メタモルフォーゼは恥じゃない
私は私が嫌いだった。
特別じゃない自分が嫌いだった。何も成せない自分が嫌いだった。
平凡な人生を送る自分が、どうしても嫌いだった。
だからきっと。
『私、私が好きになれたよ』
あの人に、そう言える自分になる。
そう信じたい。
「ここです」
「は? この家?」
探知アプリを頼りに、マンションから走ってきた私たち。待ち構えていたのは、特に異変のない一軒家だった。
「この中に化け物……。死相がいるってこと?」
「そうなります」
「こんな静かな家に?」
金属製の青い扉から声はしないし、白い壁が引き裂かれた形跡は無い。
奏揮がインターホンへ手をかける。ボタンを押すが、何も鳴らない。
「おそらく、扉の向こうで『死相領域』を張っているんでしょう」
死相領域。私が変身したあの日の夜、教えてもらったことの一つだ。
「ビハインドルームみたいなやつ?」
「そう。その怪談の正体です」
ビハインドルーム。
この現実には裏世界があって、そこには沢山の部屋とモンスターがいる……。という噂話。
ネットの一部では有名な話だが、その正体には死相が関わっているらしい。というか死相こそが、怪談に出てくるモンスターの正体だと教わった。
「でも、そしたら中に入るのは危なくない?」
「危ないです。生身の人間は特に」
「殺されたりしない?」
「殺させないために、僕らが乗り込むんです」
奏揮がドアノブに手をかける。じゃら、と手枷の鎖が鳴った。
「って、いつの間にその服装に!?」
奏揮は私が見ていないうちに、黒いジャケットと手枷を身に付けていた。
初めて顔を合わせた時と同じ格好だ。
「……前に気になってたんだけど、アンタ、手錠してるわよね。何で?」
「深い理由はありません。過剰に力を使わないためです」
「何、昔やりすぎちゃったとか?」
「……そんなところです」
少し気まずそうに、奏揮が私から視線を反らす。図星だろうか。
「へー。ふーん。ほぉー?」
「何ですか、その顔」
「別にー? でももり私がピンチになったら、ちゃんとそれ外して助けてよね!」
「善処します。苺さんも、早めに戦闘態勢になってください」
「はいはい、っと」
私はポケットから、エメラルド色の紐リボンを取り出す。あの日、変身していた私が付けていたリボン。
私の、変身のトリガーだった。
ツインテールへリボンを上から当てた瞬間、変身が始まる。
「わっ、リボンが勝手に!」
同時に髪が伸び、色が変わる。すでに付けていたゴム紐がほどける。
ポケットからリボンがもう一本出てきて、淡いピンク色になった髪を整えていく。
「え! ちょっと、キャっ!」
髪が整いきる前に、服が弾けた。
破れたのではない。弾けた。弾けた服の破片は光になり、私の身体へと引き返す。
やがて光は止み、破片は別の服を形成していた。肩のない白生地、緑の襟とスカート。黒いブーツは膝下まで伸びるが、走れるくらいには機動性がある。
あの日、化け物を倒した時と同じ格好だった。
まるで少女向けアニメの変身シーンみたいだな、と思った。
……さて、そんな過程を踏んで私は変身した。
奏揮の目の前で。
一瞬とはいえ、裸になって。
「よし、ちゃんと戦闘態勢を」
「みみみみ見た? 見たわね!」
「何を」
「私の裸よ!」
今の一部始終を彼に見られていた。そう思うと、羞恥心で顔が茹で上がる。既に服を着ていたが、胸と股を腕で隠した。
変身する度こんなリスクがあるの? 凄く嫌なんだけど!
「っていうかアンタ! 私の裸を見といて顔色一つ変えないって、どうなの! 逆にムカつくんですけど!?」
恥ずかしさが限界を迎え、私はおかしくなった。
でも仕方ない。予期せぬタイミングで裸を見られたら、誰だってこうなると思う。
そんなラブコメ的な展開は滅多に起こらないから、共感は得られないと思うけど__。
「見たも何も。一瞬光ったら、もうその格好でしたよ」
奏揮のその言葉で、オーバーヒートしてた私の思考は戻ってきた。
「……え? マジで?」
「マジです」
「見てない?」
「だから一瞬光っただけですって」
「……よかったああぁぁぁ……」
私の心に安堵が満ち溢れる。
というか、だったら逆に、今のは何だったのだろう。私の心象風景だろうか。
自分の中で一喜一憂していた私は、心配そうな奏揮の視線に気付かなかった。
「緊張していますか」
「いや別に、そういうわけじゃ、ひゃっ!?」
右手に温かいものが触れる。奏揮の手だった。
「大丈夫。落ち着くまで、こうしてあげますから」
「や、優しいのね……。これじゃ扉も開けれないけど」
握られた手を見つめる。少しだけ、顔が暑くなる。
さっきの茹で上がるような暑さじゃなくて、芯から暖まるような暑さ。
「苺さんが落ち着くまで、こうしてるって意味です」
「あっ……、ええと、ああもう、大丈夫! 私は大丈夫だから!」
もう片方の手で奏揮の手を引き、いっしょにドアノブを握る。
「私、こう見えて強いのよ! これくらい平気よ!」
心の隅にある恥ずかしさを誤魔化すように、声を上げた。
「アンタ、ええと、奏揮こそ! 不安だったら、ちゃんと私に言いなさいよ!」
「はい、期待しています」
「う、その、私も、頼りにしてる」
期待している。その言葉で、私は動揺した。
いつぶりだろう。他人から期待されたのは。
いつからだろう。他人から期待されなくなったのは。
あれは、そう、確か、私が四歳の頃だっただろうか。二歳の妹が、母に誉められてるのを__
(そんなこと、今はどうでもいいか)
首を振って、始まりかけた回想を忘れた。
パートナーと共に、私は勢いよく扉を開いた。
「それじゃあ……突撃っ!」
戦闘が、始まる。
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