第5話 シスコン兄の少し違う心の動き
「あれは……綾乃が男子と話している?」
放課後。いつものように高校の校門で待つ綾乃のもとに向かおうとすると、そこには綾乃と知らない男子生徒がいた。
やけにさわやかな顔立ちをしている男子生徒は、綾乃に対して気があるのだろう。会話の内容は聞こえないが、ただの雑談をしているにしてはやけに嬉しそうな顔をしている。
中学の制服を着ている所を見ると、綾乃のクラスメイトの可能性も捨てがたいが、ただのクラスメイト相手にあんな緩んだ顔をする男はいないだろう。
可愛い妹に手を出そうというのか、あのクソガキは。
許せん、血祭りじゃ。
今すぐ妹を救出に行かねばならん!
そんなことを思って俺が駆けだそうとした時、隣を歩いていた春香がポロリと言葉を漏らした。
「綾乃ちゃんじゃん。話している男子は……彼氏かな?」
「か、彼氏?!」
肩にかけようとしていた鞄が俺の手から滑り落ちて、何やら鈍い音を立てた。
その音が胸の奥に響いて、ざわりとした何かを引掻いたような気がした。
そのざらりとした正体を誤魔化すように鞄を拾い上げて、何事もなかったふうを装ってみようとするが、一度感じてしまった何かは確かにそこにあった。
何だこの感覚は。
初めて感じるようなその感覚を前に、俺は微かに戸惑いを感じていた。
「あれ? もっとブラコン全開の発言してくると思ったのに、大人しいね」
「お、大人しいものか。あの男子生徒を今すぐ蹴散らしてあげますよ」
「やめてあげなよ、物騒だな。まぁ、あれだけ可愛ければ、綾乃ちゃんモテるだろうね」
思いもしかった少し物騒な言葉が漏れた俺に対して、春香は俺のいつものシスコン節が出たと思っているのか、呆れるような笑みを浮かべているだけだった。
いつもとは違う何かを感じているのは、どうやら俺だけみたいだった。
「とにかくだ。綾乃が困っているのなら、兄が助けてあげねばならんだろう」
「うーん。困ってるのかな?」
春香は純粋に疑問に思っているようで、静かに小首を傾げていた。その春香の態度に釣られるように、俺も綾乃と男子生徒が話している様子を再度窺ってみることにした。
嬉しそうに話す男に対して、綾乃は特に嬉しそうな表情を浮かべている訳ではなかった。
それでも、特に嫌悪感を露にしているわけではないのは分かった。
ただその光景を見ていると、胸の奥にある何かが徐々に浮き彫りになっていくような気がした。
ただのシスコンの兄が感じる妹を大切に思う気持ち。その括りに入れるにしては、それはそんな純粋な物ではない気がした。
「あっ、ちょっと」
これ以上この光景を見ていると、不純な何かに気持ちを持っていかれる気がしたので、俺は春香の制止を振り切って綾乃のもとに向かった。
いつもの俺らしく、シスコン兄らしく綾乃に声をかければいいだけだ。そう思って、俺は冷静を装って綾乃のもとへと距離を詰めていった。
「……あっ、お兄ちゃん」
俺が近くまで来ると、綾乃は俺に気づいたようでこちらに視線を向けた。俺に向けられた顔は、綾乃の隣にいる少年に比べて朗らかになっている。
その表情を見て、やはり俺の行動は間違っていなかったのだと確信を得た。
「綾乃。晩飯の食材買って帰るんだろ。早く行こうぜ」
「えっ……あっ、う、うん」
俺がもっともらしい理由を口にすると、綾乃は一瞬小首を傾げそうになったが、何かを察したように俺の言葉に乗っかった。
それからその男に一声かけて別れを済ませると、綾乃は俺の少し後ろをしばらく黙ってついてきた。
すぐに後ろから追ってきた春香にジトっとした目を向けられたが、何とか誤魔化して俺たちはスーパーに向かうために、春香と途中で分かれた。
下校中、俺と春香が話している最中も会話に参加して来なかった綾乃の様子が気になって、俺は少し後ろを歩いている綾乃の方に振り返った。
すると、振り返った先にいた綾乃が、少し顔を伏せ気味にして俺の服の裾をきゅっと引っ張ってきた。
突然の事態に驚く俺をそのままに、顔を上げた綾乃と目が合った。
綾乃の顔は微かに朱色に染まっており、自信なさげに揺れる瞳が俺を下から覗き込んできた。
「今日の分、昨日まとめて買っておいたよね?」
「え? ……あっ」
そう言われて、昨日一緒にスーパーに行って買い物を済ませていたことを思い出した。校門で一瞬小首を傾げていた理由はそれだったのか。
ていうか、それなら春香がいるときに指摘してくれてもいんじゃないか? そうすれば、そのまま家に帰宅できただろうに。
そこまで考えたところで、綾乃は俺の服の裾をもう少しだけ強く引っ張った。
「連れ出してくれたの?」
「い、いや、そんなんじゃーー」
こちらを見つめる綾乃の顔を見て、俺は言葉が出てこなくなってしまった。
熱を帯びた瞳をまっすぐに向けてきて、俺を正面から見つめるその顔は、何かを期待でもするかのように赤く染まっていた。
春香の前でこのことを言わなかったのは、春香の前だと言えないと思ったからだ。
隠さなければならない感情がある。そう思ったから、二人になるまで言わなかったのだろう。
きっと、綾乃は自分が男と話している所を見て、俺が嫉妬したと思っているのだ。
今朝の綾乃と同じように。
微かに感じるのは緊張感に似た少し甘い空気。放課後の青春の一ページに刻まれそうな空気に呑まれそうになり、俺は焦りのせいか冷や汗のような物を頬に垂らしていた。
やばい、やばいだろ……こんなの、兄妹の間で流れていい空気じゃない。
なんとかこの空気を払拭せねばと思い、俺は今朝の綾乃の言葉を思い出した。
「あ、ああ、そうだ! 大事な妹が男に口説かれていたから心配になったんだよ! 俺はシスコンだからな!」
なんとか冗談みたいに、いつもの感じで言えば空気が払拭されるはず。そう思っての行動だったのだが、見事に動揺した俺の声は裏返っていた。
「そ、そうなんだ」
綾乃はそう言うと、恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
平常運転とかけ離れていたその態度は、勘違いを後押しするだけの一手となってしまったみたいだった。
結果として、このぎこちないままの空気は家に帰るまでの間、しばらく続いたのだった。
なんであのときに、普通に『おまたせ』とか『帰ろう』とかではなく、あえて理由をつけて連れ出そうと思ったのか。
その理由は後で考えてもよく分らなかった。
どこかに後ろめたさを感じながらも、芽生えた嫉妬心。そんな明確な言葉も思いついたが、すぐに脳内からそんな言葉は消しておいた。
何でも言葉にすればいいわけではない。そんな気がしたから。
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