炎天魔の墓標
蒼
第1話 炎天魔の墓標①
炎天魔の墓標
どうして生きていたのだろうと考えた。
私はとりわけ何かこれと言って優れているものがなかった。学に優れたわけでもなく商才があったわけでもない。魔に富んでいたわけでもなければ力があったわけでもない。かといって何か出来ないものがあったかと言われればそういうわけでもない。不器用ではあったが一度コツを掴んでしまえば人並程度には物事を進めることができた。そんなわけであるから昔から何をやるにも常に真ん中にいた。
そして、これが天才だと気づいたのはふとした時であった。出回る新聞の文章がおかしいと気づきそれを訂正した。するとそこからオファーがきた。これといってすることがなかった私は二つ返事でその頼みを引き受けた。そうして文に触れていくうちにどうやら私には文才があるらしいと言うことを発見した。
それからは自分の文章を書き始めた。いかんせんこれまで日の目を浴びることのない日々を送っていた私の思考は歪みに歪んでいたがそれが一部のものに好評であった。そうして自分の本を出していくうちに書きたいことなどなくなってしまった。売れるための本を書くことは可能であったが、それでは今までの自分を否定してしまう。それなりに売れたと言う無駄な誇りが私の筆を静止させた。
だが、その筆を動かしたある一人の少年がいた。今回はその少年の話をしようと言うのである。少年はカルナ・ギーベンラントといった。彼も私と同じでこれと言って目立った特徴があったわけではない。程よく伸びた黒髪、人種族のほぼ平均と言っていい身長。鍛えられた身体は特別筋肉がついているわけではなかった。学校の成績は学業こそ上位に位置していたものの、実技に関しては中の中であった。身体能力に難があったわけではない。それどころか機能に関しては上位に君臨していた。体術で言えばおそらく右に出る者はいないほどである。だが、かれは魔法がさっぱりだった。基礎的な身体向上の魔法ならまだしも、魔法の真髄ともいえる外部的なものに関してはなんら周囲に影響を与えなかった。これっぽっちも火や水を生成できなかった。
そんな彼には夢がなかった。幼いころに親を失った彼はある一団に拾われた。幸いなことに彼らは少年に多くの愛情と知識を与えた。そんな彼が成長するにつれて感じ始めたのは負い目である。実子でない自分にこれほどまでの愛情を注ぎ、学校まで通わせてくれている。多大な時間と多額のお金が彼につぎ込まれているという事実からくる負い目が彼を縛り付けていた。いわば彼の人生は止まっていたのである。
その彼の時計の針をふたたび動かしたのはある者との出会いであった。普段本心を隠し、己を騙しながらも明るく振る舞いつつもどこか冷めていたカルナがその者に振り回される姿は実に滑稽で、温かくもあった。
そうして彼の心には炎が灯った。その炎は他を溶かし、笑顔を咲かせていった。
いうなれば彼は英雄であった。
だが、そんな少年を覚えている者はきっといない。きっとこれからも語り継がれない。
だが、彼とかかわり、戦いを共にしたものは彼に熱狂していた。その時代はまさしく彼の時代であった。彼の灯した炎はきっとその時代に生きた者たちの心に残り続けていた。
だから私は紡がなければならない。きっと忘れ去られてしまうであろう少年の生き様を同じ時代を生きた者としてここに記さなければならない。私の文才は今日この日ここでこれを紡ぎ次の時代へと語り継ぐためにあったのだ。これが神から課せられた私の使命であったのだ。そして、それこそが彼が私たち人類にしてくれたことに対して私ができうる最大の恩返しであるのだ。
これは一人の少年の残した記録。
だが、それは英雄譚などではない。英雄譚などではあってはならない。
喜劇でも悲劇でも、惨劇でもない。
たった一人の少年が仲間と歩み、刻んだ軌跡であるほかないのだ。
それを心に留めたうえでこの先に進んでもらえれば幸いである。
少年の炎がいまあなたの心に灯らんことを願って。
序章
夜天に星が散りばめられている。月明かりは太陽のごとく辺りを照らし、人の影を濃くしている。そして、繁華街から遠く離れた荒野に一人。少年がいた。全身を灰緑色で覆い、フードを被った顔色はうかがえない。右手には短刀。動きの機敏さに特化したためになんら装飾品も着けていない。
少年は荒野を駆ける。少年にしては速すぎる速度で駆ける。あっという間に荒野を抜け、寂れた商街に入り込む。
そこにまともな者などいなかった。安酒を浴び、露出の多い女を囲う屈強な男たち。野外で座り込みながら顔を赤くし、ふらついている者もいる。点々とつけられる明かりは天に咲く星の輝きよりも醜く、醜悪で、汚かった。
酔っ払いや薬中を横目に路地裏を通り抜ける。速度を緩め、慎重な足取りで先に足を進める。人が二列で歩けばもう通ることができないほどに狭い道はまるで迷路のように入り組み、入ったものを決して出さんと言わんばかりだった。その道をすこしも躊躇することなく進んでいく。
その道中、幾度となくそこにいた者たちに絡まれたが、その先の言葉を決して許さなかった。呼び止めることも、肩に触れることさえ許さないスピードで進んでいった。
そして、その巨大迷路を抜け、躍り出た場所は広く円形に広がった場所であった。そこには数名の人の影。
少年はそれらの人影を認識するやいなや右手に持ったナイフを構え、襲い掛かる。
予期せぬ急襲に動揺し身動きが取れないでいる相手の背後に素早く回り込み柄の部分で首裏を一撃。一人がやられた間に態勢を立て直そうとする数名の間合いに素早く入り込み、胸の部分を一撃。悶えるように倒れ込む仲間をみて相当なやり手と見たのか、残りが逃亡を試みる。
だが、背中を見せた相手に少年は容赦しなかった。
(残り三人―)
三手に分かれた残党のなかで逃げ足の遅い順に背後からそのナイフを持って叩きつける。
鈍い音と「ぐはぁ」という嗚咽にも似たうめき声と共に崩れ落ちていく。
あと一人―
だが、その一人がなかなか速かった。地形は理解しているつもりであったが、路地裏に逃げられてしまえばこちらが不利なのは確実。なんとかこの大広間にいるうちに片付けなけらば。
そう思っても急に速度が上がるわけではない。魔法とはそんな都合のいいものではない。
(くそっ。あと少し…)
そう思うがあと一歩届かない。ナイフを投げることを試みるがそれでは―
瞬間、光の銃弾が残党の足を貫いた。痛みで走ることもままならない残党は逃げることを諦めてないのか血を流し、脚を引きずりながら路地裏へ逃げ込もうとする。その背後から一発。「うっ」と音を立てて倒れ込み、意識を失った。
それを確認し、広場の中央まで運ぶ。残りも意識を失っているだろうが逃げられたら面倒なので中央にまとめておく。全部で六人、か。
考えを巡らせようとした瞬間、背後に人の気配がする。
振り向くと同時に声が発せられた。
「いやぁ、なんとかなったねぇ」
そこには少年よりも数段背の高い一人の男が立っている。身に纏った黒スーツがこの埃臭い場所で異様な空気を放っているもののその顔つきと口調は温厚な人物そのものだった。
「うん、だれも殺してないようだね。さすがだ」
一人一人の顔を覗き込み、その生死を確認していたその人物が顔を上げ、年季の入った笑顔で褒めてくる。少年はさも当然だと言わんばかりに沈黙を貫く。
「じゃあ戻ろうか。こいつらを担いでっと」
そう言いながら男は四人をまとめて持ち上げる。スーツをたくし上げたことでみえる彼の腕は血管が浮き出でおり、丸太のように太かった。
「はぁ」
少年は人知れずため息を付く。
「どうしたんだい?」
聞こえていないと思っていた少年は少し驚いたあとで、その重そうな口を開いた。
「いや、これアランさんだけで出来たでしょ。俺いる意味あった?」
アランと呼ばれた男は驚いたように目を丸くし、たちまち笑い出した。
「僕一人じゃ無理だよ。もう身体がついていかない。単純な戦闘じゃ君の方がスマートにやれるだろう?」
「そりゃそうかもしれないけど、アランさんなら魔法で一発でしょ」
「そんなこともないさ。もう僕も四十だ。年々魔法の精度も落ちてきている。より確実な方法をとるのが定石だ」
笑いながら述べられる彼の口弁を聞きつつも少年は心の中で悪態をついていた。
俺が追いつけないくらいのスピードで走る逃走者の足を狙い打ったのは他でもないアランだ。
「まぁ結果が良ければすべてよしさ。うん。そう。だからはやくもど―」
戻ろう。そう最後まで述べられることはなくいままで温かい笑みを浮かべていたアランの顔面にはすでに真剣さそのものが張り付けられ、それに気付いた時にはもうすでにアランはこちらを向き、叫んでいた。
