いやだ......俺は、辞めたくないィィィッ!!

 数週間して、俺は原稿を完成させた。もはや小説が面白いとか楽しいとか考える余裕はなく、ただページノルマを埋めるためだけに筆を走らせた。俺は碌に見直しもせず、そのまま佐藤に原稿を送る。


 それからの数週間は、四六時中ビクビクしながら電話を待ち続けた。あんな出来の小説じゃ、もしかしたらボツを食らうかもしれない。もしかしたら続刊自体もなかったことにされるかもしれない。不安がウジ虫の群れのように頭に巣食い、俺は執筆することも、食事することも、遊ぶことも碌にできなくなっていた。



 プロロロロ プロロロロ



 電話が鳴った。

俺の心臓は飛び出しそうなほど跳ね上がる。

取るのが怖い。なんて言われるのかわからない。

それでも結果を知るために出なければならない。


 俺は指先を強ばらせながら、通話ボタンを押す。


『もしもし、月神子さんですか? レア賢の二巻の発売日が決定しました』


 その言葉に、俺は一瞬頭が真っ白になる。

えっ、本当に? 本当にアレで良かったのか?


『つきましては前回と同じように、印税の入金手続きと出版権譲渡の契約書について説明させていただきます。まず入金日についてですが――』


 それから佐藤は、事務的な声で淡々と話を続けていく。俺は上の空で聞き、あまり内容も入ってこなかった。


「あっ、あの」


 一通りの話が終わると、俺は溜まらず声をかけた。

聞くのが怖い。それでも、確認せずにはいられない。


「小説は本当に、アレで良かったんでしょうか?」


 上ずった声で尋ねると、佐藤は押し黙る。

氷の池に素足で立たされたような痛い沈黙。

だがしばらくすると佐藤は、はあ、と深いため息をついた。


「正直に申し上げますと、本当はアレじゃ全然ダメです。本来なら一から書き直してもらいたい所ですが、モンスターコミカルさんのほうからコミカライズの話も出てますし、今さら続刊を打ち切るわけにはいかないんですよ。我が社には発行部数ノルマもありますし、もう時間がありません」


 佐藤は諦めた口調で事情を説明する。出版社の運営がどうやって成り立っているのかは、俺にもよくわかっていない。けれど少なくとも、素直に続刊を喜べる状況じゃない。俺自身もかなりヤバい立場にたたされていることだけはわかった。

 

「――とにかく、月神子さんも覚悟したほうがいいですよ。レア賢はもう厳しい。もし商業作家として続けていくつもりなら、今すぐ新作を書いたほうがいいです。あなたには実績がありますし、結果次第ではまた御懇意にさせていただこうと思います。頑張ってください」


 そう言うと、電話はプツリと切れた。佐藤の言葉は明らかに最後通牒だった。首の皮一枚で繋がっていた事実を突きつけられ、俺の体は震え上がる。

俺はいま、プロ作家の地位をはく奪されようとしているのだ。


(嫌だ......。俺はせっかくプロ作家になれたのに、また何の価値も持たないワナビに成り下がるのか? 親の脛をかじるだけの寄生虫に後戻りするのか? 俺はまた、自分を肯定できない屈辱を味わわないといけないのか?)


 いやだ、いやだ、いやだッ!!

俺は特別な人間なんだ! プロ作家なんだ!!

辞めたくない、辞めたくない、辞めたくないッ!!


 心の中で何度も叫び、激しくかぶりを振る。

退路はもうどこにもない。


 俺は突進するようにパソコンの画面を起動した。

笛吹きになろうのランキングを閲覧し、必死に今のトレンドを研究する。


 現代ダンジョン、動画配信、美少女。


 落とし込んだ分析結果をエディタに書き写し、どんなストーリーがウケるのか、何度も頭の中でシミュレーションする。


 昼夜を問わず、俺は新作の執筆に全力を注ぐ。

精神がギリギリまで追い詰められ、書くことさえ辛かった。


 それでも俺は、乗り越えなければならない。

売れる小説を書かなければ、俺には何も残されないのだから。

タイピングを打つ音が、驟雨しゅううのように激しくこだまする。


(絶対......絶対生き残ってやる!)


 そしてとうとう、レア賢二巻の発売日が訪れた。

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