3.神の死

 3.神の死


 チガヤが泉へと落ち、姿が消えた。

 ロキは咄嗟に手を伸ばしたが、届くことはなかった。この場に残ったのはロキと風神と、チガヤを突き飛ばした青年だけとなった。

「っの、馬鹿!」

 宙を空振りした手は、そのまま青年へと伸びた。青年の胸倉を掴み、怒鳴りつける。

「チガヤを逃がすなら、お前も一緒に逃げろよ! どうして残った!」

 怒声ではあるが、口をついて出た言葉は青年を思っての言葉だ。

 当然ながら青年からの返答は無い。代わりに、風神が嘴を出す。

「無駄だよ、泉の道は水神にしか開けない。それにあの様子じゃぁ、チガヤを通すので精一杯で、水神はもう……」

 風神が言葉を濁す。

 ロキは青年から手を離し、瞬間的に冷静ではなかった自分自身に舌打ちをする。

 森へと目をやれば、先程吹き飛ばしたはずの黒い靄が再び集まりだし、それぞれ人の形を取ろうと蠢いている。このままではまた囲まれるのも時間の問題だ。

 と、その靄の中に見覚えのある顔を見てしまい、ロキは剣を強く握りしめる。

「グレイス……!」

 行方不明だったはずのアルクハイト・グレイスだ。いつどうやって壁を乗り越えてここに入り込んだのか、影に紛れてゆらりと立っている。

 が、様子がおかしい。老人は苦悶の表情をしており、腕は脱力しきってだらりと垂れ下がっている。立ち上がってはいるがふらついていて、意識があるのかすら疑わしい。

「ローシュ、もうあいつは駄目だ」

 風神が警戒するように嘴を開く。

「完全に影に取り込まれている。ああなると、もはや人間とは呼べなくなる。ボクですら祓えない、他の奴らも」

 風神の言葉にハッとして再度辺りを見渡せば、グレイスと似た状態の誰かが他にもいる。何人か見覚えがあるのは、おそらく『赤の使徒』の狂信者ばかりだからだろう。グレイスに付き従った故に巻き込まれたのか。

 どうやら、どうやって壁を乗り越えたのか等と物理的なことを考えている場合でも無さそうだ。あのグレイスは人と呼べる定義を越えてしまったらしい、風神ですら見切りをつけてしまう程に。そしてそれは、グレイス一人だけの話ではない。


 事態はロキが想定していた以上に深刻で、何もかもが手遅れだった。


「どうする……」

 そうこうしている間にも、影は緩慢な動きながらも確実に辺りを包囲していく。

「どうすればいい……っ」

 狙われているのは青年だ。仮にこの場を脱して青年を逃がすことができたとしても、あの影は物理法則すら無視して青年を追ってくるだろう。風神ですら祓えないというのに、自分が一体どこまでできるのか。

 時間はないのに、最善手が見つからない。

 焦りは視界を狭めていく。


 故に、この時のロキは青年の様子に気付くことができなかった。

 青年が何を思い、どう行動するのか、反応することができなかった。


 突然、剣を持つ手が柄ごと握られ、強く引かれた。

 それと同時に何かを突き刺す感覚を、剣越しに感じ取る。

 目で見るよりも、その感覚が何なのかを、記憶が覚えていた。ローシュの記憶が。

「な……に、して」

 視線を向けた先、青年が、ロキの手ごと剣を自分自身の胸へと一突きにしていた。

 剣の刃が刺さっているのは、世界が崩壊したあの時にローシュが弟へと剣を貫かせた箇所であり、剣を握っているロキの手が思わず震える。青年が一体何をしているのか理解が及ばず、呆然としてしまっている内に青年が自ら剣を自身の胸から引き抜いた。

