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「なに、トロイメライが効かないだとっ……!?」

 皇帝は玉座から立ち上がる。アルジャーノンにもう一度同じ命令をするけど、結果は同じだ。トロイメライは私たちに届くことなく消滅する。

「確かに魅力的よね、自分が望んだ夢をずっと見続けていられるのは。でも夢は見るものじゃない、叶えるものよ。だから今の私たちにトロイメライは効かない。絶対にね──!」

 私たちには夢がある。でもこの夢は見せてもらうものじゃない、私たち自身の力で叶えるんだ。

「如月有理紗、君は知りたくはないのか、この世の真理を! 私が書を手に入れれば、この世の全てを解き明かすことができるのだぞ!」

「この世の全てですって?」

「そうだ! メルキアデスの書には、知りたいこと全てが記されている。この世の真理を解き明かすことこそ、我々、知識人の使命だ。あの書があれば、その使命を簡単に果たせるのだ」

「そんなの……、そんなの、つまらないじゃない!」

「つまらないだと……?」

「ええ、つまらないわ! メルキアデスの書をそんなことのために使うなんて」

 答えが全て載っている本なんて、私が望むものじゃない。一冊の本に全てのことが書いてあるなら、他の本を読む意味がないもの。楽しみがなくなっちゃう。わくわくが、空想ができなくなっちゃう。それに……。

「この世は不思議で溢れてるからこそ、おもしろいんじゃない──!」

 瞬間、私の首に下がっていた鍵が光り出した。皇帝は腕で目を覆い隠す。

 アルジャーノンと対峙していたミツヤの瞳もその光を受け、

「そうか……、これが愛か。これが愛なんだっ……!!」

 大きく見開いていく。きらきらと星が宿ったように、その瞳は燦爛と瞬き出す。

「分かった、アルジャーノンを止める方法が!」

 ミツヤは、メイン・コンピュータにプログラムを打ち込んでいく。アルジャーノンの前に、ぱっと花束が現れた。

「アルジャーノン、君に花を」

「えっ、ぼくに……?」

「ああ、これは君のためだけの花束だ。僕たちに、そして君に必要なのは知能じゃない、愛だったんだ」

「あい……?」

「そう。これが愛だよ──」

 アルジャーノンがミツヤから花束を受け取った瞬間、眩い光が瞬き出す。メインコンピュータがそれに呼応するよう、ピーピーと警告音のようなものを発する。

「な……、なんだ、これは……。私のコンピュータがっ……!!」

 皇帝は狼狽する。モニターには映像が流れ出す。『アイスクリームの皇帝、ドロドロに溶けた、戻らない。ハンプティ・ダンプティ、卵は割れた、戻らない……』

「戻らないだと……? 私は皇帝だ、不可能なことなどない! ああ、そうだ。戻らないのなら、時間を戻せばいいだけだ!」

 皇帝の思いに呼応するよう、彼の背後に時空の扉が現れた。なんだか様子がおかしい。扉は、ぐらぐらと大きくゆがんでいる。

 なのに皇帝は気付いていないのか、扉を無理矢理こじ開ける。

「君たち被験体は知らないだろう、不平等というものを。隣に立つ人間は毎日豪勢な料理を食べられるのに、自分はパン一つ食べられるかも分からぬ日々にさらされている恐怖を。君たちが毎日研究できたのは、この平等がもたらした恩恵だということを。君たちはその不自由さにどれだけ守られていたか、いずれ分かる時がくるだろう。いや、すぐにも分かるさ。自由というものがいかに残酷か、思い知る日が──」

 呪いのような言葉を残し、皇帝は中に飛び込んでしまう。扉は皇帝を受け入れると、すぐに消えてしまった。

「皇帝は、どうなっちゃうの?」

「不安定な時空の扉に入ったんだ。百年は時空の中をさまようだろう」

「百年も?」

「ああ。百年──、長いようで短い、短いようで長い、その間に忘れてしまうだろう。どうして時空の扉に入ったのか、自分が何者だったのか。全て──、自分の名前でさえも……」

 皇帝はやり直すことはできない、とミツヤは遠くを見つめながら言った。

「あのね、レオ。少しだけど皇帝の気持ち、分からなくはないの。あの人にも守りたいものがあったんだと思う」

 だから許してあげてなんて、そんなことは言えない。代わりにレオの手を握ると、レオは、「そうだな」と小さな声で返してくれた。

 私たちはしばらくの間、主人を失った玉座を見つめていた。



 ソネット十八番から外に出ると、頭上には青空が広がっていた。

 新しい門出を祝福してくれているかのような景色に、私とレオ、ミツヤたちは自然と笑い合った。

 笑声が飛び交う中、ミツヤは愛おしそうに自身の手を見つめていた。

「ミツヤ、それは?」

「アルジャーノンだよ。生まれ立ての赤ん坊に戻っちゃったけどね」

 ミツヤの手の中の小さなコンピュータのモニターには、赤ちゃんの映像が映っていた。アルジャーノンは、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。

「僕らに育てられるかは分からないけど、やってみようと思うんだ。僕らに必要なのは愛だって、アリスとレオのお陰で分かったからね」

「きっと……、ううん、ハーモニウムのみんななら絶対に大丈夫だよっ!!」

 ミツヤは、ふっと小さく笑い、「アリス、君は本当に不思議な人だ」と言った。

 私とレオは、ミツヤたちハーモニウムに向かって手を振ると歩き出す。レオの時計が放つ光の帯を辿って。その先には……、

「メルキアデスっ……!」

 メルキアデスが立っていた。今回は、いつもみたいに逃げようとしない。

 彼は涼しい顔で、私たちのことを見つめていた。 

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