第20話 中高生の兄妹は一緒にお風呂に入るものなのか

「はぁ……」


 両親が不在の我が家では、実の妹との二人きりのおうちデートが決行された。


 俗言うおうちデートが今日のようなものなのか分からないが、だらだらいちゃいちゃすると言われている条件は達しただろう。


 一人風呂に入りながら今日したことを思い返してみると、随分と大胆なスキンシップを取っていたような気がする。


 妹相手に長時間後ろから抱きついたり、前から抱きつくよう姿勢で匂いを嗅ぎ合ったり。それを、親のいないリビングで堂々としていたというのだから、中々のものである。


 罪悪感と背徳感によって駆られた感情は、届かない所を掻いた時の気持ち良さのようなものがあり、薬物のような依存性があるような気がした。


 確実に言えることは、この状態を長く続けることは危険だということ。


 そのためにも、いち早くこの状況をどうにかする必要があるだろう。


「お兄ちゃん?」


「え、綾乃? ど、どうした?」


 浴槽に浸かっていると、綾乃の声が脱衣所の方からしてきた。


 風呂に入っているときに話しかけられるということは今までもあったし、別に珍しいことではない。


 それだというのに、色々と考えていた時に不意に声をかけられたせいか、俺の声は少し動揺してしまっていた。


「……お風呂、一緒に入ってもいいかな?」


「え?」


 少しの間に一体どんな感情が込められていたのか。微かに上ずった声には複数の感情が入り混じっているような気がした。


 風呂に入った時点で俺は完全に油断していた。後は風呂に入って寝るだけだと。


 勝手に終わっていたと思っていたおうちデートは、まだ全然終わっていなかったのだと、この時初めて気がついた。


 風呂場と脱衣所を仕切る扉には、曇りガラス越しに影が見えており、綾乃がもうすぐそこにいるのだということが分かった。


「いやいやいや、さすがに一緒に風呂はマズいって!」


「えっと、期待させてる所悪いんだけど、水着着て入ろうと思ってるからね?」


「き、期待なんかしてないっての。ていうか、水着なんて着てたら洗えないところあるだろうし、二度手間だろ? 面倒だろうし、入ってこないでいいって」


「……そう言われれば、確かに二度手間だよね」


 俺の必死の説得あってか、すぐそこまで近づいていた影が微かに遠のいた気がした。


 安心して胸を撫で下ろしてみたものの、中々その影が消えることはなかった。

 

 その影の様子をしばらく見ていると、その影が屈んだり微かに動いたりしていることに気がした。


「……」


「ん? いや、まさかな?」


 そんなことがあるはずがない。


 二度手間を解消するために、水着を脱いで入ってくるなんてことはありえないだろう。


 そんなふうに高を括っていたのだが、その影がこちらに再び近づいてきたときにその疑惑が確信に変わった。


「いや、まてまてっ」


 急いでドアノブを押さえ込もうとして、浴槽から立ち上がったところで、自分が裸だったことに気がついて、俺は急いで再び浴槽に浸かった。


 いや、ドアノブを押さえ込んでしまえば、入って来れないのだから裸でも関係ないだろ。


 浴槽に勢いよく浸かり直したときにそれを考えたのだが、時はすでに遅かった。


 ゆっくりと扉が開かれると、そこにはバスタオルを巻いて脇より少し下から太ももまでを隠している綾乃の姿があった。


 髪を洗うために下ろされた髪は見慣れていたはずなのだが、バスタオル越しに膨らみを見せている双丘のせいか、いつもよりも大人びて見えた。


「あ、綾乃」


 綾乃は風呂に乱入された側のように顔を赤くしていて、微かに湿っているような瞳をそっとこちらから逸らした。


「いちおう、タオルは巻いてるけど、あんまり凝視しないでね」


「お、おう」


 ここで無理やりにでも出ていくように言えばよかったかもしれない。ただ、今の俺は突然過ぎる事態を前に頭が混乱していた。


 ただ返事をすることしかできず、綾乃が椅子に座って頭を洗い出して、ようやく目の前で起きている事態を把握することができた。


 中学二年生の妹が、俺と一緒に風呂に入ってる?


