第11話  お付き合いしてからの初登校

 兄妹で恋人になると一体何が変わるのか。


 もちろん、関係性は大きく変わるわけなのだが、妹であることに変わりはない。そうなった場合、妹であることと、彼女であることはどちらが上に来るのだろうか。


 少なくとも、今の彼女(仮)の状態は妹よりも下なんじゃないかと思う。


「おはよう」


「お、おはよう」


 ただそれは俺の中での優先度らしく、目の前にいる綾乃にとっては違っているように見えた。


 俺がリビングに入ってくると、綾乃は恥ずかしそうに前髪を整えて、微かに照れたような顔でこちらを見上げてきた。


 俺は冷静を装って綾乃の正面に座って、いつものように綾乃が作ってくれたご飯を食べていた。


 その際中、綾乃は俺にばれない様に、こちらの顔をちらちらと覗き込んで来ていた。


 いや、こうしてきっちりバレてはいるんだけど。


「なんか不思議な感じがするね」


「そうか?」


「うん、なんかいつもと違う気がする。お兄ちゃんが少しよそよそしいかも」


「そ、そんなことないだろ」


 綾乃に指摘されてそれに対抗でもするかのように、俺は勢いよく顔を上げてしまった。


 ちょうどそこには綾乃の顔があって、俺と目が合うと綾乃は嬉しそうに口元を緩めて言葉を続けた。


「春香ちゃんとかにバレないようにしないとね。お兄ちゃん」


 頭では分かっているはずだった。これは仮のお付き合いで、相思相愛で付き合っている訳ではない。


 それなのに、綾乃の顔を見ると昨日よりも鼓動の音が大きくなっていた。


 否定のしようがない事実。


 どうやら、付き合っているという事実が与える影響というのは、想像以上に心臓に良くないみたいだった。


 秘密の恋人関係。その後ろめたさが心臓の音を徐々に加速させていっている気がした。




「お兄ちゃん、手繋いで学校行こうよ」


「えっ、いや……さすがに、マズいだろ」


 玄関の鍵を閉めて振り返ると、そこには頬を赤らめている綾乃の姿があった。


 少しいじらしいような口調に胸の奥の方が跳ねそうになったが、俺はその言葉をかわすようにそっと視線を外した。


「でも、この前したけど平気だったよ? 春香ちゃんにもバレてなかったし」


「いや、この前も疑ってただろ」


 以前、綾乃が俺のことを異性としてし始めた頃、手を繋いで学校に向かったことがあった。


 ただのブラコンであることを証明するために手を繋いできたのだが、あのときも春香には少し疑いの目を向けられていた。


 ただ異性として意識しただけでも顔に出ていたのに、今の状態で手を繋いで春香の所に向かったら、きっと以前よりも強い疑いをかけられることになるだろう。


「じゃあ、春香ちゃんがいる所まででいいからさ。……恋人らしいこと、するんでしょ?」


 綾乃は俺が提案を拒否すると、少しむくれたように片頬を膨らませて、そんな言葉を口にしてきた。


 ただ兄に甘えたいといった表情ではない。少し前まで向けていたそんな妹としての表情とは明らかに違い、少女のいじらしさのようなものがそこにはあった。


 恋人らしいことをして、自分の気持ちを確かめる。


 自分でその提案を受け入れた以上、ある程度は責任を取らなければならない。


 これは、俺たちが互いに恋愛感情を持ってないことを証明するためだ。


 俺は自分にそう言い聞かせて、ぶらんと下げられていた綾乃の手を握った。


「あっ……」


 俺が綾乃の手を握ると、綾乃は女の子のような声を漏らした。


 綾乃は手を繋いできた相手が実の兄だということを忘れているかのように、そんな声を漏らして頬を赤らめていた。


 恥ずかしさよりも、もっと純粋な感情によって染められたような頬を見て、その熱がこちらにも伝染してしまった気がした。


「顔、真っ赤だぞ」


「ちがっ、きゅ、急にするのはあんまり心臓に良くないっ」


「いや、自分で手を繋ぎたいって言ったんだろ?」


 最近繋いだばかりの手は、柔らかさと指の細さ、それと人肌の温かさを感じるものだった。ただ、それ以上に以前と何かが違う気がしたのは、俺たちの関係性が変わったせいなのだろうか。


 心が落ち着かない。


 滑らかな手の甲の感触も、指の腹の柔らかさもなんだか艶めかしく、俺は胸の奥の方から湧き出てきそうなその感情をぐっと抑え込んでいた。


「お兄ちゃんだって、顔真っ赤じゃん」


「い、いいから、行くぞ」


 綾乃に指摘されるまでもなく、自分の顔が赤くなっていることは分かっていた。正直、綾乃よりは赤くなっている気はしないが、それを指摘してこれ以上顔を赤くされたら厄介だ。


 ご近所さんは俺たちが仲の良い兄妹だということは知っている。きっと、手を繋いでいる俺たちのことを見ても変に疑ったりはせず、微笑ましいと思ってくれるはずだ。


 これまでの十数年間のシスコンブラコンとしての立ち振る舞いが、こんな所に生きてくるとは思いもしなかった。


 俺が綾乃の手を引いて家を出ると、綾乃はそれ以上余計なことを言わずに俺の隣を歩いていた。


 本当に余計なことは言わなかった。互いに口数が少なく、ただ顔を赤くしながら手を繋いでいる。


 多分、初めて俺たちのことを見る人たちには、俺たちはただのカップルとして映るだろう。


 民家の窓に映った自分達の姿を見て、俺は一人でそんなことを考えていた。


 そうして、少ない口数で手を繋いで朝の通学路を歩いていくと、不思議といつもよりも早く春香との待ち合わせ場所に到着した気がした。


「じゃあ、後は帰りにお願いしようかな」


 綾乃はそう言うと、俺の手からするりと抜けて、いつも通りの俺との距離に並んだ。肩と肩がぶつかりそうな距離間。


 ただ先程まで手を繋いでいたことを考えると、少しだけその距離さえも遠く感じた。


「春香ちゃん、おはようっ」


「おはよう、綾乃ちゃん。それと、拓馬もおはよう」


 綾乃にいつもの明るさで話しかけられた春香は、特に俺たちの変化に気づかなかったようだった。


 特にこちらを疑うようなことはなく、自然な様子だった。


 不自然なのは俺の脈拍と心の中だけ。


 春香にばれないようにと、春香に合流する前に手を離したことで、俺たちの関係が二人だけの秘密であることが自然と強調される形になった。


 バレたらいけない関係。それが強調されてしまったような気がして、心が落ち着かなくなっていた。


 少しのスリルと背徳感が心をざわつかせてくる。


 これなら、春香の前でも手を繋いでおけばよかった。そうすれば、まだシスコンブラコンの関係の延長線上として、自分の中で考えられたかもしれない。


 春香の前で俺たちの関係を隠したことで、俺たちの関係が以前の延長線上とは別の所にあるということが際立った気がした。


 そう思った時にはすでに遅く、刻まれてはいけない何かが心の奥の方に刻まれたような気がした。

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