第2話 炎天魔の墓標②

一章 土台

 その美声は良く響いた。

 ボロボロの布に裸足の彼女の表情は心底疲れ切っており、赤い髪も痛んでいるように思える。歳は恐らくカルナと同じくらいか。身長はカルナよりも小さいが所々に女子と言える要素が詰まっている。

 その問いに答えないでいるとしびれを切らしたように今度は口調を荒げて問う。

「それが読めるの?」

 二度目の問いでやっとその問いが脳内で消化される。

「あぁ。俺にもわかんないんだけどな。こんな字見たことないはずなんだけど」

 そう答えると少女は何かを考えるように俯く。数秒の沈黙は時間がとまったように錯覚させる。

「なぁ。俺からも聞きたいことがある。お前は何者だ?どうしてここにいる?そもそもここはなんだ?」

 その問いにこちらにちらっと視線を移すがすぐにまたなにか考え込む。一度に質問をしたことを後悔するが、すぐにその後悔をかき消す。彼女の様子から察するにどうやらこちらの質問に対して考えているようには見えなかった。

「なぁ。俺も質問に答えたんだからお前も―」

「ちょっと黙って」

 最後まで言わせない。お前に発言権はないと言わんばかりに鋭く言い放つ。

 このガキ調子乗りやがって。

「あとお前って言わないで。イラっとする」

 おいおいおいおいこっちが下手に出てれば何様だ?そうだないっそのことこいつを拘束しよう。うん。クエスト内容にこいつは当てはまるだろ。このガキを連れてけばなにか分かるかもしれない。うんそう。よしやっちまおう。まずは気絶させるか。

 背後にまわりナイフの柄で首裏を一発。動き出そうとしたその瞬間。二人とは別の足音が近づいてくることに気が付く。

 扉に近づいたその足音は止まることなくその入り口に足をかける。

 瞬間、暗闇になれた目が眩むほどの光線が発せられる。

 その影からみえた予備動作で察知したカルナは少女を掴み倒れ込み、近くの長椅子の影に身をひそめる。

 その魔法は神殿の後方の壁を破壊するほどの威力であった。壊された壁から夜風が流れ込んでくる。

「やっと尻尾を出したか。出てこい」

 男の声が神殿全体に響き渡る。「出てこい」と誰に言っているのかなど一目瞭然だった。俺にこんな知り合いはいない。そして何より掴んだこいつが震えていた。

「あんたちゃんと本持ってる?」

 囁き声であったが語尾が震えながらもその凛々しさは捨てまいとしている。そう言いその本がしっかりと腕に納められていることを確認するとカルナの腕振りほどこうとする。

「おい、お前何するつもりだよ」

 振り払おうとした少女を離すわけにはいかないと力を強める。

「あいつの狙いは私。最悪…、それだけ、その本だけあれば何とかなる」

 そう言うとさらに力を強めカルナの手を振りほどき前に出ようとする。それを止めるがごとくカルナが少女の腕を掴み引っ張り返した。

「お前馬鹿か⁉あいつの魔法見なかったのか⁉」

「だからなに?もし、あなただったとしても、死なせるわけにはいかないから。それが私の使命だから」

 その瞳は覚悟を映していた。こいつが何を言っているのか、誰なのか、どうしてここにいるのかは分からない。それでも、これはクエストだ。こいつはクエスト達成に必要だ。

 なら、やるしかない。

 対象を危険にさらすわけにはいかない。

 もう一度強く引っ張り長椅子の影に完全に隠れるように誘導し少女に手に持った本を押し付ける。そしてカルナは立ち上がった。

「ふむ。お前ではないな。お前の近くにもう一人いただろう。そいつを出せ」

「行儀がなってねぇな。人に頼むときの態度改めた方がいいぜ」

 光が影を作りその人物の顔、服装は判断できない。だが、その立ち姿からだけでも並々ならない者だと言うことだけはわかる。到底敵うとは思わないが精一杯の虚勢を張る。

「はぁ。調子乗るなよガキが。さっさと出せ」

 今にも襲ってきそうな口調。こちらに来られては困るとその言葉に口で返すことはなかった。地面を思い切り蹴り、ナイフを取り出す。一瞬のうちにその人物の前にまで到達すると右手に持ってナイフを振り下ろす。

 一瞬面を食らったようであったが簡単に避けられる。

 それを予測していたかのようにカルナは回転し、蹴りを入れるがそれもガードする。ガードした腕を思い切りふり、カルナの身体を吹き飛ばすがここまでは想定内と言わんばかりに難なく着地して見せる。

 これらの動作が行われるまでに経過した時間は一秒にも満たない。

 だがその一秒で両者は相手を見定めていた。

 男は認識を改める。この子供がかなりの体術の使い手だと言う事実を認め、戦闘態勢に入る。

 カルナは自らのあいさつ代わりの攻撃を油断があった中で見事に捌いた相手の力を鑑み、最善の一手を導き出す。

 両者に空いた時間と物理的な間は思考するには十分であった。

 そして両者がぶつかるのもまた必然である。

 ナイフで切りかかり、それを避けられる。一拳で戦う相手の攻撃を避けながらも反撃に応じていたがなかなか攻撃が通らない。そればかりか、カウンターを食らい、攻撃が緩むと相手の攻撃は激しくなる。

 押されているのは確実にカルナであった。止むことのない相手の攻撃を次第に捌けなくなる。確実に攻撃がカルナに通るようになっていた。

 そして、渾身の一撃がカルナの溝内を襲う。めまいと吐き気が催され膝を地面につく。

「始めの一撃には面をくらったがこちらの見当違いだったようだ」

 相手の力量を正確に図っていたであろう男の口から落胆の言葉が発せられる。

「まぁそんなことはどうでもいい。さぁ出せ。無駄な手間は省きたい」

 その言葉がカルナの耳を通過する。もはやカルナには届いていなかった。神経という神経を相手の仕草、容姿、、口調にまで集中させていた。

 月明かりが照らす男は眼鏡をかけている。上品な黒スーツを身に纏い悠然とカルナを見下ろしている。胸には龍の紋章が掲げられている。あれは、確か爆破された者達にもつけられていた。あれが奴らのシンボルマークか。

 容姿から見て二十代後半から三十代前半か。その立ち振る舞いからかなりの使い手であることは間違いない。体術だけでなく魔法の方もかなり。

 口調から察するに相手はこちらを格下であると見ている。魔法が支配するこの時代に性別、年齢、体格などは相手の強さをはかる指標に足りえない。どれほど小柄でも、どれほど子どもであろうとその潜在能力を見誤れば敗北へとつながる。少しの警戒が残っているのはこちら側が一度も魔法を見せてないことにある。もとよりこちらに攻撃手段となる魔法など持ち合わせてはいないのだが。

 では、どうする。唯一やり合えるであろう体術も相手の油断がなければ一撃すら入れることができない。最初の一手を逃した時点でこちら側が圧倒的不利になっている。

それに先刻より感じるこの違和感。数分に及ぶ戦闘でこれほどの体力を消耗することはないと言ってもいい。普段からカランにいいようにされている体力は伊達ではない。では相手の魔法か。戦闘中に俺に付与したのか。いやそんな兆候はなかった、はず。だとしたらこれは…?

いや、いまは関係ない。現状で為せることを考えろ。あと数分。数分さえ稼げばなんとかなる。きっと遠くで見張っているアランさんが気が付いてくれるはずだ。

全身に鞭を打ち力をいれる。ナイフを握り直し、立ち上がる。

「来いよ」

 ただ一言。こちらにはまだ戦闘の意志がある。それを伝えるには一言で十分だった。

 ため息を一つ。眼鏡を中指でクイッと挙げると全力で地面を蹴った。

 瞬間距離がゼロまで縮まる。次に見えたのは相手の拳。それをギリギリガードするも殴られた部位が熱を帯びたようにしびれる。

 攻撃は止まない。もはやカルナのターンなど来ないと言わんばかりに反撃の余地すら与えない。だがある一点を過ぎた時その攻撃は止む。

「そうだな。その方がはやいか」

 一人で完結させたその言葉の意味をすぐに理解する。魔法の兆候。

「【我が手は銃 弾丸は意志 古に廃れた古来の重装】」

 詠唱を開始する。

 どれほどの詠唱か、魔法か分からない。だが、詠唱を必要とする時点でその魔法が通常のものではないことなど明らかだった。

 ここら一体を吹き飛ばす気か⁉

 魔力が集中していく。その瞬間カルナの思考はただ一つに決まる。逃げるしかない。もはやどうすることもできないのだ。その眼光が少女を捉える今にも泣きそうになっている彼女を担ぐとすぐさま神殿から遠のこうとする。

「【届かぬ幻想に手を伸ばすため 目の前の現状を貫くため】」

 二小節目が終了する。扉とは真反対に隠れた彼女を担ぎ、魔力が集中する男を横目に駆け巡る。だが、先ほど感じた違和感が確信に変わる。遥か格上を相手にした疲労か。緊張か。死が目前に迫った戦いによるものか。分からない。だが確実に通常であれば感じることのない倦怠感がカルナの全身を駆け巡りその足取りを重くする。

「【我が身をそこへと置いていけ】」

 三小節目の終了と共に魔力の補充が完了する。手で銃の形を作りそこに魔力が集中したと思った瞬間。

「【幻殺銃創】」

 閃光が走る。レーザー光線ともいえる閃光がカルナを襲った。

 もはや男にはカルナの安否など分からない。それでも対象がカルナに担がれていたことは確認している。自身の魔法が対象までも巻き込む危険はあった。だが、あの少年であれば彼女を直前に庇い、どこかに放り投げるでもしているだろうという確信はあった。

 神殿の壁面は粉々になり、天井は跡形もなく崩れ落ちている。もはや月光を遮るものなどなかった。



アランが神殿の存在に気が付いたのはカルナが彼女と出会った頃であった。ネラが「あそこに建物が…」という指摘に冷や汗が止まらない。

確実になかった。あんなものはなかったはずだ。ではなぜ今はある?あれが姿を現す条件があるのか。それはなんだ。そんなもの決まっている。カルナだ。

それを知ったうえであいつは僕たちに依頼したんだ。どうしてそんなことに気が付かない。気が付いたところで事態が変わっていたことはない。カルナがいなければ何も起こらない建物がクエスト対象ならばいずれかはカルナがあそこへと足を運んでいたのだ。だが、知っていれば。

後悔している暇はないと即座に身体が建物方向へと向かおうとする。

「ネラはここにいるんだ。無茶はしなくていい。できるだけアスラの方を―」

 そう指示を出している時だった。人間ではない。モンスターでもない。もはや生物でもない刺客が彼らを襲う。

「これは、ゴーレム⁉」

 おそらく魔法で作られたゴーレム。大きさはこの高台と大差ないほど巨大なもの。と言うことは術者はこの近くにいるのか。だがその兆候は分からなかった。

 くそっ。こちらが後手に回ってしまっている事実に焦りを隠せない。

ネラの方に目を向けると恐怖を感じながらもどうにかしようと覚悟を決めた瞳が目に入る。事情を知らないから、できることが少ないからこそ目の前にしか目を向けていなかった。その瞳がアランをもう一度冷静にさせた。

