第10話 妹からの相談と提案
「そこに座って」
「お、おう」
場所は変わって綾乃の部屋。
二人でアニメを観た後に、俺は誤って綾乃の検索履歴を見てしまった。そこに表示されていたのは、妹アニメのタイトルや、俺のことを意識しているような検索内容の数々だった。
その履歴がバレてしまった後、綾乃から大事な話があるということで、俺は綾乃の部屋に招かれた。
綾乃の部屋の中は、綾乃の隣に座ったときに香る匂いと同じものが広がっていた。
当然と言われれば当然なのだが、最近はこの香りを嗅ぐと鼓動が速くなってしまうことが多かった。そんな香りに包まれている部屋の中にいるのだから、当然落ち着けるはずがない。
整理整頓されている部屋で、俺は綾乃のベッドに腰かけていた。白と空色をベースの色としている部屋で、俺は視線の置き場に困って、近くに置かれていた猫のぬいぐるみと目を合わせていた。
「えっと、なんかこのままだと変に気まずくなっちゃいそうだから、一旦話すね」
綾乃は勉強机の前に置いてある椅子に座って、こちらをちらりと確認するような視線を向けてきた。
先程まであったやり場のない恥じらいの感情はどこかに消えて、それとは別の感情によって綾乃の頬はじんわりと熱を帯びているようだった。
「えっと、引かないで聞いて欲しんだけど、最近お兄ちゃんのこと……今までとは違う感じで見ちゃってる」
綾乃は湧いてきたような恥じらいの感情によって頬を染めだして、そっと視線を外して言葉を続けた。
「前にアニメ観たときからさ、お兄ちゃんも私のことアニメみたいに意識してるのかなって思ったりして、それからずっと気持ちが落ち着かなくって、色々調べたりして」
最近の日々を思い出すような口調は、徐々に頬に帯びていた熱が移っていくように、気持ちが込められていった。
潤いを増した瞳は揺れていて、意を決したようにこちらを見つめてきた綾乃の瞳を前に、胸の奥が確かに跳ねたのを感じた。
「あのっ、私、お兄ちゃんのこと異性として意識し始めてるみたい」
胸の奥の方からじんわりと広がっていく熱は止まらず、俺の体を熱くさせていた。
じっとまっすぐ見つめてくる瞳を前に、俺は視線を逸らすこともできなくなって、固まってしまっていた。
薄々は感じていた綾乃の想い。しかし、それをこうして言葉にされると、その疑惑が確信に変えられてしまう。
妹に異性として見られている。綾乃が俺のことを異性として見ている。感情が揺さぶられて、頭の中が揺れて上手く言葉が出てこなかった。
「お兄ちゃんは?」
「え?」
「お兄ちゃんは、ずっと私のこと、ただの妹だと思って見てた?」
綾乃はそんな俺の態度に対して、前のめりぎみに追及をしてきた。
最近、綾乃にここまで詰められることがなかった。いつも、甘い空気になると綾乃が暴走してどこかに去っていく。
そんな光景に慣れてきた俺にとっては、その綾乃の態度が新鮮で、それと同様にそれだけ真剣だということが伝わってきた。
ここで、俺が嘘をついてしまえば、きっと綾乃との関係がこれ以上進むことはない。
でも、それだと以前のような仲の良い兄妹には戻れない。しこりが残って、きっともっとぎこちなくなる。
兄妹に対して、自分が異性として見ているとを告げること。それはタブーであり、嫌われる恐れだって十分にある行動だ。
そんな危険を冒してまで伝えてくれた気持ちに、嘘をつけるはずがなかった。
それに、これだけ真剣な綾乃の気持ちに嘘で答えることは紳士的ではない。シスコンの俺が、妹の気持ちをないがしろになんてできるはずがなかった。
「ごめん。正直言うと、俺も最近綾乃のこと女の子として見てた気がする」
兄としては言葉にしてならない言葉。
こんな考えが家族にばれたら、普通の家庭なら家族会議が行われるだろう。そして、その兄は追放されるはずだ。
しかし、そんな最低な言葉を言われたというのに、綾乃はどこか安心したように胸を撫で下ろしていた。
張りつめていた緊張感が少し緩み、そこには口元を緩めた綾乃の姿があった。
「そ、そうだよね。なんか、ときどき、いやらしい目で見てたし、そうかなって思ってた」
「いや、いやらしい目で見てなんかーーない、ぞ?」
綾乃の言葉を否定しようとしたところで、綾乃のパンチらを見てしまったことを思い出した。
そして、綾乃の検索履歴にあった『妹のパンツに兄は興奮するのか』というワード。
……そんなに興奮しているように見えたのか、あの時の俺って。
その一瞬の躊躇いが本気の感じがしたのか、綾乃は羞恥の感情によって頬の温度を高めたようだった。
「えっと、これって、兄妹なら普通なのかな?」
「いや、普通ではないだろうな」
俺たちが抱いている感情は、普通の兄妹が感じてはならないものだと思う。それでも、実際に自分達がその中にいるわけで、完全に否定することができないでいた。
