きょう運の箱
蒼
きょう運の箱
「宝くじ売り場の人って、どうやって中に入っていると思う?」
高校の食堂で昼食を食べながら、取るに足らない会話の中で僕が友人に投げかけた質問。
「急にどうした?そんなの、決まっているだろ。中に入るための従業員用のドアがあるんだよ。裏口が。」
怪訝そうな表情でそう返され、これ以上言うと変人のように受け取られてしまう気がして、僕は喉まで出かかっていた言葉をぐっと飲みこんだ。
「そうかもしれないけど、それはお前があの宝くじ屋を見たことないからだよ」
その宝くじ屋は、駅へ向かう明るくて整備されたメインストリートとは対照的に、じめじめとした狭い脇道にひっそりあった。
この脇道からでも、一応駅にたどり着くことはできる。しかし遠回りになることに加えて、狭い道のため、昼間でも人通りが少なく、ましてや電灯が一本もないため、夜にこの道を通る人は皆無であろう。
春休みに突入し暇を持て余していた僕が、飼い犬の散歩を母の代わりにと一人で行った際、人混みを避けるために入った脇道で、たまたまその宝くじ屋を見つけた。
僕は基本的に犬の散歩は母にまかせっきりで、通学の最短ルートでもないこの道を通ること自体が初めてだった。
いつからあるのだろう、この宝くじ屋。
そういえば、家で夕食を食べている時に、母が「最近、宝くじ屋ができて、店員は年配の女性が一人だけだった」というようなことを言っていた気がする。
その話題に重ねて父も「一枚の紙きれが何億円にもなるなんて夢だよ。だから毎年宝くじを買ってしまう」とも言っていたことを思い出した。
世の中には父のように一攫千金を狙って毎年宝くじを買う人がいるが、僕にはそれが信じられない。
そんなほぼない確率に賭けるより、しっかり勉強して株に私財を投じた方が現実的ではないかと思う。実際、〇億円を当てた人なんて、身近に聞いたことがない。そもそも、当選者がみんな幸せかなんてさえも、分からないのだから。
そんな冷めた考え方をしている僕が、この脇道にある宝くじ屋に初めて気が付いて感じた印象は、ただ単に「地味な店」だった。
人目を引くような「〇億円当選‼」の文字が印字されたのぼりがあるわけでもなく、外壁の色もところどころ剥げかかった灰色である。
最近出来たと母が言っていたが、ずいぶん前から建っていたのかもしれない。こんな脇道で、人通りも少ないから、母もここに宝くじ屋があることにずっと気が付いていなかったのかもしれないなと思った。
なんとなく、窓口のアクリル板越しに中を覗くと、老女が一人、営業スマイルとはかけ離れた虫の居所が悪そうな顔で座っていた。
それにしても、こんなところで商売になるのだろうか。おそらく利益は猫の額ほどなのだろう。だから、あまり人件費にお金が使えないのだろう。
そんな考えが次から次へと頭に浮かぶ一方で、その店には言葉では形容しにくい、なにか僕を引き付けるような雰囲気が漂っていた。
結果として、僕はその宝くじ屋の前を通るために、春休み中毎日犬の散歩に一人で行き、さらに春休みが明け、新学期が始まっても、遠回りして店の前を通って駅に向かい、通学するようになった。そんなある日、ふと気が付いた。
「この店、どこにもドアが見当たらない」
そんな経緯から、僕は学食で昼食を一緒にたべていた友人に、ストレートに疑問を投げかけてみたのだ。
「宝くじ売り場の人って、どうやって中に入っていると思う?」
結局、友人からは、僕の疑問を払拭するような返答は得られず、気付けば中間試験まであと一週間と迫っていたこともあり、僕はできるだけ家で勉強する時間を確保するために、いままでのように脇道を通らず、メインストリートを使う日々が続いた。
そのため一時的に、あの宝くじ屋への関心が薄れていった。
そして迎えた中間試験最終日。
最後の試験科目の終了を告げるチャイムが鳴り、僕はすべて終わったという安堵とともに荷物をまとめ帰ろうとしていると、複数の友人から、「お昼、駅前のファミリーレストランで食べないか」と提案された。しかし僕はこれを丁重に断り、足早に教室を出た。
別に一緒に行きたくなかったわけでもなく、財布を持っていなかったわけではない。むしろ、僕の財布の中には、昼飯を食べるには十分すぎる金額が入っている。
でも、このお金は昼食に使うためにもってきたわけではない。
僕はこのお金の使い道を、昨日の夜から固く決めていた。
さかのぼることおよそ13時間前。
就寝前のベッドの上で、気晴らしにスマートフォンにたくさん届いていたよくわかない広告メールを1件1件削除する作業をしていた時のこと。
その中に1件、祖母からメールが届いており、そこには某有名ブランドの紙袋を持って満面の笑みを浮かべた祖母の写真とともに、「明日は一粒万倍日だから、今日買った財布を明日から使い始めることにします!一粒万倍日は金運や運気があがる日だそうです!あなたにもいいことが起こるといいわね♡」という文章が、やや興奮気味につづられていた。