 心臓を貫いていた為に、多量の鮮血が青年の胸から溢れ出る。血はボタボタと地面に落ち、胸を押さえる青年の手と腕と服があっという間に鮮血に染まっていく。


 そして次の瞬間、青年の血を起点に、辺りが火の海へと化した。


 ロキは咄嗟に腕で庇ったが、炎がロキを襲うことはなかった。ハッとして辺りを見渡せば炎は森へと向かっていて、影たちを火で巻いている。

「おいバカ、やめろ!」

 叫んだのは風神だ。青年へと向かって飛び出すが、青年自身が炎に包まれている為に近づけず周りを激しく飛び回る。

「そんなことをしたらお前が壊れるよ! そうなったら、お前……」

 しかし風神の声は、最後まで発言されることはなかった。

 辺りの炎が一層勢いを増し、包囲していた全ての影へと火の手を伸ばす。炎に巻かれた影は音を立てる間もなく消えていき――

「違う……消えているのではなく、巻き戻されている……この辺りの時間を再生しているのか?!」

 ロキの推測は当たっている。

 そして影が完全に消えると同時に、炎も掻き消えた。影が現れる依然の風景がそこにあり、しかし、泉の傍には胸から鮮血を流し続ける青年が。

 その青年が、よろり、と後ろへとふらついた。

 背後にあるのは泉だ。すぐにロキが手を伸ばすが、青年は倒れながらもその手を払い除け。


 そしてそのまま、泉へと落ちていった。


「ロアンっ!」

 水深が浅い泉であるのに、青年の体は浮かんでこない。

 後を追って泉に飛び込もうとするロキを、止めるように風神がロキの目の前に飛び出て羽ばたいた。なんとか踏みとどまりロキが後ろに下がるのを確認し、風神は地面へと降り立つと翼を震わせる。

「ダメだ。お前はあいつを追えない。追えないところに行ってしまった。お前もボクも、あいつを止められない」

「どういうことだ風神、今、何が起きたんだ……ロアンは、一体、どこへ」

 動揺を隠しきれないロキが問い質せば、風神は翼を降ろし、嘴を下げて泉へと顔を向ける。

「今の世界で、あいつだけが唯一辿り着ける場所……旧世界に取り残された火神の元へ、行ったんだろうね」

「取り残された火神……? いや、火神は、今はロアンが」

「ロアンが継いでいるのは奇跡の力だけだよ。旧世界に取り残されているのは、力の抜け殻、かつての火神の亡骸さ。おそらく……火神の亡骸に、力を返すために向かったんだ。自分を殺して、亡骸に力を返し、かつての火神を蘇らせる為に」

 ロキは息を呑んで言葉を失う。

 自分を殺す――青年は自害するために、自分たちの前から消えたのか、と。

「旧世界への道は、この世界を復元再生した時に完全に閉ざされたはずだった。それを、お前の剣で自分の心臓を突き、ローシュが最期にしたことを再現することであえて歴史を加速させ、再生の力が最大限に暴走する瞬間を作ったんだ。そしてその力を利用して、影を押さえ込むと同時に旧世界への道をこじ開けた……でも……でも、駄目だ。影のせいで歪みが強くなってしまった今、あいつの決意よりも力の暴走の方が強い。死にきる前に再生し尽くしてしまって、あいつは自分を殺しきれない。そうしている間に、あいつの自我が完全に壊れてしまう……!」

 風神の声にも焦りが混じる。それをロキは顔を青ざめさせながら聞いていた。

 自我が壊れる。それは、つまり。

「その自我というのは、まさか……ロアンの意識、ということか……?」

 そうなってしまえば、完全にロアンは消滅してしまう。ロアンの姿をしただけの自我もない邪神へと堕ちきってしまう。


 思えば、青年は以前から自傷行為が激しかった。しかしそれは再生される歴史の影響によるものであり、チガヤが来てからは自傷行為も落ち着いていた為にそこまで推測できていなかったが……あれはもしや、ロアンとしての自我が壊れる前に元々の火神へ力を返す為に行っていた自傷行為、だったのか。


 そう考えた時にはすでに体は動いており、ロキは泉へと飛び込んでいた。しかしロキの足は泉の底へとぶつかるだけで、そこから先へは向かえない。

 慌てた風神が両足の爪にロキの服を引っかけで持ち上げるように羽ばたいた。

「だから無理だよローシュ! お前とボクは旧世界への道を通ることができない! お前もボクも、もうこっちの世界の転生者なんだ、魂がこの世界に縛られているんだよ!」

 風神の小さな体ではロキを持ち上げることができなかったが、ロキは動きを止めた。

 そして風神を見上げる。

「どういう、ことだ……? 俺がローシュの転生として今の世界に生まれ変わったから、道を通れないということか? それに、風神、お前も転生者だと……?」

 困惑するロキに、風神は息を切らしながらも服を離してロキの肩に止まる。

 そして、重々しく嘴を開いた。

「……そうだよ。ボク……いや、ボクと水神も、お前と同じ転生者だ。ボクと水神は旧世界で一度死んで、暴走した再生の力で今の世界に産み直されている。この世界で再生されて産み直された者は、この世界に魂を縛られて動けなくなるんだ……だからお前もボクも、旧世界へは戻れない。戻れるのは、暴走した力の持ち主であるあいつ自身と、それから――チガヤだけだ」


