民人くん、親父に図星を突かれ咽び泣く
「じゅ、18万円!?」
通帳の入金額を見て、俺は愕然と声を上げた。
何度も記載された数字に目を滑らせ、指先をわなわなと震わせる。
今日はレア賢の二巻の印税が振り込まれる日だった。
金欠だった俺は、その日に僅かながらに希望を抱いていた。
けれど結果は惨敗だった。
一巻の時とはまるで感触が違う。自分の力で金を手に入れた喜びはない。
明らかに前回よりもレア賢の売上が激減していた。
(こんな金、下手すりゃ一ヵ月でなくなるぞ......)
俺はあまりのショックで声を失う。ひどい出来だったとはいえ、まさかこんな底辺のアルバイトみたいな収入になるとは思わなかった。
今までの貯金は全部使い果たしていたので、もはや崖っぷちの状態だった。
どうする? どうする? 俺はこの先、どうやって生活していけばいい?
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
突然部屋の扉が、乱暴にノックされる。
思考の渦に飲み込まれていた俺は、ハッとなって振り返る。
「おい民人! 入るぞ」
部屋の扉が勝手に開けられ、親父がズカズカと入ってくる。
50万の通帳を見せた日以来、親父は俺の部屋に上がり込んでこなくなっていた。
だが今日の親父は明らかに気色が違う。険しい顔つきをしており、頑とした態度で俺の目の前に立った。
「民人、お前今日は小説の印税が入る日だと言っていたな? 今度は100万いきそうだって、息巻いていたよな? それで、実際の所どうなんだ?」
「............」
俺は
だが親父はすぐに見咎めて、鋭い声を上げた。
「いま後ろに何を隠した?」
「......何も隠してねぇよ」
「見せてみろ!」
「何も隠してねぇって!」
親父は素早い動きで俺の背後に手を伸ばし、ポケットから通帳をひったくった。
俺は慌てて取り返そうとしたが、それよりも早く親父は通帳のページに目を落とす。
「18万......。あれから半年も経ったのに、たったこれだけしか稼げなかったのか」
親父は失望したような、呆れきった声を出す。
俺は拳を震わせ、最大限の屈辱を味わった。
親父にだけは、こんな無様な姿を見られたくなかった。
顔を俯ける俺に、親父は顔を向け直す。
「ほら、父さんが言った通りだっただろ。小説家なんて碌なものじゃない。収入も不安定だし、いつ仕事を切られるかだってわからないんだ。もう諦めろ、民人。明日からちゃんと仕事を探して、普通の会社に就職して――」
「うるせぇよ!」
言葉を遮り、俺は声を荒げた。
譲れないプライドが湧き起こり、どんどん意地になっていく。
「いちいち指図してくんなクソ親父!! 俺はプロ作家なんだぞ!! ここまで来たのに、簡単に諦められるか!! 俺は優秀なんだ、俺は特別なんだ!! 絶対にプロ作家を辞めたりしねぇ! 俺の人生を勝手にてめぇが決めるんじゃねぇよ!!」
洪水に抗うように俺は叫ぶ。
そんな俺を親父は黙って見つめていた。
視線と視線が交差して、束の間の沈黙が訪れる。
だがやがて、親父は静かに口を開いた。
「――民人、お前はよく頑張った」
ふいに親父は優しげな声を放った。
予想外の言葉に俺は面食らって、一瞬怒りを忘れる。
気持ち悪いほどに親父の顔つきは、穏やかなものになっていた。
「お前もお前なりに父さんたちから自立しようとしていたんだな。けど就職に失敗して、家に引き篭もるようになってしまって。お前も精神的にずっと辛い思いをしてきたんだな。
だけどな、人にはできることとできないことがあるんだ。お前が小説を頑張ったことは父さんも認める。だけどな、それは進むことが難しい茨の道だったんだ」
親父は憐れむような瞳で俺を見下ろす。
まるでガキの頃の俺を見るような、柔らかい眼差しだった。
何なんだよいきなり。そんな目で俺を見るな。
「お前は小説家という職業に夢を持ちすぎていたんだ。小説家にさえなれれば、何でも自分の願いは叶えられると。億万長者にもなれて、世間の人たちからも評価されて、それで自分のコンプレックスも解消できると、そう信じていたんだ。
だけどな、民人。それはけっきょく全部お前の勘違いなんだ。小説家になっても、一生遊んで暮らせるわけじゃない。ネットの友達にいくら持て
小説家なんてけっきょく、数ある職業のうちの一つにすぎないんだ」
諭すように、親父は語りかける。
物静かで、決して相手を威圧しようとしない接し方だった。
だがその喋り方がかえって、痛いほどに俺の癪に障った。
うるさいっ、うるさいっ、うるさいッ
否定するな、否定するな、否定するなッ
俺の人生を否定するなッ!
何で俺の親なのに、俺の夢を否定するんだよ......ッ!
「――出ていけ」
「......民人?」
「出ていけっていってんだよクソ親父!!」
俺は親父に殴りかかった。何度も何度も無我夢中で腕を振り回す。
親父は皺だらけの手で自分の顔を庇った。だが俺は容赦なく、その隙間を縫って何度も何度も殴りつけた。
気がついたら、涙が出ていた。
どうして泣いているのか、自分でもわからない。
俺は頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、現実の境目すら上手く認識できなくなっていた。朧げな意識の中、過去の記憶が高速で流れ込んでくる。
ガキのころ、俺は親父に抱きつきながら毎日一緒に眠っていた。あの頃は親父にべったりで、仕事で忙しかった親父の帰りを夜遅くまで待っていた。ダイニングルームでウトウトしていると、親父はいつも俺を抱き上げて、ベッドまで連れていって毛布を掛けた。
だけど、親父が部屋から出ようとした時、俺は決まって袖を引いて「お父さんといっしょがいい」とせがんだ。親父は困ったように笑い「ちょっと待っててな」と声をかけた。そして寝支度を終えると、俺と同じベッドに入って二人で眠りについた。
何で今更になって、俺はこんな昔のことを思い出しているのだろう?
俺はもう、親父のことが憎くてたまらないはずなのに。
いつの間にか、親父が部屋から消えていた。
両手の拳には、血の跡がべったりとついている。
人を殴ったら、こんなにも血が流れるものなんだ。
俺はぼんやりと、そんなことを考えていた。
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