第3話

5月。

日差しは柔らかく、気持ちのいい陽気と言えるだろう。

ただそれは、幸せな奴であれば、だ。

就活連敗中、お先真っ暗な道を進む俺にとっては、無駄に眩しすぎるだけ。

家に帰ってピザでも食べながら、早くオンラインゲームの続きをやりたい。


「………ンパイ」


この前はダンジョンでたいまつのストックが切れたことを俺のせいにされた。

お先真っ暗じゃねぇかって―――。


「先輩!」


「はいッ!」


「また自分の世界に入ってるぅ。下ばかり向いてると、いつか棒に当たっちゃいますよ」


彼女の声で我に帰る。

そう。大学の帰り、少し散歩しませんかと誘われたのだ。


「それと、やっぱりトオルさんって呼んじゃダメですか? 先輩って他人行儀な気がするんですけど」


「ダメだ。周りの目もある。先輩で統一してくれ」


あれからの彼女はというと、その愛くるしい美貌と明るい性格から、キャンパス内では結構目立つ存在になっていた。噂ではすでに何人かの男に告白されたらしい。

俺は男たちからの余計な誤解と面倒なトラブルを避けるため、トオルさんではなく先輩と呼ばせることにしていた。

もちろん俺も彼女のことを、君、と呼んでいる。すこぶる不評ではあるが。


「そういえば、先輩に勧めていただいた授業。とても面白いです」


「なんだっけ」


「異文化コミュニケーション概論です。異なる言語や、国籍、文化を背景を持つ様々な人種が、お互いの考え方や価値観を理解する上で必要となる―――」


「やめてくれ。今は講義の時間じゃない。で、誰先生なんだ?」


「瑞穂先生です」


「多分、出席取らないから勧めたんだろ」


「えー、勿体無いですよー。今って海外で働くことも珍しくないじゃないですか。将来役に立つかもしれませんよー」


「………そんなことは知ってる。俺は、真面目に、時々は、授業に出た」


「クスっ、ほんとですかぁ」


「ちゃんと一番前で聴いてた。香水キツくて、気持ち悪くなって、そのあとの授業は全部サボ………、出られなかったけどな」


「先輩………。瑞穂先生、男性です。それもかなりのおじいちゃん………」


「………キツかったのは、加齢臭だったような気がする」


「えっと、先輩の将来の夢って何なんですか」


「ない」


「ないんですか⁉︎」


「………嘘だ。サラリーマンだ。確実にサラリーマンになって、まずは月給をもらうことが俺の夢だ」


「就活中ですもんね。頑張ってくださいね、先輩!」


「………………あのさ」


「ハイ」


「俺といて、楽しいか?」


「楽しいに決まってるじゃないですか! トオルさんと一緒に歩いてるだけで、すごく幸せな気持ちになるんです」


「先輩」


「あッ、そうです。先輩。トオル先輩です」


屈託のない笑顔。

その奥には、嘘やごまかしではない素直な気持ちが感じとれる。


「おっ、いい女」

「アイドルじゃねぇ?」


まただ。

さっきから何人もの男が振り返っている。

こんな可愛い子が、俺みたいな冴えない男の隣を歩いている。果たして―――。


「クォ〜ン♡」

「ワンワン♩」


またか。

さっきから何匹もの犬が振り返っている。

君は本当にあのビスコなのか。

そうならば、俺に付き纏うのもわかるような気がするが、果たして―――。


「君は、前に転生したと言った」


「ハイ」


「その時のことを、詳しく聞きたい」


「あの時は………、ずっと苦しくて………」


彼女は胸に手を当てる。


「無理ならいい。すまない」


「大丈夫です。私、あの時病気だったから」


「そうだったな」


「最期はトオルさんの胸の中で死んだんですよね」


先輩だ、という言葉が一瞬浮かび、蘇ってくる記憶にすぐに上書きされる。

俺は、あの時大袈裟ではなく三日三晩、泣き通した。悲しくて、胸が潰れそうになって。


「私、幸せでした。トオルさん、私のために泣いてくれたじゃないですか。こんな幸せなことってないです。その時思ったんです」


「………」


「もっとトオルさんの側にいたい、離れたくないって。そしたら、目の前が眩しくなって、耳のそばで語りかけるような低い声が聞こえたんです」


「それだ」


「そのまま再現してみますね。『汝の、人を想うその愛、転生にて、報われるべきかな。よって、ただひとつ、天からの能力を授けるものとする。光、闇に飲み込まれる前に、声に出して、我に伝えよ』」


「スキルってやつか。声に出す必要があるのか。それでなんて返したんだ?」


「ウォン、ウォン、ウオォ〜ン、ワンワンワン!」


「………………訳してくれ」


「スキルなんていりません。その代わり………」


「その代わり」


「もう一度、好きな人と散歩させてくださいって」


「散歩………?」


「ハイ。トオルさんと散歩するのが、一番好きな時間だったから」


そうだった。

散歩の前は俺の足元をぐるぐると駆け回り、外に出るといつもリードを引っ張って、俺を急かすんだ。

俺も楽しくなって、つられるように駆け足になる。

思わず笑いが込み上げてきて、そして―――。


「ビスコォ、待てって!」


「トオルさん⁉︎」


ビスコが振り返った。


「トオルさん、今ビスコって………」


「俺が? 今⁉︎」


「も、もう一度お願いします!」


「いや、その………」


「トオルさん、もう一度お願いしますッ!」


「先輩だ。先輩」


「トオルさんトオルさんトオルさん。お願いします! もう一度ビスコってッ!」


「先輩だ先輩だ先輩だって言ってるだろ!」


通りゆく通行人と犬たちが、俺たちを振り返っていた。

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