第27話 記憶を上書きした上で、何を思う

「綾乃、行けるか?」


「ちょっとまって……よっし、準備オーケー!」


 日曜日。玄関で綾乃を待っていると、綾乃はロールアップされているデニムのホットパンツに、白色のTシャツというラフな姿で俺の前に現れた。


 デートに行くというにしてはシンプルな服装は、まさに兄妹でお出かけするにはちょうど良いオシャレだった。


「おまたせっ」


「はいよ。それじゃあ、行くか」


 今日は綾乃とデートの上書きをするために、近所の映画館まで行くことになった。


 以前行った都心にあるような映画館は、兄妹では行かないだろうという話になって、俺たちは近場で映画を観たという記憶だけを上書きすることにしたのだ。


 玄関を出て隣を歩く綾乃に視線を向けると、隣を歩く綾乃の表情は妹のそれだった。


特に隣を歩く俺を意識することなく、緊張や羞恥の感情で頬を染めたりしない。俺が昔から知っている綾乃だった。


 今日は以前のように待ち合わせをすることなどはしなかった。理由は簡単で、兄妹で出かけるときに待ち合わせなんてしないからだ。


 同じ家を出て同じ家に帰る。それが兄妹というものだろう。


 俺たちは以前のように手を繋ぐこともなく、肩と肩がぶつかりそうな距離を維持して歩いていた。


最近この距離間にも慣れてきたというのに、休みの日に二人で歩いていると、不意に綾乃の手をちらりと見てしまう。


 デートをするときに感じていた胸の鼓動と、綾乃の手の感触を思い出して、ふいに触れたいと思ってしまう。


 割り切ったはずなのに、割り切りきれていない。


 今日が上書きをするためのお出かけの最後かもしれないのに、未だに俺は隣を歩く綾乃のことを意識してしまっていた。


 意識してはダメだと思えば思うほど、意識してしまうのは人間の性なのかもしれない。それでも、この気持ちを抱き続けことは許されないことだ。


俺が綾乃を意識してしまっている気持ちを表情に出してはならない。


せっかく戻ろうとしてる関係を、俺の意思の弱さでごちゃごちゃにしてはならないと思った。


 俺は自分の気持ちを紛らわせるために、平常心を装ってそっと口を開いた。


「今日は何の映画を観るか。綾乃、何か観たいのとかってあったりするか?」


「私、元々そんな高頻度で映画館に行くキャラでもないし、特にないかなぁ。お兄ちゃんは?」


「俺もそんなにはないんだよなぁ。でも、しんみりする系は嫌だな」


「私もそういう気分ではないかな。アニメ映画か海外のコメディ系がいいかも」


「いいな。そのどっちかにしようぜ」


 映画を観るために映画館を観に行くのではなく、映画を一緒に観るという行動のために映画を観に行く。


 そんな映画ファンに怒られそうな理由で、俺たちは特に観たい映画もないのに映画館へと向かったのだった。


 それが必要な行動だということを信じて。




「……普通に面白かったな」


「お兄ちゃん、所々噴き出すみたいに笑ってたよね」


「いや、綾乃のだってそうだったろ」


 俺たちは映画館の近くにあったファミレスで食事をしながら、映画の感想を言い合っていた。


 結局、観た映画は海外のコメディ映画だった。互いに海外の俳優さんについて詳しくはないのだが、後から聞いたら結構な有名な俳優さん達がでていたらしい。


 内容はない映画だったが、その分笑わせてもらった。


 正直、最近見た映画の中でかなり上位に来るくらいに面白かったと思う。


「デザート食べ終えたら、どうするか。ここら辺ぶらぶらしても仕方ないし、帰るか?」


「そうだね。あっ、帰る前に本屋にだけ寄らせて」


 今日のお昼ご飯は兄妹一緒に外で食べてくると言ったら、母さんからお昼代を頂けた。


なので、ファミレスなのにデザートまで頂くというブルジョアな食事にありつけることができたのだった。


 やってきたデザートに口をつけて三口。


綾乃はミニいちごパフェを美味しそうに食べていたが、やがてその動きを止めて、俺のミニあんみつの方をじっと見つめてきた。


「……」


「食べるか?」


「いいの?」


「そりゃあ、そんな目で見られたらな。せっかくだから、俺も一口もらおうかな」


 俺はあんみつをテーブルの中央に置いて、綾乃が取りやすい位置に移動させた。それに倣うように、綾乃もいちごパフェをテーブルの中央に移動させた。


 そして、互いに互いのスプーンで、あんみつといちごパフェを一口ずつ食べて、味を確かめ合った。


「いちごパフェだな」「あんみつだね」


 互いになんとも言えない感想を口にして、少しの笑みを零して、自分のテーブルの方に注文したデザートを引き寄せた。


 兄妹で食べさせ合うようなことはしない。ただデザートの味を知るためだけに交換して、終わったらまた元に戻る。


 そんな当たり前の行動だというのに、一瞬自分が使っていたスプーンで食べてしまっていいのかと躊躇ってしまった。


 それが間接キスにはならないと分かっていながらも、少し躊躇ってしまった自分の態度に、俺は少しため息を漏らしていた。


 せっかくデートの上書きをするんだと言っているのに、心の内は完全には切り替えられていない。


 その事実に直面する度に、こんなことをして本当に意味はあるのかと首を傾げそうになる。


 それでも、この行為を重ねることが、仮の恋人の関係を終わらせたということを再認識させてくれているのは確かだった。


 仮の恋人の時とは違う距離間にいるのだ。それを実感できるだけでも、この行動には意味があるはずだ。


 そう思いたかった。


 デザートまでの食事を済ませた俺たちは、綾乃の買い物に少しだけ付き合った後、家に帰宅することにした。


「あれ? お母さんからだ」


 帰路についている道中。綾乃はスマホを確認した後にそんな言葉を漏らした。


スマホを操作してメッセージを確認した綾乃は、体を小さく跳ねさせていた。


微かに驚いたように開かれた目の動きが気になり、俺も綾乃に倣う形で自分のスマホを確認すると、家族用のチャットアプリにメッセージが送られていた。


 そして、それを確認した俺は、綾乃と同じように小さく肩を跳ねさせていた。


『急に出社することになったから、行ってきます! お父さんは休日出勤で泊まりらしいから、戸締りよろしく!』


 しばらくはないかと思っていた綾乃と二人きりの夜。それが思いもしなかったタイミングでやってきた。

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