そうだ。こんな小さな、臆病な少女でさえなんとかしようとしている。守ることしか考えていなかったが、この子なら大丈夫だ。

「ネラ。よく聞いて。僕はあの建物の方に行かなきゃならない。でもどうやら相手は僕たちをあちら側へと行かせたくないようだ。それはアスラの方も同じだろう。だから君はアスラのサポートに全力を尽くしてほしい」

 だがあれほど巨大なゴーレムを。そんな心配をしているだろう彼女に優しく語り掛ける。

「なに、あれくらいなんともないさ。これでも僕は強いんだ」

 そういうとアランはゴーレムと対面する高台を狙われないようにと飛び降り注意をこちらに向ける。恐らく術者は近くにいない。いたとしてもこちら側を視覚できる最大限遠くにいるはずだ。それほど遠方にいながらこれほど巨大なゴーレムをそう何体も作り出せるとは考えにくい。なら、建物の方に向かったとしてもネラ達の心配はしなくていい。

 深く息を吐く。

「こっちとしても時間が惜しいんでね。ちょっと本気で行くよ」

 そう言うと腰につけた短剣を取り出す。

 攻撃態勢を見せたアランに対しゴーレムは敵と認識しその巨大な腕を振り下ろす。それを飄々と避けると攻撃に転じる。

 頭には雷。

 その瞬間、短剣は強力かつ膨大な電気を纏い始める。

 雷を纏った短剣はその腹を文字通り一刀両断した。もはや形を維持できなくなったゴーレムは砂へと帰っていく。

「やっぱ生き物相手じゃないと気が楽でいいね」

 そう言うと短剣の雷は姿を消し、それを腰に戻す。

「それじゃここは頼んだよ」

 そう高台から目を丸くしているネラに声を掛けると建物方向へと走り出した。カルナほどのスピードはもう出ないかもしれないがそれでも何者にも追いつかれないであろうスピードで駆けて行った。

 道中に先ほどよりも二回りほど小さいゴーレムが何体も襲ってきたが、それらがアランに攻撃を与えることはなかった。



 広場の方から衝撃音が聞こえる。これは戻った方がいいのかもしれない。そう思い道を切り替えそうとした足を止めたのは数体の人型の影であった。

 アスラは見たこともない生物と言っていいのかも分からない物体に一瞬戸惑うが目を凝らせばそれが魔力の集合体であることからそれが何者かの魔法によるものだと確信する。

 魔法という多岐にわたる使い道の潜在性に感嘆しながらもそれがこちら側に敵意があることを認識し戦闘の構えに入る。手に持っていた黒色の細長い布袋から一本の木刀を取り出す。

 影がこちらを攻撃する。尖った爪ともいえるものから繰り出される一かきは致命傷とまではいかないまでもこちらに軽症を与えるには十分の攻撃だった。

 それを難なくかわし木刀を一振り。胴面を切り裂くとその姿はすぐに消える。

 一体一体は強くない。いやむしろ弱い。これなら苦戦はしないだろうと次々に切り裂いていく。単調な攻撃しか繰り出されないことを見ると数は多いがそれほど複雑な指示は与えられないようである。

 最後の一体。

 そう思い攻撃を繰り出した瞬間。背後からもう一つのかぎ爪が姿を現し、アスラの腹元を抉りにかかる。完全に空いたその隙はどうすることも無い。

 しまったと思ったその瞬間。遠方からの狙撃にも似た水による攻撃がその影を消し去る。

 その方向を見ると杖をこちら側に向けたネラの姿がぼんやりと見える。

 ふっと静かに笑うとすぐに真剣な顔つきに戻る。

 そうだ。油断は命取り。倒したはずの影が次々と姿を現す。その様子と先ほどの攻撃を見るに影がある限りその魔法は行使できるらしい。術者の姿は見えないがその大本を叩かなければこちら側に対する攻撃は止まないようだ。

 いやそれよりも広場に出た方がいいかもしれない。相手の力量が見えない以上一人で相手にするには分が悪い。後方にネラの援護があるにしてもこの路地裏ではその力を発揮できないはずである。

 思考がまとまると即座に攻撃に出る。カルナほどではないがネラの戦闘センスもまたとびぬけていた。足りない戦闘経験と魔法知識をその場の戦闘で補完し、対応していく。

 何十と出てきた影をものともすることなく斬り続けそう困ることなく広場へとたどり着く。そこではもう影は出てこなかった。

 アスラが知らない、アランが向かった建物の方向で爆発的な衝撃音が鳴り響いたのはネラと合流したときだった。



 その魔法の発砲が行われたのはアランがその建物のすぐ目の前にたどり着く直前であった。それがカルナによるものでないのが確実である以上、それがカルナと対峙している相手によるものであるだろうことは疑う余地はない。

 不安と焦りの心を支配されたままその建物にたどり着くともはやそれは建物としての原型はとどめていなかった。

 天井は崩れ、天井を支えていた柱や壁は破壊されている。太古の文明の跡地であるようにも思える。

 そこに三つの人影を発見する。一人は男。一人は少女。そして倒れているのがカルナか。そこに急いで近づくとその男の声が聞こえる。

「運のいい奴だ。直前で意識を失い倒れ攻撃を受けなかったか」

「私が目当てなんでしょ。こいつはほっとけばいいでしょ」

 そういいながら親猫が子猫を庇うものによく似た構図で少女が気を失っているカルナの前に立ちふさがっている。

「‥‥」

 その言葉に男ははじめ答えないでいたがすぐに口を開く。

「…信じられないことだが、このガキの症状が力の解放によるものだとしたら」

 そこまで言った途端、少女はひどく動揺する。

「…そんなわけないでしょ。こんな小さな子供にそんな」

「だがその可能性がゼロとは言い切れない」

 そう言うとカルナと少女を掴もうとする。

 その瞬間、アランの身体はほぼ反射的に動いていた。短剣を抜き、雷を纏ったそれは相手を死に至らすには十分な攻撃だった。

 それを直前で避けた男が一流であることをアランが悟るには十分だった。

「まさかこれほど早く駆けつけるとは思わなかった」

 一瞬の戸惑いを隠しきれないでいたが、その口から出たのはアランを称賛する言葉だった。

「悪いけど彼らをそちらに引き渡すわけにはいかない」

 一流同士の眼光が交差する。

 その中でいくつもの戦闘が行われ、どちらがどれほどの攻撃を与えたのかは彼らにのみ知りえることだった。

 その中考の末、男がとった言動は撤退だった。

「今、お前を相手にするのはこちらとしても分が悪い。衰えていると聞いたんだがな。その力は健在というわけか」

 そういうと背中を向ける。アランがこれ以上追ってこないことをその男は十分に理解していた。その去り際、一言だけ残して姿を消した。

「覚えておけ。それは世界に終焉をもたらす。お前には手に余ることを」


 残された言葉の余韻を夜風と静けさが助長していた。



 喫茶バルバドに帰ってもカルナが目覚めることはなかった。アスラとネラには目立った外傷もなく変わったことはなかったため、明日の放課後喫茶バルバドにまで来るように伝え、帰宅させたため今この場にいるのは帰りを待っていたカランとクベレを含めた四人だった。カルナは自室のベッドで眠っていた。

「で、この子は何者?」

 戻ってくるなりカルナの様子を見た途端慌てていた二人だが、カルナの傷の状態を鑑み、気を失っているだけだと判断し、クベレの一応の回復魔法を施し、しばらくするといつもの冷静さを取り戻していた。

「カルナは大丈夫なの?」

「怪我の状態を見るに戦闘による外傷は見られましたが大丈夫のようです。それにカルナが今気を失っている直接の原因は別にあるように思えます」

「別?」

「ええ。それを聞くのはアランさんか、そこに居合わせた者に尋ねるのが良さそうです」

 そういうとカランとクベレの二人の視線が一人の少女に集中する。その視線は控えめに言っても穏やかとは言えなかった。

「あなたたちに言うことは何もないわ」

 だがその少女は少女らしからぬ鋭い視線にも怯まない堂々とした振る舞いで真っすぐと前を向いていた。

「っ!あんたいい加減にしなよ!こっちは仲間を傷つけられてんの!ここで黙っていられるほど寛容じゃないのよ!」

 カランは座っていた椅子から立ち上がり声を荒げる。

「事情を説明したところで状況は変わらない。むしろ悪化するだけ」

 その怒号にも臆することなくただ淡々と述べる姿はもはや少女ではなく、幾千の修羅場を越えてきた者だった。

「っこの!」

 カランの拳が振り下ろされとようとしてもその態度は変わらなかった。その拳を止めたのはアランとクベレ。

「まぁまぁ落ち着いてカラン。カルナが相手をしていたのはかなりの手練れだったからそのせいなのかもしれない。いつも以上に気を張っていたから」

「そんなこと関係ない!あたしとの特訓はそんなに楽じゃない!あいつには死ぬ気で相手してた!それなのに!」

「落ち着いてください。あなたの気持ちは十分理解できます。ですが感情的になっていては正確に事情を把握できない。今の状況がアランさん以上に理解しているのは彼女だけです」

「…」

 クベレの正論にカランの口が塞がる。それはカランも十二分に理解していた。それでも考えもしなかったカルナの状態に熱くならざるをえない。体力と精神力と戦闘スキル。魔法を除いた戦闘に関して言えば同世代であれば他の追随を許さないほどのカルナが目を覚まさない。そしてその原因が分からない。魔法によるものであればクベレが対処可能であった。だがその治療も無駄に終わった今、打つ手がなくなっていた。カランの反応は当然のものと言えた。

「ですが、私とて今の状況をそのままにしておくつもりは毛頭ありません」

 クベレがいつも通りの冷静な口調が空気を刺激する。

「カルナが目を覚ますのに必要ならば私は何でもする。私もそこまで寛容ではない」

 その視線はいつも以上に冷たく鋭く少女を捉える。

 それに少女が反応することはなかった。ただ目を瞑り何かを考えたままの様子のままだった。

 沈黙が重い。こんな空気になるのはいつぶりだろうか。最近もあったかもしれない。だが、そんなとき、決まって口を開くのはカルナだった。だがそのカルナが気を失っている。この空気を壊すものはいなかった。

 そうしてその沈黙に風穴を開けたのは意外にも沈黙を貫き通していた少女だった。

「じきに目を覚ますはず。だけどその先は分からない。もし、カルナと呼ばれる少年が目を覚ました時」

 そこまで言うと再び口を閉じてしまう。カランの怒号にもクベレの冷酷な宣告にも動じなかった彼女の唇が心なしか震えている。

「ま、まぁそれだけ分かれば十分だよね。それより僕は君のことを知りたいな。どうだろう。ここにいるみんなで自己紹介っていうのは。僕はアラン。この中では最年長だよ」

 精一杯明るく話を振るが誰も表情を和らげることはない。だがここでアランは折れない。

「はい次!」

 そう言うと視線を二人に移す。交わった二人の視線は怒りと殺意に満ちていたが「頼むよ」と言う風に両手を顔の前で合わせて無言でお願いする。

「はぁ。私はクベレ。あなたに言うことは特にない」

 アランの作り笑顔が引きつる。

「…カラン。あんたが何の根拠を持ってカルナが目を覚ますって言っているのかしらないけど覚まさなかったらただじゃおかないから」

 あとは…。

 アランの視線が恐る恐る少女の方に移る。少女は仕方がないと言う風にその口を開く。

「名前はセレネ。詳しいことは言えない」

 その頑なに何も情報を開示しない態度にカランがふたたび沸点に到達しそうになる。それを静止するようにすぐさまアランは口を開ける。

「これからよろしくねセレネ。これからしばらくはここで過ごしてもらうから―」

「はぁ⁉」

 その言葉に間髪入れずに突っ込んできたのはカラン。

「なんであたしらがそんなこと!」

「まぁ落ち着いて。今回カルナがこうなった原因はわからない。セレネが何か知っているのも恐らく事実だろう。それでも彼女を危険にさらすわけにもいかない。恐らくカルナと対峙した相手の目的はセレネだ。二人の会話が少し聞こえたからこれは確実だろう。そんな子をほっとくわけにはいかない」

