第3話 炎天魔の墓標③

二章 炎下

都市から離れたここが何処かも分からぬ一室で、男の声がこだましている。

「あぁ楽しみだなぁ。これからたくさんの人が死ぬんだぁ」

 狂気に満ちたその声は高笑いと共に部屋全体に広がっていく。

「勘違いするな。これは目標をあぶりだすための手段にすぎない」

 咎めともいえるその言葉にとか笑いが止む。

「あぁ?おいおいおいおいおいおい。頼み込んできたのはお前らだろぅ?指図すんなよ。お前たちの目的なんてしらねぇよぉ。俺はあの腐った都市の腐った連中を殺せればいいんだよ」

 顔を近づけ威嚇をするが、相手の男は怯むことも目線をずらすこともなかった。相手の方が顔一つ分ほど身長が高い。それでも必死に食らいつこうと威嚇を続ける。だがそれもすぐに止め、自らのおもちゃを想像し、光悦な表情に戻る。

「いいなぁ。早く殺したいなぁ。どんな顔をするんだろう。どんな顔をして逃げ惑うんだろう。どんな声で鳴くかな。壊してもいいよね。いっぱいあるもん。あぁ楽しみだぁ」

 一人宙を仰いでいる男の様子を先ほどの男の横にいた者が耳打ちをする。

「本当に大丈夫でしょうか」

 その問いに男は真っすぐに答える。

「あいつはただの駒だ。民衆の、ギルドの視線を誘導してくれさえすればいい。それさえしてくれれば本来の目的を成し遂げられる」

「そうですが、被害が読めない以上…」

「あまりギルドの力を舐めるな。あそこにはあの日対峙した男よりもさらに強い奴が眠っている。それが動き出せば俺たちの勝ち筋などいとも簡単に引きちぎられてしまうのだ。全員に伝えろ。気を引き締めろ。速やかに行動し、目的達成だけを考えろ、と」

「了解」

 そういうと男が出ていく。

 狂気の高笑いは止まらない。その姿を男の瞳が捉えていた。少しの憐れみと怒りが写っていたことに彼自身気付かない。その感情に気付くことなくその場を後にする。

 その時にはすでに、覚悟と信念がその瞳に映し出されていた。

 あの少女を、殺す。場合によっては少年も…。

 男は胸についた龍のエンブレムを強く握った。



「セレネがいない?」

 学校前に知らされたそれにはさほど驚かなかった。

「どーせまたどっか出歩いてんじゃないの?すぐ戻ってくるって」

 セレネは最近よく一人で出かけていた。どこに言っていたのかは特に知らないし、詮索しようとも思っていない。今日もそんな日だろうと思ってしまった。

 だが、それが間違いであることに気付くのはそう遅くなかった。学校から帰ってきた後も彼女の姿はどこにもなかった。

「セレネ、まだ帰ってきてねぇのか?」

 日が落ち、沈んでいく。明かりが付き始める中通りは人足が遠のき、閑散し始めていた。

「あいつ、ほんとにどこに行ったんだ?」

「たしかに、そろそろ帰ってきてもいいころよね」

 その心配はカランやクベレも感じ始めていた。

 





 夜が深まり、皆が寝静まるころ。一人の男の叫び声を境にそれは始まった。


「怪物宴会だぁーーーーーー!」


 都市から数キロ離れたその地点から数百のモンスターが蹂躙の音を奏でながら都市の方へと移動して始めた。



「緊急招集だ。動けるパーティすべてに声を掛けろ」

 ギルドは緊急事態をいち早くかぎつけ、その対策を講じるべく、深夜に似合わないほどの賑やかさで溢れていた。

 とりわけ仕切るのはギルド長補佐役のハーデスであった。予期せぬ緊急事態にはそれほど動揺はしていなかったがさきほどから苛立ちを隠せないのか、足を揺らしている。

「動ける部隊はB級に二つ、C級に数十です。A級は遠征のため今都市内を離れています」

「それらすべてに声を掛けろ。足りない分はこちらで補充する。モンスターの力量が見えない以上、取れる手段はすべて取る」

「今現在、都市内のパーティは学生をむかえたインターンシップ期間中です。彼らの出動は?」

「それぞれのパーティに判断に任せる」

「ギルド長は?」

「…いない。あの人は当てにするな。」

「はっ」

 そう言うと部下は部屋を出ていく。廊下からは緊急事態の対処で人が行ったり来たりしているようでドアがしまったあとも微かにその足音や声が聞こえてくる。

 ギルド長。それこそが彼を苛立たせる最大の要因であった。

 A級パーティ不在の中起こった緊急事態。それを察知できただけで、最悪の事態は避けられそうではある。

 だが、彼女さえいれば、そもそも最悪の事態などというものは存在しないのだ。一国の軍隊をもってしても届かない彼女の力はエルフ族でありながら人間族主義が蔓延する現代で自らの力を証明し大都市のギルド長にまで昇り詰めていた。

 なのに、肝心な時に姿を見せない。

 彼女は良くも悪くも破天荒であった。雑務はすべて補佐のハーデスに任せ、彼女は都市へ出かけていた。その姿を見る方が稀であるし、まともに都市を代表するギルドの長だとは思えない。

 というかそもそもこんな雑務に追われていなければ、そこら辺のパーティに任せずとも自分自身で赴き、倒せばいいだけの話だ。それなのに、あの人は…。


『あ、ハーデスが戦いに参加したら下の子たちが成長しないから私が許可した時以外戦っちゃだめだから。これギルド長直々の命令だからね』


「くそっ」

 書類が山のように積まれた机を思い切り叩く。その振動で書類が波のように落ちていく。その声だけが虚しく一人の部屋に響き渡った。せわしなく走る足音と声が扉の向こう側の様子を示唆していた。



「ギルドからの緊急召集だって」

 深夜に届いたその手紙にカランとクベレ、そしてカルナはテーブルに集合していた。

「内容は?」

「えーっとちょっと待って」

 そう言いながらカランは届けられた封筒をナイフで綺麗に切ると中に入れられた紙を取り出す。

「緊急収集。現在都市内にいるすべてのパーティに告ぐ。都市外北北東付近に数百のモンスターの群れが発生、都市に進行中。目標は都市外でのこれの殲滅。一般市民に気付かれることのなく任務の遂行にあたってほしい。なお、現在学生のインターンシップ期間中であるが学生の参加は各パーティの判断に任せるが、その責任はパーティ個人が負うこととする。 以上。だって」

「は?数百のモンスターの群れ?は?」

 事態が上手くつかめない。

「これはなかなかにイレギュラーね」

 それもそのはずである。都市付近にはモンスターは生息しておらず、一般市民からすればモンスターをいることなく一生を終えることも少なくない。都市内にいるナイトからしてみてもクエストでモンスター討伐依頼が出るのは上位のものたちに限られており、そのハードルは最低でもB級以上。

 それほどまでに現代では稀とされているモンスターが一度に数百も?

「きな臭いわね」

「えぇ。基本モンスターは群れを組まない。それほどの知能がない。ただ相手を貪るという本能を充たすためだけに生まれてきた生物。それが群れを組み、一斉に都市方向に進行しているとしたら、きっと先導者がいる」

 カランとクベレの意見は最もである。そしてなにより。

「タイミングが良すぎる」

 クベレの言葉にカランも同意する。

「そうね。セレネが今日一日見えなくなっていること、今もまだ戻ってきていないことを踏まえると」

 嫌な予感がする。それを否定したいがために先に声が出ていた。

「あいつがどうとか、今は関係ない。結局どうすればいい?カランとクベレさんが動けない以上、俺と…」

「てかアランさんは?」

「今日の昼頃までいたんだけど。そっから見てないわね」

 カランがそう答える。クベレはなにやら考え込む素振りをしている。

「あの人のことだからもしかしたら先に異変に気付いて動き出したのかも」

「どうだろうな。アランさんも適当なとこあるからな」

「いずれにせよ、私たちが動けない以上カルナ、あなた一人で行ってください」

 クベレがアランに変わって指示をだす。

「あなたはきっと大きな戦力になる。都市内のナイトにはそもそもモンスターとの対峙経験がない者もいる。いやC級に至ってはそれがほとんどだ。モンスターは対人戦とは違う。きっとあなたの経験が役に立つ」

 そう真っすぐと告げられると照れくさくて前が向けない。

「まぁ行くけどさ。二人はどうすんのさ。ここでただ待ってるってわけでもないんだろ」

「私たちは私たちのやれることをやるだけです」

「そう、まぁ準備して言ってくる」

 そう言い、いったん部屋に戻る。いつもの戦闘服に袖を通す。これをきたのはあいつと会って以来だ。あの時持っていたナイフに加え、短剣を腰に巻く。フードを被り準備が完了する。

「おし、行くか」

 そういい喫茶バルバドから北北東方向へと駆け出した。



「どう思う?クベレ」

 カルナが去り、二人だけとなった店内でカランが長年共にしてきた相棒が事態をどう把握し、何を考えているかを問う。

「十中八九アランさんは状況を把握していますね。その上で動けないでいるのか、もしくは動かないかは定かではありませんが。ですが彼が動けなくなるほどの事態が起こっているとは考えにくい」

「そうね」

 カランも似たようなことを考えていると、脳内で二人の考えが交差する。

「それにここ最近のアランさんはどこか神妙でした。なにか深く考え込んでいる様子で夜中に一人お酒を飲む姿も見られた」

「え?そうなの?」

「あなたは気持ちよさそうに寝ていましたからね」

 顔が熱くなるのが分かる。それと同時に周りをよく見ていると感心も溢れてくる。

「まぁいずれにせよこの事態をアランさんが把握しているのは確かですね」

「やっぱりそうよね」

 現状のすり合わせが終わると沈黙が訪れる。やたらとつっかかってくるカルナも、急に越してきたセレネもここにはいない。その空白を静けさがやけに強調してくる。それがカランを焦らせているのは紛れもない事実であった。

 だが、その焦りとはまた別の感情も動いていたこともまた事実であった。きっと彼女一人であれば今すぐここを飛び出しそこへ向かっている。だが、今、彼女は一人ではない。責任は常に周りを巻き込むのだ。そもそもカランは戦いの権利を有しない。免停という事実がカランを縛り付けている。

 自分だけであれば、迷わず行く。だが、そこにクベレを巻き込んでいいのだろうか。もし、今一度その違反が公になれば、きっと免許剥奪もあり得る。その生きる道を失うかもしれない。その責任を彼女に。いいのだろうか。

「どうしますか?」

 その沈黙の中で行われた彼女の葛藤から現実世界へと引き戻したのはクベレの美しい声だった。その表情をみてはっとする。カランが何を考え、何に悩み、動けないでいるのか、全てを見透かしている顔だった。そのうえで。

「あなたらしくもない。こういう時に後先考えず動くのがあなたでしょう。大丈夫です。カバーは私がします」

 弱くなった。本当に弱くなった。クベレの言葉に目頭が熱くなっていくのが分かる。

 一人でいれば自分の責任でおさまる。周りを巻き込むことなどなく、自分の世界で完結させることができる。それでも、二人でいればそれ以上のことができる。分かっていた。分かっていたはずなのに、その意志が揺らいだ自分が情けない。

 クベレを危険な目にはあわせたくはない。

 もとよりそんな心配は無用なのだ。彼女はカランよりもずっと大人で、強いのだ。

「うん。そうね。私らしくない!」

 決意する。もう失わないのだ。カランにとってカルナもセレネだってもう仲間なのだ。彼女にとって仲間を失うということは何にも代えがたい屈辱だった。

 着替えを終え、店を閉める。久々に通した戦闘服は懐かしさと戒めを彼女に与える。

「身体なまってない?」

「冗談はやめなさい」

 大丈夫。もう大丈夫だ。

「おし!いこう!」

「ええ」

 そう言うと二人はカルナが進んでいった方向とは逆の南西へとその一歩を踏み出した。



「何事だ?」

 学生寮の中で数名が静かに起こされる事態にアスラは素早く勘づき事態の把握に努める。起こされている学生たちはどれも中の上ほどの実力者であり、戦闘服に着替えている。

 玄関には彼らの知り合いともとれるナイトが彼らを待ち、姿を見せると二言ほど交わし、すぐに出かけていった。

 起こされていない学生たちがほとんどである様子や彼らの切羽詰まった様子、特に学生たちの緊張を隠せないでいる様子から何か起こったのだと瞬時に理解する。

 だが、彼らの共通点はなんだ?実力は同じくらいであるが緊急事態であるなら彼らではなくもっと優秀な者達を招集するはずだ。

 中考の末、一つの結論にたどり着く。

 インターン先か?