 思わぬ名が風神の言葉から飛び出て、ロキは一瞬思考が停止する。

 が、すぐに我に返った。風神を自身の腕へと移動させ、風神と向き合った。

「どういうことだ風神。どうしてそこでチガヤが出て来る? 彼女は、一体、何者なんだ」


 風神は言う。

「チガヤは――」


 ×××


 全てを聞き終えたロキは、深く長く、息を吐いた。

 泉の周辺は、今は静かだ。包囲していた影は無く、何事も無かったかのように静まりかえっている。

 だが、それがいつまで続くかわからない。今この時も、事態は取り返しのつかないほどの崩壊へと進み出している。

 傍にいる風神が、翼を広げて嘴を開いた。

「とにかく……チガヤを探さなきゃ」

「いいや」

 ロキは首を横に振った。

 泉の傍には、直前までチガヤが作業していたものが放置されている。開きっぱなしになっている裁縫箱と、その傍にあるのは。

 以前彼女が自分のものだといっていた、花嫁衣装のベールだ。

「チガヤはここに、帰ってくる。自分の力で」

 そう言いながら、ロキは泉の水面に浮かんでいたモノを掬い上げた。

 漂着物だ。それは以前、チガヤと共に、流れ着いたモノ。

 あの時チガヤのベールに引っかかっていたと思われる、彼女の故郷にしか咲かないはずの花が、漂着している。

「だったら俺は、俺ができることをする……ここを守り切る。チガヤと、ロアンが、帰ってこれるように」


 ×××


 激しい水の流れに巻き込まれ、なんとか水上へともがき出た頃には、チガヤは酷く水を飲んでしまっていた。

「げほっ、けほ、はぁっ」

 這いつくばって陸へと上がり、丸い石だらけの地面に手をついて水を吐く。

 水は飲んだが意識はあるし、五体満足だ。荒く呼吸をしながらも顔を上げたチガヤは、すぐに辺りを見渡した。

「っ、水神、様……っ」

 すぐにその姿を見つけることはできた。チガヤよりも少し流された位置に、陸に打ち上げられてぐったりしている水神がいる。震える足を叱咤しながら立ち上がり、水神の元へと駆け寄った。

「水神様、しっかりなさってください……!」

 水神の撃たれた傷口からは、今も鮮血が溢れ出ている。なんとか止めようとチガヤが手で傷口を押さえても、流血は止まる様子がない。

「どうしよう……どうしたら良いですか、水神様……っ」

 泣きそうになりながら懇願するチガヤに。

 水神は弱々しく、声を発した。

「チガヤ……もう、いいの。こうなることは、決まっていたから……」

「決まっていたなんて、どういうことですか? なんでそんなことを言うのですか……っ?」

 水神は最期の力を振り絞るように声を発する。

 目に涙を溜めながら、チガヤはできるだけ屈んで水神の言葉を聞き取ろうとした。

「わたしは、一度死んでいるのよ……世界が崩壊した、あの時に、ね……だから、これは、この世界における、わたしの定められた運命……わたしが死ぬことは、再生する歴史の中では、決められていたことなの」

 ああ、とチガヤは納得してしまう。

 泉の傍でずっと水神を見守っていた青年の姿を思い出す。彼がほとんど眠らずに水神を見守っていたのは、繰り返される歴史によって水神に死期が近付いてきていることを知っていたから、だったのか。