「いますぐそいつらを下ろせ!できる限り遠くへ離れろ!」
その叫びの最中で、すでに気絶した者たちが発光し始めていた。それを投げ捨て、路地裏に駆け込んだ瞬間、それは爆発した。
ドゴォーンというけたたましい音を立て、砂煙と衝撃が円形の大広間一体に広がっていく。その衝撃波は路地裏の障壁をも破壊した。
少年の軽い身体はいとも簡単に数メートル先まで飛ばされる。壁に打ち付けられる衝撃を何とか受け身で緩和し、すぐに立ち上がる。痛みが全くないと言えば嘘になるが、それでも最小限におさえる。
「…まじかよ」
目の前の光景に口から出たのはそれだけだった。
そこには円形の大広間が巨大化し、大円形の大広間が広がっていた。
「大丈夫かい?」
埃をかぶりやれやれと言う様子で白髪交じりの頭を掻きながらアランが姿を現す。
「結果が良ければすべてよし、か」
アランは先ほどよりも大きく開けた場所を見るなり先ほど口にした自分の言葉を復唱する。
「あはははは‥‥はは」
アランは無理して笑おうとし、すぐに俯いた。
こうして今日もまたクエストは失敗に終わった。
大都市ザイオン。その中央には巨大な神殿が構えられ、天にも届きうるほどのそれを中心に綺麗なスカイラインが描かれている。そこは多くの人で賑わい、世界の文化、商業、工業、宗教の中心に位置している。その繁栄ぶりは太陽の隠れた刻も変わらない。太陽に変わる明かりがそこら中で発せられ、笑い声から怒号までとどまることを知らない。
その繁華街ともいえるメインストリートからすこしずれた中通りの終点にある老舗の喫茶店。とうに営業時間などすぎ、そこまで歩く人はほぼいないと言ってもいい。そんな人足離れた場所に二人の男が足取り重くゆっくりと向かう。その正面にたどり着くと二人のうちで長身の方がなんの躊躇もなく〈close〉と書かれた札がかけられた木製の扉に手を伸ばす。
カランッカランッというこれぞ喫茶店ともいわせる音と、古びた扉がたてる木が軋む音が同時に鳴り響き、扉が開くと中の照明の明かりが辺りの暗闇を照らした。
「おかえりなさい」
その音の主が誰のものであるか、中の者は分かっているかのように普段店員であればかけることはないであろう言葉が綺麗なソプラノ声で降ってくる。
「あぁただいま」
そういい高身長の方の男、アランはその心持を決して悟られまいと精一杯の笑顔と疲れを感じさせない温かい声色を乗せて答える。
その様子をもう一人の男、というより少年のカルナは横目で様子を伺うように見ている。さて今回はどんな風にこの失態を乗り切るのだろうと言わんばかりの興味の眼差しで。
「お疲れ様。今日は都市外だったから疲れたでしょう。そろそろかなってコーヒー淹れといた」
そういうと黒いスラックスとシャツを身に纏い、その上から黒いエプロンを着ている女性がカウンターの奥から白いマグカップを二つお盆にのせていつも二人が座るカウンター席におく。そのコーヒーからは特有の香ばしい香りが漂い、その上を薄く昇る湯気はまさに入れたてのものという事実を強調していた。
「あ、あぁありがとう。ほんとうにカランはきがきくなぁ。な、カルナ。冷めないうちに頂こう」
そういうとぎこちない口調で差し出されたコーヒーの前の椅子に腰を掛ける。この優しさはありがたい。それでもその優しさが今は痛い。
そんなことを思っているのだろうとアランに心底同情しながらカルナも席に腰を下ろす。
コーヒーを前にするとその香りがより一層濃さを増し、鼻の奥まで刺激する。カルナはこの香りが好きだった。
一口飲むとその苦さとうまさが口いっぱいに広がっていく。熱さですすることしか出来ないがその少しの一口が格別だった。
「うん。今日も美味いな。カラン、腕を上げたか?」
それはアランも同じようで称賛の言葉を述べる。そこには失態がばれる前にできるだけ機嫌を取っておこうと言う下心にも似た気持ちは一切ないように思える。それほどまでにカランの入れるコーヒーは日に日に美味しくなっていた。
「それ、毎回言うよね。そりゃ毎日働いてたらいやでも上達するわ」
「いやいや、そんなことないぞ。これは天職かもしれないな。うん。きっとその才能があったんだよ」
大袈裟までにほめたたえる様子にカルナは嫌な予感を覚える。それは―
「いやぁ嬉しいなぁ。アランさんがこんなに褒めてくれるなんて。でもおかしいな。その言葉。なんか最近よく聞く気がする。特に任務が終わった後に。それも特に失敗した時とかに」
その言葉にアランの作り笑顔が静止する。
その作り笑顔を静止させた張本人はこれ以上ない満面の笑みでアランを凝視している。だがその目は決して笑っていない。カランの幼さを感じさせながらもその中に含まれる美人とも思わせる容姿が今だけは鬼に見える。
「で、どうだったの?」
その問いは二人の終わりを意味していた。
その後、任務の失敗を白状させられてアランと共にカルナはカランに正座させられていた。
「あんたたち、今の状況分かってる?」
そこにはもはや先ほどまで被っていた温かさの仮面の姿は見る影もない。
「これ以上失敗したら私たちのパーティはDクラスまで落とされるんだよ⁉」
「「はい…」」
「それが何を意味するか本当に分かってる?」
パーティのランク制度。大都市ザイオンに設けられた多種多様な人々をまとめ上げるための制度であり、それは都市の秩序を維持するためのものであった。魔法と言う使い方を一歩でも間違えれば凶暴な凶器にも成りうる技術をほぼすべての人が手にした現代において、その使用を制限し、認められたものにのみその使用を許可するという免許制と、それを認められたものであってもその用途を間違えないように定められた処置が融合したものである。そしてその免許を持ち、かつその力によって都市を護衛することを生業とする者のことを騎士、いわゆるナイトと呼ばれる。
つまり、力をもつ認められたものがそれぞれの問題解決にその力を使い、その成果によって都市内での地位を保証するというものである。
それぞれAからDまでのランクに振り分けられ、Aランクに位置する者は名実ともに英雄に近い扱いを受け、地位、名声、富、全てを手にすると言っても過言ではない。逆にDランクはいわゆる問題児たちの集まりともされ、その素行から免許剥奪予備軍とも揶揄されている。
そして、我々のパーティである喫茶「バルバド」のメンバーをパーティメンバーとしたパーティ「バルバド」は現在Cランクに位置していた。それも崖っぷちのCだ。上位のランクに上がるためには民たちの信頼が必要である。それを視覚化したのがクエストの成功数であり、そのクエストの難易度もそこに反映される。
その一方で上位のランクから下位のランクに下がることもあるわけで引き受けたクエストに失敗したり、問題行動を起こした場合はその地位が下落していく。
つまり、ここ最近、と言うより、パーティメンバーの主要戦力である二人を欠いてから立て続けに失敗しまくっている我々はその地位を脅かされていると言う状態だった。
「Dランクなんて嫌よ!引き受けられるクエストもバカみたいなのばっかだし、なにより売り上げに影響でまくりよ!ただでさえこんな意味わかんない場所にあるせいでカツカツだっていうのに!より客足が遠のくに決まってる!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて。まだDランクになるわけじゃないんだしさ。それに味は確かなんだ。常連は通い続けてくれるはずだよ」
キッと鋭い目がアランを襲う。蛇ににらめれたカエルのようにそれ以上何も言うことができない。
「カルナも!あんたが本気出せば私たちの代わりなんて余裕でしょ!失敗なんてありえないわ!」
「お、おれ?」
「あんたはいつもいつもポケーっとしてそつなくこなします見たいにすかしちゃって。言っとくけどそれ別にかっこよくないからね。女の子はもっと一生懸命な男の子に惹かれるの。そんな勘違いしてるからいつまでたっても彼女の一人もできないのよ」
その怒りの矛先がカルナに向く。その怒りはもはや失敗を咎めるものではなくカルナのモテないという悪口に変わっていた。アランであればそれも軽く受け流していたかもしれない。だが、そんなことができる程カルナは大人ではなかった。
「はぁ?それ今関係ないじゃん。そもそもこうなった原因はカランが免停になったからだよなぁ?責任転嫁されちゃ困るんだけど?あと俺モテないわけじゃないからぁ。彼女作れないんじゃなくて作んないだけだからぁ」
立ち上がりながら皮肉たっぷりに嫌味ったらしく語尾を伸ばしながら対抗する。
