第2話 ふとしたきっかけは突然に

「あっ、今日ってアニメの一挙放送の日か」


「そうだよ。だから、19時よりも前にご飯を食べ終える必要があったんだよっ」


 学校が終わって校門に向かうと、校門の前で佇んでいる綾乃が珍しく焦ったような表情をしていた。


 俺と同流するなり急いでスーパーに向かって、夕食の準備をし始めたと思ったら、夕食後に予定があったらしい。


 その予定というのも、どこに出かけるでもなくただアニメを観るだけなのだが、一挙放送というのは少しイベント染みている。


 一般的には予定に含まないのかもしれないが、俺達兄妹にとっては十分重要な予定なのだ。


 両親の帰りが遅いので、基本的に料理は俺たちですることが多い。その中でも、綾乃に料理を作ってもらう割合が多い。


 綾乃は俺に料理を食べてもらえるのが嬉しいらしく、昼食で食べる弁当も綾乃が作ってくれている。


 俺も料理が得意という訳ではないので、その妹の優しさに甘えてしまっているのが現状だ。


 妹の手作り弁当を学校で食べる兄。それはもう勝ち組と言っても問題ないだろう。いや、むしろ、それ以上の勝ち組が世の中にいるだろうか? いや、いない。いるはずがない。


「別に、食べながら観るのでもよかったけどな」


「いやいや、やっぱりアニメを観るなら一番いい状態で見たいじゃん」


 綾乃はそう言うと、ローテーブルにちょっとしたお菓子を広げて上映会の準備を始めていた。


 ノートパソコンとテレビをHDMIで繋いで、一挙放送をテレビで見る準備をちゃくちゃくと行っていた。


 俺は皿洗いを終えたので、冷蔵庫から二人分の飲み物を注いでローテーブルの方に持っていった。


 俺達兄妹は、こうしてアニメの一挙放送などをよく観たりする。


 互いにオタクの気質があり、俺たちはアニメや漫画などを嗜むオタクな兄妹なのだ。


 綾乃が俺の部屋にあった少年漫画を読み始めたのがきっかけだったので、綾乃が観るアニメは男向けのものが多い。


 同じアニメを観るなら一緒に観ようという話になり、こうしてアニメの鑑賞会などを行ったりすることも結構あるのだ。


 俺がソファーに座ると、当たり前のように綾乃が俺の隣に腰かけてきた。


 肩がべったりと触れ合う距離に座って来たというのに、俺たちは特にその距離間に対して反応することはなかった。


 外ではここまで近くに来たりはしないが、家の中ではこのくらいの距離間が普通だった。


 変わったのはただ体が大きくなっただけで、今も昔も変わらない距離間。これが、俺達兄妹の距離間だった。


「ちなみに、今日は何が放送されるんだ?」


「んー、ラブコメみたいだよ」


「おっ、ラブコメか」


 俺はアニメの中でもラブコメ物が結構好きだ。というか、男でラブコメ物が嫌いな奴はいないだろう。


 可愛い女の子達が画面の中で動いて、主人公の男の子を振り回す。そんなドタバタコメディは見ていて飽きることがない。


 一体、今日はどんなラブコメが繰り広げられるのか。それを期待して、アニメが始まるまでの時間を過ごした。


 そして、アニメ一挙放送が始める19時。テレビ画面に映し出されたのはーー。


『最近、俺の妹が可愛すぎてるけど、愛さえあれば関係ないよね』


「あ、これ観たことなかったやつだ」


「えっ、これって、妹物ってやつじゃないか?」


 画面に映し出されたのは、そんなタイトルのアニメだった。


 確か、少し前に軽い社会現象を起こしたアニメだよな?


 アニメやラノベには妹と付くものが一定数あったりする。特にラノベとかだと顕著だが、彼女の妹とか親友の妹とかが多く、実際はただの後輩キャラだったりするのだ。


 でも、これはタイトルから察するに、もろ妹物なのではないだろうか?


 いや、ていうかこれを兄妹で見るのはどうなんだよ?


