第21話 バイコーン

「う〜ん。どこに行ったんだろう……」


 角を生やす魔物を見つけた私たちは、ついさっきまで戦っていたマタンゴの処理を終え、急いで馬の影が見えた場所までやってきた。

 杭が打ち込まれたルートから外れたこの場所は酷く歩きにくく、心做しか纏わりつくような嫌な魔力も強い気がする。


「……見て、アムたん。蹄の跡があるよ」

「本当だ」


 しばらく進むと、少しぬかるんだ場所に出てくる。

 そこには、馬の蹄と思しき跡がクッキリと残されており、森の奥へと続いていた。


「行ってみよう」

「うん」


 足跡を追っていくと、湿地帯のような場所に出た。

 薄暗く霧がかってるおり、大地を踏み抜く度グチュッと足を取られる。

 先程までの森とは様相が大きく異なっていた。森の奥にこんな場所があるだなんて……。


「ここは……」

「アムたん!」


 私が周囲を見渡していると、レヴィアが武器を構えて私の名を呼んだ。

 何事かと視線を前方へ向けると、すぐ目の前に真っ黒な馬の顔が見える。


 っ!?しまっ――!


 全く気配を感じなかった。

 目の前の馬の瞳は真っ白で、あまりの不気味さに怖気る。まるで死んだ動物のような目だ。


「――スイングアッパー!!」


 間一髪の所でレヴィアに助けられる。

 二本の角を持った馬は、私を突き上げようとした体勢のまま滑るように距離を離し、レヴィアの魔技アーツを何事も無かったかのように避けながら霧の中に消えていく。なんて不気味な動きなんだ……。


「ありがとう、助かった」

「ううん。アムたん、もしかして気配感知苦手?」

「え?」


 レヴィアは武器を構えながら周囲を見渡し、そう言ってくる。

 私はその言葉に目を丸くした。私が気配を探るのが苦手……?


 気配感知は私の得意分野の一つだった。

 特に意識しなくても、どこに誰がいるか。どこに何があるか。ハッキリとまでは行かなくとも、何となく分かった。

 しかし、ここに来てからそれが機能していない。


 エダフォスの教会跡の魔法人形。一本目の柱の異形の妖精。ライツで会ったレヴィア……。

 以前の私なら、すぐに気づけたものが気づけなくなっている。

 そんな私の異変に今更ながら気が付き。軽く自信が消失した。


「とりあえず今は目の前の敵に集中しよう。あの馬は、気配を消しながら霧の中を滑るように移動してくる厄介な魔物っぽいからね。アムたんは、ボクが動きを止めている間に攻撃して」

「わ、分かった……」


 彼女に頷いた私は光の剣を一つ手に持ち、四本を背中に浮かせた。

 そして、レヴィアと同じように何も見えない霧の中に視線を向ける。


「だんだん霧が濃くなってきたね」

「この湿地の影響か、それともさっきの魔物の影響か……」


 私は背を低くし、剣を構えて周囲を見渡す。その刹那――。


 ――ヒヒヒーン!!ブルルルル!!!


「ガッ!?」


 何者かに背中から突き上げられ、宙を舞った。


「アムたん!?」


 私は空を舞いながら下に視線を向け、その何者かが何なのかを確認する。


「バイコーン……!」


 今度は姿をハッキリと捉えた。

 紫がかった真っ黒な身体。筋骨隆々の大きな体躯。頭に生えた立派な二本の角からは凄まじい魔力が迸り、死んだ動物のような真っ白な瞳で私のことを小馬鹿にしているかのように見据えている。


「――ソードビット・クレアーレ!」


 私は空中で受け身を取り、そのまま上手に向かって魔技アーツを放つ。

 しかし、バイコーンはまたしても滑るように移動し、霧の中に隠れた。


「くっ……、間に合わなかった」

「アムたん大丈夫?!」

「ん、何とか」


 まさかこんな所で思わぬ苦戦を強いられるとは……。

 ここまでの旅で何度も苦戦を強いられる事はあったけど、ここまでのものは初めてじゃないか?


「あの意味の分からない動きが厄介だねぇ……」

「うん。まるで幽霊みたい」


 霧で視界が悪く、相手は気配も音もなく迫ってくる。

 こちらが攻撃しようとするとスライドするような不可思議な動きをして消え、こちらの死角から襲い掛かってくる。

 束縛魔法か何かで拘束しようにも、そもそも攻撃が当たらないんじゃ意味がない。


「……めんどくさいなぁ」

「アムたん?」


 思わずそう溢す私。

 レヴィアの耳には届いてなかったらしく、何か言った?と言いたげに首を傾げた。


「この濃霧。邪魔だな」

「そうだねぇ。でも、自然が起こしたものだからね。ボクたち人間じゃあ、どうしようもないよ」


 確かに、普通の人間にこの濃霧をどうこうする手段は持ち合わせていないだろう。

 だが、私はフェアリアだ。羽を使えればこんなの一瞬で霧散させられる。だが……。


「……」


 私は、同じように周囲に注意を向けるレヴィアに視線を向ける。

 私の正体を知らない彼女の前で、羽を出すわけにはいかない。

 既に何人かに正体を晒しているのに何をいまさらと思うかもしれないが……。

 そもそも、以前まで躊躇いなくフェアリアと明かしていたのも、ここまでフェアリアが認知されていないと思っていなかったからだし……。

 フェアリアもティタニアもお伽噺の中だけのもので、ティタニアに関しては名前すら知られていない。

 そんな事情を知った今でも正体をむやみに晒せるかと言われると答えはNOだ。


 ――ブルルル!!