「私たちがいるとあんたに出番回ってこないかなーと思ってわざと免停になってあげたんだけど?人の優しさが分かんないかなー。これだから」
そう言いながら手を横にやりながらやれやれと言う風に首を振っている。
「はっ。そもそも優しそうな仮面被っといて根が短気だから免停になるんだろ?そこを自覚してないからなーこのひとー」
「ははぁーん。そこまで言うなら今から勝負してやってもいいんだけど?こんな時間にみてるひとなんていないから魔法使っても大丈夫だし。まぁあんたなんか魔法なしでもボコボコだけどぉ」
はぁー?なにこいつさっきは本気出せば私たちの代わりなんて余裕とか言ってたくせに今は魔法なしでボコボコとか言ってんだけど。はぁー?一貫性なさすぎなんですけどー。
「まぁまぁ二人とも落ち着いて。二人の言いたいことは分かったからさ。ね?」
「あんたは黙ってて!」
「あんたは黙ってろ!」
止めにかかったアランだったが喧嘩していた二人の息ピッタリな罵声により母親に怒鳴られた子供のように目に涙を溜めながら委縮してしまう。
「二人とも落ち着いてください。アランさんが可愛そうです」
バチバチと火花が見えるほどに対立していた二人を遮ったのはもう一つ別の女性の声だった。カランと同じ格好をしているもののその雰囲気はカランとは正反対の雰囲気をもつ女性だった。クールビューティと言う言葉がそのまま当てはまる彼女は落ち着いた、それでいて力のある声で二人の仲裁に入る。
「クベレ~」
涙を流しながら抱きつこうとするアランをまるで虫でも払うかの如く見向きもせず手を払うと、クベレは二人の前に立ち、ため息を付いた。
「奥にいても聞こえてきました。カラン。もとはと言えば私たちが免許停止になったのがことの発端なのですからそこは仕方のないことです。あまり二人を責めないでください」
心底信頼しているクベレに責められカランは肩を落とし、先ほどの威勢はどこにも見えない。
それを好機と見たカルナは「言われてやんの」と言わんばかりに両手の指を向けながら子供らしい挑発を繰り出す。
それをクベレが見逃すわけもなく間髪入れずにその鋭い視線がカルナに移る。
「カルナ。子供らしい真似はやめてください。あなたももういい大人です。確かにここ最近のクエスト失敗の主な原因は私たちの不在にあるかもしれない。それでもあなたももうすぐで本当の意味でパーティの一員になるんですから私たちの穴を埋めてくれなくては困ります。アランさんもいい歳なんですから一番若手のあなたが引っ張っていかなければ、このパーティに未来はないです」
もっともな発言にカルナはカラン同様委縮してしまう。
「二人とも落ち着いたようですね。では反省会をしましょう。今後の活動のために何をすべきかを考える方が実になります」
クベレが場をまとめる。アランではどうしようもなかった惨状を綺麗にまとめて見せた。その様子をアランはうんうんと頷きながら、決して自分にはその刃がたたないだろうと安全圏から父親のような目で見ている。だが、それは間違いだったと気づくのはそのすぐ直後だった。
「アランさん。そもそもあなたがいながらこれほどの失敗が続くのはおかしくないですか?全盛期ではないにしてもあなたの力はCランクのクエストを失敗する程度まで落ちていないはずです。どういう了見なんです?」
「え?僕?」
「そもそも帰ってきたときに失敗を隠すのはやめてください。癇に障る」
これまでに一番の容赦ないどストレートな「あなたがむかつく」発言にアランは冷や汗が止まらない。
「こ、今回は本当にね。成功手前だったんだ。ほんとだよ…?」
だれがおっさんの上目遣いに引っかかるんだよと先ほどまでクベレに怒られていた二人は呆れたように、それでもこれ以上クベレのお叱りの矛先が自分に向かないようにそっと二人の様子を見守る。
その心情はクベレも同じようでまるで汚物を見るような冷たい視線をアランに向ける。
「そういうのはいい。気持ちが悪い。はやくどういう状況だったのか説明しなさい」
「はい…すいません…」
ここまでくるとアランが気の毒になる。
どちらが年上かもわからない状況で反省会が始まる。パーティの主力である二人、カランとクベレがクエストに参加できなくなってからというもののこの流れは最早日常となっていた。
俺はこの日常が嫌いではなかった。
「死体の爆破…。それは本当なのですか?」
クエストの一部始終を聞き終わるとクベレとカランの表情を神妙なものになっていた。
「あぁほんとうさ。僕に油断があったのかなぁ」
そういいアランは当時の状況を思い出すように天を見つめる。
「死体爆破もやばいけどさ。そもそもカルナはともかくとして、アランさんがその爆破の予兆に気付かないのはおかしくない?」
この問題の根幹をいち早く指摘するカランの表情は真剣そのものだった。
「えぇ。いくら油断しているとしても魔法の機微に富んだアランさんがその直前まで気付かないくらいほど完璧に魔法を隠す技術。それも辺り一帯に届くほどの威力の魔法を…」
「おそらく六人全員に仕掛けられていたんだろうね。恐らく魔法のトリガーはあの広場からの乖離。それも気を失った状態での」
その技術の高さはそこにいる全員が理解していた。
高威力の魔法を条件付きで完璧なまでに隠す技術。魔法の真髄に程遠いともいえるカルナでさえその事実を重く受け入れる他なかった。
重い沈黙が部屋を包む。
いつもの失敗と今回の失敗は違う。カルナが経験のなさからドジをやらかしたわけでも、アランのおちゃらけたからでもなく、両者を上回るほどの相手の存在。それがこのクエスト失敗を生んだ。その事実を全員が自覚していた。
「要は俺らの力不足ってことでしょ」
その沈黙を破ったのはカルナだった。
「俺が相手の意識ある状態で拘束できていれば、アランさんが気を張っていればきっと失敗はしなかった。それだけだろ」
その言葉に三人は目を丸くする。
「それだけっていうけどねあんた…」
カランがそれを正面からは受け取れないと言わんばかりに反論しようとする。だがカルナはそれを許さない。
「それなら俺がもっと腕を磨く。魔法の才はないかもしれないけど、今回に関して言えば魔法どうこうじゃないだろ。なら俺は腕を磨く。それだけだ」
魔法の機微がないから、まるで魔法が使えないから言えるカルナだけの言葉。最年少で、経験もないからいえる言葉。それがこの場での最適解だった。
「そうだな。それで十分だ。うん。カルナがこういうんだ。次はきっと大丈夫だ」
それにアランがのっかる。
「あぁーなんであたし免停なんだろ。今すぐクエスト行きたい!そんで仲間爆破するような連中全員ボコボコにしたい!」
カランが心底悔しそうに、それでいて闘志を燃やすように拳を握る。
「はぁ。今はそういうことにしておきましょう」
クベレがため息を付きながら呆れたように、それでもカルナの言葉を嬉しそうに笑いながら口を開く。
「ギルドには明日僕が報告しておくよ。カルナは明日学校だろう?」
「えぇー珍しい!アランさんがギルドに行くなんて」
「まじか。俺明日学校帰り行こうと思ってたのに。まじか」
「どういう心境の変化?もしかして本当はあなたの油断が原因?」
各々が言いたいことを言い合う。これがここのいいところだ。ここが俺の家だ。重い雰囲気なんて似合わない。
年なんて関係ない。おっさんも、姉さんも、少年も、変わらない。それがここだ。
「いいの!僕が行きます。もう解散!」
そういい、アランさんは店の奥に入っていく。茶化しながらカランがそれに続く。クベレがそれを呆れたように見ながら進む。その途中でとまり、こちらをみながら、先ほどの冷徹なものとはうって変わった表情を受けながら笑いかける。
「カルナも行きますよ」
その言葉にカルナは足を動かす。
「あぁ」
長い夜は終わりに近づいていた。
喫茶店の奥に、それぞれの部屋がある。通りの終点に店を構えたのは奥行を使うためだとアランが誇らしげに語っていたのを思い出す。当初を人数など考えていなかったため適当に作った部屋の数は全部で五つあり、それぞれが一つずつ使っても一部屋余っている。そこは今では物置になっている。
カルナは自室に入り、靴を脱ぎ捨てると灯りも付けず着替えもせずそのままベッドに横になる。高反発なマットが引かれたベッドは十五の少年が上に寝そべってもそこまで沈み込むことはない。
そのベッドの上で仰向けになり、カルナは光が差し込まない暗闇の中、天を見つめる。
『魔法の才はないかもしれないけれど』
先ほどの言葉が頭を駆け巡る。何気なく口にした自身の現状が孤独な空間で重くのしかかる。自虐などするもんじゃないと柄にもなくセンチメンタルな気持ちが身に染みる。
魔法。