 それにどうせギルドに引き渡したところでこちらが保護しろと言う任務がくるだろう。きっとあいつの目的はカルナとセレネを―

「もう!勝手にすれば!」

 そう言いカランは乱暴に足音を立てながらその場を後にする。

「アランさん。確かにアランさんの言い分も分かります。しかしやはり納得しかねる。彼女はカルナが目を覚まさない原因を知っているのに話さない。信頼することはできない」

 そういうと静かにクベレも出ていった。

 その場にはアランとセレネだけが残される。

「まぁ許してやってくれないか。彼女たちも悪気があるわけではないんだ」

 慰めんとするがただ冷静に自分の立場を理解していると言わんばかりの口調で答える。

「分かってる。わたしを警戒するのは当然でしょ。むしろあんたが変わってるのよ」

「ははは…。まぁしばらくはここにいてもらうよ。その方が君もいいだろう。部屋は…、たしか一部屋使っていないところがあったはずだ。今日は無理だけどそこを使ってもらってもかまわない。今日は僕の部屋を貸すよ」

 セレネはなにも答えない。髪は痛み、服はボロボロ。顔はどこか疲れ切っている。

 アランは考えていた。君のその赤い瞳は何を見てきた。その矮小な身にどれほどの重みを背負っている。こんなにもすさむほど、傷つくほど君は何をしてきた。

 その姿が在りし日の少年に重なる。

 確か、あの時も。

 少年は反抗的な態度に二人に噛みついた。カランは生意気な子供に怒りを抑えきれず、クベレは呆れたように相手にしていなかった。

 その少年のようにきっと彼女もまた何かを背負い、何かに追われ、何かに怯えているのだ。どれだけ飾ろうと、虚勢で身を纏おうと。

 だから僕は。

「…とう」

「ん?」

「…ありがとう」

 ただ小さく耳を澄まさなければ聞き取れないほどの小さな声で呟く。

「あぁ大丈夫だよ。じゃあ案内するね」

 そう言い二人もまたその場を後にした。



燃えている。木が燃え、家が燃え、人が燃えている。

逃げ惑う声、死を恐れる声、死を迎える声が鼓膜を刺激する。

灰の匂いと血の匂いが鼻腔を刺激する。

次第に声は消えていく。一つ、また一つと消えていく。

その目を開ければ赤く、黒い。屍が無数に転がっている。灰になったもの。建物に潰されたもの。血を流し倒れるもの。子供から大人までその火の中で息を引き取る。


 その中で俺は何をしている。火の中心で俺は立っている。熱くはない。黒く燃えるその炎は冷たく囁く。背けてしまいたい。目を閉じてしまいたい。死にゆく人々の姿から目を逸らしたい。


 そんなことはさせない。してはならない。

これはお前のせいだ。お前が犯した罪だ。背けてはならないお前の過去だ。

お前がどれだけ生を謳歌しようと、過去から目を背けようと決してそれはお前を逃がさない。

それがお前に縛り付けられた十字架だ。


 熱い。怖い。逃げ出したい。

 獄炎がその身を焦がし、侵食していく。全身がその炎に侵されていく。

 そこに救いの手などないのだ。自身の手で、自分の意志で乗り越えなければならない。

 俺はどうしたい。俺はどうなりたい。俺は―



 目を開けると見慣れた天井がまず目に入ってくる。いつもと違うのは日差しが温かいこと。太陽は空高く上がり、それがもう昼前だと言うことを示唆している。

「うわっ汗やばいな」

 みると麻の下着は汗で湿っている。肌を離さないその感触が寝起きの心地よさを台無しにしている。

 それにしても、どうして俺は寝ているのだろうか。昨日は確か、アスラとネラが参加する初めてのクエストだったはずだ。たしか分かれて探索して、神殿を見つけて、それから―

 部屋に目を移すと昨日来ていたはずの戦闘服がハンガーにかけられているが、自分でかけた記憶はない。

 思考をフル回転させるがあまり思い出せない。

 まぁとりあえず汗を流してから考えよう。気持ち悪いことこの上ない。

 立ち上がり扉を開けると、店の方向から言い争いの声が聞こえる。一人はアスラか。朝からうるさいやつだ。でもあいつが言い争う相手なんて俺以外にいるか?クベレさんはありえないだろうし、アランさんもない。それにこの声は―

 店の方に近づくとカランと一人の少女がいがみ合っていた。

「てめぇあたしのシャンプーとトリートメント使っただろ!あれ高かったんだぞ!」

「はぁ?そんなの知らないし。使われたくなかったら封印魔法でもかけとけば?」

「あぁ?そんな面倒なことなんでしなきゃならねぇんだよ。持ち主以外が気を付けりゃそれで済む話だろうがよ」

「そんなの初めてのときに分かるわけないじゃん。せめて入る前に言えってはなし」

「あぁ?」

「はぁ?」

 なんともまぁくだらない言い合いだ。

「おはよう。朝からうるせぇぞ」

 水を差すようだがまぁ内容がくそほどくだらないからいいだろう。

「カルナ!」

 普段表情の起伏があまりないクベレが語尾を強めて心底驚いたように、そして嬉しそうに名前を呼ぶ。

「身体に変化はありませんか」

 そういいこちらに近づいてくる。

「あ、あぁ。変化、変化…、特にないけど。まぁ強いて言えば汗かいたな。シャワー浴びたい」

「それだけですか?」

 一体なんだと言うんだ。てかちょっと待て。さっき開店前っていったか?学校思いっきり遅刻じゃねぇか。

「それどころじゃねぇよ!学校遅刻じゃん!早く支度しねぇと」

 そういい風呂へと向かおうとしたがその手を止められる。

「今日は休んでもかまいません。もう一度聞きます。身体に異常はありませんか」

「え、まじ?休んでいいの?」

「えぇ。あなたの体調が最優先です」

「さっきから体調がどうとか身体がどうとかってどういうこと?」

「あなた記憶にないのですか?」

「え?」

「お前昨日のクエストで気失って帰ってきたんだよ。まぁあたしとしては別にそのままのほうが静かでよかったんだけど」

 カランが事情を説明する。最後の方は余計な気がするが。俺が気を失って帰ってきた?確か神殿に入った後、本を見つけて…。それから変な奴に会ったんだ。そうだ。あいつは⁉

「はっ。目覚まさなくてぶちぎれてたくせに」

 そう呟く少女。そうだ。こいつだ。こいつがここにいるってことは。

「てめぇは黙ってろ」

 頬を少し赤らめながら暴言を吐くカラン。それを華麗にスルーしこの少女に話しかける。

「お前無事だったのか。あいつはどうなった?あのあとは確か…」

 たしかあそこにいた相手は魔法を発動したはずだ。あの魔法をどうしのぎ切ったのか。俺が耐えきれたとは到底思えない。だとしたらこいつが俺を守ったのか。

「お前って言わないで」

 こいつ…。せめて質問に答えろよ。思い出したけど俺あのとき結構必死でお前のこと守ったよな。

「あぁ分かったよ。で、あの後どうなったんだ?」

 その会話に割り込んできたのはクベレだった。

「その話はシャワーのあとでいいでしょう。長くなりそうですし」

 クベレは先にシャワーに行くよう指示する。それもそうか。

「あぁそうするよ」

 シャワーの方に向かう。その向かう途中、後ろからカランと少女の声が聞こえてくる。その様子からまた何やら口論になっているらしい。全く一体どういう経緯であれをここに置いているのか。カランに加えてうるさいというか生意気なやつが増えた。

「はぁ」

 自然とため息がもれてしまった。



 シャワーを浴び着替え終わり、一通りの準備を終え店の方へ出る。そこにはすでに開店しているはずであるのに客の姿は見られなかった。普段学校に行っている時間帯にここにいるのはどこか不思議な気持ちになった。

 そこで一通りの説明をうける。昨日のクエストで相手の魔法を、気を失うという全く誇ることのできない方法で回避したこと。その後アランさんの登場で相手が手を引いたこと。だが彼らはまた確実になにか仕掛けてくること。そして彼女の名前がセレネだと言うこと。

 カランもネラさんもセレネの名前しか聞かされておらずクエスト中の詳細を話している際に時折ツッコみを入れてきたせいでなかなか話が進まなかったが何とか昨日の出来事を把握する。

「なるほど。では彼女、セレネがカルナに害を及ぼしたわけではないようですね」

「それは保障する。最初なんてこいつ俺の代わりに前に出ようとしたんだぜ。弱っちい癖に」

 カランも恐らく、クベレさんは確実にセレネを疑っていたようだ。その誤解は解いておきたい。こいつはなんだか腹が立つし、生意気だけど俺を庇おうとしたのは紛れもない事実だ。そんな奴に覚えのない罪を着せるのは気が引ける。

「でもわかんないんだよな。いつもだったらあんなんじゃ気を失うほど疲れないと思うんだけど」

「相手がそれほど強かったと言うことでは?」

「いや、確かに強かった。でも手も足も出ないわけじゃなかった。魔法を使われた時点で詰んではいたけど、逆に言えばそれほどの魔法は使わせてた。死の気配もしたし、実際死ぬかと思った。でもそれだけだ」

「それだけ、と言うのは?」

「それだけならカランと闘っても同じように感じる。こいつ手加減しねぇから」

「それはあんたが弱いだけ」

 そう。死の気配。圧倒的強者との戦闘。それに違いはない。だが、それはいつもやっていることだ。確かにカランが俺を殺すつもりは実際にはないだろうけどその威力に関して言えばたいした違いはなかったはずだ。緊張感はあったがそれもさほど差異はなかったように思える。

 相手の魔法か?あれほどの攻撃魔法を放っておきながら二重でこちらの体力を奪っていく魔法を使うことなどできるのだろうか。それにセレネの話によれば気を失ったのは魔法発射直後。その時点まで以下のような魔法が二重で発動できるとは到底思えない。

