第7話 思春期で片付けてはいけない案件

「元気ないけど、何かあったの?」


 妹を異性として見てしまっている。その事実に気づいてから数日が立ったある日、クラスでうな垂れていると前の空席に春香が腰を下ろしてきた。


 さすがに、一緒にいる時間が長いだけあって、俺が悩んでいる様子は少し前から気づいてくれていたようだ。


 いや、そうじゃなくても、クラスでうな垂れていれば元気がないということは明確か。


「いや、ちょっと、色々と考え事をな」


 妹を異性として意識し始めている。その件についても深く考えない。


 しかし、それと同じくらいの別の問題も生じていた。


「話くらい聞くよ?」


「……引いたりするなよ?」


「何を今さら。なに、綾乃ちゃんのこと?」


「なんだ、分かるのか?」


「毎朝顔合わせてるしね。なんか最近、二人の距離が前と違うような気もしてたし」


 春香はあれで隠していたつもりなのかと言いたげに、呆れたようなため息を一つ吐いてから笑みを浮かべた。


 俺たちとの付き合いの長さは春香が一番長い。それだけ長い時間一緒に時間を過ごしているのに、隠し通すのは無理という訳か。


 それなら、今生じている問題を春香に相談してみるのもいいかもしれないな。


「聞いてくれるか?」


「だから、初めから聞くって言ってるでしょ」


「……実はな、最近綾乃の下着を見てないんだ」


「は?」


 綾乃のパンチらを見た日以降。綾乃は下着を干すことがなくなった。


 いや、多分干してはいるし洗濯だってしているはず。それなのに、下着を目のつく位置に干さなくなったし、洗濯物に出さなくなった。


 つまり、俺に見られたくないから別で洗濯をして、見つからないように自室に干しているのだろう。


 なぜ見られたくないのか。


 それは俺が妹の下着をいやらしく見る可能性があるから。つまり、俺を異性として認識してしまっているというこということだ。


 俺だけではなく、綾乃までもが俺のことを異性として見始めている。非常に良くない展開だと言えるだろう。


 ここからなんとか誤解を解くことができるのだろうか。いや、そもそもそうやって決めつけるのは早計かもしれない。


 俺の勘違いということは……ないんだよなぁ。


 それなら、そんな取り返しがつかなくなりつつある状況を、何とか打開できないか。そう思って頭を悩ませていた。


 そんなときに話しかけてくれたのも何かの縁かもしれない。そう思って、俺は付き合いの長い春香にそんな相談をしてみようと思ったのだがーー


「……変態」


 帰ってきた言葉は辛辣な物で、その目は人を見る目をしていなかった。


 剥き出しの嫌悪感をぶつけられているような気がしたので、俺は自分が言った言葉を思い返してみることにした。


 ……ヤバいな、誤解しか生まない発言だった。俺は誤解を解くために少し焦ったように口を開いた。


「え、いやいや、違うからな! 変な意味じゃないんだよ! そのままの意味だから!」


「いや、そのままの意味で十分ヤバいから」


 春香はジトっとした視線をこちらに向け続けていた。いつもの呆れるような視線の上をいく、諦めながらも非難するような視線。


 確かに、今の発言を思い返してみたら、ただの変態発言にしかなかった。


 いや、相談したい内容はそんな邪な内容ではないんだ。でも、これはどうやって相談すればいいんだ?


 そんなふうに頭を悩ませていると、春香が本気のため息を吐いて言葉を続けた。


「拓馬さぁ、妹の下着が見れなくなってへこむって、変態以外の何物でもないんだけど」


「だから違うっての! 前までは普通に洗濯物として出されてたのに、それが急になくなったんだよ! 俺がいない所で干すようになったの!」


「急になくなって……見れなくなって、悲しいって話でしょ?」


「違う! そうじゃなくて、なんか、急に異性を意識したみたいな感じがして……もやっとするって話だ!」


「えー、なにそれ」


 ダメだ。一番大事な所を伏せて話すが故に、大事なところが何も伝わっていない。


 ずっと平行線で進んでいきそうな会話と、下がり続ける春香の好感度をどうにかできないかと頭を悩ませていると、そこにひょっこりと飯田が顔を覗かせた。


「なになに、なんか凄い盛り上がってる感じ?」


 俺の机の上に両手を置いて前のめりで話に入ってくる飯田を見て、春香が思い出したように言葉を漏らした。


「あ、夏海ってお兄ちゃんいたよね」


「うん。大学生のお兄ちゃんが一人いるよ」


 会話が盛り上がっているように見えたから来たのに、急に家族構成を聞かれるとは思っていなかったのだろう。


 飯田は急に投げられた質問に対して、小首を傾げてよく分らないような顔をしていた。

 

