第1話 気が付けば島の外

「――……ッ」


 気が付くと見知らぬ場所で寝転がっていた。

 周囲を見渡してみると、そこは深い森の中。

 近くからは波の音が聞こえ、すぐ横には遺跡と思しき石の建造物の残骸が散乱している。

 ズキっと頭の奥から鋭い痛みを感じ、片目を瞑りながら頭を抑えた。


「っ……」


 何も思い出せない。

 自分の身に何が起きたというのだ。私は確か“ティタニア”にいたはず……。


 隔絶された海に浮かぶ妖精の島“ティタニア”。

 島の中央には天をも貫く巨大樹がそびえ、巨大樹の発する魔力によって守られている。

 島には私たちフェアリア以外にもヒュームやエルフーン、ビスティなど様々な種族が住んでおり、数は少ないがみんな協力しながら平和に暮らしていた。


「……そうだ!アイリーン!」


 私の幼馴染の少女アイリーン。

 彼女はどこへ行った。すぐ近くにいたはずだ。


「アイリーン!どこにいるの!アイリーン……!」


 しかし、いくら名前を呼んでも返事は返ってこない。

 私は表情に影を落とし、現状を再確認する。

 改めて周囲を確認してみるが、この場所には人の気配が全くしなかった。

 周りにはフェアリアどころか人っ子一人見当たらない。

 深く集中してみると、この一帯から不吉な魔力を感じ取れる。ここは一体どこなんだろうか。

 いくら見渡そうとも見覚えのない景色が目に映る。 

 ズキズキと痛む頭を抑えながら、私は波の音がする方へ足を運んだ。

 重い体を動かし、しばらく進んだところに海を見つける。

 夕焼けに染まる水平線。

 穏やかな波の音と流れゆく雲を眺めながら小さく息を吐く。


「私の知ってる海じゃない……」


 この海は、私の知る海じゃない。

 ティタニアから見える海は、ここよりも遥かに綺麗で美しかった。

 透明度が高く、水底にはサンゴ礁や色とりどりの魚を見ることが出来る。

 だがこの海は、濁ってはいないものの底が見えない。サンゴは見当たらないし魚もこの付近にはいなさそうだ。


「ここはまさか、島の外なのか?」


 私は膜の輝きが見えない空を見上げて呟く。

 そのまま何となしに白く傷一つない右腕に視線を向け、グーパーと手を動かしギュッと握る。


「……島に、戻らないと。アイリーンを……みんなを、探さないと」


 フラつく体で足を動かし、森の中を進む。

 ここが何処なのか分からない。私はどうしてこんな場所にいるのか……分からない。

 だけど、だからこそ、こんな場所で立ち止まってはいられない。

 私は一人、静かな森の中を歩き続ける。ただ一つ、島への帰還を願って。


 ◆◆◆


 それからどれだけ森を歩いただろう。

 辺りは既に暗くなっており、森の輪郭すら見えない。

 私は魔法で作り出した光で周囲を照らし、休むことなく歩き続けていた。

 幸いここまで魔物と遭遇はしていない。

 魔物の気配自体は感じるが、私を確認するや否や静かに逃げ出し近づいて来ないのだ。

 正直今の状態で戦いたくはなかったのでありがたい。

 私はハァハァと肩で息をしながら少しずつ足を前に踏み出す。魔力で水を生み出し、ゴクゴクと必死に飲んでいると不意にお腹が鳴り、空を見上げた。


「……そう言えば、ここまで何も食べてないな」


 私たちフェアリアはあらゆる意味で頑丈な種族だ。だが他の種族同様に腹は減る。

 自分の状態を意図せず再確認した私は、突然ガタが来たように膝から崩れ落ちてしまった。

 目が回る。お腹が痛い。鼓動と共にズキズキとこめかみの辺りが痛み、集中力を奪ってくる。


「何か食べ物……」


 私は腰マントの内ポケットに手を入れ、何かないか探す。

 このマントは、フェアリアの纏う下半身を護るマントで内側に鉄板や木板を入れて防御力を補う構造になっている。

 だが私は身軽さを好んでいるため、このポケットに板を入れず小物入として活用していた。


「ん」


 ポケットを探るとコツンと硬い何かが指に触れる。

 取り出して見れば、それはティタニアに多く生息している兎型の魔物アルミラージの魔角だった。

 魔角を見た私は、眉を顰めてポケットにしまう。


「なんでこんなものが?いつ入れたっけ」


 ……まぁ、今はどうでもいいか。私は食べれる物が欲しいんだ。流石に魔角は食べられない。

 粉にして植物系の魔物の魔石と混ぜれば劇薬になるが、どちらにせよ今必要なものではない。


「……仕方ない」


 私は徐にため息を吐くと、背中の羽に魔力を込め始める。正直、魔力が少ない今の状態で使いたくはなかったが、腹が減って動けなくなるよりはマシだろう。

 フェアリアは羽に魔力を送ることで羽が重力を操作する器官に変化し、浮遊が可能となる。

 しかし、相応に魔力は使うし、集中力や体力だって必要だ。空を飛んで移動できるのなら足を動かすより楽じゃないのか思われるかもしれないが意外とそうでもない。


 持ってくれ、私の集中力……。

 