 そう思ってちらりと綾乃の方に視線を向けると、綾乃は上映されるのを心待ちにしているように高揚感から頬を朱色に染めていた。


「そうみたいだね。ふふっ、可愛い妹がたくさん出てくるのかな?」


 綾乃は可愛い女の子が出てくるアニメを結構観ていたりする。なんでも、可愛い女の子が出てくると癒されるらしい。


 つまり、今回も同じような理由なのだろう。特に妹物といったことに抵抗がある様子もない。


 まぁ、それもそうか。ただのアニメだもんな。


「……そうか。可愛い妹がたくさん出てくるなら、もしかしたらハマるかもしれないな」


 俺は自他ともに認めるシスコンだ。それだというのに、俺はこの手の妹物という物を見たことがなかった。


 リアルで可愛い妹がいるのに、二次元でも観る必要がないだろと思っていたが、この機会に観るのもいいかもしれないな。


もしかして、リアルでシスコンな俺はこの手のアニメにハマれるかもしれない。


「お兄ちゃん。妹は私だけじゃなかったの?」


「分かってるって。冗談だよ、冗談」


 少しぶすっとした様子で、俺の腕に絡みついてきた綾乃の頭を少し撫でてあげると、綾乃は不満げだった表情をすぐに柔らかいものに変えた。


 別に、兄妹で兄妹物のアニメを観ても何も問題はないだろう。


 そんなふうに高を括って、俺たちは兄妹物のアニメを観ることになったのだった。




 それから数時間後、そのアニメの放送は無事に終わりを迎えた。


 アニメの内容は妹が記憶を失い、兄との日常生活を過ごしていく中で、その記憶を取り戻していく話だった。


 そして、その中で忘れていたはずの恋心を共に思い出して、兄のことを異性として意識したところで終わるという物。


 日常の中で互いに兄妹のことを異性として意識していく描写が細かく描かれており、ラブコメ作品としてはかなりの名作だった。


 というか、俺としてはかなりハマってしまった。


 ただそれと同時に何も思わなかったわけではない。兄妹のがっつりしたラブコメ物を見たのだ。それを見終えた俺達兄妹の間には、何とも言えない気まずさが流れていた。


 全く意識しないというのは、少し無理だよな。


「お、面白かったな。綾乃」


「……え?」


 それでも、何も言わないという訳にはいかないだろう。


 互いに食い入るように観ていたのだから、その感想くらいは言い合うべきだ。


 そう思って短い感想だけ述べて、隣にいる綾乃の方にちらりと視線を向けた。


 いや、向けてしまったと表現した方がいいだろう。


 微かに潤んだ瞳には熱が帯びており、俺をまっすぐ見つめながら揺れていた。アニメを観ている高揚感とは別の感情によって朱色に染まったような頬。きゅっと結ばれた口元は、微かに熱くなったような息と、短い言葉を漏らすことしかできなくなっていた。


 当たっている肩から感じる綾乃の温かさと柔らかさ。そんな感覚も相まって、目の前にいるのがいつもの綾乃とは別人に見えた。


 そう思うのも仕方がないだろう。綾乃は兄に向けるべき顔ではない、女の子の顔をしていたのだから。


「え?」


 初めて向けられたようなその顔を前に、俺は何が起きたのか分からなくなり、ただ疑問符混じりの言葉を漏らすことしかできなくなっていた。


 そんな俺の反応に気づいたのか、自分の表情に気づいたのか。綾乃は両手で頬を覆いながら、耳の先を微かに赤らめた。


「あっ、お、面白かったね! うん、中々に面白かった」


「あ、綾乃?」


「あ、ああっ! もういい時間だからお風呂入って寝ちゃおうかな! お、お風呂いれてくるから!」


 綾乃は慌ただしくそんなことを言うと、何かから逃げるようにリビングを後にしてしまった。


 ろくに目も合わせずに、頬の赤さもそのままにして。


「……綾乃」


 綾乃の態度と、先程の綾乃の表情。それとさっきのアニメが重なり合って、俺の鼓動が微かに早くなっている気がした。


「いやいや……妹だぞ?」


 何も変わるはずがなかった兄妹としての距離間。


 それが大きく変わっていくような気がした。

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