第15話 2つの願い

すっかり暗くなった馬車の中でもセイの笑顔がわかる。彼は私の正面に座ってそっと手を握った。暖かい体温が私の手に流れてきて少し心臓が早くなる。目が合うとセイの笑顔に照れが加わった気がした。


こうやって見ていると、そっくりな顔をしていても、私のことを裏切った元彼の誠也とセイは違うんだな。セイの笑顔は誠也と比べて柔らかい。双子が同じ顔をしていても雰囲気がわずかに違うのと似たような感じだろう。


2人の表情の違いまでわかるくらいになってしまった自分が気恥ずかしくて私は咳払いした。


「1つ目が、これからも薬草学の勉強を続けたいの。できれば、薬草師になりたい。もちろん、国で定められた資格もちゃんと取って、他の人と厳しさも一緒で構わない……というかむしろそうして正式に選んでほしい。だから、お願い」


「でも、アイリーンはこれから王妃になるための学びもたくさんあるよ。国の歴史、地理情勢、各国についてやしきたりとか、貴族の人間関係とか。記憶をなくしている分、ゼロから学ぶとなるととても大変かもしれない」


「その覚悟はできています。薬草学は通常の勉強の合間にやるので構わないから」


「わかった。そうは言っても根を詰めすぎて倒れたりしたら心配だからね、こちらでもタイミングなど検討させてもらうね。あともう一つは?」


「その……私の記憶が戻るまでは、夜の生活はしたくないの」


セイの手に力が入った。思ったよりも強く圧が加わったので、私も手をひねった。


「わ、ごめん、痛くなかった?」


ハッとしたようにセイは手を離した。私はかぶりを振ると、逆にセイの手をそっと取った。


「今の私は、セイのことが好きなの。でもね、もしも記憶を取り戻した時にツライ思いをしたくないし、……させたくない」


セイは、私の手を外すと何も言わずに窓の外の夜闇を見つめた。


屋敷に戻るまで、彼は私と目を合わせてくれなかった。


部屋に戻ると、一気に一日の疲れが出た。久々に屋外に出たせいか、太陽の光がまだまぶたの裏でチカチカと光っているようだった。


こちらの世界では、お風呂も一苦労。自分一人では入らせてもらえないので、湯船につかってもなんだか人の目が気になってゆっくりできない気がする。


少し前までは、一人暮らしの狭いユニットバスに熱いお湯を張って何時間もつかるのが好きだった。彼氏に裏切られるたびにひたすら湯船で声を上げて泣いたりしたこともあった。


心が通じ合っているはずなのに想いが届かなくて苦しい、なんてことがあるんだな……。


クロエたちにばれないようにバスタブに身を埋めると鼻がツンとして涙が出てきた。


私だって、セイの妻として堂々と彼の隣に立ちたい。でも、セイが好きなのは、アイリーンだもの。私じゃない。もしもアイリーンが戻ってきて、彼が愛したのが彼女じゃなかった、と苦しめるのはもっと嫌だった。


「あんなことを言ってしまったら嫌われるかな……もしそうだとしても仕方ないよね」


いっそ、自分はアイリーンじゃないんだということを言ってしまったらどうなんだろう。それで、改めて私のことを見てほしいっていうのは……


「いや、無理だな」


自分の気持ちが落ち着くまで、もう少しこのままでいたい。でも、もしかすると、あんなお願いをしてしまったから、向こうから願い下げかもしれないけれど。


屋敷に入って別れるときまでセイは目を合わせてくれなかった。目には寂しさを漂わせている表情に胸がチクチクした。


もう、今日は夕飯にも来てくれないかもしれないな。


そう思ったときに、メイドたちの動きが慌ただしくなった。


「アイリーン様、お夕食にもうすぐセイ殿下がいらっしゃるそうです。そろそろ上がってお支度をしても構いませんか?」


クロエが顔をのぞかせた。

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