それは人類が神に与えられた最後の手段。モンスターで溢れかえった古代。そこに人の居場所などなかった。大量の怪物の蹂躙が人を駆逐した。残ったものは応急的に作られた地下街道で祈るしかなかった。ただ、救いを願うしか出来なかった。
多くの血を流し、数多の屍を乗り越えた先に与えられた能力。
それが魔法。
その「力」が俺にはなかった。
気付いたのは、この都市に連れてこられギルドなる場所へ連れてこられたときだった。「魔力測定」という身体に流れる魔力量を測定された際、俺が叩き出した数値は通常の子供よりも著しく低いものだった。
はじめは分からなかった。親を亡くし、故郷を焼かれ、アランさんに拾われるまで一人で生きてきた。獣を狩り、木のみを採取し、それを食べた。そこにはもちろんモンスターもいた。幾度となく殺されそうになりながらも狩り続けた。
アランさんに拾われると学校なるものに通わされるようになった。入学試験の成績は二番だった。幼子の魔法などとるに足らない。一人で生きてきた経験が誰よりも鋭い戦闘スキルを生んだ。
だが、それも最初だけだった。成長に伴い周りは魔法を使うようになった。俺は魔法が使えなかった。その差は徐々に開き始め、今では何物にも埋めることができないものになった。
そんな俺がここにいていいのだろうか。もっと他にやれることがあるのではないか。自分にしかできないことをしたいなどという子供じみたおこがましい願望があるわけでもない。自分が「特別」ではないことなど分かっている。
アランさんやカラン、クベレは「お前ならできる」という。
何ができるというのだろう。
魔法が全てのこの世界で、果たして俺は何ができるのだろう。
暗闇に目が慣れはじめ天井の木目をカルナの眼光が捉え始める。身体は疲れているはずなのに妙に頭が冴えている。それでも明日は学校があると、無理にでも夢の世界へと行くために目を閉じる。だが、しばらく、眠りにつくことができなかった。将来に対する輪郭の見えないはっきりしない曖昧な不安が頭から離れなかった。
カルナの通う学校は学生街と呼ばれるメインストリートとは少し離れた場所にあった。そこはメインストリートとはまた違う活気で満ち溢れており、メインストリートが商売色強いいわゆる繁華街であるのに対し、学生街は若者であふれた若々しい雰囲気であった。
前者には飲み屋や武器屋など大人の娯楽が多かったが、後者には学生寮などとりわけ若者のために作られた街並みが広がっていた。
喫茶バルバドから学校までは数キロ離れていたが、カルナは特にその登下校を苦にすることなく通い続けていた。アランさんからは寮への入居を勧められたがそれでは余計なお金がかかってしまう。数キロなどたいした距離とは思わないいかにも田舎者らしいカルナの考えもその提案を断るという選択を助長した。
学生街に足を踏み入れると途端に年齢層が下がる。数名の大人があちこちに散らばり学生と思える制服を着た者達にチラシを配っているがほとんどが十代であった。
視覚を奪われたとしてもたどり着けるであろうほどに見慣れた街並みを行き、授業開始の三十分ほど前に目的地へとたどり着く。大講堂とは言えないまでも、五十人は入ることができるであろう大きな教室に入ると、そこには数名の生徒が腰を掛け、本を読んでいたり、何か書き物をしている。
さすがに顔は見たことあるが名前は思い出せないほどの者達であったため特に声を掛けることもなく、奥に進み、ガラガラの教室内の一番後ろの席に座る。正直もっとギリギリに来てもいいのだが特に席が決められているわけでもないこの教室でこの特等席を取るためにはこれくらいに来るのが丁度いい。この時間に来てもすでに座られていることもあったが最近はほぼ確実に座ることができる。恐らく教室内での座る位置よりも一分でも多くベッドの中にいたいのだろう。
特に何かするわけでもなく、頬杖をつき外を見てると不意に肩を叩かれる。さりげなく、不快にも感じない程度優しいその振動に特に驚きもせず叩かれた方を向く。するとそこには嫌なほどに顔が整った青年ともいえる少年とその後ろには控えめに姿を隠した少女が立っていた。
「やぁおはようカルナ」
見た目通りの爽やかな一言は無性に癇に障る。
「あぁお前かアスラ」
「お、おはようございますカルナさん…」
後ろからは消え入りそうなオドオドとした声が聞こえる。
「おはようネラ」
彼らは後ろから二番目、つまり俺の前の席に二人並んで腰を掛けるとすぐさまこちらの方に顔を向けた。
「いつもながら僕に対する反応とネラに対する反応が違いすぎないか?」
黒紫色の髪は肩に付きそうと言わんばかりに伸びているにもかかわらず不潔なオーラを一切感じさせず、それどころかキラキラとした目を背けたくなるほど眩しいオーラを放っているアスラは嫌味を言っているつもりなのだろうがその特性上全く嫌味に聞こえない。
「なんでお前に挨拶しないといけないんだよ」
「親しき中にも礼儀ありって諺が僕の故郷にあってだね」
「知らん」
「カルナはもっと教養を身につけた方がいい。確かに学業の方は成績がいいけど社会に出てから必要なのはそういうものだからね」
「社会に出たことないガキに何言われても説得力ないね」
「はぁガキはどっちなのか」
「あ、あの、二人とも、お、落ち着いて…」
二人の口喧嘩を仲裁しようと何とか割って入ろうとするがその声の小ささでは到底無理だろう。だが、先に折れたのはアスラだった。
「まぁそうだね。朝からこんな言い合いもよくない。大丈夫だよネラ」
そう言い彼女の方を向き爽やかな笑顔を向ける。女子なら一発と言わんばかりのそのキラースマイルは常に挙動不審ともいえるネラには効いているのかいないのか分からない。
「それよりカルナ。君はインターン先はもう決めたのかい?」
「インターン?」
聞きなれない言葉が鼓膜を刺激する。そんな言葉は聞いたことがない。いや響きはあるかもしれない。
「前に教授が言ってたろ?職業体験みたいなやつさ」
「はぁーん」
職業体験ね。
「君もナイト志望だろ?それならこの学校卒業後に入りたいパーティに体験的な意味合いでクエストに参加するんだ」
なんかそんなこと言ってたような気がしなくもないが、やはり記憶にない。
「まぁ正直君はそんなもの必要ないと思うけどね。なんたってもうすでにパーティ の一員としてクエストに参加してるんだから」
あぁそういえばなんか進路希望聞かれたときがあったな。教授には君は当然にナイト志望だろうけどとか言われたな。その後魔法が使えないから少しは自重した方がいいだの君は学業の方の成績が抜群だからギルド職員はどうだの色々嫌味言われたけど。そんなこと俺が一番わかってるっつーのに。
「僕もネラもナイト志望なのは知ってるよね」
「あぁそうだな。ていうかここにいる奴らは大体そうなんじゃないのか」
「そうだね。大体そうさ。だからこの時期になるとあちこちで成績優秀者を自分のパーティに入れようと勧誘が始まる」
へぇそれは知らなかった。もしかして行きに学生街にいたチラシを配ってた大人たちはもしかしたら勧誘していたのかもしれない。思い返してみれば身なりはそんなによさそうではなかったが、一般人のそれではなかった。全身装備とまではいかないまでもそれなりの防具はつけていたように思える。
「だから僕たち大変なんだ」
「あ?」
こいつ今さらっとむかつくこと言ったような。
「僕もネラも大変なんだよ。僕なんて実技トップだしね。こぞって勧誘が止まらないんだ。それにネラも学内では有名だ。僕はまだしも彼女はね」
そう言うとアスラは視線を左に移す。そこにはネラが困ったように顔を下に向けている。
こんな彼女の性格だ。何かの勧誘にはっきりと断るのは難しいだろう。それも強者ならではの贅沢な悩みであり、弱者である自分には到底理解できないものだろうとカルナは他人事のように憐れむ。
「せっかくのインターンで、それも本格的にクエストに参加できるなんて君みたいな例外を除いてそうある機会じゃない。変なパーティに入って失敗するのも嫌だ。僕の性格上前評判だけで選ぶのは気が引ける。かといって一個一個説明を受けてたらいくら時間があってもたりない。もう八方塞がりさ」
なんて贅沢な悩みなんでしょう。将来の選択肢がありすぎる優秀な人材は悩みの質と言うものが違うらしい。嫌味を言うことさえ億劫になるほどうんざりする。
「そこで、二人で話し合ったんだ。前評判に左右されることなく、信頼する者が所属するパーティならいいんじゃないかって」
確かにそれが妥当だろうな。でもパーティに所属してる知り合いなんているのか?実際にパーティに所属している俺ですらパーティメンバーの三人くらいしか知っている人はいない。
ん?パーティに所属している知り合い?