そのメールを読んだ後、僕はあることを思いついた。
“明日午前中で試験が終わった後、久しぶりにあの宝くじ屋に行って宝くじを買おう”と。
その時になにげなく出入口について、直接質問してみようではないか。
だから試験後はすぐに電車に飛び乗り、足早にあの脇道へ向かい、宝くじ屋にたどり着いた。すこし荒くなった呼吸を整え、宝くじ屋のカウンターに向かう。
例のごとく、店番はあの老女だった。
僕はできるだけ自然な笑顔をつくり、「すみません。宝くじをください」と一気に言った。
「・・・何枚ほしいんだい?」と想像していた以上に、高めのトーンで声が返ってきた。
「この金額で買えるだけ」
そう言って昨日財布に入れた5000円札をカウンター上のトレーに置いた。
老女はこちらを一瞥した後、5000円札がのったトレーを手元に引き寄せ、沢山のくじが収納された透明なプラスチックケースを引き出した。
「連番、バラ、どっちがほしいんだい?」
僕は意味が分からず、でも老女の不愛想な対応に「何が違うのですか?」と聞けず、耳に残っていた「バラで」と即答した。
老女は手早く16枚のくじと200円のおつりを差し出してきた。
僕は差し出されたくじとお釣りを財布にいれつつ、今回この店を訪れた最大の目的であるあの疑問をぶつけることにした。
「すみません、この店にはどこから入ったんですか」
僕は目線をあえて、財布から動かさず、でも思い切って言った。
宝くじのはいった財布を握る両手は、微かに震えていた。
しばしの沈黙が続いた後、その均衡を破って老女はこういった。
「この宝くじ屋に入ったのは2年ほど前のことだね」
僕は思っていた回答ではなかったため、目線はやはり財布に落としたまま、言葉をつづけた。
「いつからこの宝くじ屋で働き始めたのかを聞いているわけじゃないんです。どうやってこのボックスの中に入っているのかを知りたいんです。」
やや語気を強めて僕は言い放った。
すると老女は心なしか声のトーンを落として、一文字一文字かみしめるように言った。
「この店の中に2年間、閉じ込められているんだ」
僕は老女がボケていると思った。
このボックスに2年間も閉じ込められている?何を言っているのだ。そもそもこの狭い空間にはトイレさえないじゃないか。
そんな僕の疑問を見透かしたように、老女はまたゆっくりとしゃべりだした。
あれは二年前の汗ばむような蒸し暑い日だった。
その時の店番は、ちょうどあんたと同じくらいの若い男だった。
“若者がなぜこんな目立たない道で宝くじ屋をやっているんだ”と思ったことを今でも憶えている。そして、興味本位で宝くじを買ったんだ。その若い男は言った。
「一週間後にこの店の壁に当選番号と当選金額を書いた紙を貼りだすので来てください」と。私は当たるはずもないと思いながらも、一週間後いそいそとこの店に赴いた。
そして私は当選番号を見て、自分の目を疑った。だって、一等に当選していたんだ。それも億単位の。
私は信じられなかった。これからどんな生活が待っているのか。大きな期待とどうやってそんな大金を使おうかという興奮で、思わず声がうわずってしまった。
私は、店番の若い男に一等が当たったことを伝えた。
若い男は今考えると気味の悪いほどの笑顔で言った。
「後日□□銀行に本人確認できるものをもって賞金を受け取りに行かれてください。そのあと嫌でも新しい生活が訪れますよ」
その時は変な言い回しだと思ったが、大金を当てた私への妬みからくるものと、たいして気にもせず、その日は家に帰って、まだ信じられない気持ちで、明日自分が落ち着てから、娘家族に大金が当たったことを話そうと、興奮冷めやらぬ状態で床に就いた。
次の朝、私は目を覚ますと、既視感を覚える、とにかく狭い空間の中にいた。
それがここさ。
不思議なことに、ここにきてから一切食欲がわかないし、喉の渇きも覚えない。尿意も催さない。
この宝くじ屋は謎だらけなのさ。いつ、だれが、なんのために建てたのか。
不可解な現象を何一つ説明できない私でも、一つわかることがある。
それは“次の高額当選者がこの店から出たら、私はここから出られる”ということ。
老女がゆっくりと話し終わるのを聞いていた僕は、陸にあげられた魚のように口をパクパクしていた。
急に想像もしてなかったことを聞かされ、僕は声を出そうとするものの、今聞いた内容への理解が追い付かない。
そうして老女は今まで見たことのないような微笑を浮かべて口を開く。
「一週間後に当選番号を書いた紙を貼り出すから、確認しに来てください。」
そしてこうも付け加えた。
「大丈夫、この店は人の入れ替わりが激しいから。少なくとも10年以内には出られるよ。お買い上げありがとうございました。きょう運をお祈りします。」
きょう運の箱 蒼 @Basil7
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