 なるほど、飯田には兄がいたのか。


 それなら、ここは妹経験がある飯田に意見を聞いてみるのもいいかもしれないな。


「飯田。お前って下着洗うときって、どうしてる?」


「え?」


 極力真剣な顔つきでそんな言葉を口にすると、飯田は呆気にとられたように小さく言葉を漏らしていた。


 そして、その言葉の意味に気づいたのか、胸の前で小さく拳を握ったあと、羞恥の感情で顔を染めながら言葉を続けた。


「えっと、せ、洗濯ネットに入れてーー」


「もっと違う聞き方があるでしょ!」


 クラスメイトに下着の詳細な洗い方を聞き出そうとした俺は、春香にスパンと頭を叩かれたのだった。


 ……下着って洗濯ネットに入れて洗うんだ。


 そんなどうでもいい知識だけを得た後、俺はクラスでセクハラを働いた疑いを晴らすべく、誤解を解くことに奮闘したのだった。




「え、妹さんが下着を洗濯物に出さなくなった?」


 結局、二人には妹が急に下着だけ洗濯物を分けるようになったことを相談することにした。


 俺のスタンスはあくまでただのシスコンとして、大好きな妹の気持ちを知りたいという体で話をした。


 いや、大好き妹の気持ちを知りたいのは本当のことでもあるのだけれども。


「うーん。私は普通に一緒に洗濯してるけど、昔友達でそういう子いたかも。普通に恥ずかしいんだと思うけど」


「でも、今までそんなことなかったんだぞ」


 昔からそうだったりすれば、俺だって色々考えたりはしない。


 それなのに、突然恥ずかしがるということは、俺を異性として意識するきっかけがあったということになる。


 つまり、原因は俺が綾乃のパンチらを見てしまったからということになる。


「拓馬が綾乃ちゃんの下着見て、いやらしい顔してたんじゃないの?」


「い、いやらしい顔?」


 春香に確信を突かれたような言葉を言われて、俺は肩をぴくんと反応させてしまった。


 そして、それを見た春香の目つきが一瞬で鋭いものに変わった。


「……なに、思い当たる節があるの?」


 ある。思いっきり思い当たる節というものがある。


 俺が後ろめたさから視線を逸らすと、春香の目つきが一段と険しいものになった気がした。


 だめだ。ここから逃げることは不可能だ。


「いや、違うんだって! 別に下着単体に対して何かをしたわけじゃない!」


「じゃあ、下着を履いた綾乃ちゃんに何かしたの?」


「……パンチらを見てしまった」


 ただ妹のパンチらを見てしまっただけ。もっと早い段階で軽く白状してしまえば良かったかもしれない。


 俺が必要以上に間を使ってしまったが故に、その言葉には言葉以上の何かがあると思われてしまった。


「それ見て興奮したの? 妹相手に?」


「いや、俺も思春期だから、多少は思う所があるんだって!」


「妹だよね、血の繋がった」


「うっ……」


 思春期の男子ならエロいことに反応してしまうのは当たり前だ。そう言い放って開き直ろうと思ったのだが、その対象が良くなかった。


 血の繋がった妹。そこを粒立てて言われると、勢いだけでは押し切れなくなってしまった。


 ずっと一緒に過ごしてきた思い出と、遺伝子的に近い関係にある存在。


 そんな存在に劣情を抱いてしまうことは倫理的に良くない。タブーであることを念押しするような言葉。


 短い春香の言葉には、そんな重い意味合いが隠されているような気がした。


「でも、それを言うなら、春香の下着を見ても興奮すると思うぞ!」


「へ?」


 急に話を振られると思っていなかったのだろう。春香は驚きの言葉を漏らして、虚を突かれように目をぱちくりとさせていた。


「ずっと昔から一緒にいる春香に興奮するなら、妹相手に興奮しても何も問題はーーいたっ!」


「問題あるでしょ! 十分にあるから!」


 ぱこんと叩かれた頭上げてみると、そこには顔を真っ赤にさせている春香の姿があった。


 こちらを睨むような目つきは変わっていないが、その感情は羞恥の感情へと変わっているようだった。


 まぁ、突然クラスメイトの前でそんなことを言われたら恥ずかしいよな。


 ただ春香の顔には、恥じらい以外の感情もあるような気がした。そして、瞳の奥にあるその感情は、最近見た綾乃の表情にもあったような気がした。


 結局、その感情が何なのかも分からず、妹の下着事情についても平行線のままになったのだった。

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