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「ははっ。なあに、名探偵でも間違うことはあるさ」

「本当に名探偵なのか?」

「なにを言うんだい!? 私は今までに数々の難事件を解決してきたんだ。例えば、千年も昔の死体を掘り出しているという謎の男の正体を解き明かしたし、それから……」

「ちょっと、メルヨシ。昔の事件の話はしなくていいわよ。それより、この日記の謎を解きましょう。あの、マリーさん。その日記帳、中を読んでもいいですか?」

 お願いすると、マリーさんは快く承諾してくれた。わざわざ遺言状に書き記してまで、マリーさんに日記帳を渡したかったなんて。メルヨシの言う財産の隠し場所でないにしても、なにか秘密が隠されている気がするの。

 日記を読むけど、うーん……。書かれている内容は、ただの日記だ。夜に観劇をしたとか、庭の薔薇が綺麗に咲いたとか、日常のさりげないことが綴られていた。

 本当に怪盗ニプルが欲しがっているの? レオもマリーさんも、お調子者のメルヨシでさえ、日記帳を前にして難しい顔をしている。

「なんだかおもしろそうなことをしているのね」

 日記を読み直そうとしたら、また声が降ってきた。顔を上げると私たちの二つ後ろの席に座っていた、お姉さんが横に立っていた。お姉さんは、にこりと愛嬌のこもった笑みを添えて、

「私、クラリス・レーモンドっていうの。私もその謎解きに参加してもいい? 私、ミステリー小説って大好きなの!」

 クラリスさんは大人っぽい雰囲気とは反対に、お茶目な性格みたい。マリーさんも歓迎したので、クラリスさんも謎解きに加わった。

 クラリスさんも日記帳を読んだけど、「普通の日記よねえ」と同じ感想だ。

「でも普通な分、いかにも暗号が隠されていそうよね」

「暗号か……」

 暗号と言えば、定番はシーザー暗号よね。でも平文の各文字を決まった数だけアルファベット順にずらす手法だから単純な分、解読も簡単だ。そんな分かりやすい暗号を使うかしら。換字式暗号も書籍暗号も、転置式暗号も違うかな。あとはエニグマ……、換字式暗号だけど、あれは難解過ぎるもの。違うわね。

 他にはどんな暗号があったかしら。考えていると、「分かったぞ!」とメルヨシが勢いよく立ち上がった。

「この日記の書き主はリーモス・ルイドだから、リ・モ・ス・ル・イ・ドの文字を抜いて読めば……」と言いかけるけど、

「そんな幼稚な暗号な訳ないだろ」

 レオが間髪入れずに返した。

「ポンコツ探偵は黙ってろよ」

「僕はポンコツではない! 名探偵メルヨシだ、ワイルソンくん!」

「オレだってワイルソンじゃないって言ってるだろ! 名探偵なら人の名前くらい覚えろ」

「ちょっと、レオもメルヨシもケンカなんてしないで考えてよ」

 レオとメルヨシは、つんとそっぽを向き合うと、「おかわり!」と同時に私にカップを突き出す。気が合うのか、合わないのか。はっきりしてほしいな。

 お茶を淹れ直すと日記帳に向き合うけど、時折メルヨシがとんちんかんなことを言って、その度にレオが、「ポンコツ探偵!」と非難した。

 ポットの中身がなくなって、今度はアールグレイを淹れるけど、

「だめだ、お手上げだ」

 レオは深い息を吐いて、ショートブレッドをその口に放り込んだ。

「こら、ワイルソンくん! 諦めるんじゃない」

「頭を使うのは苦手なんだよ。それに自称名探偵は全く役に立たないしな」

「自称じゃない、僕は本当に名探偵だ!」

 またレオとメルヨシがケンカを始める。マリーさんがそれを止めた。

「みなさん、もう結構ですわ。あの人がなにか残してくれていたみたいだけど、それがなくても私は十分暮らせますから。謎を解こうとしてくれた、お気持ちだけいただきます」

 マリーさんは小さく笑う。その笑みは、なんだかさみしそう。もう十分だとマリーさんは言うけど、やっぱり……。

 私は日記帳を見直す。

「おい、アリス。もう諦めろよ」

「そうよ、アリスちゃん。ずっと考えてくれて疲れたでしょう」

 もういいのよ、とマリーさんは繰り返す。私は首を小さく横に振る。

「だってルイドさんは、なにか伝えたいことがあって、この日記帳を遺したと思うの」

 私に解けるなら解いてあげたい。それに私だって気になるもの、ルイドさんが遺した物が。

 一つ深呼吸すると日記帳のページの端に指をかけ、パラパラと一ページずつ捲っていく。

 この日記は、ルイドさんの一年間の記録で。亡くなる一年前の春から始まって、冬で綺麗に終わっている。ルイドさんは、とても几帳面な性格だったみたい。日記は一日も欠かすことなくつけられていて、それも一日毎に昼の出来事と夜の出来事とが交互に書かれている。普通日記って、その日に起こった印象的なことを書くものだと思うのに。しかも毎日きっかり七行分、過不足なく書かれている。

 暗号を解く鍵は、やっぱり、このハートのセブンみたい。日記帳に挟むなんて変だもの。それに生真面目だったルイドさんがすることだ、ちゃんと意味があるように思える。

「トランプって、いろんな意味があるわよね」

 みんなに告げるとクラリスさんも同意してくれた。

「例えばマークは職業を表していて、クラブが農民、ダイヤは商人、ハートは僧侶、スペードは騎士とかね」

 なるほど、意味か。この世界のトランプのマークも私の世界と同じ意味みたい。だとしたらこの暗号は、私にも解けるかも……! そう思うと俄然やる気が湧いてきた。

 私は、もう一度トランプを見つめる。……あれ、なんだろう。よく見るとハートの先端に針の先ほどの小さな穴が空いていた。そう、七つのハート全てにだ。

 ハートの七の意味、ハートの七、ハートの七……。もしかして──!

 日記帳を丁寧に見返していくと、思った通りだ。

「分かったわ! メルヨシの言う通り、この日記帳は、ただの日記じゃないわ」

「ただの日記帳じゃないって?」

「だから暗号が隠されていたの。この日記帳に挟まっていたハートのセブン、見て、このカードに描かれているハートの先端に穴が空けられているの!」

「あら、本当ね。気付かなかったわ」

 マリーさんは、きょとんと目を丸くさせる。みんなの視線も、その小さな穴に集中する。

「でも、この穴がどうしたって言うんだよ」

「あのね、ハートは秋、そして昼を意味しているの。七は、そのまま七日のことね。この日記の中で秋の昼のことが書かれている七の日は、十一月七日だけ。この日の七つ目の単語の先頭の文字を見て」

 十一月七日のページを開き、一行目の七つ目の単語を指差して見せる。トランプのハートに空けられていた穴と同じくらいの、針で突き刺したような、よおく見ないと分からないくらい小さな穴が、その単語『you』の『y』の下の先端の部分にも開けられていた。

「本当だわ!」

「よく気付いたな、アリス!」

 賞賛の声を背景に、次の単語を読み上げようとした、けど。

「日記帳を渡してもらおうか──!」

 荒々しい声がそれを遮った。声の出所は、同じ車両にいた灰色のスーツを着た二人組の男だ。いつの間にか横に立っていて、しかも彼らの手には拳銃が握られていた。

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