 大都市の現状はA級パーティはどこも遠征でいない。B級もそれにいくつかついていってるみたいだ。つまり、今、現時点のここは一時的なナイト不足といえる。そこにもし、緊急事態が起これば?優秀なパーティであれば、学生を徴収する必要はない。いやむしろ連れていくのはマイナスだろう。

 だが、それが中堅クラスより下のパーティなら?こんな緊急事態自らの名をあげる絶好の機会だ。そこに多少の犠牲には目を瞑ると考えるのは妥当ではないか。

 それなら今起こされ、出かけていった学生たちの実力とも辻褄が合う。

 それに人数が不足しているうちがそれどころではなく、一目散に現場に向かうことなど容易に想像できる。

 これはあくまで想像。この目測は緊急事態が起こったという前提条件に立っている。もしそれが外れればアスラのただの深読みだったことになる。

 だが、そんな些細な事、アスラの行動を止める要因になどなりえなかった。

「行ってみればいいよね」

素早く身支度を済ませ静かに学生寮を後にしようとする。だが、彼の頭の中に一つ引っかかるものがあった。ネラはどうする?わざわざ起こしに行くか?

 その考えをすぐに消す。

 いや、いい。これはあくまで僕の予想。もし、彼女がこの事態に勘づき、自身と同じ行動をしたのなら話は別だが、そうでないなら彼女を連れてく義理も目的もない。

 事情の説明をしている時間も惜しい。それなら一人の方が動きやすい。

 

 彼は大層な夢を掲げてはいるもののその実、ひどい現実主義者で極度な効率主義者だった。そんな彼に彼女を起こすという選択肢が少しでもよぎったことが奇跡でもあった。

 

 学生寮を後にしようとしたとき、背後から近づいてくる足音に気付く。振り返るとそこには息を切らしながら立っている戦闘服姿のネラが立っていた。

「わ、私も行きます…!」



北北東方面の都市出口に着くとそこにはもうすでに多くのナイトたちがいた。そこには実力者もちらほら見られたが、どれもカラン達には劣っている者ばかりだった。学生も見えるが彼らの表情からは極度の緊張が見られる。

 無理もないだろう、とカルナは彼らを責めなかった。普通であれば彼らの歳でモンスターと対峙することなどあるはずがないのだ。その証拠にナイト達の中にも学生ほどではないものの緊張を浮かべるものたちもいる。

 これが経験。身をもって理解する。単純な実力で言えば彼らの方が上だろう。だが、未知との遭遇が彼らの力を一切発揮させない。

 これはなかなか苦戦を強いられるかもしれない。そうカルナが思ったとき、前方から大きな声が聞こえる。

「今回この緊急クエストの指揮をするものだ。分かっている。皆の顔を見れば一目瞭然だ。モンスター討伐、本来であれば分不相応な任務であることに間違いはない。だが、それでも立ち上がらなければならないときがあるのだ。この大都市ザイオンのナイトとして世界の中心に立つ者として武器を取らねばならないときがある。それが今だ。臆するな。誰一人として死なせはしない。大都市ザイオンの火神アグニに誓って!」

 指揮官と称する女性の良く響く甲高くもありながら力強い鼓舞が全体に鳴り響く。

 それに呼応するようにその場の全員が声を上げる。そこにはもう緊張を浮かべるものはいなかった。

 これが都市のナイト。たとえ万全の状態でなくともこれほどの士気の高さ。その中にはその動機が綺麗なものばかりではないだろう。これを機に名前を挙げてやろうだとか、そんなものばかりかもしれない。だが、今、この時点で、戦う動機などどうでもいいのだ。

 その群れの刃が都市に届かなければ。

「それでは詳細を説明する―」

 そういい振り分けられた編成は簡単なものだった。実力と経験を鑑み、B級パーティの面子は皆前線で戦い、実力に劣る者や、実力はあるが経験が乏しい者は都市付近での都市侵入の阻止が言い渡された。

 カルナは自ら前線へと名乗り出た。自らの経験はきっと役に立つと信じていた。先ほどの鼓舞に身体から湧き出る闘志があったのもある。だがそれ以上にたしかめなければならないことがある。もしこれがセレネに関係しているのだとしたら。この目で確かめたかった。

「では前線組出陣だ。交差地点は都市から数キロ地点。できるだけ都市に近づけるな。行くぞ!」

 そういい前線組が動き出す。



 その足音はすぐに聞こえた。何百という異形な生物が波となり押し寄せてくる。その足音はまさに蹂躙の音。絶望を奏でながら確実に都市に進行していた。

 さきほどの鼓舞が意味をなさなくなるほどにナイト達の顔には恐怖が映し出されていた。

 誰もが足を止めていたその中で、カルナは誰よりも早くその群れへと突っ込んでいく。腰につけた短刀を抜き取り、実力をその経験で埋め直し、切り刻んでいく。

 一体、また一体ばたばたと倒していく小さい背中が彼らにどう映っていたかカルナには分からない。だが先ほどとは違った鼓舞をしていたのは確実だった。一人、また一人、その群れへと向かって行く。決して誰も死なせないと豪語した者の実力はさすがでその場の誰よりもモンスターを狩っていた。



 その様子を遠くで見るもの一人。

「あぁ?あまりにも早すぎやしねぇかおいぃぃ!これじゃあ都市をめちゃくちゃにできないじゃねぇかよぉ‼」

 予想もしていなかった事態にその男は発狂していた。

「クソがっ!クソがっ!クソがっ!クソがっ!」

 自らの思い通りにならない現状に頭を掻きむしりながら叫び続ける。だがそれもすぐに止め、虚ろな目で宙を見つめる。

「こうなったらもういいわぁ。ほんとは都市の中で出したかったんだけどなぁ。いいや。俺の邪魔したあいつらさえ殺せればぁよぉ‼」

 男が叫ぶ。



 その瞬間。地中から現れたのは今まで狩っていたモンスターよりも何倍も大きいモンスター。つぎはぎでいくつもの生物がくっつけられたその異業種はカルナでさえも見たことがなかった。

 そして不運にもその生物の登場はカルナのすぐ近く真っ先にカルナを標的にしたと言わんばかりにその醜い眼光をカルナを捉え、次の瞬間には鋭利な爪をカルナの腸へと向け、切り裂こうとした。

 誰も動けなかった。イレギュラーに次ぐイレギュラーに全員の頭がショートしたこともある。だがそれよりもそのあまりの醜さが皆の恐怖心をあおり、全身を硬直させていた。

 避けろ!カルナの脳は全身に命令を出す。だが、逃げようとしたその先にはもう一体別のモンスターが噛みつこうとしている。この態勢から対処しきれない。

 やばい。

 その危機感に身体が硬直し、その爪がカルナを襲う。

 しかし、それがカルナの腸を抉ることはなかった。

 黒を纏った姿。長く伸びた黒紫の髪。よく見た木刀がその爪をギリギリで止めていた。

「危なかったね。カルナ」

 力いっぱいその爪を弾きながら告げるその顔はうんざりするほど爽やかで、かっこよかった。

「アスラ」

 何度も憎らしいと思ったその顔面を今では心の底から感謝していた。だが、それを言葉にするのはまだ先だ。はじかれた攻撃を再度繰り返すようにそのモンスターは爪を振り下ろす。

 それを今度は余裕を持って避ける。避けた先にも数体のモンスターがいたが、それを短剣で切り裂く。並みの魔法も使えず、魔力の全てを身体能力強化に当てようと一太刀では致命傷にすらならない。数メートル飛ばすことができても少しばかりの血を流しているだけだ。

 だが、次の瞬間にはそのモンスターの命はなかった。遠方から放たれた水の弾丸がその頭部を貫いた。

 その先には水色の髪をなびかせているネラの姿があった。表情までは見えないが何となく想像がつく。きっとこの地の惨状に恐怖の表情を浮かべながらもどこか覚悟をもった表情をしているはずだ。ネラはそういうやつだ。

「いろいろ聞きたいことがあるけどどうやらそんな暇はないみたいだね」

 アスラが木刀で敵を薙ぎ払いながらこちらに語り掛ける。俺もアスラたちに聞きたいことはある。どうしてここに来たのか。どうしてわかったのか。だが、それも後回しだ。意志疎通は必要最低限。あとは何とかなる。何とかする。

「僕もネラも自分がやるべきことは分かってる。だが如何せんモンスターに関する知識がない。対峙した経験もね」

 それもそうだろう。なら俺が今こいつに伝えるべきことは。

「モンスターは知能がない。ただ襲ってくるだけだ。普通は群れなんかも作るわけない。しかもこんな種族バラバラで。だから―」

「つまり、裏にいるというわけか。指揮しているヤツが」

 理解がはやくて非常に助かる。

「あぁ。このデカブツも急に出てきやがった。そいつを叩かねぇと終わらないかもな。まぁ探そうにも」

 この量を捌ききれるとは思えない。ここまでの戦闘で数は半分も減っていない。それなのにこちらの体力はそれ以上の減りだ。周りも見た限りでは似たようなものだ。無理もない。初めてのモンスターとの対峙。断ち切りにくいその肉のせいで一体倒すのに幾度の攻撃が必要になる。

 まぁ例外もいるようだが。横で木刀を振るアスラはそのコツをもう掴んだのかいとも簡単に木刀でモンスターを捌いている。こういうところが可愛げないんだよな。

 だが、こいつだけはどうしても何もならない。

 何倍も大きいその図体から繰り出される攻撃は威力、範囲ともに桁違い。つぎはぎされたボディはその硬さに定評があるものばかり使われている。

 先ほどからリーダーをはじめとする腕の立つ者が攻撃を試みてはいるが傷一つつけられていない。

 この生物を倒すには。きっと生半可な力ではだめだ。一か所でもいい。あの肉を引きちぎるほどの力を。

「アスラ―」

 その指示を出そうとしたとき。


 どこからともなく響く咆哮。その咆哮が心臓に直接響く。


 他の者が、アスラでさえ気づいている様子はない。皆が武器を取り、異形な生物たちとその命を懸けて戦っている。


 だが、これは―。心に、脳に直接響くこの咆哮は。

 呼んでいる。

 俺を呼んでいる。


 心の中で何かうずいている―。


「おいカルナ!何してる!」

 アスラが叫んだ声はもうカルナには届いていなかった。



 間違いはないはず。微弱な魔力を波へと変換し数キロメートル先の情報を読み取る。その結果北北東方向に数えきれないほどの人外の存在を確認する。

 彼らが用意周到に進めてきた作戦の尻尾をようやくつかむ。そしてそれが北北東方向というならきっと、本命は、その逆、南南西と考えるのが妥当。そしてその方角には、旧都市外のスラム街、そしてその先にはあの神殿があった場所。

 それを鑑みてきっと彼らの目的は。

 分かっている。もう私の存在意義は失われた。こんなに綺麗な世界だもの。皆が笑って、怒って、泣いて、楽しんで。もう必要ないのだ。革命の血などここで絶やすべきだ。


 私は、もう幾年月を生きたか分からない。人間が魔法というものを手にする前から生きていた。初めはひどい世界だった。そこら中に溢れ出るモンスターという名の怪物が人類を蹂躙していた。

