第16話 外野は盛り上がっているけれど

そこから先は、戦場のようだった。


濡れた髪の毛は、3人が寄ってたかってタオルでひたすら水気を拭き取り、その後で、着替え、夜用に薄化粧。自分はじっと座っているだけだったけれど、緊張しているのでざわついている方がかえってよかった。


クロエは、私の身なりを整えること、食事の場を整えること、そして出入りしているセイ王子側との連絡であちこちを小走りで駆け回っていた。その後ろ姿が嬉しそうに見えるのがまたチクチクと胸を刺激した。


1時間ほどたっただろうか。メイド達のおかげで髪は大方乾き、ラベンダーの香水をまとわされた。コチラの世界ではラベールというんだっけ。日常の中で少しずつ名称にも慣れていかなきゃ。


「セイ王子がまもなくコチラに来られます。今日は食後に人払いをされたいとのことでした」


クロエの淡々とした言葉に、周りのメイドがどよめいた。


その色めき立つようなそわそわした空気で、と考えられているのだろう。でも、それは勘違い。きっとセイは、無理強いはしない人だから何も起こらない。


ただ、2人きりのときにきっと先ほどの話の返事をくれるはずだ。


私は、それを受け入れるしかない。


婚約破棄になることもあるだろう。でも、それも仕方がない。


自分は元々薬草師としてコチラの世界で独立できたら、と思っているのだから、それだって構わないはず。


……なのに、どうしてこんなに泣きたくなるんだろう。


夕飯はゆっくりと進んだ。セイはいつも通りにこやかな表情で話していたけれど、私は食事の味がわからず、残さず食べることだけで精一杯だった。給仕をするメイド達の沸き立つ空気感と視線で酔いそうだった。


「アイリーン? 顔色があまりよくない気がするけど、疲れた?」


首をかしげて覗くような表情がわんこみたいでかわいすぎる。冷静になりたいのに、心はどんどん浮き立って気持ちの動きが忙しすぎる!!


そのセイの表情を見て、後ろからメイド達が声なき声で盛り上がっているのが伝わる。


なんなの、この拷問みたいな時間は!!!



食事が終わって、セイは着替えのために一旦自室に下がった。その間に、私はふたたびメイド達に囲まれる。今日の日のためにあつらえていたのであろう純白の夜着が明かりに照らされて輝いている。最上級のシルクであつらえられているのだろう、袖を通すと肩が揺れてしまうくらいひんやりとしていた。


「アイリーン様、冷たいですか?」


「大丈夫」


「すぐに暖まりますから……アイリーン様?! どうかなさいましたか?」


クロエが心底嬉しそうに笑みを浮かべていたのに、表情がすぐに曇った。せっかくの夜着に水滴がポタポタと落ちていることに気づいて、ようやく自分が泣いていることに気づいた。


「もしかして、アイリーン様、昔の記憶を思い出した……とか?」


私はかぶりを振った。そもそも、自分はアイリーンじゃないからそれはあり得ない。でも、誰かに吐き出したくてもこの複雑な胸の内は話せなかった。


「少し……緊張しただけ。ありがとう」


クロエはしばらくの間黙って手を握ってくれた。少しかさついていて働き者の手。いつも全方向に気を配ってくれる優しい人。彼女の手の体温が流れ込んでくると、ますます涙腺が緩む。


それから30分後、セイが入ってきた。そして、彼が言いつけたのか、皆が気を使ったのか、使用人達は足早に部屋の外に出た。


「ようやく、2人になれた」


セイは静かに私を見つめた後、小さな声でつぶやいた。途中から目を見られなくなって下を向く。彼の甘やかな声が、胸に絡みついていくよう。見えないのにつかまれたようにきゅっとして苦しくなる。


胸を押さえていると、セイはなぜかクスクスと笑い出した。

首をかしげると、セイは笑いながら言う。


「みんなおかしかったね。これから僕とアイリーンが結ばれると誰一人疑わないんだから。君は、明日の朝、少し恥ずかしそうに動けないという演技をした方がいい」


そういいながらセイは、最愛のアイリーンだと思っている私のことをゆっくりと抱きしめた。


「アイリーン、僕はずっと望みがないって思い続けていたんだ。だから、結婚できることだけでもう舞い上がっていて、正直なところ、君と一緒にいられるなら1年や2年、君と契りを結ばないなんてどうってことない。だけどね、僕は国のために世継ぎをもうけないといけない。どんなにごまかし続けても、2年を超えて子がいなかったら、きっと周りが圧力をかけてくる。だから、この2年の間にもしも記憶が戻らない場合には、正式に僕のことを受け入れてもらうか、もしくは側室を迎えせざるを得ない」


私は、どんな表情をしたらいいかわからなかった。それでも彼の言いたいことはわかるので頷いた。


「でも、本当は2年以内に君が僕のことを好きになってくれてちゃんと結ばれるっていうのが一番嬉しいんだけどな」


ああ、アイリーンのバカ。そして、愛理わたしのバカ。うまくやればいいのに……。なんでこういうときにうまく立ち回れないんだろう。


こんなに優しくて、かっこよくて、壊れそうなくらいにドキドキしている心臓の音がバレて、真摯に迫られたら……。私、本当に突っぱねられるワケ?!


どうか、どうか2年間無事過ごせますように。そして、願わくば、アイリーンとのこと、なんらかの形で決着が、つきますよう……に。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る