ニューホームに男子を添えて

「ただいまー」

 玄関の扉を開け、ポツリとこぼす。好きな人からの返事を期待するわけではない。癖のようなもの。

 だが今日は、私の声を聞きつけ一人の女が駆け寄ってきた。

「お、お姉ちゃん! アレの正体って分かった!?」

「あれって?」

「あの化け物よ! 私、怖くて逃げるのに必死で、写真とか撮らなかったんだよね~」

 私はしばらく考えるフリをした。

「……さぁ、分かんない。私も逃げて、気付いたら外にいたから」

「えぇ~! お姉ちゃんのほうが近くにいたのに、写真も撮れなかったの~?」

「アンタも同じでしょ」

「つまんな~い! あれ撮ってたらバズりそうだったのに~!」

 私の心配より写真かよ、と溜め息が出た。


 とはいえ、この状況は何だかワクワクしてしまう。

 逃げれたというのは、もちろん嘘。あの奏揮って男から、『死相』のことは口外するなと言われているのだ。

 咲榴を適当に受け流した、次の日。

 白いシャツに黒スカート、上から茶色の薄いコートを着て、私は出かけていた。

「どーもっ、おはようございまーす」

 鉄扉を開け、私はマンションの一室へ入った。

「うわ、暗い。誰かー、いるー?」

「いますよ」

 玄関の明かりを点けながら、奥のリビングへと向かう。昨日までは無かったベッドの上で、ノートパソコンを弄っている奏揮が見えた。

 あの夜から、彼の見た目は大きく変わっていた。白いパーカーと、ややオーバーサイズな薄灰色のズボンを着ている。あと、手錠もしていない。

 特におかしなところが無い彼は、何というか、普通の男の子だった。陰キャっぽさはあるけど。

「ちょっと、なんで電気ぜんぶ消してるのよ! 目悪くなるわよ!」

「電気代は隊本部が請け負うので、少しでも節約しようと」

「いいわよ、そんなの!」

 部屋の広さは六畳ほどで、広いとは言えない。

 電気を点け、カーテンも全開にする。奏揮が眩しそうに、黒い両目を細めた。


 私が変身したあの後、奏揮から色々と教えられた。

 死相っていう化け物のこと。

 私が変身した理由。

 私が今、どんな存在になっているのか。文章にすると非常に長くなるので、ここでは簡潔にまとめる。

 私は、奏揮が所属する『対死相部隊』に加入することになった。


 その隊とやらに入った私は、まず部屋を用意してもらった。

 実家に子供部屋はあるが、咲榴と同室なので気が休まらないのだ。

「コーヒーと紅茶、どっちにしますか」

「ミルクティーで」

「分かりました」

「……え、あるんだ?」

「材料だけは」

 冗談交じりに言ったつもりだったが、奏揮は通路上のキッチンへ移動する。

 カチャカチャという物音。コポコポとお湯の入る音。その後、私へティーカップが渡される。

「おおー。ありがと」

「好きなんですか? ミルクティー」

「紅茶の匂いと、ミルクの味が好きなのよ」

 カップに口をつける。

 全体的に安っぽい味。だけど、悪くない。

「ところで死相のこと、誰にも話していませんか?」

「もちろん! で、今日は何で呼んだの?」

「今後の日程調整と、端末の受け渡しです」

 奏揮は紅茶のポットを脇に置くと、ポケットから黒い長方形を取り出した。

「こちらを渡しておきます。チャットアプリと通話機能、それからGPSなど」

「要はスマホでしょ」

「まあ、そうです」

 一般的のスマホに付いているような機能が、受け取った端末には揃っていた。

「ではまず、通話アプリの説明から」

「あんまり若者バカにしちゃ駄目よ」

 奏揮が話し終えるより先にスマホの電源を入れ、通話アプリを開く。唯一私の知る名前をタップし、電話をかけた。

 直後、奏揮から『ポポロポン♪』と着信音が鳴る。聞きなれない音だ。

「な、勝手に……まあ問題ないんですけど」

 特に声を上げず、奏揮は通話を切った。

「では次に、カレンダーアプリを確認してください」

「はいはーい」

「それから五月の日程を」

 奏揮に言われるまま、端末を操作していく。

 土日の色も変えられてない真っ白なカレンダー。だが、五月一日だけ赤く表示されていた。

 タップしてみると、予定欄に『戦闘訓練』と書かれている。

「今後、予定が入ると自動で更新されます。口頭でも伝えますが、なるべく細かく確認してください」

「ねえ、この五月一日って」

「書いてあるままです」

「えー。私テスト勉強したいんだけど」

 ハッ、と固まり、私へ視線を移す奏揮。彼のスマホが床へ落ちた。

「……苺さんの日常を乱すのは、あまり良くないですね」

「いや、普段みたいに勉強するだけだけど」

「じゃあ駄目です。うまく両立してください」

「えぇーっ」

 溜め息を吐き、スマホを拾い上げる奏揮。

「勉強と対死相部隊、どちらが大切だと思う……。とは言いません」

「ふーん?」

「苺さんの日常も大事なので。空けたい日は、事前に言ってください」

「へー、割りと融通きく感じ?」

「期待の新人なので」

「分かってるじゃん」

「今回は勉強より、訓練を優先してほしいですけどね」

 はいはい、と適当に相づちを打つ。

 そんなことより私は、奏揮のしぐさが気になった。


 この部屋に入った時も、あの路地裏での戦闘でさえも、奏揮は気だるげな態度を崩さなかった。流石に私が大怪我をした時は、取り乱していたけど。

 そんな彼が、こんな自然な会話中に顔色を変えるのが、私にはとても新鮮に見えた。

 同時に、なぜ彼の心が動いたのか、とても不思議だった。


 ぼんやり考えていると、私の目に奇妙なアプリが映った。

 真っ黒のアイコンに『探知』という名前。当然だが見たことがない。

「ねえ、これって」

「それは死相探知アプリです。地図アプリと連携し」

「えい」

「あ、また勝手に起動を」

 こういうアプリは、聞くより使ったほうが理解しやすい。奏揮の話を適当に流しつつ、私はスマホを操作した。

「この青い点が現在地?」

「そうです。同じ端末を持っている人は、黄色い点で表示されます」

「じゃあ、この赤い点は?」

「赤い点は、死相の反応です。……うん?」

 私と奏揮が顔を見合った。

 私たちから一キロほど離れた場所に、赤い点が表示されている。それを見せると、奏揮は急いで自分の端末を確認した。

「こっちも同じ表示」

 奏揮の表情が、少しキリッとした。


 端末の画面を見つめる私の肩へ、奏揮が手を乗せる。

「苺さん、行きましょう」

「は、え、ひょっとして」

「C区域にて死相の反応あり。奏揮、苺、急行します」

 目にも留まらぬ早さで通話を繋ぎ、報告を済ませる奏揮。私もこの生活に慣れたら、こんな風に動くのだろうか。

 なれない気がする。と、心のどこかで思った。

「え、っていうか私も行くの?」

「当然です」

「見学?」

「実戦です」

「えぇーっ、やだー。痛いのやだ」

「文句言わないでください……。って、何ですかその顔」

 口では抵抗しつつ、私の足は奏揮を追い、顔はにやけていた。


 私にしかできないこと。私を求めている場所。

 今から、そんな舞台に行くのだ。ちょっぴり怖いし緊張するが、ワクワクしないわけがない。

「ま、そんなに言われちゃ仕方ないなー」

 端末片手に、私は奏揮を追い越して部屋を出た。

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