 ではなんだ。いつもとあの時の違い。あの時は確か―

「そういえば、セレネあの本大丈夫だったのか?」

 本を読んだな。意味の分からない字なのになぜか意味は分かったあの本。

「本?」

「なにそれ聞いてないけど」

 どうやら二人ともその存在は知らないようである。あれほど大事そうに持っていた本だ。無事なら何よりだが。

「えぇ無事よ」

 何もないように、視線を合わすことなく答える。その様子はどこかばつが悪そうだ。

「ほーん。それならいいんだ。あんだけ大事そうに持ってたからな。そうだ。それこの二人にも見せてみれば?俺より長く生きてる分何か分かるかもしれない」

 その直後、頭部に衝撃が走る。カランの拳が降ってきたのだ。なんで事実だろ。

 それに対し、少しの躊躇を見せるが、それをクベレさんは逃さなかった。

「見せてください」

 間髪なく真っすぐとセレネの方を見たまま告げる。

 その後も少し考えた様子を見せたが、最後はため息をし、部屋のある方へと向かって行った。

 すぐにセレネは姿を見せる。手にはあの古めかしい焦げたような重厚な本がある。それを見るなら勝手にどうぞと言わんばかりにカウンターに置く。

「先に言っておくけど見ても何もないわよ。その役割は今代は終えたの」

 訳の分からないことを言っているがそれをカランが手に取り、クベレと一緒にページをめくる。一ページ目を開いた時の顔はきっとあの時の俺と同じだろう。大方予想はできた。

「わけわかんねぇだろそれ。そんな大層なハードカバーなのにほとんど白紙だ」

 その言葉にまたも驚いたように本を一通り見終わったあとこちらを見ながら戸惑いを隠せないでいる。

「ほとんど、というか全部白紙…ですね」

「全部?」

「えぇ一ページとして文字が書かれていませんが」

 そんなわけはない。その本をカランから受け取り、もう一度よくページを一枚一枚入念に調べるがクベレの言う通り文字の書かれているページは一ページとしてなかった。

「いや確かに書いてあったんだ。見たこともない、でもなぜか意味は理解できる字で、内容は確か…」

 あの時に呼んだ文を思い出そうとする。だが出てくるのは見たことない字と言うだけで内容までは思い出せない。

「おい、セレネ。確かにここに書かれてたよな」

 あの時、「読めるの?」と尋ねてきた彼女ならば書いてあったということを証言してくれるはずだ。それに内容も覚えているかもしれない。

 だが、期待に反して彼女は口を開こうとしなかった。沈黙を貫いている。一体どういうことだ。

「セレネ。あなたに問います。ここに何か書かれていたと言うのは本当ですか」

 クベレさんが代わって問うがそれでもセレネの態度は変わらない。それを見かねたカランが口調を荒らげ乱暴に聞く。

「おい、答えろよ。お前、昨日からずっとなんか隠しやがって。いい加減に―」


カランカランッ。


カランの怒りを遮ったのは来客を告げる音だった。

だがそこにいたのは客ではなく、アランさんだった。

「いやぁ朝からギルドなんて行くもんじゃないね。本当に。朝の心地よさが台無しだよ…ってあれ?なんか空気悪い…?」

 それまでのやり取りを見ていないから仕方がない。アランさんに何の非があるわけではない。だが、水を差されたカランの怒りは矛先を変え、より怒りのぶつけやすいアランさんへと向かう。

「アランさんは間ってものを知ってますかぁ?今大事な話をしてるんですよぉ?」

 丁寧語を使っているはずなのに全く敬意の伝わらない口調と態度でカランはアランさんにメンチを切る。

「ま、まぁまぁ落ち着いて、ね。まず何があったのか教えてくれないかな…」

 しどろもどろになっているアランさんの姿を見て今回はさすがにかわいそうと思ったのかため息をつきその怒りの矛を鞘に納める。

 事情を説明し、その本をアランさんに見せると、しばらくの間考え込んだ様子で唸っていたが結論を出したのか、すぐに顔を上げ、口を開いた。

「うん。わからない」

「「「は?」」」

 思いもよらない回答に一同が目を丸くする。

「いやぁ。こんな本見たこともないしね。僕には分からないや」

「いやあんたあたしよりも長く生きてるんですよね?その成果見せてもらわないと」

 さっき俺に言われて怒った言葉をそのままアランさんに投げる。

「手厳しいなぁ。まぁでも分かんないしなぁ」

 アランさんも知らないのか。じゃあ誰が知っているんだ?学校の教師に聞くか?いやぁなんか嫌なんだよなぁそういうの。なんか塾の高度な問題を学校の教師に聞くみたいでなんか嫌だ。

「まぁいずれにせよ、今は書かれてないんだしそんなことをとやかく言っても仕方ないさ。あ、そうだそうだ。それよりもセレネがしばらくここに住むからその準備をしないといけないんだった。確か一部屋空いてるよね。僕はそこを掃除するから」

 げっ俺も掃除手伝えってか。もしかして今日学校休ませたのってそのためか?だとしたら相当の策士だな。

「カルナ」

 ほらきた。

「カルナはセレネと買い物に行ってきてくれ」

「は?」

 予想外の内容に反射的に出てしまう。

「ほらセレネはまだこの都市に慣れてないだろう。カランとクベレには店の仕事があるし、本当は僕が行こうと思ってたんだけど、カルナがいるならちょうどいいよね」

 いや待て待て待て。確かに俺が確実に手が空いてる。でも買い物はめんどくさい。まず人混みが嫌だ。どうせ買い物って言ったらあのメインストリートだ。あんな歩行者地獄みたいな人ごみに言ってたまるか。それならギリのギリで掃除の方がいい。

「服も買った方がいいだろ。案内してあげな」

 その言葉に思考が止まる。

 服?

 アランさんの方を見るとうざったらしい顔でウインクをしている。こいつ…俺の扱いを完全に理解してやがる…。いやでも自分の服を買えるわけではないし、いやでも…。

「さ、行ってきな」

 アランさんは迷いの森に入り込んだ俺を半ば強引に着替えさせ店の外まで追いやった。

 入り口から手を振るアランはなんともまぁ言語化しがたいほどに神経を逆なでする表情をしており一気に行く気がなくなるがこうなってしまっては仕方がない。

「はぁ。ほれ、行くぞ」

 そう言い、何を言っているのか分からないと言う様子のセレネの前に出て声を掛ける。その声に渋々ついてくる彼女とのドキドキでもなんでもない憂鬱な買い物が始まった。



 メインストリートは予想通り、いや予想以上に混みあっていた。普段は学校に行っている時間であり、大都市ザイオンの一週間の中でも平日に当たることからいるにしても賑やかくらいであろうと予想していたが、それを悪い方向に裏切ってくる。

 よそ見をしていれば誰かしらにぶつかってしまうだろうほどにまるで狭い空間に詰め込まれたと言わんばかりの人口密度である。

 セレネもはじめはその人の多さに驚き興味深そうにしていたが、そこを少し歩いた今ではもはや好奇心よりも嫌気が勝っているようである。

 周りを見渡さずとも様々人種で溢れかえっている。圧倒的に多いのは人間族ではあるが、「世界の半分」ともいわれるこの都市には獣人をはじめとした多様な種族がいる。

 その理由として商業の中心でもあるこの都市には働きどころを求め各地から出稼ぎに出てきており、その種族に合わせた需要を供給するための店が多く並んでいることが挙げられる。飲食店や雑貨屋などその種類は多岐にわたる。

 セレネにとってはそれがとても不思議であるようであちこちを見て回りたいようであったが今ではそんな元気もなくなり、ただ前を歩くカルナを見失わないように必死になっていた。

 その姿に会ったときから生意気に感じられたセレネの意外性を感じカルナは少し気が楽になっていた。そんな姿をもっと見たいと感じてかカルナは決してセレネに歩幅を合わそうとはしなかった。

 そんなカルナもこの人ごみの中を歩くことにそろそろ精神的疲労を覚え、始めの目的地である場所へと向かうべく真っすぐに進んでいく。

 メインストリートを少し行ったところにある細道に入っていく。日の光が常に当たるように設計されたメインストリートとはうって変わり店と店の間に作られたと言うよりできてしまったと言わんばかりの細道のその先にポツンとある一件の老舗。立地、外観どれをとっても決して入ろうとはしない店。

 正面には看板と言われれば看板なのかもしれないと言わんばかりの木片が置いてあると言うより転がっている。

 そこにやや遅れてセレネが到着する。完全に疲弊しており、人ごみに酔ったと言わんばかりに膝に手をつき疲れをアピールしている。

「着いたぞ」

 特にいたわる言葉をかけるわけでもなく目的地に着いたという報告だけをする。

「なにここ」

 外観からでは何を売っているかも判別できず、中を覗こうにも窓の一つも付いていない。

「まぁなんにしてもまずは、な」

 カルナはもったいぶっているのか何も言わない。

 だがその表情はどこか嬉しそうでワクワクしているようだった。それが人ごみを抜けたからなのか、この店が好きなのかはセレネには分からなかった。ただカルナもこういう顔をするのかという気持ちだけが残る。

 カルナはその古びた扉を開け中に入っていく。それに遅れないようセレネも続く。

「いっらしゃい」

 入ると店の中は予想通りと言うべきかそれほど広くはなかった。煙草と言うのか、古い匂いと言うのか、今までにない香りが鼻腔を刺激する。そこは服屋だった。

 入って真正面にはアフロの中年が不愛想に座っていた。だが、カルナの姿を認識するなりその表情はすぐに柔らかくなった。

「カルナか。学校はどうした?もしかしてサボりか」

「まぁそんなとこっすね」

 特に弁解もすることなくカルナは軽く返す。どうやら二人は顔見知りらしい。

「お前もそんな風になっちまったか。まぁゆっくり見てってくれよ。中々いいの揃ってるよ」

 そういうと口角を上げ得意げな顔をする。

「おぉ。あざっす。じゃなくて今日はこいつに合うのを探しにきたんすよ」

 そういうとカルナはこちらに視線を向ける。それに続くように店員もこちらに視線を向ける。

「おいおいまじか。あのカルナが女の子連れてきやがった…」

 その表情は天地がひっくり返ったほどの驚きようである。それが大袈裟な演技でないことをカルナの自身やカランに対する態度を知っていたためすぐに分かった。

「お前もしかして寂しすぎて、金で買ったんか」

「さすがにそこまで困ってないっすよ」

 笑いながらカルナは返しているが恐らく店員の方は大真面目だろう。

「まぁなんにせよこいつに合う服を見つけに来たんす。色々あってバルバドですむことになったすけど、こっち来たばっかだから服がなくて。今日もこれっすよ」

 そういうとこちらの服装を親指で指してくる。

「まぁたしかにちとばかし個性的な格好だなぁ。おれぁいいと思うけどな」

「まぁいいんすけど、ちょっと目立ちすぎっすね。ここに来るまででも結構見られてましたからね」

 そうだったのか。ただカルナを追うことに必死になっていたせいか気にならなかった。というよりもあの大勢の中にいても目についてしまうほどに変な格好だったのかと少し恥ずかしくなる。

 自身の目を服装に移す。靴も履かずボロボロの羽織ものしか被っていないその恰好は確かに目立つかもしれない。思い返してみればメインストリートにいた人たちは皆上等な着物を着ていたように思える。

「そういうことなら任せてほしいけどよ、どうなんだ初めてにうちを選ぶってのは」

「ここが一番いいんだよ」

 おお世辞でもなく本気で言っているのだろうと言うことはすぐに分かった。早速ハンガーにかかった服を物色しながら答えるカルナの表情は至って真剣だった。

「そりゃどうも。お嬢ちゃんもゆっくり見ていってね」

 入った時とは真逆の優しそうな表情だ。だが、そう言われても何をどう見ればいいか分からない。カルナはこちらのことをまったく気にしていないと言う風にひたすらに物色している。困った挙句ただ立っていることしか出来なかった。