「おい待て。それって」
「そう!僕たち「バルバド」をインターン先に決めたよ」
「待て待て待て。お前たちならもっと上を目指せるだろ。自分で言うのもなんだが俺たちCランクのそれも崖っぷちにいるようなパーティだぞ?もっと真剣に考えた方が」
「でもカルナがいる」
そういうアスラの大きく黒い瞳は自信に満ち溢れていた。こいつのこういうところが俺は苦手なんだ。何でも自信を持てるところ。自分の決めた道を堂々と進んでいけるところ。その心持を裏付ける確固たる実力があるところ。そんなところが苦手だった。
「ネラはいいのかよ」
標的を移行する。こうなったらそれに賛同したネラを落とした方が勝算がある。
「わ、私も、カルナさんがいる方が、安心できます…」
いやいや待ってくれよ。そもそもインターンって将来のためのものだろ?知り合いがいるとかそんな理由できめちゃ一番駄目なものだろ。
「もっとちゃんと決めた方が」
「ちゃ、ちゃんと決めました…。アスラと…」
「いやでも」
「あー。カルナがネラを虐めてるー」
なかなか食い下がらないネラを何とか説得しようとしているとアスラから横やりが入る。こうなってしまっては打つ手がない。
「二対一は卑怯だろ…」
「僕たちの勝ちだね」
そういい前の二人は勝ち誇ったように微笑みあっている。くそこいつら。
「じゃあ今日の学校終わり早速行かせてもらうよ」
「は?」
「許可取りに行かないといけないしね」
「ちょまっ―」
そう言うと同時に授業開始のチャイムが鳴り、教授が扉を開ける音がした。
そうして俺たち三人は学生街を抜け、住宅街の狭い路地裏を走っていた。
授業の合間の休み時間や昼食時に何度も交渉に持ち込んだが二人が意見を変えることはなかった。最終的にはネラの「カ、カルナさんしつこいです」の一言が決め手となりこうして授業が終わると自宅兼喫茶店バルバド兼パーティ「バルバド」の本部へと向かっていた。なぜ走っているのかと言うとそれには色々理由がある。
二人も難なくついてきているようだからもう少しスピード上げるか。そう思い両脚に神経を集中させる。瞬間、速度が上がり二人の間に差を作る。それでもその差は徐々に埋まり、元の位置関係に戻る。
いつも通りのスピードまで上げようと思ったが、道のりを知らない二人のことを考えスピードを維持するにとどめる。そもそもこちら側が気を使うということ自体彼らにとってみれば屈辱的なことかもしれないがここら辺は道が複雑になっている。これくらいが妥当だろう。
左手には高くそびえたつ神殿が見え、閑散とした風景が変化しない中それだけが次第に自身の前方から後方へと移動していく。
そうこうしていくうちに開けた道に出る。この先が終点だ。
まだ間に合うか…
そう思いスピードを上げる。いつも進むスピードよりも速く、まるで短距離は駆ける速度で進んでいく。メインストリートではないもののそこそこ大きいこの通りに昼下がりに歩行者がいないわけがない。それなりに栄えたその通りの中で歩行者に通り過ぎるまで気付かれないほどの速度で進む。
そうしてつくころにはタイムリミットを四十秒ほど過ぎていた。
後ろを確認することなく〈open〉の札がかかった扉を開き、中に入ろうとした瞬間。
それは飛んできた。
なぜだろうか。自身の目の前にきた瞬間そのものがはっきり捉えることができる程遅いスピードに見える。だが身体が動かせるわけではない。
気が付いた時には目頭付近にジンジンと痛みのような熱さを感じ、それが次第に顔面全体に広がっていた。
「遅い!いくら昨日クエストがあったからってここ最近の最低記録よ!」
次に飛んできたのは怒号。こんな真昼間からこんな怒号が飛んでくるのはきっとここくらいだ。様々な人が入り混じりけんかっ早い人もいるメインストリートでもそうそうないだろう。
その怒号の方向をみると案の定黒いシャツに黒いスラックスを身に纏い、白いエプロンを上から羽織ったカランが立っていた。特有の橙色の長髪をたなびかせ腕を組み、仁王立ちしている姿はどう見ても喫茶店の店員のものではなかった。
「てめぇ!何すんだ!」
痛みにお構いなく怒号には怒号を、とどこかで聞いたことあるような言葉で対抗するようにカルナは言い放つ、
「あんたが遅いのが悪いのよ」
「それには事情があんだよ。そもそも今仕事中だろ!猫被るのがお前の得意分野だろ!それくらい貫けよ!」
そう制限時間、つまりアランさんたち(というか主にこいつ)がトレーニングのために設けた学校終了から自宅へ帰ってくるまでのタイム、を守れなかったのは俺が悪いし、それに対する罰はそれなりに覚悟はしていた。だが、看板娘の一人として客に愛想を振りまくってたこいつが営業時間中にここまでの暴挙に出るとは完全な予想外であった。
「大丈夫です~。いま常連さんしかいませ~ん」
人を腹立たせることに特化したといっても過言ではないと言わんばかりのその口調に思わず手が出そうになるがそれをとどめる。うん。ここで手出したらボコボコにされるの俺だしな。うん。やめとこう。
「そういう慢心が隙を生むんだよ」
「ばーかばーかあたしに限ってそんなことしませn―」
と幼稚臭い罵声を止めるとカルナの後方一点を見たまま固まる。振り向くとそこには息を切らしながらも、客観的に見れば美人に相当するカランが変顔をしながら罵声を自身の友人に浴びせているという奇妙な事実を前にして目を丸くしているアスラとそれどころではないと言う風に両手を膝に当て肩で息をしているネラが立っていた。
「…どういう状況なんだ?」
息を整えながらどちらを見たらいいか分からないといふうに普段の姿では考えられない困惑を隠しきれない様子でアスラが尋ねる。
その言葉を聞くとカランの顔はみるみるうちに紅潮していく。
これは、自業自得だな。助けはしないぞ。
「い、いらっしゃいませー。どうぞ」
と手を扉の方に向けながら必死に店員を演じるアスラ。いや、それは無理あるだろ。
「ふーん。なんだ。カルナの知り合いだったわけね」
そう言うカランは店員でありながらカウンター席に座り手と足を組んでいる。注文を聞くまではよかった。だが、その猫を被った態度は事情を知るないなやどこか遠くへ消え去ってしまった。ここまでくると逆に清々しい。
「ですが、カルナが友人を連れてきたことなどこれまでになかった。非常に喜ばしいことです」
クベレさんは相手が誰であろうとその厳格な態度は変えない。だが、どこか声が温かく、弾んでいる。
「まぁ確かにカルナくんはすこし癖がありますからね。学校でも多少ですが浮いてしまっていますからね」
先ほど見せた顔はどこへいったのかいつも通りの爽やかな笑みを見せながらあくまで好印象を見せると言わんばかりに「カルナくん」なんて言ってやがる。うげぇきもちわりぃ。
「で、インターンだっけ?」
世間話はいらないと告げるようにカランが本題に入る。その表情は真剣さそのものだった。
「えぇ。僕と彼女のインターンを認めていただきたい」
「そんなものを募集した覚えはないんだけど?」
「それも承知の上でお願いしています」
見定めるように真っすぐとアスラを見つめるカラン。その会話の中に数秒の間が起きる。
それを崩すのはカランだった。
「まぁいいわ。ギルドや学校側の規定なんて些細なものだもの。こちら側が認めると言えば認めてもらえるでしょうから」
「じゃあ―」
「それでも」
嬉しさに顔を緩める両者を制したのはカランの厳しい指摘。
「こっちにもいろいろ面倒な手続きが必要なの。あたし達がそれをするだけの対価を得られると言うの?あたし達になにかメリットがあるっていうの?」
そう告げるカランは普段は見せない厳しい表情になっている。その表情は、見方によっては拷問ともとれるカルナとの特訓の際にのみ見せる表情だった。
「一応僕たち学校の成績は優秀なんですよ。僕も彼女もいろいろなパーティがこぞって取りたがっている優良物件です」
アスラもそれに臆することなく当然聞かれるであろうと思って想定してきたとも取れる程淡々と言い返す。
「学校の成績?そんなものが実戦に通用すると思っているの?学業であっても実技であっても想定内の中でしか動けない者は使えないわ。あんたたちに想定外の中で動く自信はある?あんたたちになんかあったらこっちの責任問題になるんだけど」
「いや、こいつらは俺より使えるし、実際に俺より強いんだけど」
「あんたは黙ってて」
助け船を出そうとしたがそれを一蹴される。いや、これ事実だし。俺でできてるんだからこの二人にできないわけがない。
「どうなの?」
そう問われ沈黙する二人。ネラにいたっては下を向いてしまっている。
「…それなら、あなたと戦います」
完全に言いくるめたと言わんばかりにそっぽを向いていたカランがその言葉に反応する。
「あなたと戦って、実力を示します」
「へぇ。いい度胸ね。いいわ。それが一番わかりやすい」
カランに好戦色の表情が写る。
「いや待てよ。お前免停中だろ。そんなの」
こいつらがこいつと戦ったらただじゃすまない。この二人は俺より強いかもしれない。それでも二人がカランに勝てるとは思えない。てか、こいつ手加減とか知らなそうだしそれはさすがにヤバイだろ。
