第13話 私の決意
「アイリーンさま……アイリーンさま?」
「は、はい!」
薬草学のステラ先生が心配そうに首をかしげた。
「待ちに待った薬草園の見学なのに、元気がないように見えますが大丈夫ですか?」
私は、慌てて首を振った。
「……昨日、ワクワクしすぎて眠れなくて」
「そうですか。目が少し腫れているように見えるのも、そのせいでしょうか」
だいぶ冷やしたのに、足りなかったようだ。
結局、朝食はまともに喉を通らなかった。結婚を承諾したことに実感がなかったのだろうか、セイもまた、食事を最後まで食べ切ることもなく、ショウに追い立てられるように午前中の政務のために部屋を出て行った。
午前中、愛理はステラ先生から薬草学の勉強の続きをする予定だった。でも、どうしても勉強ができるような気持ちにはなれなかった。
結婚を受けてしまって、よかったのだろうか。
あの時セイは、『ごめん、結婚する相手としてアイリーン以外の名前はいくら似ている名前でも、呼べない』ときっぱり言った。
私は、フラれたのだ。それなのに、結婚しよう、という言葉にアイリーンのフリをして「はい」と答えてしまった。
心の底に、ヘドロのような自分の汚い心が溜まっていて苦しい。表面は涼しい顔をしているのに、あの優しいセイにつけこんで、私は、私一人だけ幸せになろうとしていた。
これで、いいのだろうか。
私が兼ねてから行きたいと思っていた薬草園には、セイも一緒に昼食後に出発することになっている。その前のランチからきっと、セイと一緒だろう。
その前に誰かと話がしたかった。
誰か、といっても、こんな時に話せるのは、一人しかいない。私がアイリーンではないことを知っているショウにしか話すことができない。
「ステラ先生、お時間を取っていただいたのに申し訳ありません。急用を思い出しましたので、今日は、午後の薬草園からご一緒させてください。クロエ、申し訳ないのだけれど、ショウに会いたいの。可能だったら、呼んできてもらえないかしら?」
クロエは、「承知しました」というと、あわただしく、部屋を出て行く。
ステラ先生は、眼鏡の位置を直した。鎖がシャランと音を立てる。
「アイリーンさま、どうぞ、午後は、あなたならきっと楽しめると思います。そのためには、午前中にしっかりと用事を済ませていらしてください。アイリーンさまが薬草園に興味を示していることを伝えたら、研究員も栽培員もみんな喜んで気合いが入っているんです。楽しみにしていてください」
ステラ先生は限りなく優しい笑顔を見せてくれた。何も聞かないでくれた心遣いが、愛理の身に沁みた。
「わがままを言ったのに快く受け入れてくださり、ありがとうございます」
ステラ先生は、手を振ると、部屋を出て行った。入れ替わりに、ショウがあわただしく入って来る。白いシャツの上にグレーのサテンのベスト、マントのような上着をまとって、まだ政務中であることがわかった。180センチを超える体躯に切れ長の目、黒いマント姿が映えている。メイドたちの間でも無口な彼がカッコいいという声を耳にしていた。
「愛理さま、ご結婚を選ばれたのですね」
ショウの低い声には非難の声は含まれていなかった、相変わらず用件しか言わない。
朝食の時に、同じ部屋に控えていたから、状況は分かっているだろう。結婚しようというセイの言葉に私がはい、と答えた時、声こそ出さなかったけれど、周りにいたクロエや他のメイド、付き人が色めき立つのがわかった。今朝の出来事は色々なところで静かにでも急速に噂が広まっていくに違いない。その中では、結婚したくなかったアイリーンのことを思えば、複雑に違いないショウだけれど、一見したふるまいにはそれを感じさせなかった。
「ショウどうしよう。私って、元彼の顔が好きだから、セイ王子のことを好きになったのかな。それとも、私、ちゃんとセイ王子が好きなのかな」
「愛理さま。我が主、セイさまは誠実な方だ。顔は関係ないことに、あなたは気づいているのでしょう?」
「だけど、自信が、ない」
「顔はただのきっかけに過ぎない。どちらかというと、元の彼が浮気していたというマイナスイメージから始まっているんだから、セイさまの思いが勝ったということです」
と、言いながらも、すぐに顔を曇らせる。同じことを考えているんだな、愛理は思う。
「ただ、セイ王子の思いは、一貫して、アイリーンさまに向けられたものだ。残念ながら、あなたではない」
「……うん、わかってる。だから、私、決めたの」
「何を、ですか?」
ショウの深い茶色の瞳が揺れた。
「私、セイさまとは、契りません」
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