第3話 いつもと違う妹の様子
「おはよう」
「お、おはよっ」
そして、妹物のアニメを観た翌日。
リビングに下りていくと、俺の弁当と朝ご飯を作ってくれている綾乃の姿があった。
俺がリビングに顔を出すと、制服にエプロン姿で朝ご飯の支度を終えた綾乃は、お行儀よくダイニングテーブルの前に腰を下ろした。
朝ご飯食べること以外の支度を終えているような綾乃の姿を見て、俺は小さく首を傾げていた。
……やけに今日は準備が速いな。
「あれ? 今日は寝癖ついてないんだな」
「え? う、うん。まぁね」
朝の綾乃にしては寝癖がなく、いつになく目がぱっちりと開いているようだった。口数も少なく、どこかよそよそしい感じもある。
いつもはこんなに朝の準備が速くはなかった気がする。すでに身支度を終えているような綾乃の姿は、あまり見慣れたものではなかった。
一体どうしたのだろか?
「な、なに?」
「いや、なにってことはないだろ。何かあったのか?」
「別に何もないけどっ」
綾乃はそう言うと、ぷいっとこちらから視線を外してしまった。
特に怒っている訳ではなさそうだが、微かにその顔が赤い気がした。
「熱でもあるのか?」
可愛い妹に何かあったら大変だと思い、俺はそっと妹のおでこに手を伸ばした。
いつもの俺たちなら普通の接触なので、特に断りも入れずに綾乃の前髪とおでこの間に手を滑らせて、ピタリと触れた。
「ひゃんっ!」
「ひ、ひゃんっ?」
すると、綾乃は急に背中に氷でも入れられたかのような可愛らしい声を出した。
思いもしなかった反応をされて、俺は思わずその手を引いてしまった。
後に残ったのは、先程以上に顔を赤らめている綾乃の顔だった。
おでこを両手で押さえている仕草は恥じらいを隠すようなのだが、それ以外の別の感情を隠しているようにも見えた。
一体、どんな感情を隠しているのか。それについては皆目見当もつかなかった。
「きゅ、急に触ってきたらびっくりするでしょ!」
「いや、それをお前が言うのか」
日常的に俺にボディタッチをしてくるような綾乃に言われて、俺はその理不尽さと、いつもらしからぬ発言を疑うように目を細めていた。
綾乃は羞恥の感情で顔を赤らめながら、こちらを非難するような目でジトっと見つめていたが、俺が折れずに睨み返していると、ふいっと目を逸らした。
明らかにおかしい綾乃の態度。普段の綾乃ならこんな簡単に折れることはない。折れたというよりも、逸らされたような瞳。
昨日の今日で一体何があったんだ?
「あっ」
そこまで思ったところで、一つ思い当たる所があった。
いや、もしかしかなくとも、原因は昨日のあれか。
昨日、妹物のアニメを観た後も何か態度がおかしいと思っていた。
これはもしかしなくても、俺を変に意識してしまっているということだろうか?
いやいや、昨日のあれはフィクションだしアニメだろ。
しかし、昨日のアニメでは兄がちょっとした妹との会話やスキンシップで心が揺らいでいる描写があった。
あんながっつりとした兄妹物のアニメを観れば、俺だって全く意識をしないわけではない。
それでも、日常生活が過ごしづらくなるほど意識をしたりはしない。
綾乃が俺をアニメと重ねて意識しているのなら、その誤解は早めに解いておく必要があるだろう。
俺は小さくため息を漏らしながら、目の前に座る綾乃と視線を合わせた。
「あのな、綾乃――」
「~~っ」
その瞬間、言おうとしていた言葉が脳からすり抜けた。
まっすぐこちらを見つめてきた綾乃の瞳は微かに熱を帯びていて、その熱が頬に伝わったかのように、頬を赤く染めていた。
羞恥の感情とは別の異性に向けるかのような感情。それが瞳の奥にあるような気がして、その一部を覗いてしまった瞬間、胸の奥が小さく跳ねた気がした。
すぐに訂正をすれば何とかなったかもしれない微かな心の動き。そのタイミングを逃した俺は、何かを誤魔化すように朝ご飯を頬張ったのだった。
なんで、言葉が出てこなくなるほど動揺したんだよ、俺は。
「あーー……綾乃。なんか俺のこと変に意識してないか?」
学校に向かうために歩く通学路。いつもは肩がぶつかりそうなくらい近いはずの綾乃が、今日は30センチほど距離を空けて歩いていた。
普通の兄妹なら何も問題がない距離かもしれないが、俺達兄妹の関係を知る者からしたら、違和感を抱く距離だ。
普段ブラコンシスコンを公言している兄妹としては、この距離は少し遠すぎる。
誰かに指摘される前に、今のうちに指摘をして今までの関係に戻っておくことにしよう。
そんな思いから声をかけてみたのだが、綾乃は俺の想像よりも慌てふためいている様子だった。
「い、意識?! 急に何言ってんの、お兄ちゃん!」
「いや、明らかに態度いつもと違うし」
「別に意識なんかしてないし! お、お兄ちゃんこそ、昨日あんなアニメを観ちゃったから、私のこと意識してるんじゃないのかな?!」
「す、するわけないだろ」
綾乃はずいっと前のめりになりながら、こちらに強気な視線を向けてきた。
しばらく離れていたはずの距離を急に詰められて、近くなった綾乃との距離に微かに体の奥の方が熱くなったような気がした。
いつも近くで見ていたはずの妹の顔。それが少し近づいてきただけで、俺は視線を逸らしていた。
「私はなんともないけどね! ほら、なんなら手を繋いで学校にだっていけーー」
そんなおれの機微を感じ取ったのか、綾乃はピタリと距離を詰めた後に俺の手を握ってきた。
おそらく、俺に余裕を見せつけるつもりで距離を詰めたのだろう。
その結果が、互いの余裕を奪うことになるとは思いもしなかったようだ。
男の手とは構造が違うんじゃないかと本気で思うほど、柔らかい手のひらの感覚。細くて長い指が俺の手の甲に触れて、指の腹の感触を伝えてくる。
たまにふざけて手を繋いできたこともあったので、こうして手を繋ぐことは初めてではない。
これまでのように、家族として手を繋ぐ。特別な意味を見出さなければ、綾乃と手を繋ぐことに問題はないのだ。
「いけるもん」
恥ずかしそうに耳まで熱を伝えて、湿りけを帯びたような瞳をこちらに向けてこなければ、何も問題はなかったのに……。
微かに、けれど確実に速まってしまった鼓動。純粋な異性に対する緊張感とは少し色が違う、ドロッとしたような感情。
つい目を逸らしたくなるような、それでいてずっと浸っていたくなるような感情。
初めて感じるその少し危ない感情に目を逸らして、俺は冷静を装って口を開いた。
「お、俺だってなんとも思ってないから問題はないぞ。でも、さすがにこれで学校に行くのはーーって、綾乃?」
しかし、綾乃はそんな俺の言葉など聞こえていないようで、そのまま俺の手を引いて歩き出した。
本気で振り払おうと思えば、払えたであろう綾乃の手。
ただ、それを振りほどいてしまったら、それは俺が意識をしていることを証明してしまう気がした。
生唾を呑み込んでいるこの感情は、一体どこから来たものなのか。
すぐに振りほどくことができなかった手をそのままに、言葉数が少なくなった俺たちが醸し出す空気は兄妹というには少し甘すぎる気がした。
そして、恋人というにしては少し苦しすぎるような気がした。
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