「ごめんな。カルナ、服のことになるとああなっちまうんだ。こちらとしては嬉しいんだけどさ。友達をほっとくのはだめだよなぁ」

 その様子を見かねてかこちらに話を振ってくる。

「あ、全然大丈夫です…」

 カルナがアランに買い物に付き合えと言われたときに揺らいだのはこれが理由だったのかと一人で納得する。

「俺はシノってんだ。よろしくな」

「セレネです。よろしくお願いします」

 簡単に自己紹介を済ませる。

「セレネちゃんか。セレネちゃんは服とか好きなの?」

 その問いに少し困る。服と言うのは好きになるものなのだろうか。服とは最低限着なければいけないものであり、そこに好きと言う感情を抱くとは考えたこともなかった。

「その様子じゃ全くってところか。はぁ。カルナのやつ服に興味ない子にこんなとこ連れてきやがって」

「なんかごめんなさい」

「いやカルナが百悪いから大丈夫。一応言っとくとこの店は主に古着を扱ってる店になる。レギュラーものからヴィンテージ、世界各国から集めてんだ。俺が現地で直接仕入れてきてるから産地に間違いはないよ」

 シノさんは得意げに語る。この人もカルナと同じくらい服が好きなんだろう。だが何を言っているかいまいち分からない。

「レギュラー?ヴィンテージ?」

 知識には自信があったが本来の使い方とはずれているように感じる。

「簡単に言えばレギュラーっていうのはそれほど古くない古着のことね。十年前とか二十年前のもの。逆にヴィンテージってのは年代が古いものだよ。うちに置いてあるので言えば世界大戦の時に来てた軍用の服なんかある。モンスターの返り血や傷なんかついてるがそこがいいっていう客も少なくないなぁ」

「世界大戦?」

 聞きなれない言葉が次から次へと出てくる。だがこれは服用語ではないだろう。

「ありゃセレネちゃん歴史は苦手かい?世界大戦ってのは人とモンスターが世界中で戦った大規模な戦争のことさ。あれ以降人の住むところがあちこちで確保されてモンスターの脅威を一応退けたっていう歴史的に見ても重要な出来事よ」

 そうなのか。あれを、今の時代では、こちら側では、世界大戦というのか。

「服を知ると、歴史を知れるんだよ。今となっちゃ魔法の発達で生活がずいぶんと楽になったけど、昔を生きた人はさ、生きるのに必死だったんだ。だからその時に必要な服が作られた。デザインも機能性もその服を着れば感じられる。古着にはその時代を生きた人たちの血が流れてるのさ」

「‥‥」

「ごめんごめん。語りすぎちゃったね。俺もカルナに負けず劣らずモテないメンズだなぁ」

 自虐しながらもその顔はとても楽しそうだった。

「これなんてどうだ~。フレアパンツにシンプルデニムジャケット。中にはリンガーTシャツ。そこにこんな革靴。どうだ間違いねぇだろ」

 と、一通りの物色を終えたカルナが上下一式を手に持ちやってくる。セレネにはその良し悪しは判断できなかった。

「まもりはいったなぁ」

 だがシノにとってみればそれは無難すぎたらしい。

「いやいやはじめはこんなんでいいんだよ。ここから沼らせていけばいい」

 その顔は良くない企みをしていることを隠そうともしない悪い顔をしていた。

「まぁ季節的にだんだん寒くなってけどまだ暑いよなぁ。俺的にはセレネちゃんにはレザージャケットとか着てほしかったんだけどまだ無理かぁ」

「いやいや、こいつにレザーは駄目でしょ。本体の幼稚さが目立っちゃう」

「分かってねぇな。セレネちゃんは将来有望だぞ。今でも十分大人びてる」

「はぁ?どこが」

「俺ならこうだね」

「うわっそれもいいなぁ。いや、ありやなぁ」

 といいながら当の本人を置き去りにしたまま二人で盛り上がっている。ただ分かったのはカルナが私を馬鹿にしていること。それだけは分かった。許さない。

 結局四通りほどの上下を持ってこられ全て試着させられることになった。

「てかセレネ、パンツ履いてんの?」

 その一言にはさすがに拳が出てしまったが全く後悔していない。

 その後もあれやこれや着させられ、それが終わっても今度はカルナが着始めるという終わりの見えない買い物になっていた。

「ありがとね。また来てね」

 結局二時間以上もその店にいたことになってしまった。セレネとは対照的にカルナは十分満足と言わんばかりの表情をしている。

「それにしてもいいな。それ」

 そういいながらカルナはセレネの全身を上から下までじっくりと見つめる。

 上にはセレネにはすこし大きめの赤チェックのネルシャツ。それに黒色のロングスカート、赤の靴下に黒の革靴を合わしてる。着方次第ではいなたくなるがセレネが着るからなのかスタイリングがいいからなのか、まったくと言っていいほどダサさがなかった。それをカルナは少し悔しそうにしている。いや似合ってほしいのか欲しくないのかどっちなのよ。カルナも何か買ったようであるが試着に疲れ切ったセレネにはそれが何か分からなかった。

「次どこ行く?ってまぁさすがに疲れたよな。どっか入るか」

 乙女心を一ナノメートルも理解していないカルナにもセレネが疲れていると言うことは読み取れたようでどこか休憩できそうなところ頭の中で探している。

「なんか食べたいものある?」

「なんでもいい。とりあえず座りたい」

 本当に疲れ切ったときには食欲などわかないものである。食べるよりもまずどこかに座りたかった。

「だよな。まぁ安く済ませるか」

 そういい再び行きに来た道に戻る。つまりメインストリートへと出るのだ。今のセレネにとってそれは拷問に近かったが、カルナとはぐれてしまえばここが何処かも分からなくなるので仕方なくそれについていく。

 昼時を回ったメインストリートはさらに多い人たちでごった返していた。



 入った店はごく普通の飲食店であるようだった。少し待ったがすぐに案内される。案内された席は窓側の二人席だった。セレネはソファ型の方へ座り、カルナは椅子の方に座る。

「ではお決まりになりましたがボタンを押してお知らせください」

 そういうと店員は忙しそうに去っていく。

 周りの年齢層は高めでおば様たちが飲み物を飲みながら談笑している。

 カルナがメニュー表を開きセレネの方に見せる。そこには様々な種類の、見たこともない食べ物たちが数多く書かれていた。

「なにこれ?」

「あぁこれは―」

 一個一個聞いては説明されを繰り返すが何一つ分からない。結局食べてみるのが一番早いという結論にいたり、とりあえず頼んでみる。

 店員を呼び注文をした数分後に届く。

「こちらがドリアとたらこソーススパゲティ、こちらがマルゲリータになります。注文は以上で大丈夫ですか?」

「はい大丈夫です」

「それではごゆっくりどうぞ」

 一連の流れを終え、食事へと移る。だが、この大きな円形のものは一体どう食したらいいのだろうか。想像したよりも大きい。

「これは切って食べるんだよ」

 そう言うとカルナはそれを四等分しギリギリ食べることのできる大きさに切る。

「じゃいただくか」

 そう言うとカルナはドリアなるものをスプーンですくって口に入れる。

「やっぱ安定だな」

 そういいながら物凄いスピードで口に入れていく。

 それを見ていると疲れに隠れていた食欲が顔を見せはじめる。

 それを口に入れる。

「おいしい…!」

 トマトとチーズの味が口いっぱいに広がる。熱されたチーズはどこまでも伸び続ける。

「当たり前だろ」

 そう悪態じみた言葉を掛けられても今だけは気にならない。その手は止まらず、簡単に二切れ食べてしまう。

 食事中は特に会話もなく互いがそれぞれ味に浸っていたが中盤に差し掛かるとカルナが口を開く。

「てかさ、思ったけどお前知らないこと多すぎじゃない?」

 そこには馬鹿にしたニュアンスを読み取れないこともなかったがどちらかと言えばただ単純に疑問に思っていると取れた。

「ピザもそうだけど、世界大戦も知らなかったんだろ?教養なさすぎじゃない?」

 いや違った。やっぱり馬鹿にしてた。

「あんたに言われたくない」

「いやいやお前よりも知識あるから」

「は?確かに生活に関する知識はあんたに負けてるかもしれないけどそれ以外は私の方が知ってるから」

「そんなわけないだろ。何知ってんだよ逆に」

「魔法とかに関しては私の方が知ってる」

「いやいやいや俺も一応学校で習ってるんだわ」

「へぇじゃあ聞かせてみなさい。魔法とは何なのか」

「魔法ってのはまぁ魔力を使う特殊能力みたいなものだな。身体能力みたいな基礎能力向上から始まって火や水とかを魔力を変換して作り出すものだろ」

「まぁ間違いじゃない。でもそんなのは誰でも知ってることでしょ。なに学校っていうところはそんな生まれた瞬間理解できるようなことを教えているの?」

「馬鹿言うな。学校ではもっと高度なことやってんだよ」

「例えば?」

「魔法を体系的に学ぶんだよ。魔力量から始まってそれを人体の中でいかにして魔力を魔法に変換するか。それを理解すれば効率的に魔法を使える」

「魔法を体系的に、ね」

「お前に分かるか?それが」

「あんた魔法の本質って何だと思う?」

「本質?」

「そう。魔法は何なのかってことね。もしかして本質の意味が分からない?本質っていうのは―」

「それくらい分かるわ」

「じゃあなに?」

「本質、本質ねぇ。神と同等の力、みたいな」

「全然違う。馬鹿ね」

「あんだとこら」

「間違ったからこれ私に頂戴」

 そういいセレネはカルナのドリアをスプーンですくい口に入れる。

「え、これもおいしい…!」

「おいこらてめぇ!」

「じゃあこっちも」

 そういいパスタにも手を伸ばす。

「えおいし!」

「てめぇ…。ならこっちも手加減しないからな」

 そういいカルナはあと一切れだけ残っていたマルゲリータを一口で飲み込む。

「あぁ!あんた!残しといたのに!」

「知らねぇよ~」

「そもそも私とあんたの一口じゃ大きさが違うじゃない!もうなくなっちゃったし!」

「先に食ったのお前だし~」

「あ、そう。そっちがそうするなら私も手加減しない」

 そういうとカルナのドリアを自分の方へと寄せ、一気にかき込む。

「おい、こら!」

「あ~おいしい~」

「食い意地張りやがって」

「あんたがね」

「なんだと」

「なによ」

 言い争いがヒートアップし、店内にいた全員がこちらに注目するようになったころ。

「お客様、他のお客様の迷惑となりますのでもう少し静かにしていただけますか」

 店員がこちらを注意してくる。そこになって初めて二人はその言い争いが店内全体に響き渡っていたことに気付く。

「「すいません…」」

 反省した様子をみて店員が返っていく。

「お前のせいで怒られたじゃねぇか」

「あんたのせいでしょ」

「あ?」

「は?」

 両者譲らず睨みあっていたが先にその視線をずらしたのはセレネだった。

「はぁくだらない」

 ため息を付きながら席に座り直す。

「言っとくけどお前からだからな」

「はいはい。分かりましたよ。子供ね」

 いちいち一言多いんだよと言わんばかりにカルナは言葉にしないものの怒りまでは隠さない。

「それにしても平和ね」

 窓を見ながらセレネがそっと呟く。

「そうか?」

「そうよ。平和じゃなきゃこんなくだらないことで言い争いできないもの。服だって食べ物だって、お洒落な物、おいしい物を追求できるのは平和な証拠よ」

「まぁ確かに言われてみればそうかもな」

 外にはせわしなく歩いてゆく人。友人と楽しそうに歩いていく人。女性に声を掛けている人。誰もが上等な服を着て、立派な靴を履いて歩いている。それを眺める彼女はどこか可憐だった。彼女は何を考えているのか。カルナには見当もつかない。