 なぜこんな事態が起きているのか分からず、未だ混乱が解けない状態で浴槽に浸かっていると、しばらくしてシャワーの音が止んだのが分かった。


 シャワーの音がしなくなった風呂場はやけに静かで、雫が落ちる音しか聞こえなくなっていた。


 なんとも言えない気まずさと緊張感。それが広くない風呂場に張りつめてしまい、俺たちはしばらくの間黙り込んでしまっていた。


「……なんか思った以上に恥ずかしいね。少しやり過ぎたかも」


「だろうな。な、なんで、急にこんなことを?」


「なんかさ、親のいない時に兄妹でお風呂入るって、いけないことしてる気がしない?」


「……いけないことしてる気しかしないな」


「でしょ、だからかな?」


 綾乃から視線を逸らしているので、綾乃が今どんな顔をしているのかは分からない。それでも、その声は今の状況を楽しんでいるようにも聞こえた。


 中学生の妹と一緒に風呂に入る。どう考えてアウトに近い行為を前に、俺は心拍数を跳ね上げてしまっていた。


 それがただの罪悪感や背徳感から来るものなのか、単純にバスタオル一枚でいる妹に対しての興奮なのか。


 どちらなのか分からないくらい、心臓の音が大きくなっていた。


「お兄ちゃん、ちょっと詰めてもらっていいかな?」


「いや、さすがに二人は入れなーー」


 綾乃はシャワーを浴び終えたのか、少し高い位置からそんな言葉が聞こえてきた。


 一般家庭の浴槽に、中学生と高校生が一緒に入るのはどう考えても無理だ。いや、無理ではないかもしれないが、無理なのだ。


 俺は焦ったように綾乃が浴槽に入るのを止めようとして、綾乃の方に視線を向けてしまった。


 綾乃は浴槽に髪をつけない様にタオルで髪を上げていた。シャワーを浴びたせいでバスタオルは体に濡れてピタリと張り付いており、しっかりと凹凸のある体のボディラインを強調していた。

 

 発育途中にしては大きな双丘からくびれにかけてのライン、そこからお尻に繋がるラインはすでに女性のもので、そこから伸びる太ももが妙に煽情的だった。


 これって、逆に裸を見るよりもエロいのではないだろうか?


 そんなことを真剣に考えていると、綾乃が恥ずかしそうに脚をもじりとさせた。


「お兄ちゃん、あんまり見られると、は、恥ずかしいんだけど」


「え、あ、す、すまんっ!」


 妹の体に見惚れかけていた。いや、確実に見惚れていただろう。


 俺は手遅れだということを分かっていながら、綾乃に向けていた視線を逸らして浴槽から出た。


 綾乃が使っていた椅子に座るのに抵抗がないかといえば嘘になるが、意識しすぎるのも気持ち悪いと思って、俺はそのまま先程まで綾乃が使っていた椅子に腰を掛けた。


 その椅子に残っていた温かさを感じて、俺は確実に顔を赤くしていたのだろう。浴槽に浸かった綾乃から漏れ出たような笑い声が聞こえてきた。


「お兄ちゃん、意識しすぎ。昔は一緒に入ってたじゃん」


「な、何年前の話だよ、それ」


 いつから綾乃とお風呂に入らなくなったのか、どちらからお風呂に入るのを控えたのか。正直あまり覚えていないが、綾乃が小学生高学年のころまでは一緒に入っていた気がする。


