不思議で気持ちの悪い、とても面白い劇だった。この脚本を書いた子がこの学校にいるんだ。信頼できないなんてとんでもない、寧ろ私の想像なんて遥かに超えていくくらい、想像の及ばない人物だった。
どうしたって世界は、私の想像が及ばない人やモノで溢れていて、推理だなんてただの決めつけで物事を語るような真似は、私にはできそうにもない。実際できなかったのだから。
私は間違えた。もう推理なんて、こりごりだ。
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