 そんなことを思っていながら羽に魔力を送っていた私だが、送られていく魔力が鈍いことに違和感を覚える。

 私は首を傾げて自分の背中に視線を向けると、そこにあった羽の姿を見て思わず目を丸くした。


「は……?え、なんで……」


 目に飛び込んできたのは、見るも無惨なボロボロの羽の姿だったのだ。

 至る所に穴が開き、古紙のように縮れ、消え入るように淡く光る粒子がゆっくりと飛び散る。


「私の、羽が……」


 羽を持つ種族にとって“羽”というのは力の象徴だ。形、大きさ、枚数。それによって種族としての格が決まる。

 そしてフェアリアの羽は、魔力の精密操作を可能とする器官でもある。フェアリアが魔法力に優れた種族である最大に理由がこれだ。

 羽が使えないとなると、私の戦闘能力は著しく低下することになる。

 私は不安な感情を抱きながら、魔力を集中させて剣の形を作り出した。


「……よかった。これは使える」


 浮遊する半透明に輝く光の剣。

 これはフェアリア族特有の魔法で、名を“フェアリービット”という。己の魔力を投影して得物と化す特別な魔法だ。

 魔力が続く限り幾らでも作り出すことができ、手に持たずとも自在に操れるため、名前にもある通りビットのような運用が可能だ。

 私たちフェアリアは、この魔法と自前の浮遊能力を駆使して変幻自在に戦うことを得意としている。

 私は剣を主に使うが、アイリーンはレーザーを射出する飛行ユニットを使用していた。

 私は、今の状態でも遅延なく自在に操れているフェアリービットに安堵する。


「とりあえず、これなら自衛に問題はなさそう」


 だが、あまり派手に動けないのも事実。

 早い事、何か食べ物を見つけないと……。


 ――ウオォォォン!


「ッ……!?」


 そんなことを思っていると、突然森の奥の方から鋭い咆哮が聞こえてきた。とてつもない魔力を感じる。何者かが、この奥で暴れている。


「……」


 私はその魔力の方へ、引き寄せられているかのように、無意識のうちに足を動かしていた。

 本来であればこの程度の誘引、フェアリアの耐性であれば簡単に無効化できるはずだが、今の私は空腹なうえ、万全な状態ではなかったために釣られてしまったのだと後で思った。

 森を千鳥足に進んで行くと、少し開けた場所に出る。


「うっ……」


 私は、その場所に充満する血の匂いで意識を取り戻した。ここはどこだ?

 酷い臭いだと鼻を抑えながら周囲を見渡し、そこにあった光景を見て目を丸くする。

 倒れる大破した馬車。血を流し動かなくなった馬。瞳孔が開き、あらぬ体勢で地面に転がる恰幅のいい男たち。

 不自然に湿度が高く、蒸し暑い中に季節外れの氷柱が何本か立っていた。

 視線を上げると、そこには金色の瞳を光らせる巨大な狼が、ボロボロの服とも呼べぬものを着る少女たちを見据えて佇んでいる。

 グルル……と喉を鳴らし、今にもかぶりつきそうな勢いだ。


「ヒッ……た、たすけ……」


 私は即座にフェアリービットで剣を作り出し、射出する。

 放たれた光の剣は狼の眉間に命中し、鮮血を撒き散らしながら後ろへ仰け反った。


「え」


 そのまま私は足に魔力を込め、勢いよく飛び出す。両手に剣を握り、クロスさせながら斬り裂く。


「ふっ!」


 狼はよろめきながらも体勢を立て直し、狙いを私に定めて喉を鳴らした。


 ――グルル……。


「……」


 しばらく睨み合った後、狼は何もせず踵を返して森へ消えていく。

 私は完全に狼の気配が消えたことを確認すると、剣を霧散させて警戒を解いた。


「あ、あの!」

「ん?」


 念の為と森の方を眺めていると、突然声を掛けられ、視線をそちらへ向ける。

 そこに居たのは、背中に鳥のような白い翼を持つ白金髪の少女だった。

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