「……おかしいのかな、私達って」
「一つ確認させて欲しんだけど、綾乃は俺のことが異性として好きとかではないんだな?」
「えっ」
綾乃はそんなことを聞かれると思っていなかったのか、虚を突かれたような声を漏らした。
いや、話の流れ的にもおかしなことは聞いてないと思うんだけどな。
「お、お兄ちゃんは?」
綾乃はそれ以上言葉を語らず、質問をそのまま俺に返してきた。じっと真剣な眼差しを向けられたので、俺は感じているままを素直に言葉にすることにした。
「俺か? 俺は確かに異性として意識はしてると思うけど、恋か……あっ」
「な、なに?」
俺が最近綾乃に抱いている感情。それが恋心なのかと考えてみたところ、一つの可能性に気がついた。
口に出すことも憚られるその感情を隠そうとしたのだが、すでに漏れ出た声に反応していた綾乃は、体を前のめりにして俺の言葉を待っていた。
何かを期待しているような顔をしているが、おそらく綾乃が期待しているものではないだろう。
そう思ったので、俺は咄嗟に顔を背けた。
「いや、なんでもない」
「絶対、なんでもなくなかった」
「いや、多分これ言ったら引くぞ?」
「絶対に引かないから、聞かせて」
何か俺が大事な気持ちを隠していると思ったのか、綾乃は追及をやめてこなかった。
真剣な顔をしている綾乃にこんなことを言うのはどうなのだろうかと思うと、自然とその口が重くもなる。
「聞きたいな、お兄ちゃんが何を考えたのか」
それでも、これ以上引っ張ると変に言い出しにくくなる気がしたので、俺は申し訳なさそうに頬を掻きながら言葉を口にした。
「えっと、恋愛感情じゃなくて、性欲だっていう線もあるんじゃないかな?」
「性欲?」
俺の言葉を聞いて小首を傾げた綾乃は、後から理解が追い付てきたのか、時間差でぽんっと頭が沸騰したように顔を赤くした。
「あ、あるわけないじゃん! なんでそんな考えになるの?!」
「いや、なんでって言われてもな、なぁ」
「……お、お兄ちゃんはのえっち」
綾乃は俺が言葉にしないことで何かを察したのか、胸元を両手で隠すようにしながら、こちらにジトっとした視線を向けてきた。
おかしいな。引かないと言われたはずなのだが
いかん、すぐに修正せねば。
「と、とにかく、恋愛感情だと決めつけるのは早計だと思うってことだ! 異性として見るだけなら、クラスメイトのことだってそういうふうに見るだろ?」
「私は別に、誰もかれも異性だって意識したりはいないけど」
「それは、男と女の違いってやつ、かな?」
だめだ。徐々に綾乃の目が俺を蔑む物に変わっていく。
いや、男子たるものクラスの女子はほぼみんな異性として見るだろ。ていうか、女子がそうじゃないことに驚きだよ。
修正すればするほどドツボにハマっていく。これ以上は喋らない方がいいのかもしれないと本格的に思い始めたころ、綾乃がぽつりと言葉を漏らした。
「じゃあさ、私たち試しに付き合ってみる?」
「……へ?」
突然過ぎる言葉を前に、俺は間の抜けたような声が漏れてしまった。
綾乃の方に視線を向けてみると、こちらにジトっとした視線を向けたまま、微かに瞳を揺らしているように見えた。
「試しに付き合ってみて、なんか違うなってなったら別れればいいし」
「いやいや、俺達兄妹だぞ?」
「だから、本当にお試し。誰にも言わないで、少しだけ恋人みたいに過ごしてみない?」
「いや、それでも、」
「このまま恋心か分からないでずっと過ごすよりも、『試したけど違いました』って方がすっきりしない?」
そう言われると、綾乃の言っている言葉の方が正しいような気がしてきた。
ただ兄妹だからという言葉で否定をする俺の言葉よりも、綾乃の言葉の方が筋が通っている。
別に、本当のお付き合いをするのではない。
互いの気持ちが恋愛感情なのか、それとは別の感情なのかを確かめるためのお付き合い。
このまま互いに今日のことをなかったことにしても、互いにしこりが残ることは分かっていた。
それなら、互いの気持ちが恋愛感情ではなかったと分かった方が、気持ちも整理できるし、以前のような関係に戻れるかもしれない。
「お兄ちゃん……私と付き合ってくれませんか?」
いつも通りを心掛けながら、どこか緊張している綾乃の言葉。試しというにしては、重くて倫理的に反する行動。
それでも、いつもの兄妹の関係に戻れるならと、俺はそんな甘い言葉に釣られてしまった。
綾乃に付き合って欲しいと言われて、『兄妹だから』以外で断る言葉が出てこなかった事実に目をつぶって、俺はその言葉に静かに頷いたのだった。
こうして、俺は人生初めての恋人ができた。
その恋人は血の繋がった妹だった。
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