「来たっ!」


 そう考えていると、再び音もなくバイコーンが現れた。

 それに素早く反応したのはレヴィアだ。

 やっぱり気配を感じ取れない。

 ここまで来ればもう認めるしかない。私の察知能力は著しく低下していることを。


「――スイング……!」


 レヴィアは魔技アーツの態勢に入り、ハンマーを大きく振り上げるが、それよりも早くバイコーンは動いてきた。

 素早く体の向きを変え、目にも止まらぬ超速度で後ろ足を蹴り上げ、レヴィアの体を貫いたのだ。


「ぐはあっ!!?」

「レヴィア!?」


 大きく後ろへ吹き飛ぶレヴィア。

 私が彼女に駆け寄ろうとすると、進路を塞がんとばかりにバイコーンが目の前に迫る。


「邪魔っ!!――フェイタルチェイン!」


 ――!?


 バイコーンは、レヴィアを吹き飛ばしたのと同じように、クルッと身体を回転させて後ろ足を蹴り上げようとした。

 だが、私は攻撃が出る一瞬の隙を突き、魔力で作り出した黄金の鎖でバイコーンを締め上げる。

 鎖に掴まったバイコーンは逃げようとして藻掻くが、動くたびにバチバチと光が走り、痛そうにいなないた。


「無駄だよ。その鎖は体力と魔力を奪う鎖だからね。むやみに動かなければ攻撃は発生しないから、おとなしくしていることだ」


 フェイタルチェインは、対象の体力と魔力を奪うという凶悪な効果を持つ魔技アーツだ。

 似たものにソォンズエルフーンが使う“ソォン・オブ・シャドウローズ”があるが、これはそれと違い動かなければダメージと吸収効果は発動しない。

 加えて、ソォン・オブ・シャドウローズよりも強度が低く、ダメージ度返しでぶち破る脳筋相手には束縛効果が薄い。

 だが、今は一瞬でも束縛させられているのならそれで十分だ。

 私は急いで、倒れ込むレヴィアの元まで走って向かう。


「レヴィア!」

「アム……た……ゴホッ!ゴホッ!」


 腹を抑えて横たわるレヴィアは、私の名を呼ぼうとして咳き込む。咳には血が混じっており、私の頬にも飛んできた。

 よく見れば顔色も悪い。抑えている腹部は血で滲んでいる。


「ごめ……血が……」

「気にしなくていい。それより、傷をよく見せて」


 ジャケットのファスナーを開けると、彼女の華奢な身体が露わになる。

 ジャケットの下は薄着で、へそを丸出しにしたタンクトップとミニスカートだけだった。

 強打の跡が付いているのはへその横と胸元。

 若干浮き出るあばらは凹み、青く充血している。

 腹部はおかし萎えぐれ方をしており、血が止めどなく溢れ出ていた。


「あばらが折れてる……」

「あはは……そうだよね……。はぁ、失敗しちゃったぁ~。これでもベテラン冒険者のつもり……だったんだけど……なぁ~」


 そう言って力なく笑うレヴィア。その声に覇気はなく、目も虚ろで焦点もあっていない。

 冒険者は旅をして魔物と戦う関係上、いつ死ぬか分からない職業だ。

 今の彼女のように、突然現れた凶悪な魔物と対峙して命を落とすことだって考えられる。

 私は彼女の傷の具合を見て眉を顰めた。

 このままでは彼女は死んでしまう。だが、ここには強力な回復薬も、回復魔法を使える人間もいない……。


「……ハッ!」

「アム……たん……?」


 ――いや、いる。

 私は自分の胸に手を当て、目を瞑った。


 エルミ姉。力を貸して。


 祈りを込めて心の中で呟くと、その刹那。私の背中からボロボロの、しかし美しく光り輝く月長石を彷彿とさせる蝶のような羽が出現した。


「アムたん……!?その羽……」


 私は、驚く彼女に微笑みを浮かべると、全身全霊の魔力を込めて、最大い威力の回復魔法を発動させる。


「――フェアリーサークル!」


 直後、魔力が大きく迸り、周囲を飲み込む。

 まるで蓮華の花が咲くように広がり、暖かな風が流れ込んだ。

 濃霧が吹き飛び視界がクリアになり、鎖に掴まっていたバイコーンはフェアリーサークルの爆発に巻き込まれ、重傷を負ったレヴィアの身体は最初から何もなかったように回復する。


「ふぅ……」

「アム……たん……?」


 息を吐く私をレヴィアは目を丸くして見つめている。

 そんな彼女に、私は困り眉で曖昧な表情を作って微笑みを見せた。

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