夏休みの最後の日

増田朋美

夏休みの最後の日

その日は、8月最後の日であった。ということは、学生にとっては、夏休み最後の日である。最近はもっと早くから学校が始まることもあるようであるが、最近また見直されて、8月いっぱいまで夏休みという学校も多いらしい。そんな中、杉ちゃんたちは、いつもと変わらないで、生活を続けていたのであるが。

その日、浜島咲が、中学生または高校生と思われる女性を一人連れて、やってきた。

「えーと、彼女の名は、安藤乃衣ちゃん。一回だけでいいからさ、彼女にピアノレッスンしてあげてよ。」

と、咲は女性を紹介した。

「はあって言うか、お前さん何歳だ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「14歳です。」

と、安藤乃衣と言われた女性は、そう答えたのであった。

「そうなんだね。それで今は中学生?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。」

と小さいこえで女性は答えたのであった。

「そんな事言わないでさ。彼女の演奏聞いてやって頂戴。少なくとも、他の子よりはうまいわよ。」

咲は一生懸命彼女を紹介した。その言い方がちょっと強引なところがあったので、杉ちゃんも水穂さんも顔を見合わせた。

「そうなんだね。それで、音大でも目指してんの?それとも、どっか音大の先生でも紹介してくれって言うんじゃないだろうね?」

「いや、そういうわけではないけれど、彼女は少なくともそこいらでピアノ習っている人とは違うから、一回右城くんに聞いてもらいたくて、今日はこさせてもらったの。そういうわけだからさ、右城くん。彼女の演奏聞いてあげてよ。」

サザエさんの花沢さんによくにた声で咲はそういうのだった。そういう強引にもっていこうとする浜島咲は、なんだか、本当に花沢さんのキャラクターと近いような気がした。

「まあ、はまじさんがそういう事言うんだったら、聞いてみようかな。曲は何にします?」

水穂さんと杉ちゃんは少し考えてそう言うと、

「えーと、ショパンのエチュードOP10−4。」

と、浜島咲は言った。杉ちゃんが、そんなものを中学生にできる訳がないと言ったが、水穂さんが敢えて聞いてみようと言った。そこで安藤乃衣さんは、ピアノの前に座り、譜面台に楽譜を置いて演奏を開始した。確かに、音はとれているし、音を外したとか、そういう事はなかったのであるが、どうも14歳の女性が、この曲を弾くのは無理なのではないかと思わせるところがあった。

「そうですね。ちょっとまだ、この曲を弾くのは早すぎるのではないでしょうか。なにか、コンクールでも出るのなら、もう少し、長い曲で、演奏効果のあるものがいいのではないかな。ショパンを弾くのはちょっとまだ早すぎる気がします。」

水穂さんが正直な感想を言うと、

「さすが右城くんよね。そう言って、否定的な事ばっかり言って。そうじゃなくて、もっと彼女を褒めてあげてよ。だって、これだけの難曲やってきたんだからさあ。褒めてやったっていいんじゃないの?」

咲がすぐにそういった。

「そうですが、彼女はえらく無理をしているというか、彼女にあった曲なら別のものがあると思うんですけどね。例えばモーツァルトのソナタで、こういう感じの、、、。」

水穂さんが、モーツァルトのソナタ11番の冒頭部分を弾くと、咲も、乃衣さんもがっかりした。

「すごい曲をやれば、何でもいいわけじゃないのです。それに無理して難曲をやれば、変な癖がついてしまって、正確なタッチを得られなくなる場合があります。だから、今の段階で、ショパンのエチュードを弾くのは、無理なのではないでしょうか。それよりも、もっと彼女に適した曲を選んで演奏したほうがいい。」

水穂さんはそう言うが、

「そうだけど右城くん、そんな事言わないでさ、褒めてやってよ。右城くんが褒めてくれれば、少なくとも学校の先生だって、彼女に変な言い方はできなくなるわよ。だから、そうじゃなくて、ちゃんとエチュードをやれたってことを、褒めてやって。」