 町は血と腐敗した死体の匂いで溢れ、そこから来る伝染病も蔓延した。

 それまで生物ピラミッドの、弱肉強食の世界で頂点に君臨していた人という生物は瞬く間にその座から引きずり降ろされた。

 何もできない。何もできなかった。

 世界中の人が迫りくる絶望と悲劇を恨み、希望を望み、いるともしない神に祈った。それしか出来なかった。

 ただ一人の男を除いて。

 その男はただ一人立ち向かった。ボロボロになりながらもそれでも立ち上がった。鬱憤を晴らすためか人は男を馬鹿にした。「無駄だ」「馬鹿だ」「見苦しい」。

 それでも男は闘い続けた。助けたい対象に貶されようと、決して諦めなかった。

 ある時、炎が灯った。神の娯楽か、気まぐれか。神の力が男に宿った。

 自身よりもはるかに強い、凶悪で、残酷な怪物を倒した。

 やがて男は認められ始めた。初めは一人。それからもう一人。彼についていくものが現れた。気付けば男は人を従えていた。人が一つとなった瞬間だった。

 それでもほとんどが死んだ。残ったのはたった四人だった。

 仲間の死にも止まらなかった。それどころか彼らの歩みを加速させた。多くの血と屍を越えた先に何があるかもわからず。

 驚異的なスピードで人の生息域を広げていったが、くしくも彼の代では完璧とまでいかなかった。

 最後の瞬間、彼は言った。この炎を絶やしてはならないと。きっとこの炎は世界を変えると。時には英雄の炎に、時には勇者の炎に、時には革命の炎に。彼のように。

 その役目ももう終わりだ。

 この世界には、この炎は、もう、いらない。

 それなら、私ももういらない。


 その覚悟を持って今、この神殿に立っている。


「一人とはどういう風の吹き回しだ?」

 振り返ればよく聞いた声。あの夜、カルナを私を追いかけてきた声。

「いや、一人と決めつけるのは良くないな。遠方で俺を狙っているかもしれん。あの男ならやりかねんな」

 そんなことするわけない。あの人たちを巻き込むわけにはいかない。今の時代を生きる全ての人を巻き込むわけにはいかない。

「ここへは一人で来た。私以外を巻き込まないで」

 そう告げた。それだけで十分なはずだった。

「そういうわけにはいかない。伝道師たるお前がもっていた書物を、あの少年が開いた。そしてあの少年にその兆候が見られる可能性がある限り、見逃すことはできない」

「っ!」

 やはり気付かれていた。カルナが下準備を整えていることを。だが、今のカルナなら。

「それはあなたとの戦闘に実証済みでしょう?もし彼が選ばれていたとしたらあなたとの戦いでそれを見せていたはず。それがなかったのはどうして?あの状況で見えないのはあまりにおかしいでしょ」

 カルナは土台を整えておきながらその能力を発揮しなかった。いやできなかった。それがなぜかは分からない。だが、それを前面に押し出せばこの場にカルナを巻き込まずに済む。それでいい。

「それは一理ある。だが、まだその可能性が1%でもある限り見逃すわけにはいかない。あの少年の体術は技だけではない。最小限の魔力を効率よく、使っていた。それだけで少年を疑うには十分だ。なぜなら、もしそれを見逃すことがあればそれはすなわち世界の終わりを意味するのだから」

「違う!あの炎はそんなものじゃない!」

「何が違う?では何をもたらした?何を人類にした?お前が今、世界に引き継ごうとしているのは終焉の炎だ。なにもなさない。なにもなされないんだよ」

「っ!それは!」

「話にならん。もういい。まずはお前だ。伝道者たるお前を殺せば自ずと答えははっきりする」

 そう言うと手で銃の形を作り、人差し指をこちらに向ける。

「死ね」

 放たれる魔法弾。だが、それはセレネに命中することはなく、横に逸れ、爆発する。


「おいおい。か弱い女に手ぇ挙げるとは礼儀がなてねぇな!」

 

 目の前にはよく見ていた姿が立っていた。手加減を知らないこの拳に何度殴られたか分からない。自分を棚にあげて何を言っている。だが、これは。

「大丈夫ですかセレネ」

 その後に続くようにクベレがやってくる。

「お前たちは」

「お前がどこの誰だか知らねぇがこいつに手出しはさせないよ」

 拳を構え、戦闘態勢に入りながら挑発的な表情で告げる。

「はぁ。お前たちには関係ない話だ」

「うるせぇよ!」

 そういい飛び掛かる。その拳はセレネを殴り飛ばしたものよりも鋭い。

「ほう。なかなかやるようだな」

 そう言いながらも余裕そうにかわす。しかし、その拳は勢いをまし、次第に避けることができなくなると、右顎に入りそうになる。それを寸前で防御する。

「魔力の流れが美しいな。それに魔力量が人並外れている。なるほどそれを拳にためることで威力を上げているのか」

 短時間の攻防戦の中でカランの力の一端を鋭く見抜く。

「まぁそれがどうした。こちらとて引けない理由がある」

「そうかよ」

 二人の魔法のぶつかり合い。相手の体術もカランに負けずとも劣らないほどのものであった。一流同士のぶつかり合いが衝撃を生む。

 その衝撃波に飛ばされそうになりながらもセレネは踏ん張っていた。駄目だ。今、皆を巻き込むわけにはいかない。

「セレネ今のうちに」

 その手を阻むように出てくるゴーレムと影の魔物。

「これは、誰かの魔法ですか」

「舐められたものですね」

 そう呟くクベレの眼光はいつもに増して冷酷で鋭かった。抜いたナイフで相手を切り裂く。それが土で出来たゴーレムだろうと物体をもたないかげであろうと関係なかった。

「セレネ、今のうちに―」

 しかし、セレネはクベレの予想とは反した方向に走り出す。それはカランと相手がぶつかり合っている方であった。

「どうして⁉」

 そしてその間に入り込み、その小さな身体を精一杯広げその戦いを止めようとする。思いもよらない乱入者にカランの攻撃が緩むとその隙を相手は逃さず一撃を襲う。

「がはぁぁぁぁぁ!」

 渾身の一撃はカランの身体を数メートル先まで飛ばす。

「…もう関係ないでしょ」

 小さく、声を震わせながらつぶやく。

「あなたも私が目的でしょ。この人たちに手を、出さないで」

「おい!ふざけんな!」

 カランは全身がしびれながらも起き上がり思い切り叫ぶ。久々ともいえる自らと同等かそれ以上の力を持つ者の攻撃は想像以上に身体に響いていた。

「セレネ!」

 仲間の名前を叫ぶ。

「あなたたちには関係ない。早く帰って」

「っ!」

「これがお前の選択か」

「ええ」

決意したその瞳には死を覚悟していた。そうやってお前はあの日もカルナを助けたのか。そうやって仲間を守ってくれたのか。それならあたしも、やらなければならないことがある。セレネの真意を汲み取るようにその男は魔法の兆候を見せる。魔法の発射。

「…なんで」

だが、それが当たったのはカランの頭だった。頭部から血を流している。それが致命傷であることは一目瞭然だった。だが、それでもカランは立ち続けている。

「お前は馬鹿なのか。お前が助けたいと思っている奴は助けなど求めていない。ここでこいつは死んでおかなければならないと自分で理解しているんだよ。それが分からないのか」

「…知るかそんなこと」

 男を見、吐き捨て、がらりと空いた相手の懐に思い切り一撃。寸前で守るが今までとは日にならないほどの攻撃が相手を襲った。

 そしてセレネを見つめる。彼女よりも身体が小さい彼女は目に涙を浮かべていた。

「簡単に逃げられると思うなよ。お前はもううちの一員だ」

 その言葉により一層馬頭が熱くなる。逃げてしまいたい。頼ってしまいたい。ここで助けてと叫んでしまいたい。だが、そんなことをすればきっと彼女たちを巻き込むことになってしまう。それだけは嫌だ。

「…あなたたちに助けてもらう道理はない。しばらくの間住ませてもらったのは感謝してる。それでも私はあなたたちにたすけてもらいたいなんて…」

 目を合わすことができない。ひどい女だ。

 瞬間右頬に衝撃が走る。ジンジンとしびれたような痛みは次第に熱を帯びてくる。

「甘ったれてんなよ。そうやって逃げ続ければ楽になれると思うか。お前が死んで悲しむ人がいるってどうして分からない!あたしだって、クベレだって、アランさんだって、カルナだって!お前だけ一人死んで楽になろうなんて、甘ったれてんなよ!お前はもう仲間だろ」

「でも!私はあなたたちに何一つ言えなかった。こんな隠し事ばかり、言えないことばかりの奴が仲間なわけない!」

 響く叫び声。その時だけは戦いの衝撃音がピタリとやむような感覚に陥る。

「なんも分かってねえな」

 起き上がった相手の攻撃をいなしながら、攻撃を繰り出しながら、攻撃を守りながら、食らいながら、カランは続ける。

「隠したいことの一つや二つあるに決まってる。人間だもん。それを無理やり聞こうだとか、それを暴かなきゃ信用できないとか、そういうことを言ってんじゃない。お前の言う意志の問題だ。助けたい、助けられたい。救いたい、救われたい。支えたい、支えられたい。気持ちの問題だろ。頼ってみろよ。弱音吐いて見ろよ。『助けてほしい』って叫んでみろよ。それが、仲間だろ。お前があたしたちをこの世界に存在するその他大勢としか思えないなら、あたしたちが本当の意味で仲間だと笑い合える日は来ない」

 息を切らしながら、攻撃をくらいながらも続けるその言葉はセレネの心の奥底に刺さっていた。

「お前は!どうしたいんだ!」

 叫ぶその声が嫌というほどにセレネの鼓膜を刺激する。その言葉が漏れそうになった時別の唇が動く。

「はぁなるほど。お前たちの間柄はある程度分かった。この女がなぜそこまで身体を張れるのかは理解できないが」

「あたしが!仲間だと思ってるからに決まっているだろ」

 笑っている。ここまで傷ついたカランは見たことがなかった。セレネが自責の念に苦しまないようにとそれでも笑っていた。

「…カラン」

 クベレはその姿をただじっと見ている。彼女を襲った敵はもう一体としてのその姿を残していない。

「…そうか。だが、時間だ」

 唐突に告げるその声は何を考えているか分からない。カランも、クベレもその言葉の真意を汲み取ることができなかった。その中でただ一人セレネだけがその意味を理解していた。

 月が丁度真上に来るそのとき。

 それは姿を現した。

 どこからともなく聞こえる咆哮。

 長く伸びた耳。白色の毛皮。鋭い牙と爪を持ち、その瞳は血塗られたように赤く染まっている。ゆうに五メートルはあると思えるその背丈から見下ろされる視線はただただ殺意に満ちていた。

「…なんだよこれ」

 百戦錬磨のカランがかろうじて出した言葉はたったそれだけだった。セレネはその存在に膝をつくしかなかった。

「これは試練であり登竜門だ」

 意味深な言葉を吐き捨てる。

「クベレ!」

 カランは最も信頼する友の名を呼ぶ。

「分かっています!」

 カランの真意を瞬時に理解し、この場での最適解を導き出す。カランとクベレならば勝てるかもしれない。両者が力を合わせればこいつを倒せる。だが、ここには守るべき対象がいる。

 クベレはなんの迷いもなくセレネを抱きかかえ、逃亡を試みる。

 しかし、それを阻むかのようにその鋭い爪がクベレとセレネを襲う。その速度は一流でなければ見逃してしまうほどであった。

「くそっ!」

 カランがその援護にあたるが、手負いの状態でまともに相手ができるわけがなかった。攻撃しようと一切カランの方を振り返ることもなく、クベレとセレネを狙う。

「あたしは眼中にないってかよ!」

 その攻撃を強めようと結果は変わらなかった。

 そしてその相手の攻撃を受け流し続けていたクベレは気付き始めていた。

(これは、私ではない…。セレネだけを狙って⁉)

 鋭利な爪先の攻撃は明らかに殺意が込められているものであったがそれが自身に向いていないという違和感が確信にかわる。腕の中で震えるセレネの様子が全てを物語っていた。

(これは、まずい…!)

