第3話 異世界にでも行きたい、そう思った時に……
私は静かにドアを開けた。
「お邪魔しまーす」
彼は営業先を回るから帰宅は夕方と言っていた。でも、いつものクセでついお邪魔しますと言ってしまう。今日は誠也の誕生日だから仕事が終わったら待ち合わせをして夕飯を食べにいこう、と約束をしていた。私が店の予約を引き受けたフリをして、サプライズで手作りの料理を振舞う計画というわけ。
玄関から真っすぐ先に見えるリビングの明かりがなぜかついていた。朝、慌てていて消し忘れたのかな、そんな風に思いながらリビングに通じる扉に手をかけた時に、
「あぁん!」
女性のあえぐ様な声が聞こえた……気がした。自分の心臓を細い何かで突かれたような衝撃が走る。
戻ろう、一旦外に出よう。そう思いながらも、一方で、ありえないって、という自分の声もする。だって、私はもうサレ女を卒業したんだもん。誠也だからそんなわけがない。
自分の勢いは止められなかった。リビングの扉を押してあけると、ソファの背もたれに髪の長い女性がいた。栗色の髪が上下に激しく揺れ、その度に、よがり声があがる。
上着は脱がず、ウエストから肩下までたくし上げられ、胸元だけに用事があるという様子でコトがなされていた。
誠也のイク寸前の顔と目があった。気まずそうに目を逸らされる。昨日の晩まではこの世で一番きゅんとする顔だ、と思っていたのに。他の女と繋がっている時に見るとなんて虚しさを感じるんだろう。
また、私の恋は終わってしまった。
全ての景色が急にコマ送りになったようにひどくノロノロとしたものになる。『9回? 10回だったかな?』……後輩の声が耳に鮮やかに戻ってきた。なんだよ、預言者なのか、あの子は。緊急事態なのに、頭のどこかがショートしたかのように後輩の軽口が頭の中をグルグルと回っていた。
買い物した荷物はもう持ちたくない。貴重品を入れたバッグだけを持ち直すと、そのまま回れ右して玄関に戻った。
靴を履こうとしたけど、スニーカーが全然足に入らない。一刻も早くここを出たいのに。無理矢理足先だけ入れて家を飛び出す。
エントランスからガラス越しに外を眺めるとひどい雨だった。
でも、傘を取りに戻ったら、あの光景の中に戻らないといけない。目の前の道を見ると、3メートル先も見えないくらいに水煙が上がっている。大きくため息をつくと、私は、勢いよく扉を押して、雨の中を走り出した。
滝に打たれたことはないけれど、もしかすると、そのくらいの水の勢いかもしれない。無理矢理つっかけてきたスニーカーは水がたまってじゃぶじゃぶと音がする。
しばらく走った後で何かに勢いよくぶつかった。電柱だった。あまりにも勢いよくぶつかってたので、当たった肩をさすりながらその場にうずくまる。
雨と涙がごちゃ混ぜになって溺れそうだった。ばっかみたい。男なんて、簡単に愛してるって言うのに、すぐに他の女に目移りするんだ。首元から容赦なく雨水が入る。
その時、雷鳴が大きくとどろいた。光ってからすぐに音。ものすごい振動も起きた。
まずい、雷が近くまで来てる。逃げなきゃ。
それとも、もう、いいのかなあ。私、地球の男にはもう誠実に愛してもらえない気がする。ここで私に何かがあったって、悲しんでくれる人なんていないんじゃないかな。
もう、このまま、どこかに行っちゃいたいな。漫画とか小説みたいに、異世界とか。
その時に、とても強い光が降ってきて、ものすごい衝撃を感じた。その光の中を私は、どんどんと沈んでいった。
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