「けれど、最期にあなたを守れた……それだけで、私が少しの間、生き足掻いた価値がある……ねぇ、チガヤ、お願いがあるの」

 水神が僅かに頭を持ち上げる。

「わたしを、連れて行って……あの子の元へ……」


 直後、水神の体が水のように、ぱしゃり、と溶けて消えた。


「水神様……?」

 チガヤが呼びかけても返事はこない。

 水神だった水は丸い石と石の間に染みこみ落ちていって、川へと流されていく。

 後に残ったのは、手のひら程の大きさの、白く輝く一枚の鱗、だけだった。

 震える手でその鱗を拾い上げ、胸に抱く。

「水神様……水神様ぁっ!」


 そしてチガヤは声を上げて泣いた。

 慰めてくれる人はいないが、その代わりにみっともなく声を上げて泣いていても見咎める者もいない。

 散々と泣き、声が枯れてきたところで、ようやくチガヤは顔を上げる。

 ひく、ひぐ、としゃくりあげながらもなんとか立ち上がり、袖で涙を拭う。

「……っ、帰ら、なくちゃ……」

 ぽたぽたと水滴が落ちる自分の髪と、ワンピースの裾を絞る。水神の鱗を大事に両手で包み込んで握りしめ――ここでようやく、チガヤは周囲の景色を見渡した。


 河原だった。すぐ側の川は幅が広く流れが穏やかだが、流れを遡れば徐々に川幅が狭くなって水の勢いも激しくなっている。おそらく自分はあちらの方から流されてきたのだろう。足元は川で削られた丸い石がごろごろとしており歩きにくい。そして河原から少し離れれば、鬱蒼とした森が広がっている。

 ひとまずチガヤは河原と森の境目の方へと足を向け、安全な足場を確保してから、泣いて乱れた呼吸を落ち着かせた。

「……ここ、どこだろう……」

 辺りに人気はまったく無い。泉へと帰る為にもここがどこなのかを把握したいのだが、人と出会うには川を下ればいいのか遡ればいいのか、どちらなのだろうか。見知らぬ土地で遭難してしまった場合の対処法なんて、チガヤには知識がない。

 しかし、チガヤの心は焦りを感じていた。

 水神の最期の頼みを聞いたから、というのもあるが、それ以前にもチガヤは一刻も早く泉へと戻らなければいけない必要性を見出していた。


 何か、覚悟を決めた目をしていたのだ。

 自分が泉へと突き落とされた、あの瞬間、一瞬だけ見えた青年の目が。


 その目を見た時から、ずっとチガヤの心はザワザワとして落ち着かない。

 何か、最悪なことが起きる。否、きっとすでに起こっている。

 だから早く、あの泉へと戻らなければ。

「火神様……」

 ……とは言え、やはりここがどこなのかを把握しない限りは先に進めない。

 おろおろと辺りを見渡し、とりあえずは川を遡ってみようと考える。行く道がわからないのであれば、来た道を引き返してみようと思ったのだ。

 そうして川沿いを歩き出し、数分後、はたと気付いてチガヤは足を止めた。

「この花……見たことある。確か――」

 呟き、その場にしゃがみ込んで足元の花へと触れる。


 その瞬間、発砲音が鳴り響いた。


 ×××


 ビクッとしてチガヤは飛び跳ねるように立ち上がる。

 あの発砲音は、もう嫌でも耳にこびり付いてしまった銃声音に違いない。

 が、チガヤが撃たれたわけではない。一体どこから音が、と森の奥側へと目を凝らしてみれば、何かが動いてこちらへ向かってきていることに気軽く。

 それと同時に、続けて鳴り響く何発もの銃声と、叫び声。

「――駄目だ、銃が効かない!」

「とにかく逃げろ! 追いつかれる前に!」

 叫び声は数人分のものだった。しかも何かに追われている様子である。

 暫くして、ようやくチガヤは視界に彼らを捕らえた。彼らは赤い民族衣装を着て武装しており、しかし手に持つ武器は役に立たないのか抱えるだけで、そして彼らの背後には――泉でも見た、不気味に蠢く影が、塊となって迫ってきているのだった。

 こちらへ走ってくる彼らの内、一人がチガヤと目が合い、もう一人がチガヤよりも先を見て顔を青ざめさせた。

「あぁ?! お前は――」

「しまった川だ、行き止まりだ!」

 チガヤのことよりも、行き止まり、という叫びの方が彼らにとっては重要だった。各々の顔に絶望が浮かび、その絶望は彼らの足を鈍らせる。

 最後尾を走っていた一人が、ぎゃっ、と声を上げた。

「ああ待ってくれ、やめろ、やめてくれぇ!」

 影が男の足にかかり、引き倒している。地面に倒れ込んだ男は顔を引き攣らせ、腕を伸ばした、が、男の仲間たちも顔を引き攣らせることしかできず足も止められない。

 次の瞬間、影に捕まった男から火の手が上がった。

「火が……! ああ、炎がっ、たすけ、助けてくれぇっ!」

 全身を炎に包まれてしまった男が、悲痛な声を上げる。


 その声を聞き。

 考えが追いつくよりも前に、チガヤの足は動いてしまっていた。


「やめなさい!」

 燃えている男の元へと駆け出し、がむしゃらに、男を捕まえている影を、

 突き飛ばしておきながら、チガヤ自身も驚いた。実体が無さそうな影が、本当に突き飛ばされたかのように後方へと吹き飛んだからだ。

「え……あ、あれ……?」

 それと同時に他にもいた影たちが一斉に霧散した。泉でのことがあった為に多少なりとも恨みを込めて腕を突き出したとは言えども、影全部を消してしまうとは流石に思いもよらなかったチガヤは、ぽかんとしてしまう。

