6

「おい、メルキアデス! お前ならアリスを連れて逃げるくらい訳ないだろ」

 レオは繰り返す。「早く逃げろ」と。一方でカーターの銃口は今にも火を吹きそうだ。

 私の腕を掴んだメルキアデスの手を、

「いやっ……!」

 私は払い除ける。

 だってレオと約束した。指切りだってした。会ったばかりだけど、まだレオのこと、ろくに知らないけど。それでも約束したんだ。

 レオと一緒にマコンドの間に行ってメルキアデスの書を手に入れて、そしてハート国を復興させるって。私は惹かれたんだ。レオの希望を宿した、信念に満ちた琥珀色の瞳に。あの太陽のような、高度な熱を帯びた魂に。

 レオとの約束を守りたい──!!

 なのに方法が分からない。だって私が読んだ本には載っていなかったもの。こんな時、どうしたらいいのか。どうしたらこの状況を打破できるのか分からない。

 カーターはしびれを切らしたのか、「早く鍵を渡せ!」と怒鳴り出す。カーターの指が今にもトリガーを引きそうだ。

「アリス、君は……」

 メルキアデスは、そう言いかけると私の右手を手に取って、そして。ちゅっと甲高い音と同時、小指の付け根にやわらかな感触が……。メルキアデスの唇が私の指に触れていた。

 瞬間──、メルキアデスの唇が触れた箇所に指輪が現れる。彼の瞳の色と同じ、翡翠色の小さな石が付いた指輪だ。その指輪を通して私の中から……、なんだろう、奥底から不可思議な力が生まれたことを感じられる。メルキアデスは私の耳元でそっと囁く。

「さあ、アリス。想像してごらん」

「想像? 想像って……」

「いつも君がしていることさ。大丈夫、自分を信じて」

 自分を信じる──。

 メルキアデスの言葉が私の中に優しく溶け込んでいく。そっと瞳を閉じ、心の中で強く念じる。

 想像するの。信じるのよ、メルキアデスを、そして自分自身を。レオを助けるには……。

「カーター、あなたは鏡の世界にお帰りなさいっ!!」

 瞬間、フライ返しが現れて、思い切りカーターを叩いた。彼は、ぴょーんっ!! と空の彼方へと飛んで行った。

「さすが僕のアリス。僕の力をこうも簡単に扱えるなんて」

 うそ……。本当に想像した通りになった。もしかして今のは魔法? 私が魔法を使ったの……?

 メルキアデスはパチパチと拍手してくれる。

「その調子なら安心だね。あっ。でもアリス、僕の力は、とてもエネルギーを使うんだ。君の体だと一日に一、二回が限度かな。それから、これも。アリスにプレゼント。長い旅になりそうだからね」

 彼がくれたのは、小さな赤いリボンがかかった四角い箱だ。早速箱を開けてみようとリボンに指をかけたけど、

「メルキアデスーっ!」

という叫び声が私の手を止めた。

「お前の持ってる鍵を寄越せ!」

 レオは、またメルキアデスに向かって突っ込む。

「鍵って、これのことかな?」

「あーっ!? その鍵……!?」

 メルキアデスの指先に摘まれた銀色の鍵を目にして、レオは喉奥を詰まらせる。ぱくぱくと金魚みたい。

 第二のマコンドの間の鍵を前にして、すっかり放心しちゃっているレオを置き去りに、メルキアデスは、ふわりとその場で浮かび上がって、

「メルキアデスの書が欲しいなら僕を捕まえてごらん」

「あっ……、おい! どこに行くんだよ!?」

「タダで渡すなんて、つまらないだろう。僕のことを捕まえられたら鍵をあげるよ。じゃあね、レオくん。そして僕のアリス。また会おう」

 メルキアデスは春風のような笑みを残すと、天高く飛んで行ってしまう。小さくなっていくメルキアデスにレオは叫び続けるけど、なんの効果もない。

 やっと諦めたレオは、ぜい、はあと肩を大きく上下に揺らし、乱れた呼吸を整える。悔しげに、ドンッ! と、その場で強く地面に足を叩きつけた。

「くそう、メルキアデスのヤツ! 絶対に捕まえてやるからな……っ!!」

 そう宣言するとレオは時計を手にする。それに念を送ると時計は輝き、ぐるぐると針が回り出す。ぴたりと針が止まると、光の線を宙に向かって放ち出した。

「メルキアデスの魔力を探知した。この光を追うぞ!」

「と言うことは……」

 この光の先にメルキアデスがいる──。そう思うだけで、胸が破裂してしまいそうなほどドキドキした。こんなに胸が高まったのは、生まれて初めてだ。

 どうしてだろう。別れたばかりなのに、もうあなたに会いたいの。訊きたいことが、話したいことがたくさんある。この六年分の積もりに積もった思いが、とめどなく溢れて止まらない。

 私は光の先を睨み付けているレオの手を取って、

「絶対にメルキアデスを捕まえようね!」

 レオはきょとんと目を丸くさせたけど、

「あ……、ああっ!」力強く返してくれた。



 こうして私とレオのメルキアデスを捕まえる旅が──、マコンドの間に眠っていると言われている魔法書・メルキアデスの書を巡る旅が、とある名もない黄金色の、穏やかな光に包まれた昼下がりに始まりを告げたのだった。

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