「そんなのバレなきゃいいのよ」
そういうとカルナが良く知る場所へと移動しようとする。その目にはすでに闘志の火が灯っている。
「こうなったカランは止められません。放っておくのが賢明です」
ため息を付きながら一部始終を傍観していたネラさんがカルナを呼び止める。
「二人同時でいい。かかってきな」
そういうとウエイトレス姿のまま二人を裏口へと案内し、喫茶店後方に生い茂る木々の中へと案内していった。
「大丈夫ですよ。彼女もまた一流です。手加減くらいできます」
カルナはその後を追おうとしたが端のテーブル席でコーヒーをすすっていた常連にダル絡み、いわゆる二人との関係を根掘り葉掘り聞きだされることになって結局取り残されてしまった。
心配そうにしているカルナを見てかクベレさんが慰めともとれる言葉をかけてくる。
「たしかに手加減はできるんだろうけど、俺、あいつにボコボコにされてんだぜ。あんなんされたらどうするんだよ。だから来てほしくなかったんだ」
そう言いながらテーブルに伏せる。まぁアスラがボコボコにされるのはいい。だがネラがやられるのは見てられない。過度な傷害は彼女の心までも傷つけるかもしれない。それはきっと将来にまで影響するトラウマになるかもしれない。
「ふふ」
その様子をみてなぜか笑うクベレさん。
「…なんだよ」
「いえ、すいません。カルナもちゃんとそういう心があって嬉しいんですよ。ですが、先ほども言ったように大丈夫ですよ。彼女はちゃんと相手の実力を見ることができます」
クベレさんは微笑んでいる。まぁカランとずっと一緒にいたネラさんが言うんだから間違いないんだろうけど。だとしたら俺との特訓の時のあれはおかしくねぇか。ちゃんと俺の実力考慮しろよ。
「まぁ彼らの実力がどうであれ恐らく彼らの申し出を受けることになるでしょうね。まぁ面倒なことはアランさんに押し付ければいいでしょう。カルナ。あなたも気を抜いてはいけません。先輩として彼らの見本にならなくては」
相変わらずアランさんに対する当たりだけ強い気がするが。いやそれにしても申し出を受けることになるとは一体どういうことだろうか。確かに二人は強い。だがカランを納得させるだけの実力だろうか。あの暴力お化けを納得させることなどできるのだろうか。
そんなことを思いながら出されたコーヒーをすする。そのコーヒーはなぜかいつもより味が薄く感じられた。
結局、二人はボコボコにされた状態でカランに担がれながら戻ってきたが、結果はクベレさんの言った通り合格だった。
二人はクベレさんの回復魔法できれいさっぱり直された後も痛むはずがないのに身体中をさすりながら「ひどい目にあった」と言わんばかりの表情をしていた。だが帰り際には認められたと言う事実に満足しながらコーヒーを一杯飲み終えると帰っていった。その最中に学校での話をしていたのは忘れたい。
二人が帰ったあとの店内はどこか寂しく、いつも以上に広く、静かに感じられる。
「さ、今からはあんたの番だけど」
そんな感傷に浸る間もなく告げられるのは地獄の合図。次に痛みつけるのはお前だと言わんばかりに目が光っている。
「と言いたいんだけどまだアランさんが帰ってきてないのよね。さすがに一人に店番任すわけにはいかないしなー。ったく、あの人どんだけ時間かけてんの」
そういった直後に店のドアが開く音がする。そこには実際の歳よりもっと老けたと言う様子のアランさんが立っていた。その表情は心底疲れ切っている。
「お、噂をすれば。ってどうしたの。なんかもうおっさん通り越しておじさんになってるけど」
なんの配慮もなく真っすぐ思ったことを言うカラン。配慮というものを知らんのか。
「いやぁギルドなんて行くもんじゃないねぇ」
そう言いながらほとほと疲れ切った表情を隠そうともせずジャケットを脱ぎネクタイを緩めながらカウンター席に座る。それを見るなり何も言わずクベレさんはコーヒーを入れ始める。店内に漂っていた豆を挽いた匂いがより一層濃くなる。
「慣れないことするから~」
そう言いながら床の掃除を始めるカラン。もう店内には客はいなくなっていた。夕日が差し込み、哀愁が漂う。
「いやぁ本当にそうだね。そうしばらくは行きたくないよ」
どうしてここまでアランさんがギルドに対して苦手意識を持っているかは分からない。だが、人には苦手なものの一つや二つあるものだ。それを深く言及しようとも思わない。それは他の二人も同じようだ。
「それにしても遅かったんじゃない?もしかして入る勇気がなくてギルドの入り口前でうろうろしてたとか?」
「いやいや、いい大人になってそれはねぇだろ」
いや、それはないと思いたい。この人は一人だった俺を拾ってくれた人。いわば父親みたいな人だ。そんな存在がギルドの前を挙動不審に動き回っているなど思いたくない。
だがそんな望みを裏切るかのようにピクッと肩を反応させるアランさん。おいおいまじかよこのおっさん。
「えマジ?」
「信じられません」
半分冗談で言ったことが本当だったことに驚くカランとゴミを見る目でアランさんに軽蔑の視線を向けるクベレさん。待ってその目はほんとに駄目死んじゃうよ。
「い、いやちょっと!ちょっとだけね。確かにちょっとだけ勇気がいったけどこんなに遅れる程じゃないんだ。本当だよ⁉」
必死に弁明しようとするが疑いの視線がアランさんを襲う。
「こんな遅れた理由は他にあるんだ」
そう言うと再びため息を付く。全員の頭にクエスチョンマークが浮かぶ中アランさんは横に置いたジャケットのポケットから半分に折られた紙切れを取り出すとそれをテーブルに置く。
コーヒーを入れているクベレさんを除く二人がそれを覗き込む。そこには予想外の事柄が書かれていた。
『 パーティ〈バルバド〉に下す緊急クエスト
先日のクエストを受け、魔法士数人の爆破に関する事項は都市外及び都市内における反ギルド勢力によるものと判断。さらに事前の情報により当該地点及びその周辺で何らかの取引が行われる模様。取引に関しては詳しいことは分かっていないがギルド及び都市にっとって何らかの危機をもたらす危険性があり、それを受け当時の状況をより詳しく把握する当パーティとギルドが連携して事の解決にあたるのが最も合理的と判断。よって以下における内容を緊急クエストとして当パーティに下す。
・当該地点及びその周辺の調査
・取引内容の把握とそれの阻止
なお期間としては取引の日時が不明である以上、本日からその取引が行われるまでとする。このクエストはギルドから直接下されるものであり、どのクエストよりも優先されるべきであるから当期間内の当クエスト以外のクエストの引き受けを禁ずる。
難易度に関しては不確定事項が多いため一概には言えないが、当パーティの潜在的な実力を鑑みても問題ないという判断に至る。
都市ザイオンの安寧のために全力を尽くすことを願っている。
ギルド長 アヴェイル・デイム・フルドラ 』
「…ってなにこれ?」
意味が分からないと言う表情を浮かべるカランに心の底から賛同したい。カランが読み上げる内容を聞いていたクベレさんは内容が明らかになるにつれコーヒーを入れる手が止まりその鋭い眼光はアランさんの方へと移行していた。
「ほんっとうに申し訳ない!」
勢いよく椅子から降りると真っ先に頭を地面に当てながら謝るアランさん。
「これ、わかんないことの方が多いじゃん!結局何すればいいの?調査?てかギルド側は協力を求めるならもっと詳しい情報をよこしなさいよ。そもそも実力を鑑みて?あんたらのせいで私たち動けないから実質動けるのアランさんとカルナの二人なんだけど?どこを鑑みてんの?」
止まることのない疑問と不満。そしてそれ以上に―
「…差出人がギルド長と言うところも気になります。そんなトップが我々に依頼すると言うところが信じられません。それほどの権力者なら他にもっと優秀なパーティを動かすことも可能に思えますが」
それは一見すればただ疑問を呟いただけの言葉。だが二人の疑問と不満は確実に一人の男に集まっていた。
「い、いやぁ~。僕もね、これはどうかと主張したんだ。でも聞く耳を持ってくれなくて」
きっとこうなることを理解していたからアランさんは疲れ切った顔をしていたのだろう。ギルドで無理難題を投げかけられ、戻ってきたら戻ってきたで彼女たちに文句を言われる。なんとも不憫なのだろう。かといってその立場を変わりたいとは思わないが。
「まぁアランさんに文句を言うのはお門違いでしょう。それよりも「本日から」と言うのが気になります。今日報告して直ぐにこれほどの判断を下すのでしょうか。本日からと言うのは今日の夜からと言うことですか?」
さすがクベレである。切り替えはやく、すでにこれから直面するであろう問題に目を向けている。
「どうやってギルド側と連携を取るんだ?」
疑問を投げかける。それに答えたのはアランさんだった。
「連携と言っても交代制で調査するみたいだ。あっちもさける人数は限られてると言われてね。こっち側に学生のカルナがいることを考えてギルド側が昼、こちらが夜を担当するみたい」
