欲求エクスプレス
すっかり日が落ちた、木曜日の夜。
冬服の私と私服の紅守。
「あれ、ここも閉まってんじゃねーか」
紅守と私でショッピングモールを歩く……つもりが、店はほとんど定休日だった。
「ちゃんと調べてなかったの?」
「いやー、苺ちゃんと出掛けるのが楽しみでつい」
「……もう」
単純な言葉にも、私の頬は赤く染まった。チョロい女だ。
「でも、どうする? 私ちょっと足疲れてきたんだけど」
「そうだな。一つだけアテはあるけど」
「そこも閉まってないでしょうね」
「いや間違いなく入れる」
紅守が、やけに自信満々に言い切る。その雰囲気が、私には何故か不穏に思えた。
紅守と歩くごとに、道路で人を見かけなくなっていく。街頭が減っていく。車も通らなくなっていく。
「ねえ、こっちに店なんてあるの?」
「別に店とは言ってねえだろ」
「え?」
「ほら、ここ」
紅守が立ち止まる。目の前には、やや古びた三階建てのマンション。
「ここ、何?」
「俺の家」
「おれの……は? アンタの?」
茶色のレンガ壁に取り付けられた灰色の扉へ、紅守が鍵を刺す。ガチャリと開いた扉の先は、薄暗くてよく見えなかった。
「風邪引くぞ。早く入れよ」
「あ、うん」
手を引かれ、私はその肌寒い建物へと足を踏み入れた。
二階にある紅守の部屋へ、エレベーター経由で歩いていく。
「ほら、入って入って」
紅守の部屋はやけに綺麗だった。私の自室より綺麗な気がする。
その生活様式に、少しだけ違和感を感じた。
「あー、紅茶ぐらいしかねーわ。飲むよな?」
「あるなら」
私がそう言うと、紅守が冷蔵庫からペットボトルを取り出す。冷蔵庫横に置かれていたコップにそれを淹れると、部屋の入り口で立ってた私へ差し出した。
「ほい。ってか、その辺に座れよ。俺の布団使ってもいいから」
「まあ、うん」
部屋の奥にあるベッドに腰掛け、紅茶に口を付ける。
何というか、苦い。あと冷たい。冷蔵庫に入ってたんだから冷たくて当然だけど、私は温かいほうが好きなのだ。
「最近どう? 学校とかは」
「別に普通よ」
「本当か? 最近、遅刻とか多いらしいけど」
「……何で知ってんのよ」
「こう見えて顔が広いんだよ、俺」
私を横目で見つつ、ニヤニヤと笑う紅守。
「だとしても、アンタには関係ないでしょ」
「いや気になるだろ。何でなのか」
「それは……。アンタといる時間が増えたからよ」
目線を紅守から反らしつつも、私は悩みを打ち明けた。
「私、目標があるの」
「ふーん?」
「そのためには勉強も、運動も、沢山しないといけない」
「あの子、えっと、妹ちゃんに勝つため?」
「それもある。けど、私が目指してるのはもっと先」
グラスに水を入れ、紅守が私の隣へ座る。それを横目で見ながら、私は続けた。
「でも最近、分かんないの。色んなことが起こって、アンタにも会って、初めての楽しさがいっぱいあった」
「もう付き合って半年くらい経つんだな」
「私、その半年で変わって、変わったから分かんなくなった。このままでいいのか、どうするべきか」
自分のカップを傾け、底に貯まった紅茶を全て流し込む。
「頑張る時間は無くなるけど、アンタといるのも悪くないかなって」
「苺ちゃんがそう思うならいいんじゃね?」
「でも駄目なの」
「どうして」
「今まで頑張ってたのを止めたら、全部無駄になる。私が無駄になる気がして、それが怖い」
「別にそんなこと」
「アンタだって、頑張る私が好きって言ったじゃない!」
何かにすがりたくて、訴えたくて、私は紅守へグイッと顔を近づける。彼の膝に手を置いて、身体を傾けて。
「アンタに会えたのは、頑張ってたから。それなのに、それを止めたら、私」
「……そうか」
「ごめん。こんなこと言われても困るわよね」
何を言うのが正解なのかすら分からず、そのまま俯く。面倒くさい女だ。
「頑張るのは止めずに、俺と付き合うのは?」
「それが出来れば苦労してないわよ」
「はは、そっか」
「何笑ってんのよ」
軽く笑って、空のグラスを布団に置く紅守。その態度に、私は頬を膨らした。
「でもさ、俺はいいよ。苺ちゃんが頑張らなくても」
「そういうことじゃ……」
「苺ちゃんならいいって言ってんだよ」
その言葉と同時に、紅守が私に向く。両肩を、少し強めに掴まれる。
「ちょ、なに」
「いいから」
紅守はゆっくりと、私を布団へ押し倒した。
仰向けに倒れる私の顔を、紅守が覗き込む。
この構図を、人は馬乗りと呼ぶ。
「頑張るのを止めた苺ちゃんでも、俺は受け入れるよ」
「なっ、何よそれ」
「だから苺ちゃんも、俺のこと受け入れて」
静かな部屋で、二人見つめ合う。緊張して顔が暑くなる。
「俺、苺ちゃんのこと好きだよ」
「知ってるわよ」
「苺ちゃんもさ、俺のこと好きでしょ?」
「……まあ」
「だったらさ。面倒なこと考えず、俺だけを見て」
「それは」
私の言葉を待たず、紅守がぐっと顔を近づける。
吐息が当たる。心臓の音がうるさい。頭がグルグルする。
愛情の観測者が言ってたことを思い出す。
__早く交尾して心も身体も繋がればいいのに。
__きっと紅守くんも、それを望んでいます。
紅守は、私との行為を望んでいる。身も心も繋がろうとしている。
流石は観測者、ってことなのかな。
「愛してるよ、苺ちゃん」
彼との距離が近くなり、唇同士が触れあおうとする……。
最後の一瞬、香水の匂いが鼻をくすぐった。
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