第13話 少女の祈り


「この街はね、今はカミラ家が領主をしているけれど、私が生まれた頃は、まだロート家が領主だったの。第三王妃だったミリア様は、そのロート家のお嬢様だったわ」


 アンが回復魔法で皆の手当をしている間、マーガレットは昔の話を聞かせてくれた。


「私は、ロート家でメイドをしていたの。目が見えなくなって、十分に働けなくなってしまったけど、それでもミリア様は私をお側に置いてくれたわ————」


 二十年ほど前まで、この地域はフローリア王家の遠い親戚であるロート家とカミラ家の領地に分かれていた。

 しかし、残念なことに度重なる魔王デルビルによる攻撃のため、ロート家側の街は甚大な被害に遭い、ロート家の私財と税収だけでは、復興するには大変な時間がかかる。

 さらに、ロート家の跡継ぎであるミリアの兄も魔王デルビルとの戦いで命を落としていたため、ロート家が領主でいつづけるのは困難な状況。

 仕方がなく領地をカミラ家と合併し、ミリアはカミラに嫁ぐ予定だった。


「でも、直接街の被害状況を見に来た王様に見そめられて、ミリア様は王家に嫁ぐことになったの。けれど————」


 第三王妃となったミリアは、アンを産んですぐに亡くなってしまう。

 そのショックでミリアの母は病に倒れ、父もその後を追うように亡くなってしまった。


「今の領主様に変わってから、この街には年中花がそこら中で咲いているの。不自然なくらいにね……どうしてだかわかる?」

「え……?」


(今の領主に変わってから……? それと、花に関係があるの?)


「匂いを隠すためよ。この地域にはね、とても香りの強いパフローズというバラが咲いているの。カミラ家はね、人から見られるころだけを煌びやかで美しい街に作り変え、もともとロートの住人だった人たちから土地を巻き上げたわ。路頭に迷った人々が次々に死んで、ひどい死臭がする。その匂いを隠すために、パフローズをそこら中に植えたのよ。ロートの住人たちはみんな家も仕事も奪われてね……あの雪山を超えて、ニコリアに亡命した人もいるけど……もうほとんどが、死んでしまったわ」


 家と仕事を奪われた人たちは、皆、低賃金の労働者として働かされている。

 若くて才能のある男達は、出世してカミラ家の運営するホテルや店の従業員となるが、体の不自由な者や老人、女性、子供達にはまともな仕事がない。


「みなさんのこの怪我は……一体どうして?」

「パフローズから作られる新薬の研究よ」

「新薬……?」

「私たちは、みんな騙されて、新薬の実験台にされたのよ」


 ある日街中に高い給金がもらえると求人の貼り紙があった。

 それも、年齢性別全て不問。

 金が欲しい元ロートの人々が、その給金目当てで集まったが、妙な薬を飲まされた者、塗られた者、注射された者……その半数以上が死んでしまった。

 ここにいるのは、その中でなんとか生き延びた人やその実験で親を亡くした孤児たち。

 今でも薬の副作用で肌がただれたり、体の一部が痙攣したり……様々な症状が出ている。


「先生がいた頃は、みんな手当をしてもらえたの。先生は、シスター様と同じように回復魔法が使える人だったから……」


 リコリスは、綺麗に治った母親の手を撫でながらそう言った。

 他の人々も、アンの回復魔法によって苦しみから解放されていく。


(同じ回復魔法が使えるってことは、光の魔力を持っている人ね。光の魔力は、ほとんど王家の人間か聖職者の血筋にしか受け継がれないはず……)


「その先生は、今どこに……?」

「わからないの。魔王デルビルが死ぬ少し前、急にこの街からいなくなったの。でも、先生は私に言ってたわ。『もし、僕が戻ってこなかったら、シスターを探しなさい』って。シスター様の多くは、先生と同じように回復魔法が使えるからって————」


 確かに慈善活動の為、各所を回っているシスターは多い。

 アンもそのことを知っていたから、シスターとして動くことが逃げるには最適だと思っていた。

 しかし、ロートカミラがこんな状態であることをアンは知らなかった。

 おそらく地元住民以外は皆、ロートカミラは魔王デルビルの攻撃から見事に復興した豊かな街だと思っている。

 本物のシスターがこの地を訪れる可能性は低い。


 リコリスはその先生がいなくなってから、毎日、西の岬にあるもう一つ教会まで行って、祈っていたそうだ。

 そこには幸福の鐘があり、鳴らすと願いが叶うと言われている。

 そして今日、たまたまリコリスはアン達が船から降りるところを見た。


「ありがとう、シスター様。これで、みんなでニコリアに行けるわ」

「ニコリアに……?」

「うん、私たち、ニコリアに亡命するの。こんなところにいても、領主のおもちゃにされて終わりよ。本当は、ドーグ島に行きたいけど海を渡る船はないし……怪我さえなければ、雪山を越えられるから」

「そう……ああ、それなら、一つ聞きたいのだけど」

「なんですか?」

「雪山の中腹に、城跡があると聞いたんだけど、どう行けばいいかしら?」

「城跡……? そこなら私たちも通ります。一緒に行きましょう」


 アンとマジカは一晩この教会で過ごし、翌日の朝リコリスたちと一緒に山に入る。

 ドラムがエリクシアから聞いていた通り、山の中腹あたりに薄い桃色の外壁や柱が残っている城跡があった。

 パフローズの花びらを染料として外壁に塗っていたらしい。


「ここは、かつてロート家の城だったんです。私の父はロート家の執事長でしたので、子供の頃はこの城で育ちました。当時の面影はもう残っていないそうですね」


 マーガレットは寂しげに昔の話をする。

 まだ目が見えていた頃、ミリアと噴水のある美しい庭園でよく遊んだそうだ。


「その、ミリア様は、どんな人でしたか?」

「……そうねぇ、あのお方は、とても聡明で、美しくて————少し、思い込んだらこうっていう頑固なところもありましたけれど、とてもお優しい人でした。目が見えなくなってしまった私を、嫁がれる最後の日まで……お側に置いてくれて……ロート家の光の魔力を扱える人は、甘いケーキのような希望の匂いがするんです。シスター様……あなたのように」


(お母様————)


 アンの瞳から、涙が一筋流れる。

 けれど、それはマーガレットには見えない。

 きっと、マーガレットの目が見えていたなら、ミリアの生き写しのようなアンのこの涙の理由に気づいていただろう————



 * * *



 リコリスたちと別れてからも、アンはしばらく城跡に佇んでいた。

 祖父母達の墓跡を見つけたのだ。


 亡き祖父母達を思い、祈りを捧げる。

 先に顔を上げたマジカは、アンが顔を上げるまで待っていた。

 ところが、急に空が暗くなっていく。

 山の天気は変わりやすい。

 あっという間に分厚い雲が太陽を覆い、ハラハラと雨まじりの雪が降り始める。


 崩れた城壁の向こう側に、かろうじて屋根が残っている場所がるのを見つけたマジカは、顔を上げたアンにあの屋根の下に行こうと言おうと、口を開いた。

 その刹那————



「アン王女……?」


 低い男の声がした。

 その声の主を、マジカは知っている。


 アンも声がした方を向いた。

 そこには漆黒の長い髪を後ろに束ね、どこか憂いを帯びているサファイアのような瞳。

 右目すぐ下に星の形をした小さな黒子を持つ騎士————




「ヴィライト……様……?」



 黒いローブを着たヴィライト・ジェミック卿が、立っていた。








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