咲は、ちょっと不服そうに言った。なんだか本人より咲のほうが、彼女のプロデュースに熱を入れているような気がした。

「浜島さんは、どうしてそんなに彼女を擁護したがるんですか?なにかわけがあるのですか?」

水穂さんがそうきくと、

「ええ。訳というか、当たり前のことかもしれないけど、明日から学校が始まるからよ。」

と、咲はぶっきらぼうに言った。

「それでは、また学校に行かなくちゃいけないでしょ。そうすると、彼女が可哀想だからせめて音楽の世界では居場所を作ってあげたかっただけよ。それで、右城くんにレッスンしてもらいたかっただけ。」

なんだか現代社会ではよくあるような問題で、非常に難しい所かもしれなかった。昔だったら、絶対夏休みの最後の日だからといって、テレビのアナウンサーが自殺予防を呼びかけたりすることはなかったはずだ。それが今の時代には、テレビのアナウンサーが、命を大事にしようとか、学校が嫌だったら、学校から逃げてもいいなどを呼びかけるようになっている。

「それでは、学校でいじめでもあったということか?同級生からいじめられてるとか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい。同級生からじゃないのよ。彼女の担任教師が、ちょっと異常なのよ。なんでも試験の点数で変なあだ名を付けたりして、生徒をランキングのような感じで、呼ぶんですって。」

と咲は答える。

「つまり、番号で呼ぶってことか。囚人番号みたいだな。まあ、高校であれば別の学校に行くことも簡単なんだが、中学校であれば義務教育だからねえ。それに学区もあるし、逃げるのは難しくなる。」

「でしょ。それにね。その教師ときたら、学校の中では結構有力で、支持率が高いんですって。だから、他の教師がなにか言うわけでもなく、その教師のやりたい放題にさせてるみたいよ。」

咲は、杉ちゃんの話に付け加えた。

「なるほど、まあ確かに、有力なやつについていたほうが、自分の立場としては楽だからねえ。きっとその教師は、誰のお陰で教師やっているのか知らないんだろうよ。そういうことなら、本当に難しいところだなあ。」

杉ちゃんも腕組みをしてそういったのであった。

「でしょ、でしょ。だから、なんとかしてあげたいなと思って、せめてピアノのレッスンだけでもさせてあげたいと思って連れてきたのよ。ねえ右城くんさ、一回でいいから、彼女の事褒めてあげられないかな?顔女、今までの教師がしてきたことで、随分否定されてきて、つらい思いをしてるんだから。せめて夏休みの最後の日くらい、楽しい思いさせてあげてよ。」

咲は一生懸命乃衣さんを擁護した。確かに学校生活がつらいのであれば生きていることもつらくなってしまうというのが今の世の中であった。学校の先生の不当な扱いに耐えられず、自殺を図るとか、家出をするとか、そういう事になってしまう生徒も非常に多いのである。それが時には犯罪とか、違法薬物に走るなどの原因になったりする。

「じゃあ、家の人達は、彼女に何もしてやれないの?」

杉ちゃんがそう言うと、

「家族の人だけじゃ、なんにもできないってことは、杉ちゃんたちが一番わかってるんじゃないの!」

咲は思わず言った。まあ確かにそうかも知れなかった。この製鉄所と呼ばれる施設を利用している人達は、学校や家などで居場所をなくした経験がある人ばかりである。それさえなかったら幸せになれただろうにと思われる人も多い。だけど、どういうわけなのか、学校で躓いたりして、転がり落ちるように、不幸に突き落とされる人も居るし、一時的に不登校になった程度で終わる人も居る。そのあたりはやっぱり、まわりの人の力量と言えなくもない。

「そうだねえ。まあ、そういう事もあるか。確かに、ここへ来る人は、ご家族の支えが無いっていうやつも居るな。まあ、そういうことなら、いいだろう。もう一回弾いてみてくれ。今度はもう一度ちゃんと聞いてあげるから。」

杉ちゃんにそう言われて、彼女、安藤乃衣さんは、もう一度ピアノの前に座って、ピアノを弾き始めた。確かに音を飛ばしているようなところもあるし、とても弾きこなしているという感じの演奏ではなかったが、水穂さんは、彼女が演奏をし終えると、静かに言った。

「ええ、学校に馴染めない分、ピアノに打ち込んでいるんでしょうね。それは残念ながらそういう理由だけでピアノで世の中やっていくことはできないですけれど、今の貴女にとって必要なことだと思うから、そのまま続けて行っていいのではないでしょうか?」