「それ本気で言ってんの?」
カランはその事実を信じられないと言う風に語尾が強くする。
「カランの言いたいことは分かる。賊が動くなら圧倒的に夜間の方が有利だ。詳細が分かっていない以上その取引が今日行われるかもしれない。そこに僕たちだけで動くのはいささか疑問が残る」
そう述べるアランの口調はどこか落ち着いている。
「だから君たち二人の参加の許可を申し出た」
「じゃあ…⁉」
そう言うとカランの顔は花が咲いたように明るくなり、クベレさんの口角も少し反応する。
「まぁ認められなかったけど」
途端に花は萎み、口角は元に戻る。
「そんな例外を認めたら他に示しがつかないらしい。さてどうするかな」
アランさんが落ち着いていたのはどうやら諦めの境地から来たものらしい。少しでも頼もしいと思ってしまった自分が許せない。
そこに思い出したように口を開いたのはカランだった。
「そういえば他にもいるじゃん動けるやつ。使い物になるかどうかはわかんないけど」
そうだ。あの二人がいた。これはどうやら二人のインターンを認めるしかないようである。その概要をアランさんに話すとどこか浮かない顔をしている。
「うーん。初心者にこれほどの難易度をこなせと言うのはかなり難しいなぁ。たしかに人手が増えるのは嬉しいけど…」
その判断に悩んでいるようである。
「まぁそこはアランさんの腕の見せ所でしょ。あたしが相手したけど最低限の動きはできる。足は…、引っ張るかもしれないけどそこは二人でカバーしなよ。そうじゃないとさすがに二人では無理」
相当悩んでいるのか腕を組みながらうなだれている。その最中一瞬、ほんの一瞬だけアランさんと目が合った気がした。
「まぁそうだね。カランが言うならいいか。うん。じゃあその二人には酷だけどこのクエストを受けることを条件にインターンを認めよう。二人には…」
「俺が説明するよ」
その責任は俺にある。確かにこのパーティにインターンをしたいと言ったのは彼らだが、それを止められなかった俺に責任がある。二人に何かあったら、それは俺が悪い。
「あぁ頼んだよ」
温かい笑顔を向けながらアランさんは頼む。
「早速今日…と言いたいんだけどさすがに今日はやめてくれと進言しといたから大丈夫。いまやるべきは作戦を立てることだ。閉店時間までは各自業務にあたってくれ。その後作戦を考えよう」
そう言うとアランさんは仕事に戻るように促す。まぁこの時間からこの店にくるもの好きはなかなかいないだろうけど。同じことを思ったのかカランが手招きする。
「じゃあ今から私とカルナは特訓でいい?少しでもこいつを強くしとかないと」
「あぁいいよ。ほどほどにね」
そう言うとカランからモップを受け取ったアランは手を振る。
あぁここから何にも変えることができない地獄が始まるのか。
その日の特訓はいつもに増して激しかった。カランの猛攻に手も足も出せずサンドバック状態になるほかなかった。
地面に手をつき無様な格好を見せる。辺りは木々で覆われ都市の喧騒もここには届かない。その静けさを打ち消すのは先ほどまではカランの魔法による爆発音。そして今はカルナの息切れだけだった。
「あんた状況分かってる?」
そう告げる口調はいつもよりも厳しく、強かった。
「ただでさえ難易度不明なイレギュラーなクエスト。それに加えて初心者二人を抱えて挑むのよ。あんたがアランさんにおんぶに抱っこ状態じゃ失敗どころでは済まされないわ」
それは冷たく、淡々とそこにある事実を述べるだけ。それがどんなものよりも傷に染みる。
「最悪死ぬわよ」
その言葉が重くのしかかる。
「あんたが死ぬならいいかもしれない。でもそれ以上に過酷なことなんてこの世に山ほどある。あんたのせいで、あんたの実力のせいで目の前で二人が死ぬかもしれない」
「そのことをもっと理解しなさい。あんたが二人の参加を進言したんだからそれなりに責任は持ちなさい。それが友達として最低限やるべきことでしょ」
地に着いた手を砂と一緒に握りしめる。そんなことは分かっている。そんなことは。
「―んなこたぁ俺が一番わかってる…!」
「かかってこいや…!」
フラフラの足に鞭を打ち起き上がる。右手に持つナイフよりも一回りも大きい短剣が鉛のように重く感じる。
それでも剣を振るった。その剣筋は鋭く、一流剣士と何ら遜色はなかった。
カルナは、魔法以外は一流だった。身体能力。剣技。戦闘センス。経験だって同世代と比べれば抜きんでている。それでもそれら全てを凌駕でき、圧倒することができるもの。
それが魔法だった。
だから、もし、カルナが、魔法を使えたら。
それはきっと誰にも届かない領域に達することができる。カランやクベレにも負けない、いやあのアランにも匹敵するほどまでにのし上がるに違いない。
それと同じくらい―
カランは戦いの中で唇を噛む。もったいない。なんてもったいない。カルナには足りない。
魔法と同じくらい「意志」が足りない。「危機感」が足りない。「自意識」が足りない。
もっと言えば「感情」が足りない。
なぜこいつは自分を卑下する。なぜこいつは自分よりも友を当てにする。もっと出して来いよ。もっと自我を出せよ。
それさえあれば―
そう思うだけで拳に力が集中する。カルナの剣筋を正確に読み取りながら攻撃を繰り出す。その攻撃は耐性のない者であれば確実に葬ることができる程の力。それでもカルナは立ち上がってくる。
つまり、カルナには魔法を扱うだけの器が備わっているのだ。
その事実が、さらに拳に力を集めた。
「あ、」
思い切り放った拳がカルナの右顎に直撃する。
いつも以上に力の入った特訓はカルナの失神で幕を閉じった。
カランはやりすぎたことへの後悔とこれから待つであろうクベレからの「やりすぎだ」という説教への恐怖が募っていた。
ガラス製のグラスと氷がぶつかる音が暗闇の中に響き渡る。誰もいないカウンター席でアランは一人晩酌をしていた。アルコールが疲れきった身体に染みわたる。冷たい液体がのどを通り全身を巡っていく。
いつぶりだろうか。一人の夜にアルコールを入れるのは。はるか昔だったような気がするし、つい最近だったような気もする。
それほどまでに子供の成長は恐ろしく早い。きっと最後に飲んだのはカルナの魔法が発現したときだ。あれから何年の時が経った。あの一度を境にカルナは魔法を使っていない。使えていない。それどころかカルナ自身、自分が魔法を使ったことなど覚えていないようである。
意識を過去から現在に戻す。
今回の緊急クエスト。
ギルドの上層部があれほど曖昧な指示を出すとは思えない。あの召集を通すわけがない。であるにも関わらずアラン自身の異議は何一つ聞き入られなかった。つまりあれほどふざけた内容であるにもかかわらず召集令として正式な効力を持つと言うこと。
曖昧な内容を独断で発行できる人物。
そんな奴は一人しかいない。脳裏に屈託のない一つの笑顔が浮かぶ。それは常にアランの前にいた。常に道標となっていた人物。よく言えば自由。悪く言えば自分勝手。我儘。戦闘狂。ギルドの長アヴェイル・フルドラしかいない。
一体彼女は何を考えているのか。
今回の件に我々を関与させたい何かしらの理由があるのは明白だ。あの時点でカルナの友人たちがインターンに来ることを知っていたとは考えにくい。いや彼女なら知ることは可能か。だとしても可能性としては低い。
だとしたら目的は―
心臓の鼓動が速くなる。これがアルコールのせいではないことは明白だった。
胸ポケットに手を伸ばし、煙草を取り出す。
頭に一粒の炎を思い浮かべると間髪入れず指先に光源が現れる。ジリジリとこの空間でなければ聞こえることがないほど消え入りそうな音を立てながら燃えていく。
白い息が宙に舞い、次第に消えていく。
あいつにどんな思惑があろうと、俺はカルナを守る。
あの時決意した想いが再度心に火を灯す。
炎は煙草を順調に侵食していった。
「へぇ面白そうだね」
予想できていた。アスラなら爽やかかつ挑戦的な笑顔を張り付けたままそう答えることなど簡単に予想できていた。それでも実際にその反応をされると怯む自分がいる。
「そ、それは本当に大丈夫なんですか…。かなりの異常事態だと思うんですけど…」
そう、ネラのこれが普通の反応なのだ。
「これはこちら側の問題だから辞退してもらってもかまわない。というかこっちとしては辞退してほしい。俺も内容読んだけど何一つとして確定事項がない。明確なのはクエスト開始日時と場所くらい。それも場所なんて都市外だ。初めてのクエストにしては難易度が高すぎる」
昨日の内容を振り返ったときの感想を率直に伝える。だが彼が怯むことはなかった。
「こちらとしては嬉しい限りだね。本免までにこれほどの経験ができるのはなかなかないだろう。やっぱりここを選んで正解だったよ」
アスラの度胸というか怖いもの知らずの性格が憎らしいほど羨ましい。ここまでくれば素直に褒めてあげたい。
「命にかかわることだぞ。興味本位で足を突っ込んでいい内容じゃないんだ。俺はまだしもお前らには約束された将来があるんだ。こんなところで死んでいい―」