「あんたは何になりたいの?」

「何急に」

「いいから」

 急な問いに意表を突かれる。それに加えきっと準備をしていても戸惑うその問いはカルナにとって簡単に答えられるものではなかった。

「うーん。これといってなりたいものとかないんだよなぁ。まぁ普通にパーティ組んでそのままクエストこなしてって感じか」

「服好きなんでしょ?そっち方面は?」

「服は需要する側でありたいからなぁ。それに学校まで通わせてもらっていきなりそっち行きますってのはアランさんたちに申し訳ない」

「そう…」

「あぁ」

 彼女は一体何を思って、何を考えてこの質問をしたんだろう。その落ち着きと儚さが先ほどの言い争いの時の彼女とのギャップで協調される。

 そこからは特に話すこともなかった。残っていたものを食べきり水を飲み干す。

「…この世界に私はいらないのかもしれない」

「ん?」

「なんでもない」

 その最中に発せられた彼女の呟きはカルナの耳に届くことはなかった。



 その後、この都市に来たばかりのセレネは何が欲しいのか、生活に何が必要なのかも分からないのか、都市を回るだけだったがそれだけでもかなりの店があり、その一つ一つが新鮮に映るようで立ち止まっては物色するということを繰り返していたため日は傾き始め、点々と明かりが付き始めていた。

 その賑わいは昼のものとはまた別のものであった。昼では普通の飲食店であっても夜には酒場と化し、夜から営業する酒場もあった。商業色が強い昼の賑わいとはまた違った特有さがそこにはある。

 カルナはそれがあまり好きではなかった。昼にどれだけ賢そうな顔をしていようと一度アルコールを口にしてしまえば、そこには品性のかけらもない。

 まるで身体の大きい子供を見ているようだった。子供の幼稚さや馬鹿さは小柄で可愛げがあるから許されるのであっていい歳した老いぼれどもが子供のようにバカ騒ぎしている姿は目も当てられない。

 その夜の雰囲気が今まさに始まろうとしている。その嫌悪感が足取りを早くする。

 セレネも大分この都市の雰囲気に慣れてきたようで昼時のようにただカルナを追いかけるのに必死と言うわけでもなく、空気の変化を感じながらカルナを追う余裕が出てきていた。

 だが、その慣れこそが一番の敵であることに気付くのはそう難しいことではなかった。

「君、一人?」

 昼と夜の変わり時。商業目的の者達が遠のき始め、別の目的の者達が増えはじめるその合間に生まれる人口密度の休息地点。その頃合を見計らい、余裕ができたメインストリートでセレネは予期せぬ方向から声を掛けられる。

「もうそろそろ夜だよ?一人は危ないんじゃないかな?」

 その言葉に戸惑いを隠せない。何の目的があって私の心配をしているのだろう。そもそも私の前にいるこの男の姿が見えないのか。

 とカルナの方に視線を向けようとするがその姿はとても小さく見える。

「…いや、大丈夫ですけど」

 あの野郎、とカルナへの怒りを感じつつそれを話しかけてきたこの男にぶつけるのはお門違いだろうと隠しながら、それでも懐疑的に答える。

「いやいやここら辺夜になると酔っ払いが増えるから大変だよ。君みたいな可愛い子はすぐ連れていかれちゃう」

 なるほど。この男は私が誘拐されることを心配しているのか。

「だからどう?今夜は僕と一緒にいようよ。おいしい店知ってるんだ」

 おいしい店か。確かに昼に食べたなんとかっていうのもすごくおいしかった。この都市にはおいしいものがたくさんあるのかと、興味をそそられる。いやでも今お金あんまり持ってないしな。

「私お金ないので」

「あぁその心配なら大丈夫だよ。僕が出すから」

 お金まで出してくれるという。これほどの好条件あるだろうか。だが、そんなことをして一体この人に何のメリットがあるのか。それともこの都市は人に無償で親切心をふるまえるほど心に余裕があるのだろうか。

「いやそれは悪いので」

「大丈夫だよ」

 何度断っても一緒に食事を断っても粘り強く誘ってくる。これは親切ではなく、ある種の自己満足ではないだろうか。

そう懐疑的な感情が芽生えはじめたとき、相手が腕を掴んでくる。

「ほらこっち」

 その手を払おうとするが予想していたよりも相手の力が強く払うことができない。そのやり取りの中で相手への怒りが芽生え始めていたその時。


「あぁそれ俺の連れなんだよね」

 聞きなれた声がすぐ横で聞こえる。その方を見ると何故だかセレネよりも怒っていると言わんばかりの表情のカルナが立っていた。相手を睨むその目はまさにゴミを見ているかのようにひどい軽蔑を表している。

「なんだお前急に」

 相手の口調はセレネの時からは想像ができないものだった。

「そのまんまの意味だけど。やっぱ人間の言葉は理解できませんかキノコヘッド野郎。人間に話しかけるのは人間になってからにしてもらえます?」

「なっ!てめぇ!」

「え?キノコのくせに怒れるんだ。怒りって感情あったんだ。その性欲しかない頭で怒りって感情感じられるんだ。すごぉーい」

「てめぇ覚悟しろよ!」

 そういい殴りかかろうとする相手の攻撃を簡単に避けると相手の動きを封じ、耳元で呟く。

「てめぇのその個性のへったくれもないクソみたいな髪の毛刈ってやってもいいんだぞ。一応何人かは経験済みの様だけどてめぇもそうなりたいか?あ?」

 きっとその男にしか聞こえてないであろう忠告。挑発にしか取れない言葉であったが、それはその男を震え上がらせるには十分だった。

「て、てめぇ、覚えとけよ!」

 そう言いながら走り去る。

「覚えてほしかったらその馬鹿の一つ覚えみたいな髪型やめてからこいやくそが」

 その言葉はもはや聞こえていないのかすぐに人ごみにまぎれ見えなくなる。

 セレネはその一部始終を見ていたが一つも理解できず、ポカーンとするしかなかった。なぜカルナがこれほど怒っているのか。なぜ男はあそこまで言われなければならなかったのか。そもそもなぜ男は私に話しかけてきたのか。ただの一つも理解できない。

「てめぇもてめぇだぞ。あんな見え見えのナンパに立ち止まりやがって」

「なんぱ?」

 なんぱとは一体何だろうか。難破?ここに海があるようには思えない。

 カルナは何一つとして状況を理解できていないセレネの手を掴み、そのまま帰路につく。

 その道中、セレネはカルナに状況の説明を求めたがこれと言って要領を得なかったが、何となくはその男の目的がつかめてくる。カルナは前と同じように前を歩いていたが、その手は離さなかった。

「つまり私を抱きたかったってこと?」

「そうだろ。普通に考えて」

「その対価として私にご飯を御馳走しようとしてたわけね」

「でも、それにどれほどの価値があると言うの?見ず知らずの私を抱いて何になるっていうの?」

「そんなん自分のステイタスだろ。『おれ、簡単に女の子ひっかけられるんだぜ☆彡』みたいな」

「意味が分からないんだけど。そもそもそれは恋仲にある者同士がやるべきでしょ?私と恋仲になりたかったっていうこと?一目惚れってことね…。美しすぎるっていうのも罪ね」

「馬鹿じゃねぇの。お前の頭の中は天国かどこかですか?ああいうのは性欲の解消か心の寂しさを埋めることしか出来ないの。」

「なるほどね。つまりすぐに女性と深い関係になれるってことを自身の魅力として捉えることで自身の未熟さだったり愚かさだったりから目を逸らし、心にできた自分は本当は価値がないっていう寂しさを埋めようとしていたわけね」

「お前、えげつないな。まぁそういうことだけど」

「はぁ私としたことがそんな人に引っかかりそうになってたわけね」

「分かったら以後気をつけろよ。ここはそんなんばっかだから」

「分かったわ。でももう一つ分からないことがあるんだけど」

「なんだよ」

「なんであんたがそんなに怒っているの?あんたにはおおよそ関係ない話でしょ」

「‥‥」

「あんたすごかったわよあの人を見る目」

「‥‥」

「どうして?」

「ねぇどうして?」

「うるせぇな。助けてやったんだからいいだろ」

「もしかして私のこと好きなの?嫉妬したってこと?」

 ただひたすら前を歩き、その会話中決して目が合わなかったカルナが初めて歩みを止め、こちらを見ながら答える。その時には掴んでいた手を放していた。辺りは人足が遠のき、二、三人が歩いているだけである。

「やっぱお前の頭は天国かなんかか?あって二日のくそ生意気なガキになんで好意とかいう感情を持ち合わせることができるんですか?馬鹿なんですか?」

「うるさいわね。元はと言えばあんたが私のことを考慮せず一人で先に行ったから悪いんでしょ。はやく答えなさいよ」

 カルナも自分が後ろを振り向かなかったのが原因だということを理解していたのかその言葉に対して唸ることしか出来ていないようだった。

「は・や・く」

「あぁーわかったよ。うるせぇうるせぇ」

「じゃあなんであんなに怒ってたわけ?」

 小さくため息を付いた後カルナは口を開いた。

「嫌いなんだよ。ああいうの」

「嫌い?」

「ああ。お前が言ったみたいに他人にすがることで、他人を利用することでしか自分を肯定できない奴が、嫌いなんだよ。自分には何の価値もないって分かっているのに、目を逸らして、今の自分を肯定してるやつが嫌いなんだよ」

「…そういうこと」

 カルナがなぜそんな人を嫌いなのかは分からなかったが言いたいことはセレネには理解できた。きっと許せないのだ。弱さを隠し、他人に寄生し、自分を肯定してしまう人が。それは、私もそう。私も許せない。

「まぁあとは…」

「?」

「あいつが黒髪マッシュヘアだったからだな」

「は?」

 セレネにそれは理解できなかった。



バルバドにつくと日はすっかり沈み、辺りは暗くなっていた。閉店時間をむかえた   窓からの明かりが漏れていた。

「ただいま」

 正面の入り口から入ると、そこにはウエイトレス姿のカランとクベレ、いつも通りのアランに加え、アスラとネラもいた。

「おぉ帰ってきた。おかえり。思ったより遅かったね」

 送り出した張本人であるアランさんが真っ先に声を掛けてくる。

「案外相性いいのかもな」

「おかえりなさいカルナ、セレネ」

「やあカルナお邪魔してるよ」

「お、お邪魔してます…」

 続々と声を掛けてくるが全員に反応するのは口が何個待っても足りない。適当に流し、皆が集まっているテーブル席の方へ向かい、横のテーブル席に座る。座った瞬間、その日の疲れが全て滲み出てくる。

