ビハインド・ルームの先で
扉を開いた先は、どうなっているんだろう。
異世界が広がっているのだろうか。
沢山の敵がスタンバイしてるのかも。
いずれにせよ、どんな非日常が待っているのか、私は鼓動が高まった。
そんな鼓動は、期待はずれによって鎮められた。
「……普通の家じゃん」
扉の先は、木製の床と白い壁紙が包む空間。要は廊下だった。
「ビハインドルームは? 死相領域は? 何も無いじゃない!」
「そういう訳でもないですよ」
「どこがよ!」
「もう、出られませんから」
憤る私を通りすぎ、入ってきた扉を奏揮が開く。
そこに広がっていたのは、廊下。
「あれ?」
私の後ろは廊下。扉の先も廊下。
じゃあ、私たちはどこから入ってきた?
「僕らはもう取り込まれたんです。ほら、来ます!」
「来るって、何が__」
突然、十メートル先の鉄筋コンクリート壁が爆発した。ドガン、ガラガラ! と破壊の音が鳴り響く。
「きゃっ!」
飛んでくる瓦礫から守るため、咄嗟に顔を腕で隠す。奏揮が私の前に立ち、飛んでくる砂埃を遮る。
そっと腕の隙間から覗くと、人影のようなものが見えた。
『オ……ゴ、ギ……』
壊れた壁の向こうから、壊れたスピーカーのような音がする。
そこに居たのは、一人の女。
ただし、見た目も挙動も、明らかに異常な女だった。
『イィ、ガゴオオオォォォ!』
先ほどの金属音は、この女の口から放たれていた。
動くたびに零れる、炭のようにボロボロの皮膚。ひび割れた肌からは、灰色のスライムが溢れだしている。
くすんだ白色のネグリジェを纏っており、中からは無数の腕が飛び出していた。
「うわ、まるでムカデみたい」
そして、高さ二メートル弱あるはずの廊下を中腰で進むほどの全長。
それでもなお、頭を天井に擦り付けている。
『アァガギィィィ、ゴオオオォォ!』
穴を空けたような、真っ暗な瞳孔と口。しかし明らかに敵意を向けてくる存在。
見境ない邪悪。
「なるほど。死相、ね」
名付けた人の気持ちが、少し理解できた。
戦闘開始だ。
『ギィグウウウウゥゥゥ!』
化け物が動く。
胴から生えた腕を使い、器用に廊下を這ってくる。
「やっぱムカデじゃん!」
扉がついていた壁をドガンと破壊し、突っ込んでくる化け物。
あんな勢いで轢かれたら、身体が千切れてもおかしくない。私と奏揮はその場で、それぞれ左右に飛び込んで回避する。
『オゴオ、オゴオオォォ……』
「あれ?」
次の攻撃に備えるため振り替える。が、もうそこに化け物はいない。
化け物は私たちを無視して、廊下の奥へと消えていった。
「アイツ、どこに行くんだろう?」
「追いかけましょう」
私が立ち上がる頃には、既に歩きだす奏揮の姿が見えた。
さっきまで倒れこんでいたのに、私より先に姿勢を直している。手錠で縛られているのに器用だな、と思った。
戦闘終了だ。
暗闇の先に広がっていたのは、リビングのような空間だった。ただし四方の壁は削り取られていて、楕円状に拡張されている。
あの化け物が壁を削ったのだろうか。
「死相、かなり足が速いですね」
壁にぽっかり空いた穴を、奏揮が覗き込む。中は真っ暗で何も見えない。
「追いかけるの?」
「いえ、ここは待ち伏せでも……?」
ふと奏揮は話すのを止め、右耳に手を当てた。手錠で繋がれてるので、メガホンのように輪っかを作っている状態だ。
「何よ、突然そんな」
「静かに。何か聞こえます」
「ふーん?」
奏揮の真似をするように、両耳に手を当てる。
……ハァ、ハァ……。
「ほんとだ」
微かだが、荒い息づかいのような声がした。
「あの腕野郎の声?」
「それにしては、音が近すぎる……」
耳から手を離し、音を探るように歩きだす奏揮。目を瞑っているが、その足取りは正確だった。
「アンタ凄いわね。私、どこから聞こえるか全然分かんない」
「耳には自信があるので」
不意に、床下収納の上で奏揮が立ち止まる。
「ここです、この真下」
「明らかに怪しい扉があるわよ」
「もしかすると、死相の罠かも。苺さん、戦闘準備を」
「オッケー」
返事したものの、戦闘準備って何をすればいいんだろうか。もう変身はしてるし。
とりあえず、ファイティングポーズをとってみた。精一杯の戦闘準備である。
「では行きます。三、二、いちっ」
「おりゃああああっ!」
扉が開かれると同時に、私は大きく拳を振りかぶった。
「ぎゃああああああっ!」
「うわああ!?」
そこに居たのは死相ではなく、一人の男だった。
「ごめんなさいごめんなさい許してください殺さないで違うんです俺は何も__」
「アンタ、誰?」
「い、一般人! 苺さんに続いて!?」
床下収納で突然謝罪を始める、赤髪の男。
それを見つめる私。彼の存在に驚く奏揮。
みんな違ってみんな良い、とはこのことか。
「あ、あれ? あの化け物じゃない?」
「そうね」
「俺、助かった?」
「うーん、どうだろ」
「頼む! 助けてくれ! 化け物に襲われたんだ!」
赤髪の男が床下収納から這い上がり、私の足にしがみついた。
「ちょ、ぱ、パンツ見える! アンタ、いくらなんでも」
「お願いだよ! もう何時間ここにいるか分からねえんだよ! もうおかしくなりそうで、俺、俺」
「……はぁ」
私にしがみついたまま泣き出す、ジャケットにジーパンの男。見たことも体験したこともない状況に、私は溜め息をついた。
「苺さん」
「何よ」
「良かったですね」
「何が」
「苺さんのおかげで、一般人が助かりそうです」
「……偶然よ、偶然」
奏揮からの言葉にはこう返したものの、内心で私は少し嬉しくなった。
初めての戦いで、初めて出会ったこの男。
彼によって私の物語は、大きく動くことになる。
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