 そう直感するが、この状況ではどうにもならなかった。

 それに加え、二人を引き離そうと、先ほどのゴーレムと影が姿を現す。

 カランの援護を期待したが、いつの間にか彼女は先ほどの男に足止めされている。

 ついにその攻撃を捌ききれず、抱えていたセレネを離し、自らが盾となり、防ぐしかなかった。セレネが一人突き放される。

 セレネは震えていた。

 自身を助けようと駆けつけた二人が血を流している。カランは相手の男に、クベレは自分を庇いあの怪物の攻撃を受けた。それに加え、相手の魔法との戦いもある。

 自分が許せない。結局はこうなるのだ。その自責の念に拍車をかけるように怪物が吠える。

「ウゴォォォォォォォォォォ!」

 その咆哮は辺り一帯に響き渡った。



 真逆の方向。聞こえるはずのない咆哮。それでも確かに感じ取ったそれは自身を呼んでいるのだとカルナは直感していた。

「…いかなきゃ」

 いままで最前線で戦い続けいた少年の動きが止まり、ただその一点を見つめる。その隙を逃しまいとモンスターたちの攻撃がカルナに向くが当の本人は反応すらしなかった。

 アスラがそれをすんでのところではじくが、その動きに不信感を持たざるを得なかった。

「おい!カルナ!どうしたんだよ!」

 だがその返答は帰ってこない。

「…行かなきゃ」

 ただ小さくそう呟くだけである。

 何が起こったか分からないでいるアスラは珍しく焦っていた。急におかしくなったカルナの行動に原因がつかめないでいる。ただ「行かなきゃ」とつぶやく彼がどこへ、何のために行くのか見当もつかなかった。カルナのそのような行動を見たことがなかった。

 その間は僅か一秒にも満たなかった。驚くべき思考速度でこの場でどうすべきかを判断する。そしてアスラがとった行動は。

「カルナ‼」

 思い切り叫ぶことだった。

「っ!」

 その声に正気を取り戻す。そして。

「行くなら行ってこい!ここはまかせろ!」

 友を信じることだった。

 二人はそのやり取りの中で一瞬目が合う。だが両者にとってみればそれだけで十分であった。カルナが、アスラが何を思い発言したのかということを理解するのに時間は要しない。いや、そんなことは最早考えていなかった。自身よりも強く、大人なアスラが、根拠のない自分の行動を信じ、まかせろと言ったのだ。

 自分の直感を信じるのにこれ以上の理由はいらない。

 ここは大丈夫だ。

「まかせた」

 そう告げるとカルナは真っすぐに、少年というには速すぎる速度でそこへと走っていく。

 途中ネラが心底混乱したような表情だったが、きっとアスラがなんとかしてくれる。

 月が輝くその静かな町中をカルナは全速力で駆け抜けた。



 都市内メイン通りのはずれ。一角のバーに一人の老人の姿をした者が扉を開き中に入っていく。薄暗い青白のライトが店内を微かに照らしていた。二つほどの円形テーブルには誰もいない。店主である男を除けばカウンター席にただ一人いるだけだった。

「おぉアランじゃないか。そういえばさっきカランちゃんとクベレちゃんが物凄い形相で走っていくのが見えたぞ。なにかあったんかなぁ」

 その老人は店内の雰囲気に合わない陽気な声でそのたくましい背中に語り掛ける。

 老人のその姿はアランが営む喫茶店の常連客であった。

 だが、アランの向ける視線は自らの店を贔屓してくれている者に向けるようなものでは決してなかった。

 その視線を何とも思わないように老人はアランの隣に座った。

「もうやめにしないか」

 その様子に心底呆れ、心からの声が漏れる。

「何を言っとる。わしは親切に―」

「こっちは真剣に言っている」

 いまだその姿を解こうとしない相手に呆れから怒りへと変化し語尾が強くなる。

 数秒の間が空いた後、その老人は光を放ち、見る見るうちにその姿が変化していく。背丈は倍以上になり身体の線は女性の者に、髪は黒く背中にまで届くほど伸びていく。しわだらけの肌は艶やかなものに変っていき、開いているか分からないほどの目は二重に変わり凛とした瞳が姿を現す。その耳は長くとがっていた。

「そこまであの少女が気がかりか」

 発せられた声は良く透き通っていた。

 常人であればその変化に戸惑いを隠せないだろうがアランは何も思わないでいた。

「当たり前だ。あの子はもう僕たちの仲間だ」

 ただ下を俯き、今起こっているであろう出来事に不安が募る。それと同時に何もしない自分を責めていた。

「やはりお前にあの少女を任せて正解だったよ」

 その様子をみたその女はフッと笑い率直な感想を述べた。

「そんなに僕を困らせたいのか」

 アランにはこの女が何を考えているか全く見当がつかない。

「違うよ。私がそんな悪趣味だと思っていたのか?これだけ付き合いが長いのに」

 彼女の名はリヴェイル。この大都市ザイオンのギルドの長を務めるものだった。アランは昔、彼女と共に旅をしていた。その記憶はアランの脳裏に深く刻み込まれ離れないでいる。

「昔からそうだ。君はいつも僕を困らせる。圧倒的なほどの強さがあるのに僕を連れて旅に出た。あの時から何も変わっていない。大役をついて少しは変わったと思ったのに」

「変わったさ。ギルド長、それも世界の中心とも言われるこの大都市の長ともなればそれ相応の責任が付いて回る。面倒な書類仕事や面会も増えた。今まで生きてきた中でこれほどまでに不自由な生活はないよ」

「ならどうしてギルド長なんかになった。君が一番嫌っていたものじゃないか」

 アランは心の中では聞きたいことと聞いていることがずれているのは理解していた。だが、相手が簡単に切り出そうとさせなかった。リヴェイルにはどうしてもアランにここにいてもらわなければならない理由があるとアランは思わざるを得ない。

「やらなければならないからさ」

「…どういうことだ」

「それを言う前にお前に聞かなきゃいけないことがある」

「あの少女、セレネはお前にどう映った?」

 その問いにアランはリヴェイルの方を見る。リヴェイルはただ真っすぐアランを見ていた。その透き通った瞳に耐え切れず、すぐに視線をずらす。

「セレネは、何か重たいものを抱えている。あの小さな身体には分不相応な、重たすぎるものを抱えている。まだいくつともいかない少女には抱えきれないほどの重たいものを」

「セレネは私より年上だぞ」

「はっ?」

 思いもよらない情報によくわからない声が出る。

「ははははは。やはり分からなかったのか」

「そんなわけないだろ。だって」

「私は彼女に一度会っている。お前に会う前だ」

リヴェイルは長寿で知られるエルフ種。恐らくもう三百年は生きている。そしてアランに会う前と言ったら。心の動揺を抑えるために目の前のグラスを掴み一口飲む。口全体にアルコールの味が広がり、それが身体中を回っていくのが分かる。

「そうだな。私も全て知っているわけではない。だが、お前の何倍も生きていれば知りたくないものも知ってしまう。それを今から話そうじゃないか。それを聞いたうえでその後どうするかはお前が決めろ。私はもうお前の師匠でもパーティのリーダーでもない。お前を縛る道理はないからな」

 そういうと彼女は昔話を始めた。彼女の口から聞かされたのは遠い遠い昔の、彼女が生まれるよりももっと前のことだった。



辺り一帯に響き渡るのは鉄の剣とそれよりも硬いのではないかと思われるほど高密な怪物の爪とが重なり合う金属音であった。

クベレが全力で止めようと、その力は互角以上であった。単純な力では圧倒的に相手が上であった。人に許された魔法と思考が織りなす技がその力の差を互角までに引き上げていた。クベレの技をずらすかの如く湧き出るゴーレムと影の魔人の攻撃を緻密な計算の中で捌き、力だけでなく数でも不利な状況を均衡という形で保って見せていた。

だが、それではいけないことをクベレは自覚していた。これではだめだ。なんとかしてセレネを助けなければ行けない。だがこの状況を打開する策など思いつきもしない。足りない。あと一つ、足りない。

そう思ったときだった。

聞きなれた足音。

昼下がり。程よく上がった気温が下がり始める時間。気だるくもどこか心地よいその時間に聞こえる足音。それを聞けばカランが時計を確認し、店の入り口に仁王立ちする。

いやありえない。だってそれは。

その足音の先。

 一人の少年が立っている。見慣れた顔。その戦闘服にはいくつもの返り血を浴びていることからその少年が逆方向のモンスターの大群と戦っていたことが分かる。だがどうして。

 いや、今はそんなことは、どうでもいい!

「カルナ!」

 クベレは大きくその名前を呼ぶ。助けを求めるわけでも、逃げろという合図でもない。

 ただ、予期せぬ事態を知らせるために。カルナではなく、相手に。そして自身の相棒に。

 思った通りカランはその名前に反応し、一瞬身体が硬直した。だが、相手はそれ以上に驚いた様子でいた。その一瞬の隙を一流が見逃すわけがない。放たれた拳をすんでのところで避けるも二発目の蹴りは防ぎきれなかった。押され気味だった両者の戦いに間が生まれれ、その隙にカランはクベレに加勢するため近寄った。

 だが、当の本人はただ立ち尽くしているように思える。この状況に絶望したのか。

 いや違う。二人はすぐに理解する。

 カルナの目がただ真っすぐにその怪物に向いていること。

 そして、その怪物もまたカルナを真っすぐに見つめていること。

 その証拠に決して攻撃の手を緩めなかった怪物の攻撃はピタリと止まっていた。

 何が起こっているのか分からない。だが、いまやるべきことはしっかり見えていた。

「カルナ‼」

 もう一度、先ほどよりも大きな声で叫ぶ。

 その声にびくっと反応すると今度は正気の眼差しで二人の方を向く。

「セレネを連れてここから離れろ!」

 カランが叫ぶ。そうしてはじめてセレネの状態が目に入ったのか驚いた様子でセレネの側に駆け寄った。

「なんでここにいるのかとか、あっちはどうなったとか色々聞きたいことはあるけど今は速く逃げろ。あいつらはあたしたちが何とかする」

 その言葉に対して出そうになった言葉をすんでのところで止める。カルナはもうすでに状況を理解していた。

「いけ!」

 その言葉と同時にセレネを抱え、全速力で走り出す。

 その直後震え続けているセレネがぼそっとその青白い唇を震わせながらつぶやく。

「…無理よ」

 だが、それを聞き取る余裕はカルナにはなかった。

 草原を抜け、寂れた都市外へ入っていった。



 走りながら考えていたのは、どうして俺はここに走ってきたのだろうということだった。なぜ、俺はあの時、ここに来なければならないという衝動に駆られたのか。なぜ俺は、あの怪物を見た時、「こいつは俺が倒さなければいけない」などという使命感にかかれたのだろう。カルナはこの数十分の間に行った行動原理を自身の行動であるにも関わらず、全く理解できていなかった。

 だが、結果的に二人を助けられたならいい。セレネをあの怪物から引き離せたならいい。そう思おうとしてもセレネの止まない震えがそう思わせなかった。

 速度を緩め裏路地に入り誰もいないのを確認するとそっと優しくセレネを下ろす。そっと優しく触れるが彼女はずっと震えていた。顔色は初めて会ったときよりも一層悪かった。

 カルナにはどうすればいいか分からなかった。

 だから、その横にそっと腰かけ、独り言のように語り掛けた。

「俺さ、自分でも何がしたいか分からないんだ」

 こんな状況で、いやこんな状況だからこそ吐き出すカルナの抱えていた弱音だった。

「確かに剣技はそこそこできると思ってる。でも魔法が使えない。この時代で魔法が使えないってのは致命的だろ。どんなに優れた技をもってしても、魔法一つで実力なんてひっくり返っちまうんだ。だから、きっと俺は冒険者にはなれない。じゃあ勉強はどうだ。これもそこそこだ。きっと都市のトップには立てない。分かってるよ。トップに立たなくていいんだって。でもそれじゃあ何のために生まれてきたんだって時々思うんだよ。俺って生きてる意味あんのかなって。これじゃあ俺を拾ってくれたアランさんたちに顔向けできないって思うんだ。アランさんたちが俺をどうかしたくて拾ったんじゃないってわかってる。あの人たちの優しさは嫌ってほど分かってるんだよ。でも、その優しさが、きつい。なににもできない俺にこれをやれって命令して、できない俺に失望してくれた方がまだ楽だ。自分で自分の道を選ぶことがこんなに怖いんだって思わなかったよ。だからさ、俺、何をやればいいか、どうなりたいか、分からない。将来を見たくもない。俺は俺が分からない。さっきだってそうだぜ。なんでこんなことやってるか分からない。」