その先は言わせまいとアスラはカルナの口に人差し指を当てる。
「将来がどうとかそんなことは関係ないよ。僕はナイトになりたいんだ。ただのナイトじゃない。世界を変えれるようなそんなナイトになりたいんだ。そのために命を懸ける覚悟がある」
その目は真っすぐにカルナを捉えている。いつの間にかネラまでも真剣なまなざしに変わっている。背けたかった。だが背けてはいけない気がした。
「別にお前の目標を否定するつもりはない。でも物事には段階ってものがあるだろ。今はまだその時じゃないって話をしてんだ」
「じゃあいつだい?僕が命を懸けるのはいつだい?本免に受かったときか?正式にナイトになったときか?違う。僕は思うんだよ。そんな簡単に人は変われない。その人の意識は変わらない。だから、僕は、僕のためならこの命を捨てる覚悟がある。それが僕だ」
眩しかった。俺にはそんな崇高な想いも、目標も、何もない。用意されたレールにただ乗っているだけの俺に、自分で選び、引いたレールを進むアスラを納得させることはできない。
「どうなっても知らねぇぞ」
そういうといつも通りの余裕の笑みに戻り嬉しそうに答える。
「あぁ!」
ネラも一緒に首を上下に振っている。
凄いなこいつらは。
それを言葉にすることはなかった。だが、言葉にしなかったからこそその感想がいつまでもカルナの中を巡り、自分の価値を貶めていくことにカルナは気付きながらも、その感情を心の奥底に詰め込んで見て見ぬふりをした。
日が沈み、月の光が頂点に立つ頃。四人は都市を出発していた。カルナにとってこれは初クエストではない。だがいつもと違うメンバー、それもいつも学校で会っていた友人とも呼べる者達と取り組むという事実がカルナに新鮮な心持を与え、初クエストとも言っていいほどの緊張感を与えていた。
荒野を抜け、寂れた旧都市外に入っていく。あの夜と何も変わらない。家無しや酔っ払いがまだらに散らばり、点々と付いた灯りは華やかさとはかけ離れていた。
路地裏を進み続け、見覚えのある開けた場所へとたどり着く。爆発によって破壊された箇所はそのまま放置されている。
「じゃあここから分かれて捜索しよう。何か異変や手掛かりを見つけても一人で捜索しないこと。すぐに僕に報告するように。いいね。間違っても一人での深堀は禁止だ。じゃあ―」
そう言うとアランさんがそれぞれに指示を出していく。といってもこれだけの人数であればやることは限られている。アスラが路地裏及び広場周辺の捜索。ネラはアランさんと共に広場の南側に位置する高台からの後方支援。そして俺はそれとは真逆の北側の先にある荒野の探索だった。
「初めてのクエストだ。緊張もあると思う。捜索しようとしているのはかなりのやり手だ。君たちはプロじゃない。自分の身の安全を一番に考えてほしい。それじゃあ健闘を祈るよ」
アランさんのその言葉を合図に全員が散る。
ギルドからの奇妙な緊急クエストが始まった。
広場を抜け荒野に一人たどり着く。周辺は赤茶色の草木で覆われまるで整備されていないかった。人の手など加わっていないと言わんばかりに風で草木が揺れる音しかしない。来る途中で通った場所によく似ておりここに何かあるとは思えない。
クエスト内容は爆発が行われた広場周辺の捜索でありここも一応周辺であると言えるがここに行くよう指示したアランの意図を考えずにはいられない。
一番怪しいと考えられる路地裏及びその付近の探索を任さられるとばかり思っていたせいでその落胆を感じずにはいられない。ネラの特性を考えたらアランさんと援護に回るのは理解できる。だがその周辺にあたる路地裏をアスラに任せたのは想定外だった。確かに実力で言えばアスラの方が上であるのは間違いないしそれを否定するつもりもない。
それでも、一度もアスラの戦いぶり、戦闘スタイルを見てないアランさんがアスラを選んだ。それほどまでに俺とアスラには差があるのか。魔法の有無はそれほどまでに残酷なのだろう。いや、広場から少し離れた荒野よりも路地裏の方が援護しやすいのかもしれない。より近くでその動きを見ておきたいのかもしれない。
考えたところで、考えを巡らせたところで答えなど出るはずもない。アランさんにしか分からない答えを求めてしまう自分に少なからず驚く。
まさか俺は、まだ自分が強いと思っているのか。
まだ俺が人と渡り合えるとでも思っているのか。
勘違いも甚だしい。これは驕りだ。恥じるべき感情だ。自覚しろ。俺は弱い。決して間違えてはならない。勘違いしてはならない。目を背けてはならない。
それでも自己嫌悪の波に襲われるのなら、俺に感情など不要だ。
何もない場所で自己の意識の内に吸い込まれそうになるのを止めたのは荒野の先に見えた物だった。
(あんなものあったか?)
ここは広場を抜けた荒野。一通りの地形は頭に入っているものの路地裏や広場ほど確認していなかったためにここにこれほど目立つ建物があったかどうか思い出すのに多少の時間を要した。
(いや、なかった…はず)
一旦はそう結論づけるが、目の前にそれが聳え立っているという事実が記憶をさらに曖昧にし、結論を否定しようとする。
そこには古い神殿があった。都市にあるような立派なものではない。装飾など一つもなくただ岩が積み上げられたと言わんばかりのそれは所々が欠けている。見ただけでは神殿かどうかも分からない。だが、カルナはなぜかそれが神殿であると確信していた。
何もないと緩み始めていた気持ちをもう一度引き締める。
周囲を確認しても入り口はどうやら正面の一つだけ。躊躇いながらもその重厚な岩扉に手を掛ける。多少の力を要したものの思ったよりも簡単にその扉は動き始めた。
中には数十の長椅子が左右に置かれ中央にはさもここを進めと言わんばかりに道が開けている。おかれていた。二階などあるはずもなく天井から洩れた月明かりが塗装のされていない岩肌の床を点々と照らしている。入った場所から全体を見渡せるほどの広さであるはずなのにどこか広大に感じられるのは中に飾りがほとんどないからなのかもしれない。
辺りを見渡しても人影は見えない。室内はアランさんの目が届かないこともあり少し躊躇したが先に進むことにする。その足を動かしたのは一人で歩いていける力を求めていると言うことにカルナは気付かない。
音が良く響いた。革靴が地面を叩く音が部屋全体に反響する。その音がなお一層カルナを緊張させる。左右に置かれた長椅子には砂煙がかかっており長い間誰も使っていないことを強調している。
十数メートル進んだくらいか。その奥にたどり着く。そこから先は一段高く作られておりそこにはカルナの胸の高さくらいの直方体の台が置かれている。
そこは月明りが良く差し込んでいた。その明かりはあるものを照らすためにあると言わんばかりに台の上に一冊本が置かれていた。
表紙は砂埃で覆われているだけでなく、黒く焦げたように汚れており確認できない。
どうしてかは分からない。だがカルナはその本を見なければならないと言う義務感にかられ手を伸ばし、本を手に取るとその表紙をめくった。恐らく何百ページとあるだろうその本はずっしりとした確かな重さがあった。
しかし、中を見ると何も書かれていなかった。全くの白紙のページが続いている。
なにか重要事項が書かれているものだと思っていたカルナは拍子抜けし、そのページをめくる手が早まる。
やがて、その手が止まる。
カルナの目が捉えたのは確かに文字であったが、それは馴染みのある共通語ではなく、見たこともない文字であった。
見たこともない文字…?
驚きを隠せない。
見たこともない。教わったこともない。カルナが持ちうる記憶を遡ってもありはしない。
それなのに理解できる。読むことができる。それと共に感じられるのは「懐かしい」という昔に思いをはせた時に出るあふれ出てしまう感情。だがカルナの過去に「懐かしむ」ほどに眩しい過去は存在しないはずである。
自身の感情に戸惑いながらもそこに書かれた文字を口にした。
『眩いほどに白く燃えるは意志
意志は想いとなりて炎にならん
炎は道を照らし民を照らす
仲間を得 国を救い
仲間を失い村を焼く
それでも進むは龍の道
再現せしは炎下の地獄
偽物は本物へと昇華し
友にその身を絶たれようと
決して絶えぬ炎の名は
原初の炎 』
それだけだった。唯一書かれた詩のように書かれたそれはまるで理解ができない。
直後ドクンッと身体の内部で何かが飛び跳ねる音がする。
「それが読めるの?」
アランさんに聞けば何か分かるかもしれないと本を持ち出そうとした瞬間背後から聞こえた声に反射的に手が腰につけたナイフへと伸び、戦闘態勢へと入る。
しかし、振り向いた先にいた人物はまるで戦えないであろう、ボロボロの布を羽織り裸足で立つ、女の子だった。
これがすべての始まりだった。
いや、カルナが原初の書に手を伸ばし、そのページを読んだときにすでに運命の歯車は回り始めたのだ。
カルナは何ともいえない予感を感じていた。
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