「ほらセレネも座りな」

 アランさんがセレネをカルナの正面へと案内する。それに対して申し訳なさそうにしながらも案内された場所に座ると、彼女もその日の疲れを噛みしめるようにふぅと息を吐く。

「二人の今日の一日を聞きたいところだけど、その話はあとにしよう。二人はここから寮まで帰らないといけないからあまり遅くなるわけにはいかない。本題に入っていいかな」

 アランさんの言葉を否定する者はいない。アスラはなにやらニヤニヤしていたがその言葉を聞くとすぐに表情を入れ替えた。

「じゃあ早速本題に入ろう。昨日のクエストの件だ。ギルド側は昨日の内容でクエストの達成を認めてくれた」

「今後に関してだけど、特に追加のクエストは課されないようだ」

「つまり?」

 クベレさんが追加の説明を求める。

「つまり、ギルド側としては昨日の相手にセレネが渡ることを防ぎたかったことになる」

「なるほどね。でもクエストが達成された追加のクエストが課されないってことは、今後あたしたちがセレネをどうしようがこっちの勝手ってこと?」

「まあ、そういうことになるね」

「じゃあ今からの話っていうのは今後のセレネをどうするかってことでいい?」

「ああそれでいい。僕としては保護していく方向で進める。それが最善だ」

 至極当然だろう。そのためにこんな思いまでして買い物に付き合ってあげたんだ。ここであとは勝手にやってくださいっていうのは矛盾だらけだ。恐らく全員が同意するだろうと踏んでいたがそうではなかった。

「あたしは賛成できない」

 カランが声をあげる。

「あたしたちがセレネを保護する義務もなにもないわけでしょ。ならあたしはその意見には賛同できない」

 カランの口調はただ淡々とその事実を述べていた。何も間違っていない。

「確かにそうだけど、それはいささか非情過ぎないかな」

「あたしは無関係の人間に情けをかけるほど優しいできた人間性を持ち合わせていないわ」

「無関係は言いすぎじゃないか。この件に関わったのは僕たちだし、その時点で無関係とは言えない」

 珍しくアランさんとカランが言い争う。

「それなら、その原因となったギルドが面倒を見るべきでしょ。あたしたちは関係ない」

「それでももう仲間じゃないのか?」

「仲間?そんなわけないでしょ。あたしはこいつを信用していない。信用できない。カルナが気を失ったのは何で?あんたは何者?何も話さないじゃない。それで信用しろって方が無理な話だわ」

「それは…」

「どうなのその辺」

 カランの瞳は真っすぐにセレネを向いていた。信用に足るべきか、仲間と呼ぶべきかを見定めるように逸らすことなく真っすぐと向いている。

「…」

 セレネは何も言えず下を向き黙っている。きっと彼女には彼女なりの理由があるのかもしれない。今日一日セレネと過ごしたカルナにとってセレネが自分たちに害を及ぼすようには見えなかった。だが、そのことをカルナが言ってもカランは聞き入れないだろう。セレネが自身の口で言うしかない。

「あんたが何者なのか。どうしてギルドがあんたの保護を求めてるか、この際そんなことはまぁいいわ。あたしが聞きたいのはあんたがあたしたちに害をもたらすか。あたしたちを危険にさらすかどうかよ」

 ただ真っすぐ見つめる。アランは心配そうにカランとセレネを交互に見つめる。クベレは目を閉じ静かに立っている。

「私は…」

 セレネは顔を上げ、その瞳を見つめ返す。心は決まったと言わんばかりにカランに負けないほど真っすぐに。

「やっぱり詳しいことは言えない。でもあなたたちを危険には晒さない。私の問題は私で解決する。誰も、巻き込まない」

 その決意の表れにその場にいた全員の視線が一点に集まる。それ以上はカランも問いただそうとはしなかった。きっと聞きたいことはある。言いたいことはもっとある。どうしてそう言い切れるのか。そう言い切れるだけの根拠はあるのか。だが、それ以上に言いたいのは、もっと違うことのはずだ。そうじゃない、そうじゃないと。それでもセレネがそれを理解し、汲み取り、望むまで、きっとカランは手を差し伸べない。差し伸べるべきでない。そう考えているのだろう。

「…まぁいいわ。自分の責任には責任を持ちなさいよ」

 ただ一言だけ。納得はいかずともカランがセレネを一応の仲間として認める一言だった。

 その一言にアランが安心したような表情を浮かべる。ネラもこの重たい空気に限界を感じていたようで大きく息を吐いた。

「まぁそういうことだからこれから仲良くやっていこう。うんそうだね、今日はセレネの歓迎会でもやろうか!」

 空気をなんとか入れ替えようと精一杯明るい声でアランさんが提案する。

「そうですね。楽しそうだ」

 反応したのは全く空気を読めていないのか、それとも分かっていながら関係ないというのか、恐らく後者であるアスラだけだったが、その提案を誰も批判することなく、クベレとカランは食事の準備に取り掛かるようにキッチンへと向かって行った。

 その後はこの空気を作った張本人であるカランがアルコールを摂取したこともあり、なんだかんだ盛り上がったのだった。



 翌日からいつも通りの日常が始まっていた。朝早く起き、カランにしごかれ、朝食を取り学校へ向かう。学校に付けばそこにはアスラとネラがいる。席に座り、教授の話を聞き、板書をとる。何も変わらない日常。ただ一点を除いて。

「で、なんでお前がいるんだよ」

 午前の授業を終え、食堂に出向いたのはいつも通りの三人ではなく、四人だった。

「いいでしょ別に。偉そうな人も何も言ってなかったんだから」

 何も悪びることなく言い放つセレネはカルナの隣に座っていた。

「いいわけねぇだろ。こっちは学費払って通ってんだよ。お前学費払ってないだろ。やってること泥棒と一緒だから」

「それなら学校側のセキュリティを強化すべきね。大体格好も何もかも違う私がいようと全く興味なさそうに話し始めたじゃない。それって黙認ってことでしょ。仮に私が罪に問われることになってもそれを黙認していた学校側にも非があると言わざるを得ないわよね。その場合、学校側は私を訴えると思う?気が付かなかったですむかしら?ちょっと無理があるわね」

「べらべらと御託並べやがって。てめぇのせいで朝からこっちは周りから好奇の目向けられてんだよ」

「よかったじゃない。人気者になれて」

「ばかかお前は」

「まぁまぁ二人とも落ち着きなよ」

 仲裁に入るのはやはりアスラだった。彼はこの状況すらも楽しんでいるように思える。全く腹立たしい奴だ。

「でも急にどうしたんだい?確か今日からバルバドで店員として働くって昨日言ってなかったけ?」

 そうだ。すむのは構わないがその分働いてもらう。それがカランとした約束だったはずだ。それなのになんでここにいやがる。

「やろうとしたわ。でもあの暴力女、朝早くから起こして掃除しろだの仕込みしろだの、それが終わったら次は接客?やってられないわ。労働法の整備を急ぐべきねこの町は」

「一日で挫折したわけか。けっ、情けね」

「それだけじゃないけど?あんたらが昨日魔法について語ってたけど何にも分かっちゃいないじゃない。だからどんな教育してるか見に来たかったのが半分くらいの理由ね」

 昨日の歓迎会。その中でもセレネとカルナはやり合っていた。その火種は魔法についてだった。

「あぁ?お前の方がめちゃくちゃ言ってたじゃねぇか。なんだったけっか、魔法は意志だのどうのこうのって」

「そうよ、それが本質なの。それなのにあんたたちときたらそれも理解せず仕組みがどうのこうのって本質を理解できてないのよ」

「じゃあなんだお前は魔法の本質が意志とでも言いたいのか?」

「そうよ。昨日からそう言ってるじゃない。こうなりたい、こうありたい、と願うからこそ人という矮小な存在が神の力の一端に触れることができるのよ。魔力量だとか、魔力の流れだとかはその後の話。それを理解できてないうちは三流もいいとこだわ」

「はーん。よく言うぜ。じゃあこの魔法使いたいって思うだけで魔法が使えるってか?どんな天才の話だよ。そんなに楽な話じゃないっての」

「はぁ。本当に全く理解できてないのね。魔法という人に余る力を使えるのはなぜ?理屈や効率ばかり追い求めるからなにもできずに終わるのよ」

「あんだとこら」

「なによ」

 並んだ二人が睨みあう。やはりこいつとは馬が合わない。その視線と視線が火花を散らしていた時。

「やぁカルナ」

 声の先には見たことがあったようなないような顔。黒く艶のある髪は風でなびくほどサラサラとしており、丸みを帯びている。例えるならまるでキノコ。白い肌からはとても戦闘ができるとは思えない。ただその容姿と声の掛け方だけで俺の嫌いなタイプだと判断できる。

「女性にそんな口の利き方はないんじゃないか。まあ力のない君にとってここはさぞかし居づらい環境だろうからね。自分より弱いものを貶すことでしかそのちっぽけな自尊心を保てないのだろう。それでも女性はないんじゃないか?」

 はいやっぱりそうでした。この髪をしているヤツは大体いけすかない。

「だから、ね。そんな奴はほっといて僕と一緒に昼食を取らないか?そっちの方が君も気分がいいだろう?」

 そう投げかけられる言葉は意外にも意外、セレネに向けられていた。おいおいこの手の男は女なら誰でもいいのか。脳みそを性欲に侵食されるってのもかわいそうなもんだな。

「いや、私は…」

「そうだネラもどう?たまには僕たちと食べない?」

 おいおい嫌がってるセレネを無視したまま強引に手を引き、挙句の果てには別の女も誘い始めたぞ。でもそっちはやめた方が…。そう思いアスラの方を向くと案の定顔は笑っているもののその瞳の奥は笑っていない。そしてアスラが立ち上がろうとしたが立つことはなかった。意外にもアスラの行動を止めたのはセレネだった。

「やめてって言ってるでしょ」

 そう冷たく言い放ち掴まれた手を振り払う。

「そもそもあんた誰?ここに来てからあんたみたいな格好した人を飽きるほど見たわ。みんな同じ髪型、服装。違いが分からない。もしかして昨日ナンパしてきた人?」

 いやそれは違う。それは別の奴だなうん。

「まぁなんにせよ気安く触らないで。『貶すことでしか自尊心を保てない』?それはあなたも同じじゃない。弱いカルナを貶して、下に見て、そうすることでしか自分を強く見せれない。ダサすぎるわ。そして何よりも…」

「私がカルナよりも弱い?馬鹿言わないで。私の方が強いに決まってるでしょ!」

 今まで唱えたどの主張よりも大きく、力強く言い放つ。そこにいた者が全員あっけにとられている。食堂の視線がすべてセレネに集まっていた。

「てめぇなにほざいてやがる!」

「なに?なんか間違ったこと言った?」

「前半はまあ納得できたし俺もそう思う。でもな!お前が一番強調した!最後の主張が!おかしいだろ!」

「はぁ。まだ分からないの?魔法の本質に触れた者と触れていない者。どっちが上かなんて誰に聞いても答えは同じよ」

「まーたその話か。かぁーほんとやってられないわ」

 ナンパしてきた男たちをそっちのけでまたもや口論が始まる。

「…やばい女だったな。いこうぜ」

 そう言いいつの間にかキノコたちは去っていった。

 それでも二人の喧嘩は収まらない。セレネの悪気のないとも言い切れない言葉のナイフにカルナが噛みつく。カルナも対抗するように言葉の剣を鞘から抜き取り、振りかざす。それを受け流し、また振りかざす。両者の刃物がおさめられることはなかった。

