この夜に堕ちたら

あなたの声

私は、ここにいることを、誰にも知られたくない。ここは落ち着く。何もないから。何も要らないから。何も知らなくて良いから……。


こんな風に、私は逃げて来た。それは、誰からも責められることのない、こんな場所を、ずっとずっと、探して来たから。


「好き」


だなんて言葉、


「愛してる」


だなんて言葉、


私は、信じない。私は許さない。私は認めない。


だって、あの人は来なかったもの。あの時だって、あの日だって、そして、今日だって……。


この場所に、


「君を迎えに来るね」


そう、確かに、言ったのに……、言って、くれたのに……。


私は、静かに星を見上げて、そっと祈った。


「どうか、天国があります様に……。どうか、この私が、許されます様に……。どうか、例え、私を見捨てたあの人であっても、幸せに、なってくれます様に……」


と……。


私の、祈りは、たった、それだけ。


私は、どれほど、小さな人間なのだろう?命を捨てる時、こんな事しか祈れないだなんて……。


私は、なんて、愚かな人間なのだろう?こんな風に、迎えに来てくれるはずの人が、現れなかった……、たった、それだけで、命を捨てようとしているなんて……。


でもね、ここは、本当に静か……。都会の喧騒なんて、本当に一瞬で消え去る涼しい風と、車のクラクションにかきけされるほど小さな波音さえも、なんの苦難もなく聴き取ることが出来る静寂。海鳥が鳴き、空は満天の星空。それを邪魔するネオンも一切ない。あるのは、広い砂浜を照らす、たった一つの街灯だけ。通る車さえない。


当たり前だ。ここにある道と言えば、草がぼうぼうに生えて、整備なんてされていない、海岸沿いの細い道だけ。




さぁ、そろそろ、時間だ。


そろそろ、海に入らなければ、私は、生き延びてしまう。


そう。私は、自殺志願者。


迎えに来てくれると言ったのは、だ。


夢で、何度も何度も、彼の言葉を聴いた。


『迎えに行くよ』


『今度こそ、迎えに行くよ』


『次こそは必ず迎えに行くよ』


彼は、そう言って、いつも、いつも、来てはくれなかった。


そして、今日も……。ずっと、待っていたのに、ずっと、探しているのに、ずっと、空を、星を、風を、あなたを、見つけようと、胸が痛くなるくらい、あなたを求めているのに……。






ここは、彼が、溺れそうになった私を助けようとして、波に流され、姿を消した海だ。彼は、私を助けた後、力尽きて、でも…………、忘れられない。


あの、だけは。


私のせいではない、と、きっと言い残したかったのだろう。


「く!ボコッ!!フグッ……」


と、口を必死で動かそうとしていたが、その口から、声はとうとう聴く事は出来なかった。


「待って!!行かないで!!今、人を呼んでくるから!!」


その声は、彼に聴こえただろうか?どんどん沖に流されてゆく彼が、もがいているのを、見ているしか出来なかった自分が、どうしても許せない。


「好き」


そう言った。


「愛してる」


そう言った。


そう言ったのに、私は、彼を守ることが出来なかった。非力な私を助けようとした、非力な彼を、赤子の手を捻るかのように、波は彼を攫って行った。私だけを、残して……。



「ねぇ……、もう……良いでしょう?」


私は、海に投げかける。彼の元へ、連れて逝ってよ……と。





それなのに…………、分かっている。分かっているの。


私は、この夜に、堕ちる事しか出来ない……。




この海は、私を、拒み続ける。……ううん。違う……。本当は、私に、勇気がないだけ。


あなたの元に行きたいのに……、私は、怖くて、死ぬのが怖くて……、あなたの声を聴いても、何度も聴こえるのに……、何度も何度も聴こえたのに……。



私は、海に沈もうとした。何度も、何度も……。



それでも、私が繰り返したのは、夜に堕ちる……、ただ、それだけ……。

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この夜に堕ちたら @m-amiya

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