 そう考えると、まだ二年経っていないかもしれない。


 それだというのに、あのころは全く抱かなかった感情が胸の中に渦巻いていた。


 ただ妹と一緒にお風呂に入るというだけで、異常に意識をしてしまい、鼓動を速くさせている。


 その事実だけは隠せるはずがなく、おそらく、綾乃にもバレていると思う。風呂場に漂っている緊張感がそれを証明しているような気がした。


「お兄ちゃん、背中洗ってあげるよ」


「いや、いいって」


「いいから。ほら、タオル貸して」


 俺が体を一通り洗い終えて背中を洗おうとすると、綾乃が浴槽からこちらに手を伸ばしてきた。


 断っても良かったのだろうけれど、もう一緒に風呂に入ってしまった時点でその事実は取り返せない。

 

 それなら、もう諦めてしまってもいいか。


 俺は綾乃にタオルを渡して、綾乃の方に背中を向けた。


 背中を向けると視界に映っているのはただの風呂場の壁だけだった。俺はそれを見て気持ちが少し落ち着いてきたのか、意識せずとも言葉が漏れ出てきた。


「まさか、風呂場に綾乃が入ってくるとは思わなかったなぁ」


 染み染みするように漏らしたその声は、風呂場に思った以上に響いた。


 独り言のような言葉を漏らした俺の背中に、綾乃の手がタオル越しに触れてきた。程よい力で背中を擦られて心地良くなっていると、綾乃が深い息を漏らしたのが分かった。


「……なんかそろそろ終わっちゃう気がしたからさ、仮の恋人関係」


 先程風呂場に入ってきた理由とは違った理由。その理由に引っかかりを覚えた俺は、綾乃の言葉の意味を少し考えていた。


 恋人関係が終わる。それは自分の気持ちを整理できたという意味なのか、整理したうえで終わる未来しかないことに気づいたのか。


「綾乃はーー」


「だからね、恋人みたいなことしてたんだよっていう記憶だけでも残しておきたくて、色々いき過ぎたことしたんだと思う」


 綾乃は俺の言葉を遮るようにそんなことを言うと、少しだけ強く俺の背中をタオル越しに押した。


 背中越しに、聞いたその言葉には色々な感情が溢れているような気がした。


「……えっと、ごめんね」


 綾乃が口にした色々というのは、今日のおうちデートのことを指しているのだろう。確かに、今日の俺たちはやり過ぎたような気がしていた。


 親がいないという状況に、少し浮かれ過ぎていたのかもしれない。


「気にするなよ。ただ墓場にまで持っていく秘密が増えただけだ」


 それは綾乃だけでなく、俺も同じことだった。


 今日の綾乃の提案だって俺が受け入れなければ、それで済んでいたはずだ。それこそ、俺の方が力が強いのだから、どうとでもできたはずなのだ。


 それを強く否定しなかったということは、俺は受け入れたのだ。受け入れるという選択を自分でした。その時点で同罪なのだろう。


「今度お風呂入ったとき、今日のこと思い出しちゃうかな?」


「……思い出すなという方が無理だろ」


 きっと、明日も明後日も綾乃に背中を洗ってもらった記憶は薄れないし、バスタオル越しに見てしまった綾乃の裸も忘れない。


 きっと思い出して、今日してしまったことの背徳感も一緒に思い出すのだ。そして、そのときに感じた胸の奥にある感情も。


「先に上がってるからな」


 俺は体を洗い終わると、綾乃にそう言葉を残して風呂場を後にした。


 脱衣所で体を拭きながら、後ろで聞こえるシャワーの音を聞いて、俺は一人で静かに考えていた。


 もしも、綾乃にただの性的な欲求のみを向けているのだとしたら、俺は風呂場で綾乃のことを襲っていたのではないだろうか。


 多分、襲った時に得られるものよりも、襲って嫌われることの方が嫌だったのだろう。


 つまり、綾乃に抱いているのは、ただの性的な感情だけではないということだ。


 何を今さらと思うと同時に、綾乃が言った通り、仮の恋人関係の終わりが見えてきたような気がした。

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