 もはやアスラも止めない。ナンパ男が去ったことで一安心しているネラと一緒に昼食を再開していた。結局カルナとセレネは喧嘩をやめることなく、二人仲良く昼食を食べ終えることなく、昼休みの終了のベルは鳴り響いた。



 学校が終わりバルバドに着くとカランが鬼のような形相で待っていた。

 セレネの速度に合わせたために目標タイムに間に合わなかったこともあるだろう。だがそれが主要な理由ではないだろう。

 それはセレネも分かっているようで珍しくカルナの後ろでカルナの服を掴みながら隠れている。カルナは呆れながらも怯える少女を差し出すようなことはしなかった。

「た、ただいまぁ~」

 できるだけの虚勢を張り付けながらその前に立つ。

「おうカルナおかえり。随分遅かったじゃないか」

 その笑顔は見たことがある。女性が本当に怒っている時、それを前面に出すことはない。この時に溢れ出る狂気の笑みほど怖いものはない。

「で。後ろの奴出てきな」

 一瞬にしてその笑みが消える。冷たい視線と口調。決して許しはしないと言わんばかりの口調。

「た、ただいまぁ~、だっけ?」

「あれあれあれ今日一日シフトに入っているはずのセレネじゃないですか~。これは一体どういう領分で?」

 あ、ヤバイ。

「いい度胸だなぁおい。こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そう叫ぶと物凄い勢いで襲い掛かってくる。それは獲物を見つけた時の猛獣そのものだった。

「おい!逃げるぞ!」

 そういうカルナはセレネの手を握り、来た方向に切り返す。

「ちょっと!あれどうすんの!」

「お前が巻いた種だろ!知らねぇよ!」

「あんたにも怒ってるじゃん!」

「それもお前のせいだっての!」

「なんでよ!」

「うるせぇ!黙ってろ!巻き沿いだけは食らいたくなかったのに!」

「あ、」

 最後に聞こえたのはセレネのその言葉。その次に来たのは後頭部への衝撃。そこでカルナの意識は途絶える。

 吹っ飛ばされたカルナを見てわなわなと震えるセレネ。

「逃げ切れると思った?え?さぁ次は」

「え、ちょっと待ってよ。ね。私にそれは」

「うるさい!」

 次の瞬間にはセレネの軽い身体は吹き飛ばされていた。

「ったく。初日からサボるなんていい度胸だな」

 そういうと気を失った二人を担ぎカランは店に戻っていった。



「これはいささかやりすぎでは?カルナはまだしもこの子まで…」

 気を失った二人を回復させながらクベレがカランに語り掛ける。その表情は心底呆れているようだ。

「分かってるわ…。分かってるけど…」

 カランはそう言いながら口を尖らしている。その様子を見てクベレはため息を付く。

「はぁ。あなたはやはり不器用ですね。何もない相手となら難なくやり過ごせるのに、親しい者や、親しくなりたいと感じる者に対してはとことん不器用だ」

 クベレは感じ取っていた。分かっていた。カランがセレネを認めない一方で、それと同じくらい、いやそれ以上に、感謝したい、仲間として迎えたいという気持ちがあるということを。それでもそう簡単に口に出せないということを。

 カルナが助かったのはセレネのおかげだと二人とも分かっていた。あの子が自分たちに危害を加えないことなど、分かっていた。あの時はカルナの状態に動転し冷静にいられなかった。少し冷静になれば分かっていたのに。

「ふっ。まぁそれもあなたらしい」

 仲良くなりたい。感謝したい。謝りたい。けどできないでいるカランを横目に笑うしかなかったが、それと同時に私も同じではないかと胸に手を当てていた。



それからの日常はやけに騒がしかった


「お前のせいだからな…」

「‥‥」

「いてぇ…」

「おい聞いてんのか」

「ちょっと黙って。痛みに響く」

「てめぇのせいだろうが!」

「あーあーうるさい」

「てめぇ」

「‥‥」

「‥‥」

「お前ってさ」

「…なに?」

「元気になったよな」

「…は?」

「いや、来たばっかりはさ、ほんとにやつれててマジババアかと思ってたけどさ。最近はなんかこう明るいよな」

「…なに、私のことずっと見てたのキモ」

「なんでお前はそういう言い方しかできないかな」

「…うるさい」

「そーかよ」



でも互いになかなか分かり合うことはできなくて。


「だから意志なんかでどうこうできたらころうしねぇから!」

「なにも分かってない。意志に比例して魔法の威力が上がるの」

「違うわ。魔力量だっての」

「じゃあ言わせてもらうけどあんたどうして人間が魔法なんてもの使えるか知ってる?」

「それ今関係ないだろ」

「大ありですが」

「どーだか」

「いい?魔法っていうのは人間の進化の賜物よ。モンスターに蹂躙され、生く術をなくした先祖が多くの血を流し、屍を乗り越えながら、祈り、願い、想い続けた結晶なの。それをわかっていないあんたに魔法が分かるかしら」

「そうだとしても今は違う。当たり前のように引き継がれるのは魔力量。脳の器官が魔力を生み出すの。それ以上でも以下でもない。魔法ってのは遺伝だよ。決められてんの。生まれた時に。才能だよ。それを覆すなんて、無理だ」

「はぁ呆れた。それでそんな卑屈になってるわけね」

「なんだよしょうがないことじゃないか。生まれた時すでに魔力量は決められてて。それ以上はどう足掻いても無理で。努力だの気持ちでどうにかなるだの、そんなのは綺麗ごとだろ。綺麗ごとでおさまるほど世界はやさしくねぇよ」

「あんたはどうしたいの?」

「…は?」

「あんたに才能がないのは分かった。そこにあなたの意志は?慰められたいの?労わってほしいの?甘えないでよ。悲劇のヒロイン面しないでよ。やることやって、どん底に叩き落されて、泥だらけになって、それでも立ち上がりなさいよ。絶望するのは四肢がもげて、口もきけなくなって、耳も聞こえなくなって、もう死ぬってときでいいででょ。やれることがあるならやりきりなさいよ」

「おまえ、鬼か」

「そうすればきっと、何者かにはなれるわ。人から見れば惨めで汚くて哀れに映るかもしれないけど、きっと自分の中にはきっと何か残る」

「やっぱ分かんねぇわ」

「はぁ馬鹿と話すとストレスがたまるわ」

「んだとこら」



どれだけ仲が悪かろうと共通の敵を前にしたらまた違った関係性で。


「今日こそはカランにギャフンと言わせてやろうぜ」

「そうね。毎回毎回私たちばっかやられてるのは癪だわ」

「よっしゃ決まりだな」

「でもどうするの。あの怪力女。とてもじゃないけど太刀打ちできないわ」

「俺に考えがある」

「え?」

「…‥」

「‥‥」

「どうだ?」

「まぁあんたにしてはなかなか考えられてるわね」

「だろ」

「いつ決行にする?」

「今夜だな」

「わかったわ。あぁゾクゾクする」

「見とけよあのバカ女」

「今夜は私たちの番よ」



それでもやっぱりこの距離間で。


「だぁーー!今日という今日は許さねぇ!お前が悪いんだろ!」

「なに?あんたが勝手についてきただけじゃない」

「それはてめぇがポーっとしてるからだろ。そんなあほ面してるからチョロそうって思われんだよ」

「何言ってんの。私の美貌のせいでしょ。勘違いしないで」

「それは俺が見繕ってやった服がいいの!素材じゃねぇ。調味料がいいだけだ」

「そんなわけないでしょ。あんたが知らないだけでシンプルな格好してる時もはなしかけられますが?むしろあんたの選んだ服着てる時の方が話しかけられませんがぁ?」

「馬鹿だなぁ。俺のセンスに万人が付いてこれると思うなよ」

「何誇らしげにしてんの。つまりダサいってことだから」

「はっ。周りの目なんか気にして服好きやってられっかよ。自分の着たい服を着たいように着るのが本物だ」

「だから男のくせにハートのネックレスなんて付けられるのね」

「ばかこれはだな」

「興味ない」

「なんだとこら」

「なによ」



そんな日々が当たり前になって。


「お前もうちょっとお淑やかにできないのか?」

「なに?」

「口を開けば文句か悪態ばっか」

「それは主にあんたが原因でしょ」

「まぁそれもあるだろうけどさ」

「なに急に塩らしくなっちゃって」

「感傷に浸りたいときもあるもんさ」

「なに、振られたの?え、誰かに振られたの?」

「なんで嬉しそうなんだよ」

「いやぁ人の不幸は蜜の味ってね」

「性格悪っ。てか振られてねぇし」

「なんだ。じゃあ何?」

「別に」

「はぁ釈然としないわね」

「うるせぇうるせぇ」

「あんたから話ふったんでしょ」

「‥‥」

「‥‥」

「ま、こっちの方が俺たちらしいか」

「そうよ、あんたとの慣れあいなんてごめんだから」

「黙ってりゃ人並程度にかわいいのに。はぁ」

「なに」

「なんでもねぇよ」

「ただ、居心地はいいなって話」

「口説いてんの?」

「誰がお前なんか口説くか」

「あっそ。まあ…そうね」



ずっと続けばいいと願うようになった。


 そんなことは不可能なのに。


 それは深い夢を見ているようだった。

 あれから始まった生活。

 目を覚ますと珈琲の香りが漂ってくる。

顔を洗い、そこに出れば挨拶が飛んでくる。しばらくすると、汗をかいた文句口が裏庭からやってくる。

それに続くように傷だらけになりながら入ってくる者もいる。

昼間は制服をきて仕事をする。常連さんの世間話に花を咲かせ、またもや怒られる。

夕方にはうるさい奴が帰ってくる。

そいつも仕事に加わり、ときには鍛錬に向かっていく。

店を閉めた後にはみんなで食卓を囲み、美味しいご飯を食べる。

シャワーを浴びて、歯を磨く。

 一日の出来事に思いを馳せて布団に入り、目を閉じる。


 そこに、命の危険なんてこれっぽっちもなかった。

 自衛のための虚勢も強がりも必要なかった。舐められないように使い続けた鋭い口調はもはや自然と出てきてしまうほど自分のものになってしまっていたが、今となってはそんなものはもういらなかった。みんな、あたたかかった。

 はじめは歓迎されていなかったけれど、今では仲良くなっているのは私の自惚れではないはずだ。カルナとは相変わらずだけど。

 それでも思ってしまった。ずっと気付かないふりをしていた。蓋をしていた。

 だけど、誤魔化すのはもう無理だ。


 私は、この人たちを死なせたくない。

 カルナを死なせたくない。

 口は悪いし、卑屈で、弱虫のくせに誰よりも、真っすぐで優しい。

 そんなカルナに過酷な運命を背負わせるわけにはいかない。背負わせたくない。


 これ以上この思いが大きくならないように。ここにいたいと思わないように。

 

目を覚まさなければならない。



 カルナとセレネが出会った時からひと月が経ったころ。

 セレネはその姿を消した。



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