 その独り言をセレネはしっかりと聞いていた。

「でもさ、ここに来るとき思ったんだ。自分以上に自分のことを見てくれている人がいるんだって。ここに来るときアスラが『行ってこい』って言ったんだよ。わけわかんねぇだろ。クベレさんが、カランが俺を呼ぶとき真っすぐ俺を見てたんだよ。いきなり現れた俺をさ。だから、向き合うよ。自分と。俺は人並程度の魔法も使えないほど不器用だから、きっと時間がかかるかもしれない。分かるときにはもう遅いかもしれない。でも、それでも向き合うよ。もう逃げない。俺をちゃんと見てくれる人がいるから」

 本当は特別になりたかったんだ。親もいない、誰も知らない環境で育ったからこそ、俺の名前をこの世界に響かせてやりたかった。そうすればきっとアランさんたちも喜んでくれる。拾ってよかったと思ってくれる。俺が俺は生きていてよかった、生きる意味があったって思える。それが出来ると思ってた。でもそんなことはとても無理で。上には上がいて。天井は遥か遠くて。いつからかそんな目標を言うことさえもできなくなっていた。今もできない。でもいいんだ。もう。

「…今までお前が何と戦って、今何に怯えているか分からない。それを聞き出そうとは思わねぇよ。でもお前もちゃんと自分と向き合えよ。怖いものより、悲しいものより、嫌いなものより、楽しいもの、好きなものを見ようぜ。そうすれば、きっと人生楽しくなる。きっと未来が明るくなる」

 その独り言が宙に消えるころには隣の震えが少しだけ収まっていた。それ以上は何も言わなかった。ただ、その震えが収まるのを待とうと思った。

 だが、その震えが収まる前にその小さな口が動き始めた。

「…私は、もういらないの」

 そう語られるのは彼女の告白だった。



今よりも遥か昔、人種族は魔法を使えなかった。人種族だけでない。神の天敵と言われたエルフ族、龍族、鬼族を除いた全種族が魔法を使えなかった。その代わり、それ以外の力を各種族が持っていた。ドワーフなら力、獣族なら野生本能による獣化。それぞれがそれぞれの秀でるところを持っていた。

 その中で人種族だけ何もなかった。魔法も力も獣化も、なにもなかった。知能も他と何も変わらなかった。

 そんな中で人種族は忌み嫌われていた。差別されていた。足手まといだったから。何もできなかったから。

 その時代は暗黒時代といわれる、いわばモンスターで溢れかえる人類生存の危機の時代でもあった。そんな時代にモンスターと対抗する術を持たない人種族は差別されるしかなかった。

 それは他の種族の弱さでもあった。モンスターの全盛期ともいえるその時代ではどの種族の魔法でもその前進をとめることができなかったから。そのヘイトがなにもできない人種族に向いていたのだ。

 夜も眠れないほどの不安と、焦り。いつ殺されるかも分からない状況で、溜まった不安と焦燥感の掃き溜めになったのが、人種族だった。

 その中で、一人立ち上がった少年がいたという。身体能力は並以下。特別頭が切れるわけでもない。当然魔法が使えるわけでもなかった。

 だが、誰よりも平和を望んだ。誰よりも対等を望んだ。

 少年は分かっていたのだ。この時代を乗り切るには全種族が力をあわせなければいけないと。人類という知性を持ち、意志をもつ、その生物が一丸とならなければこの暗黒から抜け出す術はないと。

 だから、誰よりも声を張った。どれだけ馬鹿にされようと、どれだけ罵られようと、人々に訴え続けた。だが、虚しくも彼に続くものはいなかった。

 だが転機は訪れる。

 ある日、小さな農村がモンスターに襲われた。

 その村の中の一人の少女がモンスターに襲われたとき、誰も助けようとはしなかった。皆が逃げることを優先し、怪我をした彼女を置き去りにした。

 少年一人を除いて。

 敵うわけない。優れた身体能力があるわけではない。特別な何かがあるわけではない。

 それでも少年は立ち上がり続けた。それが自分のすべきことだと、したいことだと信じて疑わなかった。


 そして、そのとき、一つの炎が灯った。


 どういう原理かはわからない。だが、少年に灯ったその炎はモンスターを焼き払い、見事その少女を救い出した。

 そこからだった。人類が巻き返し始めたのは。

 暗黒時代に灯った一つの炎。さしこんだ一筋の光。少年はまるで聖火をもった自由像のごとく、民衆を、人類を率いて、突き進んだ。

 だが、彼にも死は訪れる。少年は息絶える寸前、世にも不思議なその少女に託したのだ。助けたその時から姿かたちが変わらない、その少女に、その炎の継承を。

 そのもはや少年、いや青年は少女に言った。

 決してこの炎を絶やしてはいけないと。これは人類の希望だから、皆が手を取り合い、本当の意味での自由で平等な世界が訪れるまで、この炎は継承し続けなければならないと。

 

 それから少女は伝道師として、その炎を見守り続けた。継承し続けた。

 それは今でも続いているという。


 その透き通る声で放たれる昔話はとても信じられるものではなかった。いや、信じるも何もそれがあったとしてなんだというんだ。

「まさか、その少女が…」

 アランの頭には一つの推測が浮かび上がる。そしてそれを肯定するかのようにリヴェイルが頷いた。

「セレネだ」

リヴェイルは続ける。

「そして、今代のその炎の継承者がカルナだ」

 信じられなかった。疑問に思うところも、納得するところもあるが、それ以上に上手く思考がまとまらない。

「その素質はあった。人前では大人しいが芯のある子だからね彼は」

「…いや、そもそも!そんな話を信じろというのか!君との旅でいくつもの世界を見てきた。それでも、そんな魔法はきいたことがない!それを…信じろというのか…?」

「確かにそうだ。だが、そもそも魔法とはなんだ?それをお前は説明できるのか?原理でも、仕組みでもない、その本質を」

「…!」

「あの少女はきっと恐らく、今この時代を生きる者のなかで誰よりもその答えの近くにいると私は思う」

「そして、私にもこれ以上は分からない。どういう基準でその炎の継承者が選ばれているのか。その炎が魔法かすら、分からない」

 アランは何も言えなかった。きっとカルナは、とんでもないものに巻き込まれているのだ。そして、それは全てこの横に座る憎らしくも憧憬の対象だった者が仕組んだものだったのだ。はじめから。

「…私は一度だけその炎を見たことがある。幼いころだ。今では最強という私だが、幼いときは別だ。一人の時にモンスターに襲われてね。その時に助けられたのがその炎の継承者だった。憧れたよ。あの眩しく、明るく、温かい炎に。強く、大きい、あの背中に。だから強くなろうと誓ったんだ」

「だから、確かめたい。カルナがどういう選択をするのか。あの炎を体現するのか。それとも身に余るのか」

「…っ!それはっ!君の都合だろ!僕たち大人の興味に子供を巻き込むわけにはいかない!」

 怒りを露わにする。それにはもう一つの理由があった。

「もし仮にその継承とやら行われるとしよう。そのうえで彼女は、セレネは言っていた…。もう私は必要ないのかもしれないって。今の話が本当なら伝道者である彼女が今の時代を見てそう判断したんじゃないのか。なら、そこにカルナを巻き込む必要はないはずだ。今、こうして僕が立ち止まる必要はないはずだ!」

 語尾が強まるアランとは対照的に彼女は冷静だった。

「…お前は私との旅で何を見てきた?」

「…っ」

「本当にこの世界に救済がいらないとでも思っているのか?確かにこの都市を見ればそうかもしれない。生死に困ることもなく、歩く人は贅沢品を身につけ、夜は酒を浴び、女を囲んでいる。だが、一歩外に出て見ろ。近くの都市外の路地には誰がいた?何が見えた?貧困に苦しむもの。犯罪にはしるもの。生きるために他人を蹴落とさなければならないもの。都市から少し外れただけでこれだ。この世界は腐っているんだよ。その日の食もままならない者がいる傍らで簡単に食糧を捨てるものがいる。私との旅でこの世の不条理さを体感したはずだ。あれから十数年。世界は急激に変わっている。だがそれはいい方向にか?確かに都市の技術は進化し日に日によくなっている。だが、それ以外は?搾取する側が進化を続ける一方で搾取される側はそこから抜け出すことができずにいる。長く生きていれば見たくもないものも見えてくる。それを見た、感じた一人として放ってはおけない。私がやらなきゃいけないんだ。変えなければならないんだよ。表面的ではなく、その場しのぎでもない、改革を。この世界のシステムごと変える革命を」

 冷静さは保っていた。だが、その力強さがアランには響いていた。彼女があの旅で見てきたもの、感じたものを彼女の内でどのように消化し、今、どれほどの覚悟でその役に付いているのか。

「…だが、悔しいが私にはできない。私ではだめなんだ」

 何も言えない。何も言い返せない。だが、ただ一つ気がかりがあった。ともに旅をした者として、彼女の強さを一番近くで見てきた者として。

「…それをあの子たちならできるというのか。君でさえ、最強を手にした、一国の軍隊を率いていたとしても敵わないと謳われる君でさえできないということを。それをあの子たちに背負わせるのか?」

「そうだな。結果的にはそうなってしまうのかもしれない」

「それは…、賛成できない。僕は君の強さを一番近くで見てきたつもりだ。きっと誰より君の強さを分かっているつもりだ。そんな君にできないのなら―」

「必要なのは強さじゃない」

 話を遮られる。

「強さじゃないんだ。…だから私にはできない。強さしかない私にはできないんだよ」

「そんなことはない…!君には強さ以外にも…!」

「それはお前が強いからだ。才能があるからだ。人種族であるにも関わらず、魔法に長けたエルフ族と何ら遜色のないほど、いや、それ以上の才能に恵まれているからだ」

 彼女が何を言おうとしているのか、アランは心のどこかでは分かっていた。

 才能は、人を魅了する一方で、時に人を絶望させる。人と人との間に壁を作る。凡人と天才は決して分かり合えない、両者を切り裂く壁を作ってしまう。

「この世界にお前のような奴がどれだけいると思う?努力では決して埋まらぬ壁を前にしてそれでも立ち上がることのできる人間がどれだけいると思う?天才にその命を賭してまでしがみつこうとする、噛みつこうとしてくる人間がどれだけいると思う?強さ以外に生きる道がある現代に、どれだけいると思う?」

 答えることができない。否定してやりたかった。君にはたくさんの仲間がいると言ってやりたかった。でもそれができない。彼女を慕うものは多い。でも、そういうことじゃないということをアランは理解していた。嫌でも分かってしまうから。彼女と旅をし、ともに歩んだ過程のなかで嫌というほど目にした天才に向けられる嫉妬と憎しみを知っていたから。その努力と苦悩を決して理解しようとしない人間の姿を知っていたから。

「これだけ長く生きて、私の才能に絶望せず決して私を一人にしようとしないそんな大馬鹿ものは私の補佐についている秘書とお前くらいだよ、一番弟子」

「それじゃあ駄目なんだ」

 何も言えないでいるアランを横目にリヴェイルは話を続ける。

「世界中の全ての者が一丸となり、その者についていく。全員が当事者意識を持たなければならない。頼るのではなく、支え合わなければいけないんだ。共感し、感銘し、その者の軌跡を共に歩かなければ、変わらない」

「だから、何もないが故に、才能も、たったこれっぽっちの魔法も使えないカルナは人の痛みが分かり、苦悩を理解し、寄り添うことができる。あの少年はその優しさを持っている」

「だから、必要なのは意志だ。決して屈することのない意志の強さだ。矮小な身でありながら決して歩みを止めない意志の強さだ。時には立ち止まるときもある。後ろを振り返ることもあるかもしれない。転んで涙を流すこともあるだろう。それでも決して後ろにはいかないんだよ。前に進んでいくんだよ。それがきっとあの少年にならできるはずだ。きっと少年はまた、歩き出す」

「君はどうしてそこまでカルナのことを…」

「さぁな。それは今言うべきことではないかな。とにかく私が言いたいのはこれだけさ。あとは、そうだな。あの子たちに私の願いを背負わせるかという問いに対してはしっかり答えておこう。私は別にあの子たちにその想いを背負わせるつもりはないし、そもそも背負うものでもないだろう」

「…?」

「言っただろう、これは意志の問題だ。誰かに背負わされるのではなく、彼らが、自分の目で見て、感じ、選択していくんだよ」

「だから、…ギルド長として、私は私のできうることをするだけだ。未来ある若者たちを守るためにね」

 彼女の覚悟と熱意。アランは黙り込むしかなかった。僕は、これほどまでに、全力で、真剣に、彼らと向き合えていたのだろうか。そう考えざるを得なかった。

黙り込んでいるアランに対してリヴェイルは静かに呟く。

「最後に、あの炎は『燎』というらしい。一度灯れば決して消えることのない炎。それを人は救済の炎と呼んだが、一部の者はこうも呼んだ」

 数秒の間のあとその名を口にする。

「『革命の灯』と」

「革命の灯…」

「私はこのチャンスを逃すわけにはいかない。いくら長寿と言っても死は訪れる。それまでにできることはしておかなければ」

「私は私を恨んで死ぬことになる」

「話は以上だ。柄にもなくまじめに話しすぎたな。まぁとにかく、これを聞いてなお助けに行きたいならいけばいい。それを止めることは私にはできないからな」

 そういうと頼んでから一口も飲んでいなかったグラスに口をつけ、一気に飲み干すと、姿を消した。

 彼女のいなくなった後はやけに静かで隣に置かれたアランの分も含んだ酒料金である硬貨がやけに存在感を放っていた。



「…だから、もう私は必要ないのよ。この世界は幸せで溢れてるでしょ。都市を見て思ったわ。異種族同士で、楽しそうに歩く人たち。この世界に私は、いらないの」

 その彼女の告白はどこか寂しく、悲しげだった。

 セレネは俯いている。顔を上げられなかった。なんて言われるか分からなかった。こんな勝手許されるわけがなかった。私たちの始めたものに勝手に巻き込み、傷つけた。

「俺が、継承者でお前が伝道者…?」

 カルナの脳内では整理しきれないほどの情報量。学力はあるはずだった。魔法について知っているつもりだった。その頭で理解しきれないほど信じられない情報が波のようにカルナの頭に流れ込む。

「でも、俺にはなんの変化もない。それってお前の勘違いじゃないのか」

「いいえ。あなたがあの本を読めた時点でその資格はもっている。それにあなたが継承者じゃないのならどうしてここにきたの?どうしてあの怪物が、神に仕える神獣の咆哮を聞き取ったの?」

 答えられない。数秒の間を置き、頭が整理されていく。あの夜の出会い。敵の存在。セレネの偏った知識。カルナがセレネと接し、感じてきた違和感が結び付こうとしていた。そして、なにより、あのとき頭の中で響いたその咆哮がセレネの発現を肯定していた。

「まだ、間に合う…。どういう原理かはわからないけど、あなたの身体には変化がない。まだ、誤魔化せる。…これ以上誰も巻き込みたくない。あなたが前を向いたなら、なおさら。あなたはあなたの人生を生きてほしい…」

 紛れもない本心だった。口を開けば喧嘩ばかり。それでもセレネはカルナにちかいものを感じていた。他人に縋る寄生虫を心の底から卑下し、自分もまた自分自身の価値を見出せないでいる寄生虫に他ならないと感じている。だからこそ、仲間だと思いたいからこそ、この残酷な運命を背負わせたくなかった。カルナの本心が、セレネの本心をこじ開けた。

「お前…」

 何と声を掛ければいいのだろう。励ませばいいのか。優しくすればいいのか。

 迷った末に掛けた言葉。

 それは。

「うるせぇババア」

 それは、いつも通りのカルナという人物を演じること。いままでと同じ距離間で、同じ関係性で、同じような暴言を、選択した。

「…は?」

 それが、一番、俺たちらしいと感じたから。今必要なのは、安っぽい励ましでも共感でもなく、何があっても変わらないこの関係性を示すことだと思ったから。二人は継承者と伝道者である前に、たわいもないことで口げんかし、弱音を吐きあった、友達だったから。そこに別の呼び名が付いても、別の関係性ができ上っても根本は変わらないと見せつけたかったから。

「巻き込みたくない?あなたはあなたの人生を生きてほしい?どの目線で語ってやがる」

「っ!私は!あなたの心配をして…!というかババアってなに⁉」

「いやババアだろ。何千年も生きてんならもう立派なババアだよ。そんな年増で俺みたいな子供と張り合ってたのかよ。恥ずかしくねえのか?」

 言葉がでなかった。この世に及んでそんな罵倒があるのか。

「お前に心配される筋合いはねぇ。」

「‥‥だから!」

「俺は俺の人生を生きるんだよ」

 その語る表情はもうとっくに覚悟ができているようだった。

「俺はまだ数十年しか生きてないから何千年も生きてるお前の気持ちも悩みもわかんねぇ。…でも俺たちはそんなに頼りないか?」

「っ!」

「巻き込まれるんじゃないだよ。俺たちとお前はもう仲間なんだから、誰も巻き込まれたなんて思っちゃいない。仲間内の問題はもう自分の問題でもあるんだよ」

「だから、恨むんなら俺らに拾われた自分の運命を恨みな」

「俺らの底力なめんじゃねぇ」

 もうお前に逃げ場なんてものはない。そう言われている気がした。

 そんな思いもよらない罵倒を言いながら、頭をクシャクシャと強くなでてくる。もう感情がぐちゃぐちゃだ。

「覚悟は決まったか?俺たちの仲間になる覚悟は」

 いつのまにか震えは止まっていた。恐怖が完全に消えたわけじゃない。あの怪物が今でも怖い。それでもなぜか大丈夫な気がした。

「それにあの二人は最強なんだぜ。あんな兎みたいなやつ余裕で―」

 その時―その咆哮はすぐ近くで鳴り響いた。

「おいおい嘘だろ」

カルナの顔が青ざめていくのが分かる。恐怖と絶望の音がすぐ近くまで来ていた。



「ってあんたさっきもう逃げないとか言ってなかった?」

 担がれながら悪態をつけるほどまでにその精神は回復していた。その態度がカルナの神経を逆なでしていた。

「馬鹿かてめぇは!ちゃんと話聞いとけ!あれは自分の将来からって意味な!あんなバケモンに敵うわけねぇだろ!」

 先ほどまで震えることしか出来なかった少女というかババアに悪態をつかれ、心底腹が立つがどこかいつものセレネが戻ってきた気がしてどこか嬉しくもあった。

 担ぎながら全力で走るも、数十キロの悪態をつく重りをもって走るというのはカルナの行動を制限した。巨体が入り込めない裏路地を進んでいくが、それでもお構いなしというようにその怪物は壁壁を破壊しながらこちらに向かってくる。

 そして、その怪物がこちらに向かってくるという事実がどことなくカルナに焦りを生んでいた。

 あれはカランたちが相手していた。それがここにいるということはもしかしたらあの二人は。いや、今は自分たちの心配をすべきだ。あの二人のしぶとさは俺が一番知っている。大丈夫。きっと大丈夫だ。


 だが、逃げ切ると言ってもどこにだ?

 動ける人材は全てモンスター討伐に向かっている。

 都市に行けばもっと被害が出るのは明白だ。

 アランさんは?

 

 いや、俺がやるのか?あの二人でも敵わなかったかもしれない相手を、俺が?

 

「あいつについて教えてくれ」

 走りながら、今もなお物凄いスピードでこちらとの距離を詰めてくる怪物について情報を集める。

「あいつは、炎の継承者に与えられる最初の試練のモンスター。兎をモチーフとされたモンスターで特徴はあの巨体には見合わないスピード。それと鋭い爪と牙。それから―」

 その最中もあいつは迫っていた。恐らく障害物がなければ一瞬で追いつかれていただろう。そしてその障害物も関係ないという風に裏路地を直線距離で迫る。

 つまり、あいつは試練。思うことはある。俺が継承者ならなぜ俺にはその力が使えない?魔力がないから?選ばれようと、そもそもの資格がないからか。

 それでも、あいつが、俺を、対等の敵と見てくれるなら。

「…どうしたの?」

 だんだんと速度を落とすカルナを不審に思ったのかセレネが懐疑的に尋ねる。

「…おれがやるんだな」

 分かってる。

 そう言いたいんだろ運命。あの時、俺が本を開いた。俺があの文章を読んだ。俺があの咆哮を聞いた。俺が走ってここに来た。全部俺の意志だ。

 そしてここで俺が戦うんだ。

逃げ場のない状況。確実に死にゆく運命。あいつが言うことが本当なら俺が継承者。そしてこれはそのために神が課した試練か、それともこうなる運命か。分かってるよ。

あいつと目があったあの瞬間。心が燃えるのが分かった。弱音を吐いてすっきりした。戦わなきゃいけない理由もある。お前らが課した俺への試練。やってやるよ。ただで死んでやるもんか。

「ちょっと、どういうこと?」

 カルナがセレネを下ろす。

「ねぇ!どういうこと!」

 その言葉にカルナは答えなかった。ただ初めて、優しく、彼女に微笑んだ。そして、いつの日か馬鹿にされたシルバーのハート型の金具のついたネックレスを外し、セレネにつける。

「ねぇってば!」

 そのころにはセレネは何となくカルナの真意に気付いていた。

「やっぱ、逃げねぇわ」

 そう告げ立ち上がり、セレネに背中を向ける。

「だからお前も逃げるなよ」

 その真意がどこにあるかなどセレネは分かっていた。

 その言葉を残し、希望を見出してくれたその少年は絶望の方へと向かって行った。



「任せろって言ったのはいいけどきりがないな」

 モンスターを斬り続けていたアスラはボソッと呟く。押されているわけではない。むしろこっちが優勢ともいえる。だが、あちらは特攻のように本能のままに向かってくる。それに比べこちらはそれほどの覚悟を持つ者はいない。意志を持つが故に我が身が重要というブレーキをかけてしまっている。それが悪いこととは思わない。むしろそれが人の良さでもある。

