はじまり
『__では、次のニュースです。○○街で起きた生物兵器事件から一ヶ月、未だにその真相は__』
「ふーん、そんなに経ったんだ」
開いたままの窓から、二月の風が吹き込む。その冷たさに震えることもなく、私はソファに寝そべり、スマホでニュースを聞いていた。
『この事件から行方不明になっている小堂 苺氏も、現在まで見つかっていません』
「はは、ウケるわね」
「ウケませんよ」
頭の上にトン、とペットボトルで小突かれた。桃色の髪越しに、じんわり温かい温度が頭に伝わる。
「お帰りー。私の分これ?」
「いえ、今から作ります」
彼はそのボトルを開けると、中のコーヒーをぐっと飲む。それからキャップを閉めて私の近くに置くと、ティーポットを棚から取り出しに行った。
かつての私は小堂 苺。
高校生を演じていた、元魔法少女である。今はどちらでもない。
ダラダラと家で寝そべり、スマホを眺める毎日。人間で言うところの駄目ニートというヤツだ。
「調子はどうですか」
カップに入ったホットミルクティーを差し出しながら、不安そうに訊かれる。
「別に不便してないわよ」
カップを受け取り、口をつける。ほんのり甘い味と、落ち着く香り。
紅茶も牛乳も、いい品質のものを使っている、気がした。
あの世界から、奏揮と一緒にドロップアウトした直後。
私はあのマンションの一室、彼の腕の中で目を覚ました。お姫様抱っこの形だが、今さら恥ずかしさは湧かない。
「また、会えて嬉しいです」
そう言って微笑む彼を見ていると、私は本当に、私が馬鹿らしくなった。
「私さ、このままでいいのかな」
ニュースを眺めたまま呟く。
「僕が決めることじゃありません」
「知ってるけどさー」
近くに置いたボトルを拾い、私の近くに座る彼。私はカップを机に置くと、その膝上まで這っていき、頭を膝に乗せる。
「何かしたいなら、僕はそれに付いていくだけです」
「この世界を滅ぼしてやる! とか言っても?」
「それならずっと一緒にいて、ずっと止め続けますよ」
「あはは」
本当は、それ以上にやりたいことがある。
愛されたい。
私が愛する人に愛されたい。愛してくれる人を、私は愛したい。
そして、それはもう叶っている。
叶ったはずなのに、私はまだ、何かを求めていた。
愛を求めてた時に触れた、もう一つの、愛の在り方。それを求める自分に気づいて、私は私が嫌になる。
「シャワーでも浴びようかな」
胸に残るモヤモヤを取ろうと、私は起き上がって服を脱ぎ始めた。
「ねぇー、これ洗濯しとい……どうかした?」
「…………」
相変わらず彼は、私が肌を見せると目を背ける。
彼なりの対応なのだろう。会ったときからこれだが、紳士的でいいと思う。
「今さら気にしなくていいでしょ。私たちの仲だし。ほら、これお願」
「いい加減にしてください」
重い話を切り出すように、彼が口を開く。
もしかして怒っている? 少しだけ反省。
「あ、えっと、そうよね。自分で洗うべきよね、こういうのは__」
突然、がしっと腕を捕まれる。
「そうじゃなくって!」
彼らしくない行動に、身体がビクッと反応する。
「ほぁっ?」
「人前で、そんな格好になって! もし、もしも僕が狼みたいな人間だったらっ」
「……ぁ」
赤面する奏揮の顔を見て、ようやく、彼が何を言おうとしているか分かった。
そして、前からそうだったことに気づいた。
「あなたは素敵な女性なんですから」
嫌になったはずの私が、私の顔を綻ばせた。
「そういう隙だらけなところも好きですけど、その、僕じゃなかったら」
「……襲われてた、って?」
台詞の先を読んで、彼の首もとに手を回す。
彼の身体は、小さく震えていた。それが怒りではないことを、私は知っている。
「襲わないの?」
親みたいな人だな、と、心のどこかで思っていた。
私を叱って、励まして、世話をして、隣にいて。彼の口から出る「好き」も、きっとそういう意味なんだと思っていた。
違った。
「そ、そっちから言われるまで襲いません」
彼は本当に、本当に私が好きなだけ。
「あはは、奥手なのね」
「当然です。好きな人に手を出すなんて、無礼じゃないですか」
「……そっか」
私ですら嫌っている私を、彼は、好きだと言ってくれる。
良いも悪いも合わせて、私が好きって応えてくれた。
「じゃあ、私も応えないと失礼よね」
「ちょ、待って、苺……」
私は彼の顔に口元を近づけて、
そして__
彼の額に、キスをした。
静寂が流れる。
緊張の糸がほどけたような、少し期待はずれだったような、何だかくすぐったい静寂。
「あ、あまり脅かさないでください」
「えへへ」
顔を赤らめたまま睨む彼を見て、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「悔しかったら、今度はそっちからやるのね」
「……はぁ」
困ったような、呆れたような、楽しそうな。彼の溜め息から、色んな感情が漏れ出しているのを感じた。
それに満足して背を向ける。
私は謙虚で聡明なのだ。ここで焦らなくても、彼は逃げないことを知っている。
だから今はまだ、その時ではない。
なんて、私の予感は的外れで。
「待ってください」
「ん? なに」
「お返しです」
振り向いた私を、彼は優しく抱き寄せて。
微笑む彼に、私は自然と笑顔を返して、そっと目を瞑った。
口と口が、重なる。
私の苦悩は続く。
人との付き合い方。世界との付き合い方。自分との付き合い方。
全部が手探りで、いつか壁にぶつかり、傷つき、悩むのだろう。
たまには相手を拒絶して。たまには自分を嫌いになって。
でも。そんな人生も悪くないな、と思った。
私の側に、愛する人がいる限り。
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