第8話 それってその実、本能なんじゃね
“”何者かになりたい若者たち”
時折取り上げられるこの人物たち。
その代表みたいな文章を綴っている時点で紛れもなく当事者な訳だが。
この問題について、時折こんな論調を見かける。所謂、これまでは恋愛して結婚して子供が出来て……というところに一貫して向いていた欲求や自己実現の形が、生き方の多様化や視界の広がりによって「自分が何者かになりたい」「何かを成し遂げて注目されたい、必要とされたい」という欲求に成り代わってしまっているのではないかと。
これについて否定的な意見もあるが、結構僕は「ああそうかも」と感じる部分がある。
社会的な生き物である人間は、誰かに必要とされる、コミュニティに属するということが基本欲求として備わっている。そしてそれは、仕事をしたり、結婚をすることで満たすことができた。
しかし今はインターネットやSNSの普及によって、その欲求を満たすハードルがあまりにも上がりすぎているのだ。これまでは村や地域の小さなコミュニティの中で上位を取れるものがあれば、充分に「必要とされている」「自分に価値がある」と判定出来ていたものだが、今は何をやっても途端に“vs世界”が始まってしまう。その分野で世界一を取ったような人物が、あまりに端末を通して見え過ぎてしまう。結果的に、本当は十分に注目されるに足る能力を持っているのにも関わらず、「自分はまだまだだ……」と感じてしまいやすくなっている。間違いなく、自己評価の平均値は下がり続けている。
結婚だけでは満たしきれない承認の数値。
それが暴発して僕みたいな若者が生まれると、そういう流れは確実にあるだろう。
でも、この論に賛成の立場を取っていながら僕自身の中で矛盾した点がある。
それが何かというと、僕は大変に“結婚願望”があるということである。
生まれた瞬間に「おぎゃー」と泣く代わりに「結婚してえ」と呟いてる。多分。
それくらいには強い。
大概、こういう奴らは結婚なんて興味ねえと言いがちだが、僕は結婚したくてしゃあない。どっちが外れ値なんだこれ。それが事をややこしくしている。
だが、これこそまさに冒頭の話に戻るが“野望の残骸”を生み出し続けている原因でもあるのではないだろうか。
「結婚願望なんてありません」と割り切ってしまえば、ほぼ無鉄砲で社会に属するのなんか辞めてしまって、ひたすらに何かを生み出し続ける人生に良くも悪くも安易に切り替えられていたはずだ。しかし僕は今、「働いてないやつが結婚できるわけないし……」とか、「こんな生き方してる父親だったら嫌かも……」とか、現時点では存在しない未来の相手や子供を想っては、自分にブレーキをかけている。そうして、本当は食べたいものがあるのに、我慢して安いメニューを選んだ結果消化不良に陥るという事態を繰り返している。
やっぱり僕はきっと、何でも欲しがり過ぎなのだ。
その強欲さが、捨てられないけど大事かもしれないものを堆積させて、息苦しくなっている。
ようやく分かって来たのかもしれない。分かった気になっていた自分の仕組みが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます