ただ、それだけのデザイア

 見限られちゃったな。

 洗面台の鏡に映る自分を見て、諦めた苦笑を浮かべる。

 目の下には隈ができてて、髪はボサボサ。今の私を見て、それが私だと分かるのは何人なんだろう。


 見た目を気にしないのは、会う人がいないからだった。

 制服で家から出て奏揮のマンションへ行き、勝手に入ってベッドに籠る。夜に帰って、寝たふりして布団でスマホを眺める。


 奏揮とも顔を合わせていない。

 布団に入っていたり、ボーッと外を眺めてたり、浴室を借りたりして過ごした。それでも、彼がこの部屋に来ることはなかった。


 彼もいい加減、嫌になっちゃったのだろうか。

 嫌にもなるだろう。頑張るのを止めた私なんて。

「ははは……はぁ」

 久しぶりに口を開くと、乾いた笑いすら掠れて喉に詰まる。そんな自分にため息が出た。

「たまには、日の光でも浴びようかな」

 言い聞かせるように呟いて、私は外へ出た。


 現在時刻、不明。今は冬の始まりくらいだから、午後六時くらいだろうか。

 学校の冬服越しに感じる夕日は、冷えた肌を暖めるには至らない。

 期待はずれだ。住宅街の道路で、空を見上げながら立ち尽くす。

「……帰ろ」

 どこに帰る場所があるのだろうか。

 そんな疑問を飲み込もうとしたとき、背中から声がした。


「あれ、苺ちゃん?」

 その声に、少しだけ期待を込めて振り返った。

「お姉ちゃんじゃん! 何やってんの?」

 期待は私の中で壊れて消えた。

「……アンタらこそ、何よ」

「いや、咲榴ちゃんとこの辺歩いてたらさ。苺ちゃんみたいな人がいたから」

 数日前まで私を好きだった人が、口から咲榴の名前を出す。その理由は考えるまでもない。

「お姉ちゃん雰囲気変わったよね~。なんか、浮浪者って感じ」

「ちょ、咲榴ちゃんそれは失礼すぎるだろ」

「良いんだよ~、私とお姉ちゃんの仲だから!」

 愉しそうに話す二人を見て吐きそうになった。

 胃に何もなかったから吐かなかった。

「あ、そういえば苺ちゃんに言わなきゃいけないことあった」

 思い出したように、紅守が指を立てる。

 このタイミングで言い渡される言葉なんて、一つしかない。

「悪いけどさ、苺ちゃんと付き合うって話。あれ取り消しにしてくんね?」

 やめて。

「もっといい人、見つかったんだよね~」

 聞きたくない。

「まあ縁には感謝してるっていうか、今後も程々にってことで」

 耳を塞ぐ気力すら、今の私にはなかった。


「俺、咲榴ちゃんと付き合うことになったから」


 二人が去っていき、曲がり角で見えなくなる。

「……ふっぐ、うぇ」

 そこで私は吐いた。

 吐くものがなかったけど、吐いた。透明な液体が口から溢れる。

 自業自得なのは分かっている。

 私は紅守からの好意を断った。頑張るのも止めた。今の紅守が、私を好きになる理由はない。

 それに、相手は咲榴。いくら頑張っても、追い抜かれたまま距離が縮まらない女。


 私は頑張ってきた。

 頑張ってきたのに。

 頑張った理由は何だったんだろう。

 頑張っても、咲榴と並べない。

 頑張っても、お母さんに誉めてもらえない。

 頑張っても、紅守のことを好きになれない。


 今までの私って、何だったんだろう。

 最後にその確認がしたくて、私は実家に帰った。靴を脱ぎ捨てて、そのままリビングへと向かう。

 私がここに来るのは大抵、何かを成し遂げた時だ。テストで良い点を取ったり、大会で好成績を残したり。

「お母さん」

 部屋の真ん中にある赤いソファ。そこに座り、壁沿いに置かれた大画面のテレビを黙って見ている女性。

 その人を背中越しに呼ぶ。

「私さ。最近、いっぱい頑張ってたの」

 背中がこちらに向くことはない。少しでも興味を持ってほしくて、私は声のピッチを上げた。

「でも、なかなか上手く行かなくてさ。私、なんだか疲れちゃって」

「……ねえ、横でずっと煩いんだけど」

 ようやく、母の興味をひいた。悪い方向だったけど。

「疲れたから何よ。咲榴はもっと頑張ってるのよ」

「い、いま咲榴は関係な」

「アンタはお姉ちゃんなんだから、あの子より頑張らなくちゃ駄目でしょ。まったく、なんで年下の咲榴より__」

「……うん」

 あまりにも聞き飽きて、それでいて悲しい小言。

 近年、母はずっとあの調子だ。何かにつけて私と咲榴を比較し、もっと頑張れと言い放つ。

 私は母から誉められたかった。だから咲榴より凄い人になりたかった。

 ただ、それだけだった。

「__分かった? アンタより頑張ってる人は沢山いるんだから、しっかりしないと駄目よ」

「うん。ごめんなさい」

 母の気が済んだのを確認して、私はまた外へ出た。


 私は私が嫌いだ。

 頑張ったところで誰からも見られない。それでいて、結果だけ見れば咲榴に負けている。

 人生ってクソだ。

 愛されたいのに愛されない人生。なんで私は、こんな人生の主人公になったんだろう。

 幸せになりたい。

 いつしか、そんな単純な希望すら持たなくなって。


「はは、あははは」

 自分でも理由が分からないけど、変な笑いが出た。

 何もおかしくない。何も楽しくない。

「ははははは、はは、は」

 こんな自分を見られるのが嫌で、転がり込むように路地裏へ入る。

 誰に見られたところで、今さら私の評価は変わらないのに。


 私はそこで、最期を見る。

「もう終わりですか?」

 現実で聞くことのなかった声に、私は正面を凝視した。塀の影にいるそれを私は知っている。

「……アンタは」

「苺が見つけた愛。それが知りたくて、飛び出してきちゃいました」

 しゃがみこんだ桃色の瞳が、私をじっと見つめていた。

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