第5話

「先輩。内定おめでとうございます!」


「大袈裟だって。ま、ほんのちょっと苦戦したけどな」


「先輩の人柄が伝わったんだと思います!」


「かな。それでさ。これ」


「………え⁉︎ なんですか、これ」


「いろいろと助けてもらったからさ。開けてみてよ」


「え、そんな、いいんですか⁉︎ ―――あ! ああーッ! これ、首輪じゃないですかぁ!」


「ベルベットチョーカーな」


「………ぐすッ。ありがとうございます! すごく嬉しいです!」


「よかった。俺も嬉しいよ」


「あの。つけてくださいますか」


「フッ。しょうがないな」


「髪、邪魔ですよね。上げますから、ちょっと待ってください。―――ハイ。お願いします」


カチリ。


「可愛いよ。ビスコ」


「先輩………」


「トオルでいい」


「………トオルさん。あの、私からもプレゼントがあるんです」


「プレゼント?」


「部屋の電気………、消していいですか」


「え………、ああ、うん」


「それと………、目、瞑ってくださいますか」


「目………?」


「お願いします」


「………うん」


パサッ………。


「薄目しちゃダメですよ」


「してない! してない!」


パサッ………。


「あの………」


「大丈夫です。先輩からいただいた首輪はそのままにしてますから」


「首輪はって………………」


パサッ………。


ゴクッ。


「………じゃあ、ゆっくり目を開けてください」


「いいんだな。ほ、本当に開けるぞ。開けちゃうぞ」


「ハイ。今夜は、トオルさんのためだけに鳴きますから………」


「ビスコ………」


………ャンキャンキャンキャンキャン!


「ん………? 鳴くっていうより、吠えてないか………?」


キャンキャンキャンキャンキャンキャン!


「ビスコ………? ビスコォ‼︎―――――――」



なんでこうなった………。

今頃はビスコのマンションで、内定祝いを兼ねた食事会をするはずだったのに。

俺はもう一度目を瞑り、メインディッシュの続きを妄想しようと試みたが、目の前でギャン鳴きするチワワがそうはさせなかった。


1時間前に遡る。

アパートを出ようとした瞬間、呼び鈴が鳴った。

隣に住むお水系外国人女性と、彼氏と思しきガタイのいい男が立っていた。


「ワタシタチ、リョコーイク。コノコ、クッキー。オトナシクテ、カワイイ。ダカラオマエ、スコシノアイダ、メンドウミル。タノムゾ」


「いや………、それはちょっと………」


「頼むって言ってんだろ」


「はい。お任せください」


そうして俺は、小刻みに震えるチワワと1000円札を3枚渡された。

環境の違いからくるストレスなのか、チワワは早速腹を下し、俺は雑巾掛けに追われながら、ビスコに急用が出来たと断りの電話を入れたのだ。


「ほら、大丈夫だからな。怖くないぞ」


俺はクッキーを胸に抱いたまま、やれやれと溜息をついた。

携帯が鳴った。ビスコからだった。


「実は今先輩のアパートに向かってるんです」


「え⁉︎」


「今夜は、どうしてもお祝いしたくって。ダメですか?」


「いや、嬉しいけど、今どの辺―――」


キャンキャンキャン!


「――――誰かいるんですか」


「いや。誰もいない」


「………本当ですか」


「本当だ」


「………すぐ向かいます。そこにいてください」


電話が一方的に切れる。いつになく強張ったビスコの声が頭に残った。



数分後。アパートの呼び鈴が繰り返し鳴らされる。

俺はチワワを胸に抱いたまま、玄関を開ける。

そこには、さっきの妄想を軽く飛び越えるほどの美しいビスコが立っていた。

まさしくチョーカーが似合いそうな、首から胸元にかけて大胆に空いたワンピースに、ピンク色の―――。


「先輩ッ‼︎ その女、誰ですかッ⁉︎」


「へ? 女?」


「私以外の女、抱くなんて………………」


「は? 抱くって………。え、これ? いや、これはクッキーっていって、隣の人から無理やり―――、イッテェーーーーッ‼︎」


俺の右手に鋭い痛みが走った。


「私、私………、浮気する人は、大嫌いです‼︎」


バタンと閉められたドアの向こう、カンカンと階段を降りる音が耳に届く。

手を見ると、犬歯の痕がくっきりと残っていた。


「誤解だ………」


痛みより絶望感がまさっていた。

力なくうなだれた俺は、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。

深く長い溜息がこぼれる。

ふと、生暖かい湿った感触を手に受けた。

チワワだった。俺の赤く滲んだ手をペロペロと舐めていた。


「………………ありがとう。でもな、俺のことをペロペロできるのは、ビスコだけなんだ」


言葉にした途端、体の芯に何か漲るものを感じた。


「―――ビスコだけなんだ」


もう一度はっきりと声に出して、自分の気持ちを確かめた。

立ち上がっていた。

玄関のドアを開け、一歩踏み出した。


「あッ‼︎」


チワワが俺の足元をすり抜け、そのまま外に駆け出していく。


「コラ! ちょっと待て!」


後を追いかけるように階段を降りる。

先をゆくチワワは、そのまま小走りで通りに出る。

すぐにチワワの体が白い光に照らされた。


「危ないッ‼︎」


無意識に俺は飛び込んでいた。

チワワに手を伸ばし、庇うように胸に抱き抱えた。

背中に強い衝撃を受けた。

アスファルトとタイヤの擦れる音の中に、俺は巻き込まれていた。

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