第3話 目立ちたがりの引っ込み思案
幼少の頃の話をしよう。
僕は現在様々なYouTubeチャンネルを立ち上げて活動しているくらいには、目立ちたがり屋でクリエイティブという言葉に酔っていて、誰かに認められたいという意識が強い。昨今の情報社会に広く棲み着くモンスターの一匹だ。
ただし、初めからそうだったわけでは無い。僕はとんでもなく人見知りで、恥ずかしがり屋で、目立つことを嫌う少年だった。
これを裏付けるエピソードとして、小学校の1年生と4年生の時に担任を受け持ってもらった先生の言葉がある。いわく、「久々に担任持ったらすごい目立ちたがり屋になっていて別人かと思った」そうだ。
完全に記憶しているわけではないが、確かに僕は小学1年生の頃はぴかぴかの1年生というわけではなかった。特に中心人物ではないし、授業中にふざけることもしない。典型的なただの”いい子”という感じだった。
それが学年が上がるにつれて、授業中に隙あらば面白いことを言って皆の笑いを誘うということを目標に生きる、『目立ちたがり屋』のジョブに変貌していた。それも陽気な学生に見られる、1発ギャグや下ネタに走る”汚れた”笑いではない。教科書やその場の出来事にツッコミやボケを挟む、なんだか小学生のくせにニヒルでずるーいポジションだ。
元々そういった性格だったのか、はたまた後天的に人格を変える出来事があったのか。とにもかくにも、”クラスの皆を笑わせる”という味を知ってしまった僕は、以降も常に授業を壊さない程度のひとときの笑いに生きるというスタンスを続けた。それ故久々に担任を受け持った教師から、先程のような感想をいただいたというわけだ。
しかし、僕はこの小学生時代を経てガラリと性格が変わったわけではない。小学1年生の頃に見せていた『引っ込み思案』な性質。この部分は未だに確かに僕の心のなかに、生まれてこの方変わることなく住み続けている。
今でも初対面の人間と喋るときには声が小さくなるし、自分の他に前に立つ人間がいれば場を乱さぬよう静かに身を引いている。『目立ちたがり屋』と『引っ込み思案』という相容れないはずの矛盾した性格が、どちらも内在している状態なのだ。
この自分の性格は嫌いではない。極端な例だが、目立ちたいがために倫理を無視したようなことをしでかすような人間は、自己実現に偏りすぎていて社会のことを考えていない。
何だか今後の自分を苦しめそうな重たい一文だが、強い酸性とアルカリ性がに上手く混ざり合って、害のない中性に落ち着いている状態だ。快い人間関係を築く上で、この両面は表裏一体。無くてはならない存在だ。
ただし逆に言うならば──
野望を残骸にしているのは、間違いなくこの『2つの矛盾した性格』が原因だろう。
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