「ありがとうございます。」

と、乃衣さんは照れくさいというか、恥ずかしい感じで言った。

「でも、学校の成績は、大切なものですから、そこを忘れないでくださいね。人間は、学校に行かないと幸せにはなれないのです。どんなにつらい学校生活であっても、レベルの高い学校に行ける事は、社会的身分と一緒で世の中を渡り歩く上で非常に大きな武器になる。おそらくこの曲を弾きこなすことことができるというのであれば、学校の勉強はさほど苦では無いでしょう。だから、今学校の先生につらいことをされていたとしても、成績はできるだけ良い成績を取って、できるだけ身分の高い高校に行けるようにしてください。」

「右城くんたら、そういう事言わないでさ。そうじゃなくて、もっと夢のある話というか、そういう事言ってあげてよ。学校へ行くことは確かに大事なのかもしれないけど、それだけが全部というわけでは無いでしょうが。」

咲は、水穂さんにそういったのだが、

「いえ、大事な事は、夢を持つより、自立できるかということです。」

と水穂さんはきっぱりと言った。

「そして、それが可能になるかということについては、できるだけ上級の学校に行って、治安の良い環境で勉強することができるかということなんですよ。」

「そうだな。まあ今の学校がつらいということもわからないわけじゃないけど、学校へ行ったというのはね、たしかに水戸黄門の印籠みたいな効果はあるだろうね。それがつらくても、印籠は印籠であることもわかる。まあ、嫌なのかもしれないけどさあ、今を変えることもできないだろうから、とりあえず、安全で自分の事を真剣に考えられる環境で勉強できるように頑張りや。」

と、杉ちゃんはにこやかに笑った。

「ありがとうございます。」

と、乃衣さんは杉ちゃんと水穂さんに頭を下げた。

「私、どうしたらいいのか分からなかったんです。だって、親は学校が苦しいと言っても、何もしてくれないし。学校の先生は、私の事を、90番としか言わないし。仕方ないから、ピアノをずっとやっていたんですけど、それだって、やっていけるかどうかもわからない。本当に私はどうしたらいいのか分からなかった。だからそういう事言ってくれて嬉しかったです。」

「ええ。結局のところね。人生の勝利というのは、自分で自分の事を守れるほど経済力や精神力があるかということなんですよね。それが一番大事なことです。だから、それを獲得できるように頑張ってください。今は、勉強するしか無いのであれば、そうするしか無いでしょう。それで上級学校に行けて、治安が良い学校で過ごすことができたことこそ、丸儲けですよ。だから、頑張って、勉強してくださいね。」

水穂さんにそう言われて、乃衣さんはにこやかに笑って、

「ありがとうございます。先生に、そう言って頂いて、楽になれました。そういう事を言ってくれる大人を見たことなかったから、私はとても嬉しかったです。」

と、もう一度頭を下げた。

「ええ。それでいいんですよ。幸せになることは、大きな夢を掴むとか、有名になるとかそういうことじゃありません。毎日何も変わらずに生活していけるかなんですよ。それが一番の幸せなんです。だから、それができるようになるにはどうするか、それを一番はじめに考えることができるのだと考えれば、学校に居ることだって苦労はしなくなるんじゃないかな。」

「あーあ、右城くんは、そういう事ばっかり言って。せめて夏休みの最後の日でも、彼女に楽しい思いをさせてあげたいと思ったのは私だけか。それは、間違いだったのかしら?」

咲は、嫌そうな感じで杉ちゃんたちに言った。

「間違いというか、、、まあ何が正しくて何が間違っているかなんて、今ははっきりしないよね。ただね、言えることは、変わらないことは非常に貴重な存在になりつつあるってことだ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、わかります。歴史の中でも、きっと、普通の人達はつらい思いをしたんだろうなってこともわかりますし、古代の文献なんか読んでも、変わらないってことは貴重なんだなってわかりますよ。だから、私は、右城先生がいったとおりにすることにします。今日は、本当に嬉しい思い出ができました。そういう事を言ってくれる存在が居るだけでも私は幸せだと思わなくちゃ。」

安藤乃衣さんはそうにこやかに言ったのだった。




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夏休みの最後の日 増田朋美 @masubuchi4996

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