 だが、この場においてはその差がこの差を生んでいる。戦力では負けていないはずなのに、あと一歩押し切れない。

 このクエスト攻略のカギがあるとすれば、それは。

 目の前のモンスターを切り倒すと、その場から離れ、後方へと下がる。そして、この場で一番信頼する彼女のもとへと走り出す。

 カルナが言っていたこの群れを指揮する奴を見つけ出すこと。

 だがそれを見つけるのは俺では困難を極める。

 だが。

「ネラ!」

 後方支援をしていたネラの元へとたどり着く。

「…アスラ!…きりがないね…」

 魔法の連発でネラの顔には疲労が見える。

「あぁ。だからおおもとを叩く」

「…おおもと?」

 疲れながらも必死に食らいつこうとする姿は彼女の意志の強さを表していた。

「あぁカルナが言っていた。本来モンスターは群れで動くはずがない。指揮する者がいるはずだ、と」

 そこまで言うとネラはアスラが言おうとしていることを理解する。

「…つまり、その指揮者を見つけて倒すってことだね。そして見つけるために…」

「うん。ネラの力が必要だ…って言いたかったんだけど」

 疲労困憊の彼女に頼っていいのか。数キロ圏内にいるはずだ。全力を出せば見つからない範囲じゃない。

「…やるよ。大丈夫」

「無理することじゃない。もし魔力が枯渇することがあれば」

「…大丈夫!アスラだって、カルナだって頑張ってるんでしょ。なら私も…頑張る!」

 その目は力強く、その決意を訴えていた。

「分かった。頼むよ」

「…うん」

 そう言うと魔力がネラの身体に集中していく。恐らく残っている魔力ほぼ全てを集中させているのだろう。それを円形状に拡散させる。

 その微力に広がる魔力がネラの頭の中にその場の情報を再現する。脳が焼ききれるほどの情報が脳内に広がっていく。

 きっとそれは想像も絶する痛みなのかもしれない。その痛みに耐えながら、一つの微弱な魔力を感じ取る。

 フラフラになりながら、一つの方向を指さす。

 東の方向。

「ありがとう…!」

 手を差し伸べるか一瞬でも迷ってしまった。それがネラの覚悟に反していることと分かっていながら。だめだ。行くんだ。

 カルナには及ばない。それでも全力でかける。この忌まわしき、馬鹿げた舞台を作り出した愚か者を殺しに。

 走る最中、アスラの表情に影が落ちていった。



「ぎゃはははははははは。やっぱこうじゃないとなぁ!一人、また一人と倒れていくよぉ!そのままだぁ。そのまま進めぇ!」

 狂気に満ちた叫び声を上げながら遠くから見つめるものが一人。

 その背後に立つ人影。その人影は容赦なくその男を切り裂く。

 その殺気に気付いたのか、すんでのところで避けるがその腕は無残にも引き裂かれる。

「いでぇぇぇぇ!ああ⁉なんだお前ぇ⁉」

 痛みに喘ぎながら叫び続ける。だが、それを引き裂いた男は冷静に、冷酷に、淡々と進んでいく。

「…耳障りな声だ。それが最後の言葉か」

 その目は殺意に満ちている。

「くそがぁくそがぁくそがぁぁぁぁぁ!なんだってんだよお前ぇ!」

「死ぬ前に一つ聞いてやる。目的はなんだ」

「目的ぃ?そんなの楽しいからに決まってんだろぉ?人の行動原理はいつだって楽しいかどうかだぁ!壊れるのをみるのは楽しいだろぉ!」

 痛みでハイになっているのか、高笑いを上げ始める。

 だが、それが奥の手を持っていた余裕だということ瞬時に理解する。数体のモンスターが影から姿を現す。

「ぎゃはははははははははは…は?」

 それが一瞬のうちに切り裂かれる。まるでハエを払うように。木刀とは思えない切れ味で切り裂かれる。

「愚図が」

 たった一言吐き捨てる。

「あ」

 そしてうめき声一つ。最後は叫び声をあげることもなく頭を切り裂かれたその狂人は膝から崩れ落ちる。

「本当は苦しめながら殺してやりたかったんだけどな。こちらにも事情がある」

 そう言うとその場を静かに去った。



「おい、そこどけよ…」

 男は何も言わず立ちはだかった。

「どけって言ってんだよ!」

 叫べば傷にさわることなど承知の上だった。それでもそれ以上に大切なものがあった。久しく感じていなかったこの大きな壁を乗り越えなければカルナたちを救えないとそう直感していた。だが、その直後相手の目つきも鋭く変わる。

「お前たちに譲れないものがあるように俺たちにも譲れないものがあるんだ。それを理解すべきだ。そして互いに譲れないものがあるなら、それは力比べしかないだろう」

 その瞬間相手が前に出る。今まで本気ではなかったかの如くその速度も力も数段上がっていた。

 これは、万全な状態でも勝てないかもしれない。そう思ってしまうほどに相手の動きは速く、強かった。

 それと同時にクベレの周りにもまた、先ほどとは比べものにならないほどの魔人が姿を現した。

 どうやら相手は本気で二人をカルナたちのもとに行かせたくないらしい。

「上等だ…!かかってこいや!」

 カランは叫び声をあげた。



 路地裏から、開けた大広間に出る。そこはかつてのクエストで大爆発が起こったところであった。今思えば、あの時からもうすでにこうなることが決まっていたのかもしれない。

 まるで両者の対決のために用意されたと言わんばかりに広がった大円形の大広間はまさに闘技場の様を呈していた。そしてそこには一人の少年と怪物が見合っている。

 その心中、怪物の前に立つということがどういうことか分かっていたつもりだった。

 だが、いざその前に立つと恐怖に支配されてしまう。魔法とか力とか、そういう次元じゃない。強さじゃない。生物としての出来が違う。

 それでもここから逃げるわけにはいかない。

 その視線と視線が交差する。カルナの瞳は真っすぐにその怪物を見つめる。そして怪物の鋭い瞳もまた、カルナを倒すべき相手として見ていた。心が跳ね上がるのが分かる。

「お前は、俺を対等な相手として見るのか…」

 そう言い、腰につけた短剣に手を伸ばす。勝てるとは到底思えない。だが、こんなにも強く、高次元な相手が俺を対等な存在として見てくれているんだ。最後を飾るには最高な舞台じゃないか。

「いくぞっ!」

 そう言い放ち全速力で駆けだす。脚に全神経を集中させる。相手の想定を上回るほどの速さでなければこの怪物に一矢報いることなどできない。

 瞳が追いつかないほどの速度で。

 怪物はその速度に一瞬反応が遅れる。その一瞬でその首元まで近づき一刺し。

 だが、その一刺しが首元に刺さることはなかった厚い毛皮の下に氷の障壁が現れる。

「なっ!」

 戸惑うのも束の間、次の瞬間には全身をひどい衝撃が襲った。

 怪物から見ればコメ粒ほどの小さい身体はいとも簡単に壁際まで飛ばされる。どんな攻撃をされたかも分からない。

「ぐはぁっっっっ!」

 嗚咽が漏れる。意識が飛びそうになるのを寸前で耐える。攻撃による衝撃はいままでに感じたことのないほどの者であったが壁にぶつかったときの衝撃であれば幾度となく感じた痛み。

「はぁ…はぁ…」

 この一瞬で力の差を見せつけられる。考えを放棄したくなるほどの実力差。

 駄目だ!考えることをやめるな!

 格上の相手ならいつもしてる。死にそうな痛みなら毎日味わってる。何もできない自分に絶望するのはもうやめだ。苦汁をなめる日々に終わりを告げろ。

 立ち上がれ。

 膝が震えている。立てよ。立てよ。立てよ!

「うをぉぉおおぉぉぉぉ!」

 短剣を握り直し、駆け出す。相手が捉えられないほどの速さで。幻影を見せるほどの速さで幾度となく切り刻む。十刻めば九は防がれ、二十は殴られる。それでも一は通った。

 それが積もり、相手が血を流し始めるころには、カルナは立っているのがやっとであった。

「…やっと、見せ‥‥たな‥‥。お前の…血…」

 そんな強がりを言うのがやっとだった。

 見たか、怪物、クソ兎。

 これで…。


「カルナ!」


 その叫び声がカルナの意識を取り持つと同時に、それをかき消すように怪物の咆哮が響き渡ると、辺り一面が凍り付く。

 は⁉氷⁉

 いや、てか、なんで来た⁉なんで⁉

 いやいやそれよりも今あの怪物魔法使った?あいつ魔法使えんなら最初に言っとけよ!

 いやいやいやそれよりも逃げるなっていったけどここは逃げろよ!文脈ってもんをしらねぇのか。あのクソガキ、じゃなくてクソババア。無駄に長い年月生きやがって。

 あぁもう一度に摂取する情報量じゃなぇぞ。

 こんな状況でもあいつに対する感情は無限に湧いてくる。


「…な…んで」

 だが声は出なかった。視界も赤く、ぼやけてよく見えない。凍り付いた身体は指先を動かすのでやっとだった。


「に、逃げないから!私も!」


 何言ってやがる、はやく逃げろよ!ただでさえ馬鹿みたいに強い敵が魔法まで使い始めたんだぞ⁉

 凝らした目に映るのは叫んでるセレネ。よく見れば足が震えている。

 その声を上げた途端、怪物の殺気が強まる。相手は躊躇なく強力な魔法を発揮する。人が使うには詠唱を必要とするほどの威力の氷魔法がカルナを襲った。凍らせた相手は最後までカルナを見つめていた。そして、カルナが凍りつくのを確認し、視線を移す。

馬鹿っ。

クソが…。

 動け…動け…動けよ俺の身体!



 身体が熱くなるのがわかった。

 その巨体から繰り出される突進。それをすんでのところでセレネを掴みかわす。

 そのまま物陰に隠れる。だが、相手はその間を許さない。壁に突っ込むことなく、上手く切り返し、そのままこっちへ突進してくる。

 切り返すたびにそのスピードは増し、次第に避けるのが困難になってくる。

 その攻撃の最中、余裕もないというのにセレネはそっと話しかける。


「逃げないっていったよね」

「おいおいこの状況で煽ってんのか」

「怖い?」

「怖いに決まってる」

「私も」

「そうかよ」

「でも前ほど怖くない」

「あ?」

「だからきっといまこんなこと言うべきじゃないのは分かってる。この言葉があなたを苦しめるのは分かってる。でも言う。」

「なんだよ」

「助けてほしい。どうしようもない私を助けてほしい。勝手に巻き込んで身勝手なのは分かってる。でも頼っていいっていうなら、助けて…ほしい」

「‥‥」

 彼女は瞳に涙をためていた。きっと怖いに決まってる。気付いてるかお前。いまでも震えてんだぜ。それでもここにきて、立ち上がって、俺を頼ったんだよな。

 怪物が生み出す冷気で二人の手足は凍り付き、何度もセレネを庇った身体はすでに尋常ではないほどの血を流していた。誰がどうみても状況は、絶望的だった。

 それでもたっぷりの虚勢をもって、自信に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべながら思い切り言い放つ。


「…上等!」


 継承者と伝道者の意志が重なったその瞬間。

 絶望にも飲まれぬその意志が宿ったその瞬間。

 不安も迷いもなく、誰かのために命を賭す覚悟をしたその瞬間。

 その瞬間。一つの炎が灯った。

 頭に流れ込むのはその炎の記憶。想い。先人が受け継いできた想いの結晶。


『意志の疎通を確認 失敗

 原因 継承者に媒体となる魔力量が不足

 制約で代替 成功          』


 頭に流れる機械音。それはセレネにも聞こえているようだった。驚いた様子で宙を仰いだ後、目が合う。


『制約名 焔の契り

 伝道者が継承者の認識できる範囲内でのみ効果持続

 伝道者の魔力を代替に変換


 効果 想いのままの炎             』


 つまり、足りない魔力分を制約とか言うやつで補ったのか。というか魔法を使うとこんな機械音が流れるのか。いきなりの出来事に戸惑いを隠せないでいるが、セレネと目が合った瞬間、自身のやるべきことを再認識する。


 灯った炎は強さを増し、やがて身体全体を包む。凍った身体を溶かしていく。

 それは今まで見てきたどんな炎よりも明るく、温かかった。

 その纏った炎は障壁となり、突進した怪物の表皮を燃やす。

『ウゴォォォォォォォォォ!』

 初めて威嚇の咆哮とは違う痛みの咆哮を上げる。

 その隙にセレネをカルナが認識しうる最大限遠い場所へと移動させる。


 その顔には少しばかりの不安が浮かぶ。


 そんな顔するなって。大丈夫だから。


 相手はすぐに攻撃を再開する。その速度は今まで以上に早く鋭かった。

 よく見ると怪物が通った地面が凍っている。

 この氷魔法が厄介だ。だが、相性ならこちらが上だ。

 そうは言いつつもやはりそのスピードは異次元だった。それでも先ほどよりも互角と、競り合っていた。十攻撃すれば五は入る。その分五攻撃される。

 その前の蓄積していた疲労と痛みがカルナの身体を支配していたが、そんなものは関係なかった。

 ただ、相手を越える最善の一手のみを考えていた。

 カランとの戦闘での動き。遠い記憶にあるあの剣術。いままで無駄だと、意味のないものだと思い込んでいた記憶がその身に沁み込んでくる。


 点ではなく、線で。

 

