ストロベリアの苦悩

 夢を見ていた。

 フローリングの床で、クレヨンを持って絵を描いている夢。

「あら苺、お絵かきしているの?」

 手を動かす私の後ろから、暖かい声がする。

「うん! 苺ね、いっぱいニコニコの絵を描くの!」

 考えるより先に、喉からスルスルと言葉が流れ出る。

「将来は画家さん? ふふ、頑張れー!」

「お母さんにもいっぱい描いてあげるね!」

「うふふ、そう。頑張って……あの人みたいに、元気に育ってね」

 暗い表情に気付かず、私はクレヨンを走らせ続けた。


 夢を見ていた。

 母の大きなお腹に、耳を当てている夢。

「苺、お姉ちゃんになるの?」

「そう。四歳上のお姉ちゃん」

「キャー!よんさーい!」

 椅子に座る母の周りをグルグル走り回る。しかし周りには洗濯物や掃除機が散乱しており、いつ足を引っかけてもおかしくない。

「こら、苺。そんなに走ったら危ないでしょ」

「だってだってー!」

「苺の妹が真似したらどうするの? お姉ちゃんなんだから、この子……咲榴のお手本にならなきゃ」

「お姉ちゃん……」

 当時はかっこよく聞こえたその言葉を、噛みしめるように復唱する。

「分かった! お姉ちゃんだから頑張る!」

「ふふ、苺はえらいわね」

「へへー」

 母の手が頭に乗る。少し重いけど、包まれてるような居心地。

 私は、母のことが大好きだった。


 夢を見ていた。

 初めて妹を見て、目を輝かせていた頃の夢。

「ほーら、苺。挨拶して」

「苺だよー! お姉ちゃんだよー!」

 母がにぶつからないよう、ブンブンと手を振る。そんな私を、興味深そうに赤子が見ていた。

「あ、あぅ、だ」

「なになに、何て言ってるの?」

「苺と握手したいって」

 手を伸ばしてくる赤子に、私も指を立てて見る。それが触れ合うと、赤子はキュッと私の指を握った。

「わぁーっ……!」

「ふふ、苺はいいお姉ちゃんね」

 指の先から伝わる温もりと、母の暖かい言葉。

 この頃が一番暖かかったな、なんて思った。


 夢を見ていた。

 小さい咲榴が絵を描いてて、それを横で見ている絵。

「見て、お母さん!」

「なぁに、ってあら! これ咲榴が描いたの?」

 咲榴が描いていたのは、部屋にあった花瓶の絵。ただそれは、三才児が描いたとは思えないくらい精密に描かれていた。

「凄いじゃない、こんな綺麗に。咲榴は将来、あの人みたいになるかも……」

「お母さん、私も! 私も画家になる!」

 小学校に入ったばかりの私も、張りきって鉛筆を走らせる。

 だがその絵は、色もついてないし形も崩れていた。ハッキリ言って咲榴のほうが上手い。

「……苺はお姉ちゃんなんだから、咲榴の手本にならなきゃ駄目よ?」

「うん! 頑張る!」

 母が言葉に詰まったことも知らず、私は満面の笑みで頷いた。


 夢を見ていた。

「みてみて、『咲榴』!」

「わあ、難しいのによく書けてるわね!」

「お母さん、私も!」

「もう。苺は四年生なんだから、もっと頑張らないと駄目よ?」

「あ、う、うん!」


 夢を見ていた。

「お母さん、今日の中間テスト八十点だったんだよ!」

「あら、そう。でも咲榴はもっと良い点数だったわよ?」

「そ、それは中学校と小学校の違いで」

「苺はお姉ちゃんなんだから、咲榴より頑張らないと」

「……うん」


 夢を見ていた。

「また賞を取ったの? それも三つ!」

「えへへ~! 頑張ったら取れた、的な?」

「咲榴は凄いわね。本当に、あの人に似て……」

「ねえお母さん。私、お姉ちゃんより凄い?」

「勿論よ、苺はこんなに賞を取ってきたことないから!」

「やった! 私すご~い!」


 夢を見ていた。

「苺、もっと頑張りなさい!」

「……うん」


 夢を見ていた。

「ほら見て! お姉ちゃんより凄い!」

「……うるさいわね」


 夢を見ていた。

「ねえ、お母さ」

「あんたより咲榴のほうが頑張ってるわよ。お姉ちゃんがそれでどうするの」

「……ごめんなさい」


 夢を見ていた。

「あの高校を受験するの? 咲榴は頭がいいわね」

「えへへー」


 夢を見ていた。

「……また、撫でられたいな」


 夢を見ていた。

 咲榴はどんどん成長した。

 夢を見ていた。

 私は置いてかれた。

 夢を見ていた。

 母が私を誉めなくなったのは、いつからだろう。

 夢を見ていた。

 夢を見ていた。

 夢を見ていた。


 母に誉められる世界を、私は普段から夢見ていた。


 夢を見ていた。

「お母さん。私、魔法少女になったの」

 言ってはいけないことを、私は口にした。

「変なこと言ってないで勉強しなさい」

 母は私に興味を持たなかった。


 夢を見ていた。

「お母さん。私、彼氏ができたの」

 まだ咲榴がしてないことを、私は成し遂げた。

「そんな暇があるならもっと頑張りなさい」

 母はため息を吐いた。


 私はもっと頑張らなくてはいけない。

 頑張って、努力して、成長しなければいけない。咲榴をこえるだけじゃ駄目。

 そうじゃないと私は、二度とお母さんに、私は。

 私は。


 お母さん、お願い


「行かないで」

 夕焼けの差し込む部屋で、ポツリと目が覚めた。

 またこの夢だ。

 あれから五日。最近、私は学校に行っていなかった。

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