7

「ルイドさんは、毎日七行分きっかり日記をつけていたの。そして一行毎、七つ目の単語の一文字目の下の方には穴が空けられてある。これらの単語を拾い上げていくと……」

 そのページを人差し指でなぞっていき、小さな穴を頼りに各行の七つ目の単語を読み上げていく。

「you,are,my,first,and,my,last」

 マリーさんの瞳をまっすぐに見つめて。

「You are my first and my last.」

 これは、隠し財産のありかを示した暗号なんかじゃない。そんなものより、もっと高貴で、もっと尊い……。そう。

「あなたは、私にとって永遠の人──……」

 この日記帳は、ラブレターだ。恥ずかしがり屋だったルイドさんから愛しのマリーさんへ宛てた、秘密のラブレターだ。

 マリーさんは、麗かな昼下がりのような、柔らかな笑みを浮かべさせて、

「あの人らしいわね」一言そう呟いた。

「まさか天下の大富豪が遺した物が、隠し財産なんかじゃなくてラブレターだったなんて」

「あら、とってもロマンティックじゃない。私は素敵だと思うけど」

 それほどまでにルイドさんが、マリーさんのことを愛していたって証拠だもの。愛は目に見えないけど、時として、こんな風に形で表すことができる──。それも、こんなとびっきり素敵なサプライズまで仕掛けて。

「にしても怪盗ニプルは、なんで日記帳を欲しがったんだ? マリーさん宛てのメッセージだったら、いらないだろ」

「そうね。謎と言えば、もう一つ残っていたわね」

「一つ? 二つじゃないのか? 怪盗ニプルの正体と、ニプルが日記を欲しがった理由と」

「いいえ、一つよ。でも、その謎もすぐ解けると思うわ、素直に教えてもらえればだけど。ねえ、教えてくれる? 怪盗ニプル……、ううん、今はメルヨシと呼んだ方がいいかしら」

「なんだって──!?」

 みんなの視線がメルヨシに集中する。メルヨシの瞳の色が変わった。

「あなた、本当は知ってたんでしょう。この日記にマリーさん宛てのメッセージが隠されていたことを。だからマリーさんに気付かせようとして、あんな予告状を出した……。違うかしら?」

 メルヨシ……、いや、ニプルは、にたりと得意気な笑みを浮かべさせて、

「さすがアリス女史、見事な名推理でした」

 一瞬の内に、カラスのように真っ黒なシルクハットに真っ黒なスーツ、それから真っ黒なマントをつけた姿へと変わると、恭しく頭を下げた。

「こんな可憐な少女に正体を見破られるとは。怪盗二プルの名が泣いてしまいますね」

「それで、あなたの本当の目的は? なぜこの謎解きに協力してくれたの?」

「生前、ルイド氏に頼まれていてね。奥方に日記の暗号を解読していただけるよう、手助けをしてほしいと。その報酬として、私には一〇〇〇ポンドが支払われることになっていたんですよ。ルイド氏があらかじめくれていた金庫のパスワードは、この日記帳に記されている──、と彼に言われていましてね」

 一〇〇〇ポンド──、この時代だと日本円で二〇〇〇万円くらいかしら。ルイドさんは、事前に報酬の入った金庫をニプルに渡していたのね。

「それでは私も、そろそろお暇させてもらいましょうか」

 刹那、ぼふんと白い煙が上がった。煙幕だ。私もレオも、げほごほと、せきが止まらない。次第に煙が消え視界が晴れると、二プルの姿は消えていた。

「あのポンコツ探偵じゃなくて怪盗ニプル、ちゃっかりしてるな。マリーさん、いいのかよ、大金を取られちゃって。報酬の金だってマリーさんが相続するものだったんだろ」

「構いませんわ。ニプルなら世のために役立ててくれるでしょうし、それに私には、この日記帳だけで十分ですもの」

 そう言ってマリーさんは、大事そうに日記帳を抱き締めた。



 機関車が駅に着き、私たちはマリーさんに別れを告げる。駅を出ると、レオは時計を睨み付ける。

「くそっ! メルキアデスのヤツ、もう別の世界に移動したな。オレたちも後を追うぞ」

 そのためにもメルキアデスが通った時空の扉を探さないといけない、とレオは言う。ここ、ガラスの世界に来た時みたいに、他の世界と繋がっている時空の扉を探す必要があるんだって。

 レオが時計に念じると光り出した。光の先は、とある大きな建物の中へと続いていた。

 その建物は三角形の屋根を何本もの、頭部の方が羊のツノのような渦巻き模様をしている柱で支えている。あの柱はイオニア式かしら、ギリシャ神殿を思わせるデザインだ。

 メイン・エントランスから中に入ると、そこは──。

「わあっ……。なに、ここっ……!」

 瞳の中いっぱいに、彫刻に、壺、絵画といった美術品が映り込む。すごい、すごーいっ!! ここは博物館かな。イギリスの大英博物館みたい。

 どの作品もおもしろそう! じっくり見たかったけど、レオの瞳には光しか映っていない。レオは脇目も振らず進んで行く。ようやく現れた光の切れ目──、小さな文字がびっしりと書かれている大きな石の展示物の前まで来ると扉が現れた。時空の扉だ。

 レオが私の方を振り返る。視線が交じり合うと、同時に一つ頷いた。今度行く世界は、どんなところだろう。どんなことが待っているのかな。不安もあるけど、でも……。

 レオが、「行くぞ」と力強く言う。そう、レオが一緒なら大丈夫。この希望に満ちた瞳が自然と語っている。それに分からないって、とってもドキドキするんだもん……!

 高鳴る心臓を落ち着かせながらもレオが差し出した右手に自分のそれを絡めると、彼に引っ張られる形で光満ちている扉の中へと飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る