 力はいらない。込めるのはその一瞬。


 一撃、一撃とその攻撃は数を増すごとに洗練されていった。必要最小限の動きと無駄のない剣捌きが相手を上回りつつあった。


 相手の咆哮が響き渡る。その咆哮とともに吐き出されるのは今までにないほどの吹雪ともいえる冷気。炎が溶かした氷はたちまち息を吹き返し、辺り全体が雪化粧などという表現では生ぬるいほどの極寒に生まれ変わる。

 それでも、カルナの頭は冷静だった。


 たった一撃。

 されど一撃。

 それは致命傷にあたるほど正確で確実なものだった。


 魔法を得ただけ。魔法かも分からない。いやきっと魔法だ。魔法は意志の力。

 今ならわかる。湧き上がる炎がそれを体現していた。


 炎と氷のぶつかり合い。剣と刃のぶつかり合い。

 互角とまではいかない。まだまだ怪物の方が一枚も二枚も上手だった。

 それでも死なないカルナの瞳。覚醒状態と言わんばかりに開いた瞳孔はただ真っすぐに怪物だけを捉えていた。

 流れ出る血。切り込まれる身体。叩きつけられる矮小な存在。それでもその小さな戦士は立ち上がり続けた。決して屈することなどなかった。


 そのころにはもう、怪物は悟っていた。彼はきっと長年出なかった真の継承者なのだと。

 そして心から望んでいた。もうこの代で終わらせてほしい、と。


 全神経を集中させるその攻撃。巨体と速度に氷を上乗せした全身全霊最後の一撃。


 きっとカルナは分かっていた。あの聞こえるはずのない咆哮を聞いた時から。

 これで最後だ。


 身体を纏っていたその炎が短剣に集中し始める。

 そしてそのチャージが完了するころ、相手もまた、完了していた。


 全身全霊の一撃と一撃のぶつかり合い。威力は互角。それでも不慣れな魔法は怪物が一歩有利出ることを示していた。その氷が炎を侵食し、カルナの腕まで到達しようとしている。

 その一瞬、不安そうなセレネの顔がよぎる。

 柄にもなく格好つけたな俺。でもそれくらいしないとお前死んだような顔してたからな。

 だからそんな顔するなって。お前が信じなきゃ誰が信じるんだよ。

 お前言ってたよな。勝手に巻き込んだって。違うよ。巻き込んでなんかない。この炎はお前たちが始めた物語かもしれない。でも今ここでこの炎を使って戦ってるのは俺の物語だ。神意でも運命でも天命でもない。たとえそうなる定めだったとしても、それは俺が選択し、それがたまたま運命と同じだったってだけだ。

 だから、お前はまたここからお前の物語を始めろよ。ずっと、ずっと、長い間この世界のためにこの炎を見守り続けたんだろ。そんでお前はもうこの炎いらないって思うんだろ。なら今度はこの炎のためじゃなく、自分のために生きればいいじゃないか。それくらいの資格はあるはずだろ。

 

 そのために。

 必要なのは才能なんかじゃない。

 俺に魔法の才能はない。だが、それが何だというのだ。今、俺に必要なのはそんなものじゃない。心の奥に溜まっていた自分の価値という答えの出ない問いに悩むのはもうやめた。

 もう、世界を救う英雄になりたいわけじゃない。人類の救世主たる勇者になりたいわけじゃない。一国を、世界を、変えてしまうような歴史に名を刻む革命家になりたいわけじゃない。

 一人、たった一人なんだ。弱いくせに、一人じゃ何もできないくせに強がるそれは俺によく似ていた。果てしないほどの時間を世界のために捧げたそいつの人生は俺なんかよりもよっぽどきれいだった。それならそいつは。そいつのこれからは。俺が守ってやりたい。今までの苦しみと恐怖を吹き飛ばすような姿で。そいつの永い、永い記憶の中で、これから先どれだけの時を刻もうと焼き付いて離れないそんな強烈で鮮明な時間を。

 そこに、そのために、そんなものは、いらない。

「そのために、才能なんてものが必要かよ」

 一人で生きてきた俺。アランさんに拾われた俺。仲間ができた俺。カランにボコボコにされ続けた俺。理想と現実に挫折した俺。失敗した俺。卑屈になった俺。自分に自信を持てなくなった俺。それを隠すように虚勢で身を纏った俺。

 それを、全て吐き出させたセレネ。

 何となく生きて、好きなことやって、そのために小遣い程度の金を稼いできた。

 将来も、やりたいことも、自分が何者かさえ分からなかった。

 そんな俺に灯った炎。初めて心の底から感じた衝動。やっと感じることができた身体を置き去りにするほどの熱く、燃える想い。

 俺の全部で、こいつを倒す。



「受け取れぇぇぇぇぇぇぇ‼」


 受け取れるもんなら受け取ってみやがれ怪物。俺は一人じゃないんだ。一人分の想いなんかじゃないんだ。想いが糧のこの炎にこれほど適した男がいるかよ。

 溜まってたモン全部受け取ってみやがれ。


「うをぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

『ウゴォォォォォォォォォォォ!』



 その炎が巻き返す。相手の氷を、牙を、爪を、表皮を、燃やしていく。

 その最中、怪物は驚愕していた。これほどまでの炎を見たことがあっただろうか。いままで殺めてきた者たちはどれも逃げ惑い、許しを請い、剣を取らなかった。その中で最も弱い、微々たる魔力量しか持たぬこの少年が、在りし日の姿に重なる。

 いい。お前ならいい。きっとお前なら。

 炎を纏った短剣はその想いに耐え切れんとばかりに砕け散る。それと同時に巨大な炎は大剣と成した。相手の身体を引き裂く。そこから血が飛び出ることはなく、瞬く間に燃えていった。

 周りの壁にも炎が燃え移り、辺りはまるで業火の中だった。だがそれは苦しいものではなく、ただひたすらに明るく、温かかった。

 その炎の中心に一人、立ち尽くす男がいた。

 正真正銘、カルナの勝利だった。



「終わったようだ…」

 そういうとスーツの男は物凄い速さで間を開け、距離を取る。

「何言ってやがる…!こっからだろ…!」

 カランはフラフラになりながらも決してその拳を下ろそうとしない。

「そうだな…。これからだ。お前たちが味わう本当の試練は」

 そう言うと一瞬のうちにして消え去る。

「おいこら…」

 その出来事と同時にクベレを囲んでいた大量の魔人たちも姿を消し、そこには草原と二人だけがあった。

 クベレは自身よりもかなり深い傷を負っているクベレの治療を急ごうと近くに駆け寄るが、それをカランは拒否した。

「…それよりも、カルナだ…。あの怪物が…」

「ええ。分かっています。それでもあなたを置いていくことはできない」

 そういうと半ば無理やり肩を組み、ゆっくりとその場を後にした。きっと彼女たちはどこか分かっていた。カルナがこの試練とやらを乗り越えたことを。



 結局助けにいくことはできなかった。彼女の覚悟がアランの想いを上回っていたから。

 緊急クエストの指名。

 カルナとセレネの交流。

 この時期の怪物宴会。それに際するA級パーティの遠征によるナイト不足の発生。

 そして、その日に合わせた待ち合わせ。

 アランならこうする、それに合わせた手回し。全てリヴェイルの手の上だったわけだ。

 はじめから彼女を出し抜く言葉などできなかったのだ。

 それに信じると決めたのだ。彼らのことはリヴェイルよりも、誰よりも見てきた。彼らの強さはしっている。それでもぬぐえないものがあるのもまた事実だった。

 その不安のせいか店内をずっと動き回っていた。

 今からでも間に合うか?行くべきか。いや行くべきだろ。

 どうしようかと悩みに悩んでいた時。

 その扉が軋む音がする。古い木製の扉が開く音。それと同時になる店内の鈴。

 そこには眩しいほどに清々しい笑顔が並んでいた。

 フラフラになったカルナとカランがクベレとセレネに支えられながらゆっくりと店内に入ってくる。

 その晴れ晴れとした笑顔に目頭が熱くなる。君たちは乗り越えたんだね。僕ではどうしようもなかったものを乗り越えて見せたんだね。

「あ、アランさん」

 その言葉と同時に襲ってきたのはフラフラになりながらも強烈なカランの一撃だった。

「てめぇはなにしとんあじゃ!」

 だが、今ではその一撃ですら嬉しい。

「え、なんか笑ってるんだけど」

「気持ち悪いです」

 そんな罵倒さえも嬉しかった。

「おかえりみんな」

 これくらいしか言えないのだ。そんなに傷だらけになっても誰かが褒めることはない。このパーティの評価が上がることはない。それでも僕は知っている。君たちの頑張りを。覚悟を。だから、僕だけは言うんだ。本当に頑張った、と。

 そういうと全員が目を合わせ、呆れたように笑う。そして全員で口をそろえて言うのだ。

「「「「ただいま」」」」

 そうしてまたいつもの日常に戻ろう。そんなはずはないのに、どこからともなく珈琲の香りが鼻腔を刺激する気がした。



終章

 その後は何ら変わりなかった。

怪物宴会は急にモンスターたちの統率が崩れすんでのところで競り勝ったようで都市内部の一般市民はそんな出来事が起こっていたことさえ知らないでいる。

なぜ急に統率力がなくなったのかは謎のままだったようであるが、後日なにやらカルナとアスラが目配せで合図しあっていたことからきっとアスラたちの功績だろう。

それをアランさんもどうやら気付いているようでアスラ、ネラ両名を正式にパーティに入れたそうである。それからというものの四人でクエストに出かけることが増え、私はその間の店番だった。

カルナの力が使えないんじゃないかって?

それに関しては、皆に事情を説明すると、満場一致で私付きの能力ありカルナより単独能力なしカルナの方が使えるということになった。

まぁそれもしょうがない気がするけど少し悔しい気持ちもある。

だがその分時間ができた。

 今まで向けるものができなかったものに目を向け、自分の好きを見つめ直す時間が増えた。私は美味しいものが好き。そして、どうやらどっかの誰かさんのせいで服も好きになりかけているようだ。

 今日もカルナが初めて連れて行ってくれた古着屋へと赴いていた。

「最近よく来るねぇ」

「服にもいろいろあるんだなって最近思うんです。その服それぞれに物語が」

 そう感じてしまうほどに、魅了されていた。

「うんうん嬉しい。おじさん嬉しい」

 そういうと店主は泣きまねをしていた。でも嬉しいのは違いないのだろう。何も買わないばかりかただ話を聞きに来るだけでも楽しそうに話してくれている。そのおかげか知識ばかりが増えていく。最近は少し金欠気味なのである。

「そうそう、物語っていえば、セレネちゃんが付けてるそのネックレス」

そう指さされた先にはあの日カルナが私につけてくれたハート型のネックレスがあった。

「それカルナ持ってなかったけ?」

 やっぱり古着屋の店主の目は誤魔化せない。

「これカルナから借りてるっていうか貰ったっていうか」

 その言葉を聞くと何やらニヤニヤし始める。

「それどんなネックレスか教えてあげようか?」

「え?」

「そのハート型のネックレスはね、世界大戦中、女性が戦いに出る恋人のために送ったお守りみたいなものなんだよ。これで「私も一緒に戦っているからね」っていう意味で。ひゃーカルナも粋なことするねぇ~」

 その話を聞くや否や顔が熱くなるのが分かった。きっと今の私はカルナの炎や私の髪色に負けないくらい真っ赤になっているだろう。

 少年のあの顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

炎天魔の墓標 @konnpass

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