グッバイ、魔法少女

「苺さん」

 現実世界で闊歩する化物を前に、少年は立ち尽くしていた。

 相手は何を求めているのか。自分は何をするべきなのか。


 答えなんて無い。間違えれば全てが終わる。

 それでも彼は迷いなく、一歩を化物へ進める

「もう、決まっています」

 支給された携帯電話で、彼女にコールをかけながら。その着信音が、化物から鳴っていることを知って。



 事態が動き出したのは、今から数分前。

「緊急の要件だ」

 携帯越しに話す、男とも女とも分からない声。モザイクのようなノイズもかかっていて、そこの判別は難しい。

「領域を持たない死相が現れた。ここ数十年で初の事態だ。奏揮くんには対象の鎮静化を」

「…………」

「どうしたのかな、奏揮くん。普段なら元気よく返事をしてくれるが」

「悲鳴が、聞こえたんです」

 耳を澄ますことなく、携帯の主は空を見上げる。

「ふうむ。君は人の声に敏感だね」

「いえ、そうではなく。心臓が感じたというか、胸が震えるというか」

 携帯を持っていないほうの手を胸に当てる。緊張しているような、大きな鼓動が聞こえる。

「すみません、すぐ向かいます。あと苺さんには」

「君の要望通り、呼んでいない。では頑張ってくれたまえ」

 通話を繋げたまま、奏揮は地図アプリを開く。その画面を見て、驚きで少しだけ目を見開いた。

「ここは」

 示されている座標は、強く記憶に残っている。

 人を死なせてしまった場所。そして、自分が大きく変わった始発点。

「初めて、苺さんと会った場所」


 奏揮が思っていた以上に、現場の被害は甚大だった。

 化物との距離、数キロメートル。飛び交う悲鳴。子供の鳴き声。避難誘導を行う警察達。

 それらをスルリと抜け、奏揮は混乱の中心へと走る。

「苺さん、逃げてくれているでしょうか」

 一瞬、強い閃光が奏揮を隠す。次の瞬間には、彼の腕に手錠がかけられていた。

 両手で握られているのは、個人用の携帯。とある少女に向け通話を試みている。

「出ませんね。確かに苺さん、電話してるイメージはないですけど」

 留守電のアナウンスを途中で切り、再びかける。別に救援を要請したいわけではない、むしろ逆だった。

「仕方ないです、無事ならそれでも」

 化物の件について、多くの人の目に触れた。きっとニュースになっているだろう。

 苺がそれを見て焦らないように、或いはここに来なくていいと伝えるため。

 ただそれだけだった。出ないなら出ないで構わない。

 諦めてスマホをポケットに入れようとした。


「誰」

 その時は、突然訪れた。


 携帯から弱々しい声が聞こえる。それに目を輝かせ、奏揮が両手でスマホを持ち直す。

「苺さん! よかった繋がって、今ニュースで」

「こないで」

「……苺さ」

「あいして」

 プルルルルル。

 知っている声に被って着信音が鳴る。おかしな挙動だ。それに苺の言葉も、まるでこちらの意図を無視した単語のよう。

 その現状に気付いて、奏揮の思考は止まる。


 市販の携帯がおかしくなるのは、死相領域内での特徴である。そのほとんどは圏外になるだけだが、僅かながら例外はある。

 例えば、地図アプリで死相の場所が示されたり。

 例えば、メールアプリで死相から文章が送られたり。

 例えば、通話アプリで死相と繋がったり。


 何かの思い違いだろうと、奏揮は死相へ近づいていく。

「だいきらい」

「みんな」

「おいてかないで」

 ポケットに入れたスマホから、着信音に混じって苺の声がする。

「……僕の記憶が影響している。苺さんは関係ない」

 都合のいい解釈を自分に言い聞かせる。その解釈が間違っていることは、既に心のどこかで直感していた。


 それと相対したとき、直感は確信に変わる。

「一体、何が」

 彼の前で暴れる化物は、ケンタウロスのような形をしていた。

 尤も、構造が似ているだけで見た目は全然違う。上半身は女性で、下半身は蜘蛛の胴体。体の繋ぎ目は琥珀色の球体に覆われていて、全長は五メートルを越えるほど。

 半身半虫。人によっては『アラクネ』と形容されれば想像しやすい。

 全身が灰色で、ベタベタしたスライム状のものが表面を覆っている。


 何より奏揮が気になっているのは、音だった。

「いきたくない」

「つかれた」

「かえりたい」

 苺の声と、それに重なって聞こえる着信音。

 後者と同じ音が、琥珀色の中から微かに聞こえてくる。

「落ち着け、落ち着いて」

 脳回路の暴走を抑えつつ、奏揮は考える。

 可能性は三つ。

 一つ、たまたま落ちてた苺のスマホを死相が取り込んでいる。これが最善だが、そんな都合のいい話は考えられない。

 二つ、携帯を持っていた苺そのものが取り込まれている。これは最悪であり、最も可能性が高いパターン。

 だが、これも考えられない。それは決して、都合の良い解釈とかではなく。

 三つ目の可能性だと、確信しているから。


「……苺さん、なんですか?」

 三つ。

 何らかの理由で、苺がアレになった。

 馬鹿げた話かもしれないが、奏揮には何故か確信があった。あの化物は、苺と深い繋がりがある。

「苺さん」

 化物は呼び掛けに応じない。

 しかし携帯からの、縋るような声を偶然だと決めつけたくない。

「もう、決まっています」

 一言だけ残して、奏揮は化物へと駆け出した。

 建物を瓦礫に変えていた化物が、グリッと音を立て、上半身を奏揮へ向ける。


 篠崎奏揮としての、最後の戦いが幕を開けた。

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