 が、すぐに我に返って男を振り返った。地面に伏す男はもう炎には巻かれていないが、焼かれた熱と痛みに呻き声を上げている。

「大丈夫ですかっ?」

 すぐに膝をつき、男へと触れる。

 と、今度は明確に、自分の手元で何かが起こったことを自覚した。

 水に触れたような感覚。そのまま男の焼け爛れた患部に触れた瞬間、見る見るうちに火傷痕が消えていったのだ。

「あ、あ……? 痛みが……引いた……?」

 呻いていた男も起き上がって自分の体を見下ろし、呆然とする。

 その時になってチガヤは、水神の鱗を握ったままになっていることに気が付いた。

「もしかして、水神様の奇跡の力……?」

 水神に宿っていた力は確か、治癒の奇跡、だったはずだ。それに、風神の加護を受けているといっていたロキは剣を介して風を起こし、泉の周りを囲っていた影を一時的に祓っていた。

 ならば先程チガヤの腕が影を突き飛ばしたのは水神の加護が働いた結果であり、さらに男の火傷を治したのは、握ったままになっていた水神の鱗に残っていた奇跡の力のおかげだろうか――

「お、おい、お前……」

 声をかけられ、チガヤはハッとする。

 気が付けば逃げていた男たちが戻ってきており、おそるおそるといった様子でチガヤへと声をかけてきていた。

「お前、あの時の……生贄、だよな?」

「な、何をしたんだ? あの影、銃も効かなかったのに」

「それに、こいつの怪我も……」

 口々に聞いてくる面々を見つめ、再びチガヤはぽかんとした。

 彼らの服装に見覚えがある。特徴のある赤色の、その民族衣装は。

「……赤の使徒の人たち……? それに、あの時の生贄って、私のことを……あ!」


 思い出した。

 彼らは、ロキやアルテ、それにエリックと共に故郷へと行った際に、故郷跡で襲ってきた『赤の使徒』の狂信者たちだ。あの時はそれぞれが面を被っていた為にチガヤからは顔がわからなかったが、思い返せば声を聞いたことがあるような気がする。


 そしてさらに気が付いた。

 先程見つけた、足元の花。あの花は、チガヤが泉へと最初に流れ着いた時に一緒に漂着した花で、確かジャンがチガヤの故郷付近にしか咲かない固有の花だと言っていた。

 あの時、故郷で襲ってきた彼らがここにいて、更には、故郷の花。


 つまり、今いる、ここは。


「あのっ、ここは私の故郷がある山の中ですか?!」

 勢いよく彼らに聞き返した。

 狂信者たちは面食らったように怯み、お互いに顔を見合わせた後、おずおずと頷いた。

「あ、ああ……ここは俺たちが拠点にしている、ノースフィナンドの山中だが……」

「っ! 水神様……っ!」

 息を呑み、涙腺が緩くなっていた瞳からまたポロポロと涙が零れる。

 水神はチガヤを守り、導いてくれていた。

 最期まで。いなくなった後までも。

 チガヤの涙に男たちがギョッとするが、チガヤは構わずに、手のひらの鱗を両手で祈るように握りしめた。


 どこに向かうべきか、何をするべきか、明白に理解した。

 チガヤの道は、開けた。


「――……連れて行ってください!」

 涙を拭い、顔を上げたチガヤは、声を張り上げた。

「私を、故郷へ連れて行ってください!」


 前を見据えたチガヤに対し。

 動揺したのは狂信者の男たちだった。

「……ど」

 再びお互いに顔を見合わせ。

 うちの一人が、情けなく声を上げた。

「どうする……? 俺たち……」


 本格的な世界の崩壊は、まだ始まったばかりだった。




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死にたがり邪神と嫁入りした生贄少女 第四章 邪神 光闇 游 @kouyami_50

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